囲碁サロン向ヶ丘遊園の閉店

囲碁サロン向ヶ丘遊園の閉店

2020/09/15

囲碁人口の減少がいわれて久しいが、世界的に感染が拡大した新型コロナウィルスのため、囲碁に限らず人々に遊びや楽しみを提供するサービス業の人にとっては厳しいことになった。

小田急線向ヶ丘遊園駅から徒歩2分の囲碁サロン向ヶ丘遊園(以下,囲碁サロン)が2020年9月13日で37年間の歴史に幕を閉じた。

当囲碁サロンでは囲碁グループの碁会や、囲碁大会など多様なイベントも企画され、老若男女の囲碁ファンに安らぎと楽しみの場を提供し続けてくれた。

私が退職後もOBとして参加している会社囲碁部の例会の中で、2008年から毎月一度囲碁サロンで開催されてきた「武闘派囲碁会」は、2020年9月13日の第149回が最終回となった。

個人的に記録していた写真とともに10数年間を振り返ってみた。プロ棋士の段位などは当時。

2009年2月15日 武闘派囲碁会

2008年から会社囲碁部メンバーが主催している「武闘派囲碁会」。毎月一度日曜日12時から、20人前後が出席しポイントによるハンディ戦で、持ち時間45分の4対局おこなう。勝ち数の次は取った石数で 順位が決まる。投了と時間切れは-20ポイント。目数であきらかに10から20負けていても投了せずに最期まで ヨセも頑張る。刺激的で楽しんでいる。(その後投了と時間切れは-30ポイントになった)

2011年8月21日 武闘派囲碁会

この年3月11日に東日本大震災が発生した。地震が発生した時はさすがにほとんどの客がビルの外に避難したが兵藤さんだけが残ったという。その日は第2波の強いユレもあったが席亭も兵藤さんを残しておけないので留まったという。知人の悲報が届き福島での原発事故もあって日本中重苦しい夏であったが囲碁の盤面に没頭。

正午から4回戦を対局、表彰式に続いて懇親会。

2011年9月25日 「ふれあい囲碁」

9月25日(日)日本棋院プロ棋士安田泰敏九段の講演会が開催された。 安田九段は、文化庁から文化交流使に指名され、「ふれあい囲碁」の普及のために世界・国内各地を訪問している。

「ふれあい囲碁」はだれにでも理解できる基本ルールを使ったゲームを“共通言語”とし、年齢や性別、障害の有無や国籍の違いなど、あらゆる垣根を越えて、その場で良好なコミュニケーションが図れることを目的としている。

安田泰敏九段は、オーストリア、ロシア、スイス、イスラエルなど海外での囲碁普及の経験談を、各国の子供の様子や教育事情などを交えて 語った。子どもたちと父兄が熱心に聴いていた。

2012年12月9日 武闘派囲碁会

2012年最終の武闘派囲碁会。近くにお住まいで、会社囲碁部講師の日本棋院小松藤夫八段も特別参加。 年に一度程様子を見ながらぶらっと参加していただいている。

小松プロは11段格持ち時間30分で、囲碁部員は対局終了までアルコール禁止だが、小松プロにはどんどんビールをお注ぎする。(写真:2014/11/09)

2014年1月26日 囲碁サロン新春囲碁大会

新春囲碁大会 Bクラスで私が優勝。左はAクラス優勝の塚田氏。中央は日本棋院関 達也二段(当時)。

2014年2月8日 関 達也二段の指導碁

この年新春囲碁大会Bクラスで優勝したことから、関 達也二段の指導碁が受けられた。5子局だったが、中央にこだわったため大差。「中央の地は小さい、隅の方が出入りなので大きい」とのご指摘が身に染みた一局であった。

この日は大雪の予報のため指導碁のあと囲碁サロンの常連と一局打ち、早めに切り上げ、向ヶ丘遊園駅では「伊勢原~秦野駅間で強風のため全線運行を見合わせている」とのアナウンス。しばらく待ち、ようやく来た各駅停車に乗り百合ヶ丘駅に着いたところで、「柿生・鶴川間の踏切内で乗用車が脱輪している」とのこと。1時間程ストップ、電車のドアは一つだけ開け他は締めていたが、外は猛吹雪で車内も寒い。「踏切の自動車が取り除かれた」との車内アナウンスがあったが、今度は「新百合ヶ丘駅のポイントが動かない」とのこと。結局鶴川駅まで通常15分のところ2時間を要した。(写真:当日の自宅付近)

2014年9月28日 囲碁サロン向ヶ丘遊園30周年記念イベント

囲碁サロンは30周年を迎え、多くの花輪が送られた。壁の額は故藤沢秀行名誉棋聖直筆「磊々」。

花輪のとなりの切手貼り絵は、我が囲碁仲間の遠藤さんから以前に送られたもの。
 「三人展」切手貼り絵(東京中目黒・2014/04/03 赤川 取材)

王唯任五段・真有子ご夫妻。

吉田席亭から30年の歴史について挨拶。父親の代からの囲碁サロンを、人が集まる場所としても続けて行きたいこと、故藤沢秀行名誉棋聖の思い出、など語られた。

席亭の挨拶の中で、当囲碁サロンでの「秀行塾」について触れられたので、後で席亭からお聞きした話を、以下に追記する。

囲碁サロン開店1年後から秀行塾は秀行先生が実際に開催していました。(参加指導棋士・藤沢秀行・藤沢一就・安田泰敏) その後、安田先生が引き継ぎ秀行塾→安田教室となり、それと同時期に当時院生の高尾紳路、森田道博、三村智保、星野正樹、他の方々に安田先生が声を掛け勉強会を開催していました。 先代が亡くなった時には、たくさんの将来有望な院生の勉強場所や他をサポートしたことを大窪先生と安田先生が日本棋院に報告し、その功績を認められ、先代には追贈五段の免状を頂きました。

沼舘沙輝哉二段と関達也二段の記念対局があった。平成22年入段の沼舘二段は当囲碁サロンの出身。20周年記念のときは小学6年生で来ていたとのこと。

ゲストの人たち。後列左から、安田泰敏九段、関達也二段、沼舘沙輝哉二段、第35回文部科学大臣杯少年少女大会 中学生の部 優勝 髙嶋渓吾くん、第38回文部科学大臣杯高校囲碁選手権大会 個人男子優勝 星合真吾くん、前列、吉田席亭、王真有子インストラクター。

安田泰敏九段は2018年に病気で亡くなられた。享年54。

こちらに後ろ姿を見せている男性は、将棋の中原誠十六世名人。中原十六世名人は時折この碁会所を訪れており、私も何度か対局させて頂いた。病気で引退された後も将棋連盟の囲碁同好会に参加しており、日本棋院から六段の免状を送られた、とNHKの囲碁フォーカスで放送された。

2015年7月31日 第七回金曜オープン碁会

先月から始まった金曜オープン。毎週金曜日12時から4局対戦する。この日は夏休み中の川崎市の小学生も参加。こういうところに出てくる小学生はだいたい大人より強い。囲碁サロンでのポイントから私が2子置く手合い。

小学3年生で兄弟で囲碁が好きという。中央の競り合いでおとりの打ち込みをして、そちらは取られたが反対側に地が出来て何とか残した。この小学生は翌年文科大臣杯3人一組の団体戦全国大会小学生の部で主将として参加し全国優勝した。その後院生になったと聞く。

2015年12月13日 武闘派囲碁会

囲碁部最長老の嘉瀬さん。86歳。この夏に背骨の手術をしてすっかり快復し囲碁の調子もよくなった。今回も3勝1敗で6位入賞。元気の秘訣は毎日朝は抹茶、夜にはワインを飲んでいること、と。

2016年5月15日 武闘派囲碁会100回記念大会

2008年からの武闘派囲碁会が100回を数えた。

武闘派囲碁会100回を祝って吉田席亭から立派な刺繍の入った今治タオルが送られた。

2018年6月17日 武闘派碁会 125回・嘉瀬さんを偲んで

毎月開催されている武闘派囲碁会。この日は私の71回目の誕生日であった。

長年ともに囲碁を楽しんだ会社囲碁部の嘉瀬さんが6月9日細菌性髄膜炎のため亡くなった。享年88。

嘉瀬さんは80歳を過ぎてもハングライダーを楽しみ、最近まで元気に海外旅行などしており、5月末の湯河原での囲碁合宿にも直前まで参加申し込みしていたが、肩に痛みがあるとしてキャンセルした。その後近くにお住まいの長野さんが、嘉瀬さんの奥様と偶然お会いし、嘉瀬さんが入院中で2週間前から意識が戻らないとのこと。

6月9日嘉瀬さんの奥様から囲碁部幹事あて「... 旅立ちました。28日間の短い闘病生活でした。」との連絡を頂いた。

高齢者の多い囲碁部のことで、私が退職後本格的に参加してから10年以上経て、何人かの方が亡くなっているが、碁会に参加されなくなり闘病生活に入ったとの知らせがあり亡くなった方もあった。 嘉瀬さんの場合は直前まで元気に囲碁を打っていたこともあり衝撃的だった。

自分より17歳も年上の嘉瀬さんは多趣味でグルメで何事にも好奇心を持ち続け陽気な性格で、その生き方は自分も同じように年を経たいと思わせてくれた。

「ああっ、ぼかぁ馬鹿だなぁ!」と離れた席から今でも聞こえてくる気がする。

懇親会では嘉瀬さんを悼んで献杯。その後全員で嘉瀬さんの思い出を語った。

嘉瀬さん(87歳・2016/12/16)4戦全勝で優勝

2018年7月19日 啓石会交流戦

小田急線の豪徳寺駅前の碁会所がビルの建て替えに伴って閉所したため、そこで例会を行っていた啓石会という小田急線沿いの世田谷近辺に居住している囲碁愛好者の会が、囲碁サロンで例会を行うようになった。

武闘派囲碁会と定期的に交流戦を行うことになってこの度最初の交流戦となった。

啓石会の皆さんは囲碁を楽しんでいる人が多いように見受けられた。結構強い人でも対局時計には慣れていないようだ。時間を気にせず打ちたいという。

2020年3月21日 向ケ丘遊園 最強位挑戦手合い一番勝負・解説会

囲碁サロンでは、最強位決定戦と名付けられた棋戦があり私が動画撮影を依頼された。

一度も最強位を譲ったことのない宮島最強位に挑戦した北条氏。

日本棋院 関 達也三段による解説があった。動画はYoutubeにアップし300回を超える視聴がある。

2020年6月20日 武闘派囲碁会146回

少し前から、囲碁サロンが閉店することは知っていたがこの日幹事の瀧さんから伝えられた。

以前から厳しい経営状況とは聞いていたが、「... 言葉もありません」と結んだ席亭からの挨拶に、無念さが伝わった。

この日地元の神奈川新聞から取材があって後日棋譜が掲載された。

2020年8月14日 啓石会交流戦

新型コロナウィルスの第2波が少し落ち着き始めたが、油断は禁物。マスクしながらの対局にストレスを感じながらヨミに没頭、といいたいところだが夏バテで集中力が途切れる。

啓石会交流戦も9月で終わる。

2020年9月13日 囲碁サロン最終日

囲碁サロン最終日は、閉店を惜しみ感謝を表す囲碁サロン所縁の人たちが集まった。我が武闘派碁会も149回で最後の開催となった。

前日、幹事から最終日はかなりの人数が見込まれるとの注意勧告があったが、withコロナの時代、どうしても参加したいものがある。

午前中の子ども囲碁教室も最終日となり、卒業した大学生も参加したようだ。

子供たちが一人ひとり席亭とインストラクターに感謝の言葉を述べた。

武闘派といえばこの二人、瀧さんと谷野さん。

我が囲碁部から寸志と感謝の言葉集贈呈

吉田席亭からお礼の挨拶。先代が碁会所を始めた経緯から、一時は溝の口と自由が丘でも碁会所を開いたが、力尽き最後の囲碁サロンを閉店することになった。聞く方も胸が詰まりました。

最後に一瞬だけマスクを外し、席亭を囲んで記念写真。前列右は奥田あや四段。子どもの頃赤いランドセルを背負って囲碁サロンに通ったとのこと。(写真click:拡大)


スナップ・ショット

対局室のあるビルの5階から開かずの踏切と小田急線向ケ丘遊園駅(左上)

武闘派囲碁会は日曜日正午開始。午前中は子供教室が開催されており、子供たちが元気に挨拶。孫の世代の挨拶に顔がほころぶ。

年齢差90才の対局(囲碁サロンブログより)

東京市ヶ谷の日本棋院最寄り駅JR市ヶ谷駅構内に、囲碁モザイクアート「長生の図」。

日本棋院での例会には多くの囲碁部員が参加しているが、意外にこのモザイクアートを知らない人が何人かいたので、この日コンパクトデジカメラを持参し 人通りが途絶えるのを待っていたら、改札口からジーパン姿のお父さんといっしょの女の子が走ってきた。咄嗟にシャッターを切った。右わきにはお父さんが微笑んでみている。

自分でも気に入っている偶然のショット、囲碁サロンのホームページに投稿したところ吉田席亭にも褒められ、囲碁サロンのホームページのイメージ画像に使って頂いた。


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