佐藤哲男博士 (在京秋田県高等学校同窓会連合会26年度フェスタ講演会・2014/11/25 )
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私は秋田市で父が経営していた薬局に生まれ、大学受験では迷う事なく薬学を専攻しました。その後、約40年にわたり大学での薬学教育、研究に従事し、1996年に千葉大学薬学部を停年退職しました。
その後もいろいろな立場で薬と関わり、80年余の人生は薬の世界から離れることなく今日に至っています。その間いろいろな機会に書き貯めていた原稿をまとめたいと思っていたときに、友人の赤川均さんのご好意により「メディカルトーク」としてwebを新設して頂くことが出来ました。感謝の限りです。中でも、毎回適切な挿絵を加えて頂きまして拙文を引き立ててくれている事に感謝します。赤川さんは私と同郷の秋田県大仙市協和のご出身で、現役時代はIBMにご勤務しコンピューター技術のプロです。また、囲碁の有段者でもあります。
2014年9月の国の統計によると、100歳以上の人口が5万8820人に達し、平均寿命は男性80.21歳、女性86.61歳と世界有数の長寿国となりました。高齢化社会になって人々の最大の関心事は健康です。高齢者は病院で山ほどの薬を処方され、その副作用で新たな病気を誘発するなど深刻な事態になっています。
また、健康に関する情報がメディアを通して街に溢れています。中には「まゆつばもの」もあり、一般市民はそれに振り回されることが少なくありません。本連載では、健康、加齢、薬に関する多くの身近な情報の中から、出来るだけ科学的に根拠のあるものだけをとりあげて、少しでも一般市民の皆様にお役に立てる様心がけます。
今後月一回の頻度で連載する予定です。皆様のご意見、ご質問、ご希望のテーマなどを歓迎します。
「がんばらない生き方」 「がんばらない」という言葉は、怠け者、無気力、やる気がない、など悪いイメージを持っていますが、ここでは、リラックスする、身構えない、突っ張らない、などのことです。
高齢になったら勝負にシャカリキにならない生活が身体を長持ちするコツです。私は電車に乗るとき、発車時間の1分前にホームにつながる階段の下にいても、よほどの急ぎでもない限り決して駆け登る事はしないことにしています。高齢者が突然駆け出すと、脈拍は100以上になり、呼吸は乱れて血圧も上がります。心臓に負担をかける行動は、てきめんに不整脈の原因になります。時にはそれが引きがねになって心筋梗塞や心不全で心臓が止まるかもしれません。
病院の診察室で医師と対面すると、自分で意識しなくとも脈拍は速くなり血圧が上がります。この現象を「白衣高血圧」と言います。時間が経つと心臓に病気を持たない正常な人は本来の状態に戻ります。
多くの人は、一時的に異常な状態になっても時間と共に正常な状態に戻るだけの「復元力」を持っています。しかし、これは若い人のことで、60歳を過ぎたらその復元力はあてにならなりません。70、80歳になったらもはや復元力はないものと覚悟した方がよいのです。したがって、高齢者は復元力を期待するような激しい行動は慎んだ方が無難です。
最近「がんにかかったとき、抗がん剤の使用や手術はかえって寿命を縮める」という本が出てから、がん患者の中で手術を拒否する患者が増えたそうです。また、「高血圧はほっとくのが一番」という本はなるほどと納得することが多く書かれていました。
「血圧は180までは薬を飲む必要はない」という結論です。しかし、国が定めている血圧の上限は130です。この本の中では「塩分は高血圧と関係ない」とも書かれています。これらの本の著者はこれまで何千人の患者を診断した実績を持っているだけに、世の中の高血圧患者はどちらを信じてよいか迷います。
誰でもそうですが、乗物の中や、休んでいるときに「ぼんやり」することがあります。そんなときでも脳は休む事なく、次に入ってくる情報の受け入れのために、それまでの情報をせっせと整理しています。その間に本人がそれまで気がつかなかった事を引き出してくれることがあります。ぼんやりすることは決して無駄な時間ではありません。一日の中で何時間かぼんやりしているときに新しい発想が浮かぶのです。不幸にも何も浮かばないときは、掘り出し物がなかったとあきらめることです。
脳は24時間休みなくフル活動していますので、我々が毎日摂取する総カロリーの4割を消費しています。病気や事故などで心臓が停止し、脳への酸素供給が4-5分間止まると脳の細胞は徐々に死に始めます。
脳梗塞の場合、梗塞部位により後遺症の出方が全く異なります。私の知人の中にも脳梗塞を患った高齢者が多くいます。 中には3回脳梗塞にかかった人もいますが、彼は2ヶ月のリハビリで幸いにも手足や言語の障害は全く残りませんでした。逆に、脳の中で呼吸や心臓を司る場所が梗塞したために殆ど意識が戻らないまま亡くなった人もいます。
最近ショッキンッグな出来事に遭遇しました。昨年の暮れに私の仲間が忘年会を企画し、77歳になる友人を誘った。出席するとの返事だったのですが、当日時間になっても現れなかった。自宅に電話したら、奥様の話では大分前に家を出たとのこと。彼の携帯に電話したら、今新宿にいるがどこへ行くのか忘れてしまったとのことでした。もう一人の友人も偶然77歳です。彼も我々が企画した会に現れず、携帯に電話したら途中で行き先を忘れたとのことでした。両人とも学生時代からの友人なので大変なショックでした。
心療内科の医師によると、これは典型的な認知症の初期症状だそうです。自分がおかれている状態を認識出来ない、または間違って認識する行動です。この症状を医学用語では「見当識障害」または「失見当識」といいます。俗に「見当違い」というときの見当が語源です。
見当識(けんとうしき)とは、現在の年月や時刻、自分がどこにいるかなど基本的な状況把握のことです。見当識が低下すると、今いる場所が分からなくなってしまう、時間がわからなくなる、約束の時刻を守ったり、長い時間待ったりすることができなくなる、などが典型的な症状です。
症状が進むと、方向感覚が低下し、すぐ近所で通り慣れた道であっても迷子になったり、家の中でも迷子になってトイレの場所がわからなくなったりします。自分の家であることもわからなくなって、どこかへ帰ろうとして家を飛び出したり、とても徒歩では行けない距離を歩いて行こうとしたりすることがあるそうです。
今や100歳以上の高齢者が6万人を超えました。医師の話や自分で見聞きした例から考えると、認知症の一つにストレスがあります。誰でも全くストレスのない生活はあり得ないですが、そのストレスを生活の中で少しでも和らげる事が出来ればよしとすべきでしょう。そのためには、イライラしたり、せっかちになったりして自分でストレスを作る事は避けるべきだと思います。
私は若い頃から遠藤周作の作品を多く読みました。「沈黙」や「海と毒薬」など優れた純文学作品はたびたびノーベル賞候補にもなりました。一方で、遠藤は1960年代からは狐狸庵山人(こりあんさんじん)」の雅号を名乗り、「ぐうたら」を軸にしたユーモアに富むエッセイも多く手掛けました。
遠藤にとってこのグータラのエッセイがストレス解消の源だったと思います。 高齢になったら頑張らないことが長寿の秘訣です。そうかといって、外出もせず、社会や友人との接点を持たないで生活すると、いざというときに脳の反応が鈍くなります。これが認知症の始まりです。それを防ぐためには、散歩したり、特に用事がなくともデパートの中をうろうろして、時々試食品をつまんだりするのはストレス解消に大変効果的です。
高齢になったらがんばらないでリラックスした生活が長生きの秘訣です。(2014年12月2日記)
一般の人にとって、病院での検査結果を表示するのに「正常値」の方がなじみ易い単語ですが、日本人間ドック学会の公式表示法は「基準値」になっています。現在はどこの病院でも検査結果の表示には「基準値」を用いています。
理由は下記の通りです。
私はここ40年間毎年一回同じ病院で人間ドックを受けています。血液検査の場合、検査器械には各項目ごとに基準値が予め打ち込まれているので、検査の結果が打ち込んである数値の範囲外だと機械が勝手に異常値として記録します。
例えば、血糖値は100が基準値の上限ですので、検査の結果が101であれば機械は勝手に「異常」と記します。それが200でも同じく異常値です。200になるとさすがに治療が必要ですが、100と101では基準値と何ら違いがありません。実際、食後に測定すると20くらいは簡単に増加します。
検査値のみで一喜一憂するのは精神的によくありません。検査値だけを頼りに、検査結果で少しでも異常値が出ると直ぐに薬を処方する医師がいますが、これは良医とはいえません。患者に対して真剣に問診、触診をし、患者のいう事をよく聞く医師が本当の名医です。
高齢者の年齢別の基準値というのは知られていません。一般に職場に勤務している男子の場合、50歳くらいまでは個人間の検査値のばらつきは小さいですが、それを過ぎると、体力や生活環境、体質などの違いが大きく影響するので個人差がどんどん広がります。
70歳を過ぎると誰でも加齢とともに身体のすべての働きがくたびれているので、成人の検査値からずれるのはむしろ普通の現象です。高齢者には比較する基準値はない。
それではどうしたらよいか。それに対する答えは、前年の検査結果と比較するのが最良の評価法です。前年と大きな差がなければ特に心配することはありません。ただし自覚症状が殆どなくとも病気が進行することがあります。
それは糖尿病です。糖尿病が重症になるといろいろな合併症が出て深刻になりますので、糖尿病検査値の変動には少し気を使うことが必要です。
糖尿病検査では昔から血糖値を目安にしていますが、最近は血液検査でヘモグロビンA1c(ヘモグロビン・エイワンシー)という項目がよく測定されます。
これは最近の糖尿病検査で重要な検査項目ですので、少し専門的になりますが説明します。ヘモグロビンは血液の中にある赤血球の成分で、本来の役目は、身体に吸い込まれた空気中の酸素と結合して身体の隅々まで酸素を運搬することです。それとは別の働きとして、血液中の余分のブドウ糖(血液中の糖分)とも結合します。血液中に余分のブドウ糖があって、高血糖状態が長く続くとヘモグロビンとブドウ糖の結合物がどんどん増えます。この結合物がヘモグロビンA1cです。
つまり、血液検査の結果、このヘモグロビンA1cの値が高ければ高いほどたくさんのブドウ糖が余分に血液中にあるということです。普段測定している血糖値は、食後やストレスを受けたときなどいろいろな原因で簡単に増加しますが、ヘモグロビンA1cは1~2ヶ月前からの血液の中の糖量を示していますので、血糖値よりは検査値が他の影響を受けることはありません。ヘモグロビンA1cの値が、8.0パーセントを超えた状態が長く続きますと、糖尿病の色々な合併症を起こすと言われています。
1ヶ月前の検査時より、血糖値は下がっているがヘモグロビンA1cは上がっている。こんな時、血糖値が下がっているからよかったではなくて、たまたま検査をした時には血糖値が下がっていただけで、本当にこの1ヶ月間血糖状態がよかったかどうかの保証はありません。それを確認するためにはヘモグロビンA1c の測定が重要です。逆に、血糖値が1ヶ月前の検査時より上がっているが、ヘモグロビンA1cは下がっている。この場合には、たまたま検査時に血糖値が少し高くなっただけで、ヘモグロビンA1cは下がっているのです。
つまり、ここ1ヶ月の間の血糖状態は比較的良かったということが考えられます。血糖値の測定よりはヘモグロビンA1cの測定値の方が体内の血糖の動きを正確に表しています。その測定には特別な装置が必要ではありませんので、血糖値を測定している病院でしたらどこでも測定可能です。
ベストセラーになった近藤 誠氏の著書『「余命3ヶ月」のウソ』の中で次の様に述べています。
「がん検診は百害あって一利なし」、「早期発見は患者を呼び込むための医学」。「検診でがんが見つかって手術して助かったのは、がんもどきで本物のがんではなかったのだ」。「もし本物のがんだったら、見つかった時点で既に他の臓器にも転移しているので、手術しても助からない」というのが彼の主張です。
私は検診を受けることや、それにより病気を早期に発見することが無意味だとは思いません。
がんについては近藤氏の「がんもどき」という考え方があるかもしれませんが、がん以外の病気では早期発見、早期治療で多くの患者が救われています。
皆さんは早期派ですか、それとも近藤派ですか。先手必勝です。(2014年12月2日記)
安楽死と尊厳死の区別をご存じですか。最近これらが倫理的な問題としてマスコミで大きくとり上げられています。この二つは似ていますが、死に至る経過は明らかに違います。
安楽死とは、末期がんなどの患者が、その激痛に絶えられなくて、医師に早く「楽にしてくれ」と言った場合、患者の求めに応じて、医師が積極的あるいは消極的手段で患者を死に至らせることです。
したがって、患者や家族との意思疎通がうまくいかないと、殺人罪になり訴えられます。1991年(平成3年)に東海大学病院で医師が訴えられました。入院していた末期がん症状の患者に塩化カリウムを投与して、患者を死に至らしめたとして担当の内科医であった大学助手が殺人罪に問われた刑事事件です。
訴状によるとこの事件の経過は次の通りです。長男は「いびきを聞くのがつらい。楽にしてやって下さい。」と医師に強く主張。医師は長男の願いを「安楽死をお願いします」と解釈し、それに応じて、鎮痛剤、抗精神病薬を通常の二倍量注射した。しかしなおも苦しそうな状態は止まらず、長男から「今日中に家につれて帰りたい」と求められた。そこで、不整脈の治療に使う塩酸ベラパミル製剤を通常の二倍量注射した。
この薬は普通量では治療効果がありますが、増量すると心臓が止まる副作用が知られています。患者はそれでも脈拍などに変化がなかったので、最後の手段として、心臓の働きを止める塩化カリウムを注射し患者は同日死亡しました。 翌月にこのことが発覚し、助手は塩化カリウムを注射したことを問われ殺人罪により起訴された。
裁判における判決として、医師は懲役2年執行猶予2年の有罪が確定しました。しかし、高裁において、安楽死に必要な四つの条件のうち2条件が満たされていないとして情状酌量され最終的に執行猶予となりました。
アメリカ、オランダ、スイスなどの国々では、末期がんなどで多大な苦痛を伴う患者が希望した場合、薬による安楽死が法律で認められています。しかし、日本では安楽死は法律上認められていませんので、遺族の考え方次第では、上記の様な患者の例は殺人罪として遺族から訴えられることになります。
薬以外による安楽死の手段としては、病気のために自分で呼吸ができない患者に取り付けている人工呼吸器を、家族が「楽にして欲しい」と言ったときに、医師が人工呼吸器を外す行為があります。これは先程の薬投与の場合と同様に「積極的な安楽死」といいます。
それに対して、救急室に担ぎ込まれた時から心肺停止状態で、その他の徴候から正常に回復するのが無理と医師が判断して、最初から人工呼吸器を取り付けないことがあります。
これは、無意味な延命治療、努力をしないで死に致しめることもので「消極的な安楽死」です。我が国では、積極的安楽死は法律にふれますが、消極的安楽死は、後述の尊厳死と同じ解釈で罪にはなりません。人工呼吸器をつけるかどうかは医師の判断です。医師にとって、一度つけたものを取り外すのと、最初からあきらめてつけなかったこととは論理的には大きな差はないと考えるのです。いずれにしても、医師にとってはそれなりの理由と重大な決意が必要です。
一方、尊厳死とは、末期がんで激痛を伴う患者の中には、無意味な延命行為を望まない患者がいます。これらの患者は、抗癌剤や放射線療法などの積極的な治療を行なわずに、ホスピスなどに入院して、少量のモルヒネ(鎮痛剤)で痛みだけを取り除く療法を続ける事を希望します。ホスピスでの医療は、人生の質、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)を向上することに主眼が置かれ、医療的処置(緩和医療)に加え、精神的側面を重視した総合的な措置により最期の時を過ごすための医療です。
これを「終末期医療」といいます。日本では、国が定める一定の条件が満たされた場合に限り尊厳死を認めています。尊厳死が許されるためには患者本人の同意が大前提ですが、意識のない末期の患者に意志を確認することは出来ないので、その代わり通常は家族の意志を確認することとなります。この場合も、単に口約束だけの信頼関係ではなく同意書をとることになっています。
医師は、高齢者の病気は通常或る程度延命はできても、完全に癒すのは難しい事を経験的に知っています。場合によっては、延命の努力はむしろ高齢者にとって苦痛な場合もあります。
人生の最後をどこで迎えたいか、多くの調査によると、7~8割の人が畳の上で家族に見守られて往生するのが最も幸せな最期と考えています。しかし、実際は8割が病院で亡くなっています。これは、核家族化、家庭介護能力の低下、生命維持技術の発達などにその原因があるのです。
住み慣れた自宅で、親しい人たちに囲まれての大往生はだれでも望むところです。たとえ入院中でも、本人が希望し家族も同意するならば、担当医にその旨をはっきり伝えることが必要です。医師は患者の死亡診断書を書く義務がありますが、病院にしばりつける権利はありません。
自宅で最期の時を迎えるのは患者や家族の判断で決まることです。
アメリカ人はジョークが大好きです。ちょっとした酒の席でもジョーク合戦です。今日はたまたま見つけたジョーク集の中から、「医者と患者の掛け合い」を送ります。一人でこっそり笑って下さい。
(2014年12月2日記)
最近書店では健康、病気、薬について多くの本が氾濫していますが、私は仕事柄これらの本を読む様に心がけています。その中には、「抗がん剤は使うべきではない」、「がんの手術は寿命を縮める」、「高血圧は200以下だったら薬は飲まない方が長生きする」などなど多くの意見が出されています。
それぞれの主張はこれまで何十年間、何千人の患者を診察してきたベテランの医者だけに、ある点では科学的な根拠があります。しかし、それらの言い分は一般の病院で行われている治療とは真逆ですので、患者にとっては大変な混乱の原因になっています。事実、最近では抗がん剤の使用を断ったり、手術を拒否する患者が増えているそうです。
医者の中には、「人間ドックは病気を探す様なものなので何の役にも立たない」という人もいますが、私はそうは思いません。病気は先手必勝です。早期に発見して早期に治療するのがベストと考えますので、私はこれまで30年以上一年に一度は人間ドックを受けています。
最近では加齢に伴って検査値が徐々に基準値から外れていますが、それは年をとっている証拠なので何の心配もしていません。そもそも基準値は20-60歳くらいまでの健康な人の検査成績をもとに、上限と下限の2.5パーセントずつを除外した残りの95パーセントの人の数値が基準範囲とされています。つまり、「現時点では健康と考えられる人の95パーセントが含まれる範囲」が基準値ということです。したがって、加齢に伴って体調が変化している高齢者の場合はその基準値から外れても当然です。
私は「老人」「老化」など「老」の言葉は嫌いです。理由は単純で、「老」から受ける印象がいかにも「よぼよぼの年寄り」を連想するからです。これらの言葉に代わるものとして、英語のエイジングをもとにした造語の「加齢」や、一般に使われている「高齢者」などの日本語の方がはるかに明るいイメージがあります。
最近、新聞の死亡広告欄に某有名会社の社長逝去の記事があり、死亡原因は「老衰」とありました。惜しい人を亡くしたと思いつつ、年齢を見て愕然としました。84才です。2013年の日本人の平均寿命は、女性が86.61才、男性は80.21才です。84才での「老衰」はいかにも気の毒です。それだったら、死因として「多臓器不全」の方が抵抗がないでしょう。2015年に私は84才になります。もし最後の時が来たら死亡診断書には「多臓器不全」と書いてほしい。
高齢者の身体は一年で驚く程変わります。元大学教授で現在90歳になる人の本に興味ある事が書かれていました。著者が70歳後半から80歳前半の頃に受けた人間ドックでは、血液検査の結果が毎年異常値を示していました。しかし、90歳になった頃、血液検査の異常値は消えてすべて基準値の範囲に収まったそうです。主治医にその理由を聞いても「何故ですかね」というだけで、本人にとっても特に摂生に努めたわけではなかった。
私も同じ様な経験があります。10年以上前から月2-3回心房細動の不整脈で悩まされ、その都度薬で押さえていました。ところが、2年前から不整脈がぴたりと出なくなったのです。それまでは、ストレスや、猛暑、酷寒、睡眠不足など身体が疲れている時に不整脈が起こっていましたが、最近では前と同じ程度の疲れがあっても発作が起こらなくなったのです。
医師に聞いても判らない。考えられることは、恐らく、高齢になると他人の雑音に対して反応が鈍くなるためにではないかと思います。つまり、加齢とともに神経が枯れて鈍感になったのが幸いしているのかもしれません。兎に角、理由はどうあっても、私としては不整脈が出ない事は極楽です。
80歳の大台は昔では思いも寄らない程の高齢です。この歳になると、体力は衰え、気力は低下し物忘れが激しい、などマイナス面が目立ちます。少しでもプラス面を増やそうとしても中々意のままにはなりません。
ここで「枯れた境地」が役立ちます。高齢者は他人の言葉に過敏にならないで受け流す術を知っています。それが「老」に立ち向かうコツです。昔神社で厄年を払ってもらったとき神主さんに聞きました。「厄年は何歳まで続くのですか」。神主さんは答えた。「60歳過ぎると毎年厄年です」。全くその通りです。
ところで長生きは遺伝するでしょうか。ここで「きんさん・ぎんさん」を想い出します。成田きんさんと蟹江ぎんさんは双子姉妹で、1892年(明治25年)8月1日に名古屋で生まれました。100歳を過ぎても元気な姿は「理想の老後像」と言われ、国民的アイドルとして慕われました。1995年(平成7年)には台湾へ招かれて、二人にとっては103歳で初めての海外旅行でした。
マスコミに取り上げられる前は中度の認知症だったそうですが、さまざまな著名人やリポーターの取材を受けたり、全国各地を旅行して筋力トレーニングに励んだ結果、認知症の症状が改善しました。この症例は医学会でも注目され、認知症の予防には、常に新しい経験と刺激、手足の筋力トレーニングによる脳への刺激が有効であることの実証例として、テレビ番組で紹介されました。
きんさんは 2000年(平成12年)1月23日に107歳で、妹のぎんは1892年(明治25年)2001年(平成13年)2月28日で108歳で天寿を全うしました。長寿は遺伝するといわれています。たしかに、ぎんさんの長女・矢野年子さん(100)、三女・津田千多代さん(96)、四女・佐野百合子さん(93)、五女・蟹江美根代さん(91)で、全員90歳を超えています。
長寿は本当に遺伝するでしょうか。ここに一つの医学的データがあります。「遺伝子が100パーセント同じ一卵性双生児と50パーセント同じ二卵性双生児が何歳まで生きたか」ということを1世紀にわたって調べたデンマークの研究です。これらの双子が育った環境は一卵性も二卵性もまったく同じでした。それぞれの寿命を調査研究した結果、遺伝によると思われる影響は平均25パーセントで、残りの約75パーセントは生活習慣などの環境による影響でした。
つまり、寿命は遺伝によるより、環境や生活習慣の方が強く影響しているということです。事実、大正12年の日本人の平均寿命は男性が42歳、女性は43歳でした。それが、2013年では、女性が86.61歳、男性は80.21歳と大幅に長生きしています。
医学的に考えて、大正時代といまの時代の僅か90年程で人間の遺伝子そのものが変わったという可能性は殆ど考えられません。寿命が延びた理由は、生活、食事など環境要因の変化が大きく影響していると考える方が妥当です。
たしかに遺伝によると思われる長寿の家系はあります。しかし、長寿系でも暴飲暴食とか多量の飲酒とか健康管理を怠れば、その遺伝的素質を活かす事は出来ません。これと同じ傾向はがん患者でもいえます。癌は遺伝するといわれており、たしかに癌患者が多い家系があります。
しかし、よく調べると、この傾向は、遺伝というよりは生活環境によるところが多いのです。つまり、同じ家族は同じ食生活をし、同じ環境の下で生活しているので、癌になりやすい環境におかれていたという事になります。
高齢者はこれからどう「老」と向かい合ったらよいでしょうか。その答えは本シリーズの「がんばらない生き方」にあります。高齢になったら頑張らないことが長寿の秘訣です。若い頃と違って心身ともにくたびれている事を自覚すべきです。
家の中に引きこもって何十年も連れ添った家人と殆ど会話もない生活を続けると、やがて脳の働きが衰えていざというときに反応が鈍くなります。これが認知症の始まりです。それを防ぐには外へ出て他人と会話をすることです。
私はよく近くの区立図書館へ行きますが、多くの高齢者が新聞、週刊誌、単行本などを読みふけています。「頭の体操」は高齢者にとって唯一残された長生きの秘訣です。 (2014年12月31日記)
脳梗塞とはどんな病気ですか
「脳梗塞」は脳の血管の一部が詰まって血流がストップする病気です。血液が流れなくなると、詰まったところから先の細胞へは血液の中にある酸素の供給が絶たれて、その周辺の脳細胞は5分くらいで死に始めます。脳梗塞の最も多い原因は、心臓で出来た血液の塊(血栓)が、血流により脳に運ばれて細い血管に詰まるためです。この様な脳梗塞は心臓に原因があるので「心原性脳梗塞(心原性脳塞栓症)」といいます。
「脳卒中」とは、「脳梗塞」(脳卒中の60パーセント)と「脳内出血」(脳卒中の25パーセント)「くも膜下出血」(脳卒中の10パーセント強)をひっくるめて言うときの医学用語です。「脳卒中」の語源は、「卒然(突然)として邪気(悪い風)に中る(あたる)」で、昔は「中風(悪い風に中る)」、「中気(邪気に中る)」とも言われていました。ちなみに「中毒」は「毒に中る」事です。
脳梗塞の前兆はありますか
脳梗塞はある日突然やってきます。
一時的に脳血管が血栓によりに血流が止まり、大体2~15分で元の状態に戻る事があります。これは脳梗塞の前触れです。ほっておくと3ヶ月以内に、4-20パーセントの方が脳梗塞を起こすといわれています。
脳梗塞や脳出血の症状が出たら一刻も早く治療することが肝心です。さもないと、症状が悪化して後遺症を残して介護が必要となることが少なくありません。
特に、コレステロール値、中でも悪玉コレステロール(LDL)が高い人は脳梗塞や心筋梗塞になり易いので、医師と相談して薬による治療を継続することが必要です。ちなみに、脳梗塞は身体の左右どちらか片側の手足が同時に同じ状態になるので、手だけ、または足だけに力が入らなかったり、しびれたりするのは他の原因が考えられます。
脳梗塞の予防薬、治療薬
脳梗塞にかかった人や、危険因子(高齢、高コレステロール、不整脈、糖尿病)を持っている人は、血栓溶解薬として「ワーファリン錠」を治療薬、予防薬として常用しています。この薬は作用が非常に強力なので、間違って多量に飲むと体内で出血し、最悪の場合は出血死になります。
したがって、病院では患者一人ずつ一定期間毎にワーファリンの血中濃度を測定して投与量を決めます。また、ワーファリンを飲んでいる人は、納豆、クロレラ、青汁、セイヨウオトギリソウを一緒に食べたり飲んだりすることは禁じられています。
その理由は、これらの中に含まれているビタミンKが、血液を固める作用をもっているので、ワーファリンの血液サラサラ作用を妨害するからです。中でも納豆は日本人の多くが好きな食品ですので、ワーファリンを飲んでいる人はその美味を味わう事が出来ません。ビタミンKは手足などから出血したときに、数分で血のかたまりが出来て出血を止めてくれる作用があり、身体にとっては欠かせない成分です。
2011年にワーファリンに代わる3種類の薬が国の承認を受けて現在病院で使用されています(プラザキサ、イグザレルト錠、リクシアナ錠)。さらに、2013年2月には「エリキュース錠」が新たに承認されました。これらの薬はワーファリンと同じく血液をサラサラにする作用がありますが、その作用の仕組みがワーファリンと異なりますので、ビタミンKと混ざっても大丈夫です。
したがって、これらの新薬を飲んでいる患者は納豆を食べても問題ありません。納豆が大好きな日本人にとっては大きな福音です。
またこれらの新薬は、ワーファリンと異なり定期的に薬の血中濃度を測る必要がないのです。このように患者にとっては大きなメリットがありますが、同時に欠点もあります。ワーファリンは全世界で何百万人の使用例が報告されていますが、これらの新薬は患者に使い始めてから3-4年しか経たないので、その患者数も国内で8万人程度です。
したがって、投与量が適切でないと大量の出血につながりますので、最近では、ワーファリンと同様に血中濃度を測定して投与量を決めた方がよいという意見が多くの臨床医から出されています。
脳梗塞は血液の流れが詰まった場所によってその症状、重症度が大きく異なります。中でも「脳幹梗塞」の場合は、脳の司令塔にもあたる「脳幹」の血流が止まることより、障害がおきる病気です。
脳の中には12種類の脳神経があり、その中の10種類が脳幹を通っていて、呼吸、体温、心臓などの生命維持に重要な機能を維持しています。この部分が梗塞を起こしますと、呼吸、心臓を動かす神経が止まり死に至る可能性が高くなるので大変危険です。
魚を食べて脳梗塞を予防する
魚の油(脂肪酸)に含まれるEPA(エイコサペンタエン酸)にはコレステロールや中性脂肪を減らし動脈硬化を予防する作用があります。それにより、血液が固まるのを防ぎ血栓を予防する効果があります。
同じく魚の油に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)にはEPA 以上にコレステロールや中性脂肪を下げ、動脈硬化を予防する作用のあることも判明しています。DHAには血栓防止作用の他に、学習能力など脳のはたらきを改善する効果があり、同時に、ボケを予防する効果もあると言われています。実際、魚をたくさん食べる人ほど脳梗塞にかかりにくいことも分かっています。
このDHAは白身の魚より青背の魚、また深海魚より海の表層を回遊する魚に多く、DHAを多く含む魚はマグロ、ブリ、サバ、サンマ、イワシなどです。また、魚のたんぱく質に含まれている「タウリン」という化学物質は悪玉コレステロールを体外に排出する作用があります。タウリンの多い食物としてはアワビ、スルメイカ、ズワイガニ、タコ、アサリ、カキなどがあります。
まとめ
昔は脳卒中は3分の1の人が亡くなり、3分の1の人が重い後遺症で悩まされるといわれていました。しかし、最近では設備の整った専門病院にかなり早期に入院した患者さんでは、脳梗塞発作そのもので亡くなる人は10パーセント以下になりました。
また、発作を起こした人のだいたい45パーセントくらいが完全に社会復帰しています。亡くならなくても発症後1年以内に10人に1人弱の人が再発を起こしています。再発すると後遺症をもっと強く残したり、寝たきり、認知症などの原因にもなります。
脳梗塞の治療は時間との勝負です。脳梗塞ではなるべく早く、できれば発症して3時間以内に治療が開始できるよう、すぐに専門医のいる病院に患者さんを運んでください。早く治療すればそれだけ後遺症が少なくなります。
(2015年1月12日記)
酒を飲まない私が酒の飲み方を述べるのはどうかと思いますが、昔、アルコール中毒について内科医と一緒に研究をした頃のことを思い出しました。毎月報告会と称して共同研究の医者仲間と大学の近くの居酒屋に集まりました。仕事の話は10分程で終わり、あとは彼らが「医学部がどれだけ閉鎖的であるか」の愚痴で終始しました。
居酒屋で上司の悪口を酒の肴にして鬱憤を果したり、人間関係のぎくしゃくを改善するのに酒は社会の潤滑油になります。また、ちょっとした失敗でも「酒の席だからお許しを」ということで大目に見ることもあります。晩酌を楽しんでいる人にとっては、一日のストレス解消にこれに勝る妙薬はありません。
この様に、酒にはいろいろなご利益がありますが、飲み方によっては人格を崩壊したり人間関係を引き裂くこともあります。酒の飲み方は国それぞれで随分違います。私はこれまでいろいろな国で酒の席に招かれる機会がありました。
韓国では宴会が盛り上がると「原子爆弾」という恐ろしい飲み方があります。焼酎をなみなみと注いだ小さいグラスをビール満杯のコップに浮かせ、一気に飲み干すという技です。韓国人は酒に強いのでこの手の飲み方が好まれています。
また、中国や台湾での酒席では乾杯の連続です。テーブルに座って、相手と目が合うといきなり「カンペイ」で飲み干すのが礼儀です。10人同席していると10回それが続きます。彼らにとってはそれが最大のもてなしの礼儀です。こんな時、下戸の私は予めウーロン茶やジュースなどを用意して、声がかかるとウーロン茶で乾杯します。これは決して失礼ではありません。
欧米での宴会では、日本と違って「まあ一杯どうぞ」という習慣がないので私にとっては極楽です。好きな酒を好きなだけ自分のペースで飲むのが彼らのしきたりです。私にとって最も気楽なのは、タイやマレーシアなどのイスラム教国での宴会です。多くの場合公式の宴会には酒類のサービスはありません。アルコールを飲みたい人は自分たちで持参するか、会場の中に設けられた酒の販売コーナーで買って飲みます。この様な宴会では乾杯もなくひたすらしゃべって食べるだけです。
ここでアルコールを飲んだときの身体の反応を考えます。アルコールが体内に入ると顔の血管が拡張するので血流がよくなり、その結果顔色が赤くなります。この状態になると、やたら多弁になり、トイレに行く回数も増えます。これらはすべて身体の正常な反応で、血液循環が増すために腎臓からの尿の流れがよくなるからです。
アルコールの強さには大きな個人差があります。これは主に遺伝によるものです。日本人の場合、総人口の約4割はアルコールに弱くすぐ顔が赤くなります。1割は超感受性で一滴のアルコールでも身体に入ると気分が悪くなります。残りの5割は比較的強い人々で一升酒でも平気です。私はこれまで30ヶ国を訪問しましたが、欧米人はいくら飲んでも顔色が変わりません。これは肝臓におけるアルコールの解毒能が日本人に比べて大きいからです。
アルコールに強い欧米人には深刻な問題があります。一つは、アメリカの大都会などの街中に昼からたむろするアルコール中毒患者です。彼らの身体は24時間アルコールが切れる事がないのです。この状態を続けるために場合によっては犯罪にもつながります。第二の問題点は、ロシアやフランスではウオッカやワインを浴びる程飲むので、世界一に肝臓がんの患者が多いことです。アルコールの解毒能が大きい人が肝臓の働きがよいとは限りません。よわなくとも大量に飲めばそれだけ肝臓は蝕まれます。
アルコールの強弱は兄弟姉妹でも異なります。それは両親から受け継ぐ遺伝子により決まります。両親が強の場合は、選択の余地なく子供は強です。父が強、母が弱(または父弱、母強)の場合は、強、強?弱(中間)、弱の3種の中の一つです。両親が弱い場合は子供は全員弱です。祖父母の遺伝を引き継ぐ隔世遺伝の場合もありますが、多くは両親からの遺伝により決まります。
日本人の約半数(5割)は強で、残りの半数は強-弱(4割)と弱(1割)です。それに対して、欧米人は多くの場合両親ともに強の遺伝子をもっているので、彼らが顔を赤くして飲んでいるのをみたことがありません。もし、欧米人の中でその様な人がいたら、きっと祖先か両親にアジア人の血が流れていると考えられます。私の印象では、顔かたちが母に似ている人は、酒の強弱、性格など多くの遺伝形質(遺伝の中身)が母親に似ています。顔が父親似の人はアルコールの強弱も父親似のケースが多いです。
一気飲みや下戸の人が飲み過ぎると吐き気、体温低下、脈が弱くなるなどの症状が出ます。酒を飲むと全身の血管が拡張するので血圧が下がります。高血圧の人で酒に溺れる人が多いのは、酒を飲むと血圧が下がるために気分がよくなるので、ついアルコールを飲み過ぎるのです。アルコールは突然人格を変える事があります。
日常の社会生活の中でやっては恥ずかしいこと、反社会的なことは脳の働きによって抑えられています。しかし、酒が脳に入ると、その抑制は本人の意思とは関係なく自動的に解除されるので本能のままに行動します。酩酊すると、脳の中の働きが意識の消失からまともに歩けなくなるという順序で、感情中枢から運動中枢に向かって徐々にきかなくなります。この順序は教科書通りです。最初に大脳という部位の抑制が解けると、無口の人が突然驚く程しゃべり出したり、うわごとを言ったりします。
次に小脳が侵されると、運動神経が麻痺するので、手足が思う様に動かなくなったり、よたよた状態になります。さらに酔いが進むと本人がいくら我慢しても脳の覚醒中枢が麻痺するので熟睡します。この段階までは命に別状はないですが、さらに酒が入ると、脳の中の呼吸を司る場所が侵されるので最悪の場合は心肺停止になり死に至ることがあります。
学生などが勢いで行う「一気飲み」は、普段の飲み会では何時間もかけて麻痺する脳の働きが、短時間のうちに呼吸停止、突然死まで急速に進むので大変危険です。酒に弱い人が無理に飲み過ぎると一気飲みと同じ危険状態になりますので決して飲み過ぎないことです。
人格が変わらない程度のアルコール量は、一日で日本酒1-2合、ビールでは大ビン1本、ワインは2日で一本程度です。しかし晩酌で毎日四合以上の日本酒を飲むと、20年-30年後にはアルコール性肝炎から肝硬変になりさらに進むと最終的には肝がんになります。
過剰のアルコールは薬と同じ理屈で身体を蝕みます。居酒屋でアルコールの毒性を考えながら飲むのは興ざめですが、深酒にならない程度に楽しむことは百薬の長です。適量をたしなむことをお勧めします。 (2015年1月22日記)
高齢になるとだれもが物忘れに悩まされます。自分で眼鏡をかけたまま眼鏡をさがすとか、用事があって二階に上がった途端に用事を忘れたとか、冷蔵庫を開けたて何を取り出すのか忘れた、などは誰でも日常経験することです。
この程度の物忘れでしたら心配いりません。高齢者が誰でも経験する単なる「ど忘れ」です。「今朝なにを食べましたか」と聞かれて、「さて何だったろうか」と考え込むうちはまだ正常です。単なる老化による「ど忘れ」です。身の回りで起きた最近の事を聞かれて思いだせないときでも、「そのとき一緒にいた人」とか、「その日は何日だった」とか、何か関係づけるヒントで思い出せれば問題ありません。心配なのは、「今朝食事をしましたか」とか、「今朝何時頃起きましたか」などの質問に対して、すぐに答えができないときです。
厚生労働省の発表によると、2013年の認知症患者数(日常生活自立度II以上)は462万人で今後益々増加することが予想されます。正常な「もの忘れ」と、病的な認知症の違いはどこで区別するのでしょうか。その答えを出す前に、毎日経験する出来事を記憶する脳の仕組みについてご説明します。私どもが毎日の生活の中で記憶する新しい出来事は、脳の中の「海馬(かいば)」という場所に収納されます。この場所では、一か月前、一週間前、昨日、今日などの新しい記憶が次々と絶え間なく送り込まれます。海馬の収容能力には限界があるため、空席がないと新しい情報を記憶する事ができません。新しい記憶を収納するためには、毎日の出来事の中で必要のないものは忘れることです。
これまで経験した中で不愉快なことや、早く忘れたいことまですべて記憶したら生きているのが嫌になります。幸いなことに、脳はそれを察知して嫌な経験記憶は自動的に忘れさせてくれるのです。一回きりの記憶はやがて海馬から消え去ります。多くの情報の中で、どうしても記憶したい場合は、何回も紙に書いてその記憶を思い出すなり、声をあげて読むなどにより、必要な情報は何回も繰り返して海馬に刷り込まれます。
この様にして刷り込まれた記憶は、やがて「側頭葉」という場所に移動してそこに永久保存されます。側頭葉に移された記憶は時間が経っても簡単に消えることはありません。さらに、もっと古い記憶は「側頭葉」から「「頭頂葉」に移され、ここで永久保存されます。つまり、馬海に蓄えられる記憶は、「当座貯金」のようなもので出入りが頻繁ですが、「側頭葉」や「頭頂葉」に蓄えられた記憶は「定期預金」で、自分で消さない限り永久保存されます。高齢になると、子供のころのことや、小学校での生活などは鮮明に記憶しています。これは、昔の記憶が永久保存されている証拠です。また、高校や大学の受験勉強の時、声を出して読んだり紙に書きながら記憶すると、黙読して憶えるよりは、非常に効率よく頭に残ります。
さて、認知症はその原因によって二種類に分けられます。一つは、脳出血や脳梗塞(両方あわせて脳卒中という)など脳血管障害による忘れです。もう一つは、高齢者にみられる「アルツハイマー型」です。最近は30代、40代でも「若年性認知症」の患者が増えています。その原因は個人によって違いますが、職場や家庭での強いストレスが続いた場合が多いといわれています。脳卒中の後遺症としての認知症は、その原因がはっきりしていますので、その病気を治療したり、リハビリによりかなり回復します。
それに対して、アルツハイマー型認知症の場合はもっと深刻です。なぜならば、その原因がはっきりしないからです。一般に言われている原因は、脳内に「アミロイドベータ」という特殊なタンパク質が増えて、それにより「老人斑」というシミが脳の中にできるためといわれています。しかし、それ以上の詳しいことはわかっていません。アルツハイマー症状の患者の特徴は、病気になると真っ先に新しい記憶を蓄える「海馬」の細胞に老人斑が出来て、その細胞が壊れることです。そのため、今朝の出来事や、いま直前の記憶を思いだす事ができませんが、それとは逆に、側頭葉や頭頂葉に蓄えられた子供の頃の記憶はよく覚えています。
アルツハイマー型認知症はその進行が速いのが特徴です。症状が出始めてから、治療せずにそのままにしておくと、一年後には別人と思われるほど病状が進行します。「若年性」の場合はそれが顕著です。これと似た症状で「若年性健忘症」があります。認知症との違いは、脳の検査をしても何の異常も見られないのが特徴です。認知症の場合、今のところこの病気を完治する薬はまだ開発されていませんが、初期のアルツハイマー型認知症の患者の進行を止める薬はすでに世界中で効果をあげています。
それは日本の製薬会社のエーザイが1996年に開発、発売した「アリセプト」です。この薬は間違いなく初期の患者の治療には有効です。その後、2011年には、第一三共(株)が「メマリー錠」を開発、発売しました。これら2つの薬は作用の仕組みが違うので、組み合わせて使うことにより認知症の進行を抑える力が単独投与よりもより強くなります。
しかし、残念ながらアリセプトは長い間使っているとやがて少しずつその効果が減少します。もし、皆さんのお知り合いの高齢の方で、最近どうも言動が変だと思ったらできるだけ早く診断、治療を受けることをおすすめします。早すぎることはありません。専門医の診察の結果、もし認知症でなければ皆さんは安心できるでしょう。最初の一ヶ月が勝負の分かれ目です。
余談になりますが、アリセプトの開発には有名な物語が知られています。この薬の開発にあたって中心的な役割を果たしたのは、当時エーザイ(株)の研究所の研究員だった杉本八郎博士です。杉本博士はエーザイを定年退職後、京都大学薬学部の教授となり、さらに同志社大学薬学部教授となり現在でも精力的にご活躍です。杉本博士の母が認知症を患い、母を訪ねたときの有名な逸話があります。
以下は杉本博士の実話です。
「杉本博士と母とのエピソード」
私の母は認知症を患いました。私が訪問するたびに母は尋ねました。「あんたさん、どなたですか?」。私は、母が自分の子どもすら認識できないことに衝撃を受けました。「お母さん、私はあなたの子どもの八郎ですよ」。
すると母はこう答えました。「ああ、そうですか。私にも八郎という息子がいるんですよ。あなたと同じ名前ですね」。
これは、私にとって笑うことのできない悲しい体験でした。私は、母との対話を胸に秘め、この難病中の難病といわれているアルツハイマー型認知症に有効な新薬を開発することに、研究者としての使命感を鼓舞されていきました。
当時、社内事情により、会社は杉本博士にこの薬の開発を中止する様2度も厳命しました。しかし、母との会話を忘れることが出来ず、杉本博士はそれを拒否し、社内で少数の共同研究者とともに5年以上の歳月をかけて、認知症薬アリセプトの創製に結びつけました。
その結果、1998年にはアリセプト開発の功労が認められ、イギリスの「ガリアン賞特別賞」を受賞しました。この賞は、画期的な医薬品を開発した研究者に贈られる賞です。
認知症は時間との勝負です。特に高齢者は正常な加齢と区別がつき難いですが、お知り合いで近頃言動が変だと思われましたら早速診断を受けて下さい。 (2015年1月29日記)
兎に角「びんぼうゆすり」の名前が悪い。その由来については、「貧乏人が寒さに震える様子」、「貧乏人が緊張のあまり、足をゆすっていたから」、などが言われています。貧乏揺すり(びんぼうゆすり)とは、座っている時などに、下半身に血液が溜まるのが原因で、身体の一部(特にヒザ)を揺らし続けることをさします。
少し医学的にいうと、何かのきっかけで下肢の筋肉が収縮し、それから起こる一連の伸張反射によって、脚の前後の筋肉が交互に収縮と伸張を繰り返す動作です。大抵の場合、貧乏ゆすりをしている人は、他人に指摘されるまで気づかないことが多く、無意識に癖としてやってしまうことが多い。また、一般には行儀が悪い癖だと非難される貧乏ゆすりですが、最近になって、身体に様々な健康効果があることが知られてきました ふくらはぎは第二の心臓と言われています。
なぜか。これは人間が二足歩行になって、下半身の血液の70パーセントがふくらはぎに集中されているからです。動物では、脳細胞の90パーセントが人間と同じであるチンパンジーでさえ四足歩行ですので、血液は身体に満遍なく配られて下半身に集中することはありません。
余談ですが、人間の内臓は腸が一番下にあり、その上に、胃、膵臓、肝臓などが重なり合っています。丁度、お正月の二段重ねの鏡餅の様なものです。肝臓の上には横隔膜という薄い膜があり、その上の空間には心臓、肺などが重なり合っています。
横隔膜は上の部分(心臓、肺)と下の部分(腸、胃、膵臓、肝臓)が接触しない様に完全に隔離しているのでこの名前がついています。動物の場合は四足歩行ですので、それぞれの臓器が重ならないで、下に向かって垂れ下がった格好です。丁度鏡餅を横に並べた状態です。したがって、重力により内臓が垂れてもその下の臓器に影響することはありません。
本題に戻ります。
ふくらはぎはその筋肉が伸縮することにより、健康な身体では、そこに備え付けられているポンプにより、静脈を通して下半身の血液を心臓に送り返す働きがあります。しかし、ポンプの能力以上に血液や水分がふくらはぎにたまると、足がむくむ症状が出ます。最近、書店で「ふくらはぎをもんで健康長寿!」、「長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい」などの健康本が人気です。これは、ふくらはぎのポンプを刺激して足にたまった血液を心臓に戻すことです。
前置きが長くなりましたが、貧乏ゆすりはふくらはぎのマッサージと同様に、ふくらはぎのポンプ運動を活発にして、心臓のみならず脳への血液の送り込みをよくする作用があります。 それでは何が身体によいかを挙げます。
貧乏ゆすりはストレスに悩む人がその動作をするといわれています。本人にとっては気がつかないまま足が勝手に動いている動作ですが、近くにいる他人にとっては大変なストレスです。何のために動かしているか分からない。軽蔑されるのみです。貧乏ゆすりは、他人の視界に入ると非難の嵐が続くので、だれも近くにいないところだけに限ります。
最近の研究では貧乏ゆすりはストレス解消手段の一つであることがわかってきてきました。足元からの刺激が脳の中にある中枢神経に伝わり、イライラや緊張感を緩和させるのです。貧乏ゆすりは品が悪いというイメージがありますが、実はストレスの緩和に一役買っていたのです。ですから、いくら行儀が悪いからといって、貧乏ゆすりを中断すると、余計にイライラが積もってしまうかもしれません。もちろんTPOをわきまえなくてはなりませんが、精神的にストレスがかかる場面では貧乏ゆすりをしてリラックスしてもよいかもかもしれません。
余談ですが、昔、私の上司に戦争経験者がおりました。先生は戦時中に若手が憧れた特別攻撃隊の生き残りで、ご自分が経験した戦争の話などを始めたら、それが1時間であろうと、瞬時も休むことなく貧乏ゆすりが続きました。当時、先生は毎日の研究生活にかなりのストレスをかかえていたので、ご自分が意識しないまま身体が勝手にストレス解消の動作を続けたのかもしれません。
貧乏ゆすりは他人に迷惑はかかることもありますが、本人にとっては無意識のうちの動作です。先生は夕方6時頃になると、部下や学生を連れて近くの居酒屋でストレス解消の一杯を楽しむのが日課でした。そんな生活が続いたせいか、最後は高血圧と胃がんで60歳の若さで他界されました。
今から40年も前の話です。貧乏ゆすりの話が出るといつもかの先生を想いだします。(2015年2月12日記)
江戸時代の儒学者である貝原益軒は、養生訓の中で健康になるためには働くことをすすめています。なにもせずに暮らしている人は健康によくない。「流木は腐らないし、いつも動いている扉の蝶番は長持ちする」と説いています。ここで、「働く」とは手足だけではなく脳も同じです。
私どもの脳の大きさは1.2-1.5キログラムですが、脳を守っている頭全体の重さは6キロあります。脳は外部の衝撃から守るために頭蓋骨の中で血管や神経に繋がれた状態で液体(脳脊髄液)の中に浮いています。その頭蓋骨と液体の重さは5キロもあります。
「頭が大きい人はあたまがよい」といわれていますがそれはウソです。夏目漱石の脳は1425グラムで東京大学医学部解剖学教室にアルコール漬けの状態で保存されています。ちなみに戒名は「文献院古道漱石居士」です。その他、東京大学医学部には、横山大観、中谷宇吉郎、斎藤茂吉、浜口雄幸、内村鑑三、桂 太郎などの脳も保存されています。
また、世界的な物理学者のアインシュタインの脳は1230グラムでそれほど大きいわけではありません。アインシュタインの脳細胞標本の一部が新潟大学脳研究所に保管されています。この標本は、神経病理学の権威で米国のアインシュタイン医科大学の故ジンマーマン名誉教授から、脳研究所長の生田房弘名誉教授が譲り受けたものです。しかし、一般には公開されていません。
世の中で、脳のシワが多いとあたまがよいと言われていますがそれもウソです。脳で一番大きい「大脳皮質」という部分は、拡げると新聞紙一枚分の大きさになりますので頭蓋骨の中に収納出来ません。そこで、折り畳んで頭蓋骨の中に収納されています。畳んだときに出来るのがシワです。イルカの脳のシワは人間より多いですが、知能は人間の方が優れています。
身体を構成している多くの臓器の細胞は、新陳代謝により古い細胞は一定の周期で壊れて新しい細胞に再生されます。例えば、肝臓の重さは約1キロで細胞は活発に再生しています。その証拠に肝臓移植で肝臓の三分の二を切除しても、残りの肝臓は一ヶ月後にはもとの大きさに戻ります。また、胃の細胞は一週間で全部入れ替わります。しかし、脳は例外で細胞は再生しません。生まれた時に大脳だけで150億個の細胞がありますが、60歳を超えると毎日10万個が死にます。脳の場合、細胞の数は増えないのですが、脳を活発に使うことにより、クモの巣状の細胞同士の連絡網(専門用語ではシナプスという)が密になり、それにより頭の回転がよくなり、物事に対する応答性が上昇します。あたまを使うことはぼけ防止にもつながります。逆に使わないでいると、連絡網がうまく働かなくなり認知症状態になります。
手足や内臓は使わなければその働きが段々に衰えます。これを「廃用症候群」とか「生活不活発病」といいます。脳も例外ではありません。年をとると足腰が弱くなり歩行障害や転倒し易くなります。不幸にも転んで骨折したら何ヶ月もベットの上で体を動かす事ができません。長期間になると、患者にとって床ずれが大変な苦しみです。骨折が回復してもすぐには足腰が動きません。使わない体の部分は動きにくくなるのです。この状態が「廃用症候群」です。脳も同じです。一か月もベットの上でぼんやり過ごすと、脳の働きはてきめんに衰えて認知症の症状になります。
高齢者では若い人に比べて記憶力が落ちるのが速いし、一度落ちたら回復するのは殆ど不可能です。一週間も家に引きこもって他人と対話をしなければ、みるみるうちに脳の働きが衰えます。それを防ぐためには、出来るだけ外に出て知り合いと話し合うことです。特に若い人々の中に入って会話をすると脳の活性化につながります。「廃用症候群」を防止するためには、何でもよいから好奇心をもつことです。年寄りが集会所に集まってお茶を飲みながら井戸端会議的に雑談をすることは、ボケ防止に大変有効です。また、スポーツセンターの様なところで、おしゃべりのついでにいいわけ程度の運動をして、疲れたら備え付けの風呂にでも入って疲れをとるなどは、脳の活性化にもつながり、年寄りにとっては天国です。
歩く事は手足の運動になるだけではなく脳の活性化にもつながります。その理由はこうです。立っているときや椅子に座っているときには、血液は重力で足に集まりますので、体の頂点にある頭へは血液が届き難いのです。散髪屋さんの様に一日中立った状態で仕事をしていると、夕方には重力で血液が足にたまるので足がむくむのがその証拠です。しかし、幸いな事に、ふくらはぎと心臓が丈夫であれば、そのポンプの力で血液は必要量だけ脳へも供給されます。
散歩すると、心臓の拍動が活発になり、ふくらはぎのポンプ力も増して足にたまった血液の脳への供給も多くなります。それだけ脳細胞が活性化されるので、散歩は手足を鍛えるだけではなく脳も丈夫にします。
私は毎日約4キロ(約5500歩)を40分で歩いています。東京に用事で行ったときは、電車の乗り継ぎなどで気がつかない間に一日で1万歩以上歩いています。日々移り変わる東京の街中を歩くことは脳にとって適当な刺激です。
何十年も連れ添った家人と、特にこれといった話題もなく家でごろごろしながらテレビを見て一日を過ごすなどは脳にとっては退化するだけです。間もなく春です。高齢者にとってはぼけ防止のためにも大いに歩きましょう(2015年3月記)。
腸内には百種類、百兆個の細菌が常在しています。この無数の腸内細菌には、人間に必要な「善玉菌」と、病気の原因になる「悪玉菌」が同居しています。善玉菌の代表は「ビフィズス菌」や「乳酸桿菌」で、悪玉菌の親分は下痢を起こす「ウエルシュ菌」です。「大腸菌」は下痢や食中毒の原因になりますので悪玉菌の一つです。
病気で抗生物質を長期間飲むと下痢になることがあります。それは、抗生物質が病気の原因である悪玉菌の大腸菌だけでなく善玉菌までも殺すからです。それにより、悪玉菌のウエルシュ菌が腸の中ではびこって、かれらが出す毒素により下痢を起すからです。抗生物質を飲むのを止めたら、善玉菌が徐々に増えて下痢も止まります。それでも下痢が止まらない人は、ビフィズス菌の入った乳酸飲料(ヨーグルトなど)を飲んで「善玉菌」を増やすようにするのも改善の方法です。ただし、飲んだビフィズス菌はそのまま腸内に定着して増えることはないので、「善玉菌」補給には毎日乳酸飲料を飲むことが必要です。また、胃潰瘍、胃がん、大腸がんなどの患者では、ビフィズス菌が減り、同時に悪玉菌の大腸菌やウエルシュ菌が増加します。
60歳を過ぎる頃から善玉菌のビフィズス菌が減少し、逆に悪玉菌の大腸菌とウエルシュ菌が増加します。また、ストレスが多い生活の人では悪玉菌が増えます。ウエルシュ菌は腸管の中でタンパク質やアミノ酸を分解して、アンモニア、硫化水素などの強い臭気を持つ有害ガスを生成します。高齢者やストレスの多い人がトイレに入った後でひどく臭うのはこれが原因です。また、便秘が続くと善玉菌が減少して悪玉菌が増えますので、高齢者と同様に便が悪臭を放します。
一方、腸は解毒の他に免疫機能を司る重要な臓器です。免疫は私どもの体を病原菌やウイルス、毒物などから守るための重要な働きです。善玉菌のビフィズス菌には免疫力を増強する物質が含まれています。しかし、加齢とともにこの善玉菌が減少するので、高齢者での免疫能は低下し、自己免疫病と呼ばれるぜんそくやリュウマチにかかりやすくなります。
食生活と腸内細菌のバランスとの関係も重要です。腸をよい状態で保つためには、悪玉菌を少なくして善玉菌を増やすことです。そのために最近注目されているのがオリゴ糖です。これには消化し易いものと、消化しにくいものがあります。消化しにくいものの方が摂取したあとで、吸収、分解されないでいつまでも腸内に残るので効果が大きいのです。オリゴ糖は糖の一種ですが、これを飲んでも血糖値が上がることはありません。また、カロリーが低いのでダイエットにも役立ちます。その上、オリゴ糖は腸内でビフィズス菌のエサとして利用されるので、善玉菌を増やすのには格好な食品です。腸管の免疫機能を高めるとともに、抗生物質を長期服用したときの善玉菌の減少を防ぐ効果もあります。オリゴ糖は特定保健用食品として市販されています。高齢者やストレスで善玉菌が不足している人は是非試して下さい。
しかし、毎日飲むと一部は悪玉菌のウエルシュ菌の餌になって増える事もありますので、下痢気味になったり、おなかが張るので注意が必要です。もしそんな症状になったら一日2-3グラムを何回かに分けて飲むとよいでしょう。腸内の善玉菌、悪玉菌のバランスを正常に保つことは、体全体を正常な状態に保つことになるので、老廃物や毒物の解毒にとって重要な意味をもっています。
もう一つ腸によい食物があります。それは食物繊維です。肉を食べるときには食物繊維を多く含む野菜やキノコ、海藻を一緒に沢山食べることを勧めます。食物繊維は腸からの脂肪分や塩分の吸収を抑えてくれます。また、リンゴや昆布に含まれるアルギン酸や、ニンジン、柑橘類に大量に含まれているペクチンも、食物繊維として不要な金属を体外に排出してくれます。発芽玄米もお勧めです。白米には多少の食物繊維が含まれていますが、玄米はその6倍もの食物繊維を含んでいます。
食物繊維は、ほとんどが腸から吸収されないで通過するだけですので、そのときに余分なコレステロール、糖分、脂肪などの吸収を抑えて一緒に体外へ排出してくれます。また、腸の中に溜まっている毒素も同時に排出しますので、便秘の解消にもなり解毒効果は抜群です。しかし、食物繊維はカルシウムの腸管からの吸収を妨げるので、多く摂り過ぎると血中のカルシウム量を下げることがあります。
最後に薬と腸との関係。腸は薬の効果や副作用にとっても重要な臓器です。口から入った薬は胃から腸に移動し、小腸から肝臓に入って解毒され、同時に小腸から全身に分布されます。薬とアルコール飲料とを一緒に飲む事は絶対に避けるべきです。アルコールは血管を拡張するので薬の吸収が早くなり、アルコールなしの場合に比べて効果が予想以上に強く出ますので非常に危険です。
一般に、多くの薬は胃からほとんど吸収されません。一方、アルコールは胃から吸収されますので、一緒に飲んだ薬はアルコールと一緒に胃から吸収されて全身に回ります。また、アルコールは脳に作用しますので、抗不安薬や催眠薬などをアルコールと一緒に飲むと、作用が増強され、もうろう状態になり、場合によっては意識を失います。薬を飲むときは、その前後2時間は決してアルコール飲料を飲まないで下さい。薬は間違った用い方をすると忽ち毒に変わりますのでくれぐれもご注意の程。 (2015年2月28日記)
日本はついに世界第一位の長寿国になりました。これは幼児の死亡率が昔に比べて極端に少なくなったからです。
また、食生活が格段と改善し、食べ物の種類が豊富で何でも希望すれば手に入る時代になったのも大きな理由です。
明日の食べ物がない時代に育った昭和一桁生まれの私の年代からみると、この様な飽食の時代でよいのだろうかと考えます。加えて、最近では健康に関する情報がメディアを通して街に溢れており、それに振り回されています。その中にはかなりいかがわしいものも少なくありません。
健康に関する関心はいつの時代でも変わりません。300年前に既に健康のバイブルともいうべき本が出されました。
江戸時代の儒学者貝原益軒(1630-1714)が「養生訓」を書いたのは1712年、彼が83歳のときです。その2年後に彼は天寿を全うしました。養生訓には、天寿を全うするためには「体の養生」だけではなく、「心の養生」も欠かせないことが、彼の実体験に基づいて書かれています。
江戸時代、今から300年も前に、益軒は人間の寿命について、「上寿は100歳、中寿は80歳、下寿は60歳」と予言しました。「60歳以上の人は長寿である。50歳で亡くなっても、それは若死とはいわない」としています。当時は幼児の死亡率が非常に高かったので、平均寿命は恐らく30歳前後ではないかと思います。「長生きとは運命で決まるものではなく、人が長く生きたいと思う心が大事であり、欲の深い人や自暴自棄な人は長生き出来ない」という彼の信条は今の時代でも同じです。
また、益軒は、「長寿する人が少ないのは、養生を心がけていないからだ」と戒めています。「健康で長寿を全うすることこそが、親への最大の感謝であり、理由もなしに毛髪を切ることや、肌を傷つけることは、もっとも親不孝な行為である」と説いています。これは今の時代を見通しているかのようです。それから300年を過ぎた平成の時代は、正に高齢者社会です。果たして益軒の教訓がどこまで活かされているでしょうか。
益軒は、「病気になってから薬や鍼・熱い灸などを行うのは、自分の体を痛めて病気をなおすことであるから、それはよいわけはない」と言っています。つまり、普段の生活の中で病気を予防することこそが大事なのです。「生まれつき身体が丈夫な人でも、養生しなければ生まれつき体の弱い人よりも早死する。長生きで健康でいるためには、少し臆病な方がよいかもしれない」ということです。
益軒は人生の「三楽」を示しました。一つ目はよい行いをして自尊心を高めること。二つ目は健康で心配事がないこと。三つ目は長生きをして人生を十分に楽しむこと。この三つを行うには、養生の教えをよく守ることです。たとえ、金持ちであっても、後ろめたい気持ちをもっていたり、病気がちであったり、短命な人生であれば、この三つの楽しみは得られません。また、益軒は健康になるためには働くことを勧めています。なにもせずに暮らしている人は健康によくない。「流木は腐らないし、いつも動いている扉の蝶番は長持ちする」。いつも働いているのが何にも勝る健康の秘訣であると戒めています。
地球的規模の環境の変動については、「四季は移り変わるので一定の秩序がある。秩序が崩れれば、冬は暖かく夏は寒くなり、大雨大風などの天変地異が起こる」と今の時代を予言しています。人の身も同じで、旺盛な活動意欲が健康を保つ秘訣です。また、生きる上で何ごとも偏らないことが肝要です。今の時代、昔に比べて他人との義理人情が薄くなりました。「義」とは、人情のようなものであるし、「理」とは物事の仕組みのようなものです。物事の仕組みばかりを大事にすると人を傷つけるし、情ばかりに気を向けると社会の秩序を乱してしまうことがあります。
環境が変わると身体はそれに慣れるのに時間がかかります。私事で恐縮ですが、私は30年余大学の教員をしており、毎日の講義や会議など比較的規則正しい生活を送っていました。しかし、平成8年の定年を境に毎日の生活のリズムががらりと変わりました。その後2、3年間隔で、それまで経験しなかった身体の変調がみられました。夜中に突然息苦しくなり救急車を呼びたくなることもありました。猛暑の日、歩いていて突然脈が乱れ慌てて近くの病院に駆け込んだこともあります。これはすべて生活のリズムが変わった事に身体がついていけなかったからです。そんな事を繰り返して4、5年経った頃、それまでの身体の異変がウソのように消えました。生活のリズムに身体が慣れたからです。この経験から、身体と心がいかに密接に関係しているかを改めて実感しました。
江戸時代に出版された「養生訓」の中には、300年後の世の中を予見したかのごとき、現代と共通する記述が多く見受けられます。「養生訓」は今でも立派に通用する健康指南書です。益軒の「養生訓」はこれまで多くの人により現代訳が出版されていますが、これから読まれる方には、講談社学術文庫:養生訓(伊藤友信、現代版訳、2009年1月、第49刷)をお薦めします。 (2015年3月19日記)
貝原益軒は300年前に「養生訓」の中で「人間の寿命は100歳をもって上限とする」と予言しています。
江戸時代の平均寿命は30歳前後でしたが、50-60歳まで生き延びた人も少なくありません。当時は今ほど生命科学が発達しているとは考えられないので、何をもって寿命を推定したか知りません。益軒は自分の83歳までの実体験に基づいて「養生訓」を書いた事から考えて、恐らく養生をすると100歳までは生きられるだろうと考えたのでしょう。
2014年3月5日現在、世界の最高齢は116歳の誕生日を迎えた大阪市在住の大川ミサオさんです。この数字はギネスで認定されています。ちなみに、これまでの世界歴代最高齢者は、1997年に122歳164日で死亡したフランスの女性です。日本では、2014年9月12日現在で100歳以上の高齢者は58820人(女性が8割)と報告されています。
江戸時代には諸外国で見られた大きな伝染病の蔓延もなく、また食生活も欧米に比べて肉食が少なかったせいか平均年齢が毎年延びていました。平均寿命というのは、生まれたばかりのゼロ歳の乳児が何歳まで生きられるかを示す数値です。平均寿命が80歳だからといって70歳の人があと10年生きられるということではありません。
そうは言っても、人の命には例外なく終末があります。一体人は何歳まで生きられるのでしょうか。これには既に解答が出されており、最長寿命は120歳と推定されています。この年齢は、恐らく益軒の「上壽」に相当するものです。人間の寿命とは身体の中の細胞が生きることが出来る限界のことです。120歳説は複数の科学者により証明されています。40年前にアメリカの科学者は「テロメア」の長さを寿命の目安にしました。テロメアとは人間の遺伝情報を蓄えている染色体という生体物質にくっついている部分です。この長さは生まれたときにすでに決まっておりすべての人に共通です。
人が生きている間、細胞は分裂を繰り返しますが、その都度テロメアは少しずつ短くなります。つまり、加齢とともにテロメアの長さが短くなるのです。テロメアが短くなると、あとで述べます細胞の分裂が出来なくなります。これが細胞の老化です。丁度、火のついたろうそくが、時間とともに短くなり、ついに消えるのと同じです。その短くなる速さは人により異なり、ある人は病気のために細胞が疲れ果てて、まだテロメアが残っていてもそれ以上分裂ができなくなり50年で燃え尽きることもあるのです。健康上何の障害もなく、生まれたときのテロメアの長さをすべて使い果たす時間が120年です。他の実験でも同様のことが証明されています。
どんな方法で120年を決めたか。少し専門的になりますが、その方法はこうです。ふたのついた平べったいガラスの容器に特殊な培養液を満たし、その中に人の細胞1個を入れて培養すると、細胞は時間とともにどんどん増えて、ついには容器が細胞で一杯になります。これを細胞の「増殖」といいます。一杯になったところで、その中の一つの細胞を、さらに新しい容器に移して同じ様に培養する。これを50回繰り返したところで細胞は増殖の力を使い果たしてそれ以上は増えなくなります。この時点がその細胞の寿命で、それを一定の式で計算すると約120年に相当するのです。このように、複数の科学者が、別々の科学的な方法で予測した寿命が120歳ですのでかなり信頼のおける数値です。
余談ですが、この120歳という数値は、日本で使われている「還暦」の2倍です。還暦は「人生の折り返し地点」と言われています。折り返して終わりに近くなったところが人生の終点というのも科学の不思議な一致です。
ここで話が変わります。前に述べました様に、我が国では100歳以上の高齢者数の8割が女性です。どうして女性は長生きなのでしょうか。それには科学的な根拠があります。人間の基本形は生物学的に女性なのです。生活の中で土壇場に遭遇したとき、あわてておろおろするのは男性で、女性は肝っ玉が据わっていて男性は足下にも及びません。多くの家庭でも両者の力関係はほぼ例外なく女性が男性よりも強いようです。これは生物学的にすでに証明されています。
これから述べることは少し専門的になりますがしばらくご辛抱下さい。女性が妊娠したときには胎児はすべて女性の染色体(X)の組み合わせ(XX)ですが、妊娠7週目になった頃に男性か女性かが決まります。男性の場合、特殊なホルモンがXXに注がれると、二つのXXの中の一個がYに変わります。つまり、男性の場合は、XXからXYに変わるのです。Y染色体を持っていると男性の証拠です。女性はX染色体二個(XX)のままです。XはYに比べて生命力が圧倒的に強いので、顕微鏡で見ると女性の二本のX染色体のうちの片方はお休み状態で、X一個だけでも十分に日常の活動が出来るほどの力があります。つまり、残りの一個のXは予備のようなものです。それに対して、男性はXとYがフル稼働しないと女性と同じ程度の働きが出来ません。男性のXYの中で、Xの方が精力的に活動しYはその補助的役割のようなものです。まさに家庭内の力関係です。
このXとYの力関係は世の中の男女を見ると歴然です。女性の場合、2個のXXの中で予備のX一個は非常時に備えてその力を発揮します。40-50代になると、いよいよ女性の二個目のXが活動し始めますので、このころの女性は男性は足元にも及びません。二個のXがフルに活動する頃には、女性というよりは母親としての性格が強くなりますので、Xを1個しか持たない世の中の亭主は子供扱いです。その一つの例として、8割の家庭で財布のひもをにぎっているのは妻です。これは妻の方が将来に対する計画性があるからです。
夫婦がともに長生きする事は理想ですが、中々そうはいきません。高齢になって奥さんに先立たれたご主人は3年以内に3割の人が後を追う様に亡くなるそうです。しかし、女性については多少事情が異なります。夫が亡くなってもその衝撃は早い時間に回復する様です。そうはいっても、やはり伴侶があることは精神的にお互いに支えになることは間違いありません。夫婦で天寿を全うする様に心がけたいものです。 (2015年3月19日記)
"笑い"は心や身体に良いということは医学的に実証されており、病気の予防や治療においても注目を浴びています。笑うことで身体の免疫力がアップし、脳の働きが活性化されます。笑いはストレスなどの緊張状態を引き起す交感神経を緩めます。緊張がほぐれるのです。
また、笑うことで深い呼吸である腹式呼吸をするので、いつもの呼吸よりも、酸素が多く体内へ取り込まれて血液の循環がよくなります。これにより、脳や全身に酸素や栄養がスムーズに運ばれ、新陳代謝がよくなり、これが免疫力を上げる源になります。このように笑いが身体に良いという話は日本だけではありません。
海外でも、「3回薬を飲むより1回笑うほうが身体に良い」、「よく笑ってよく寝れば医者は要らない」など笑いと健康に良いことわざが世界中に存在います。
今回は、本シリーズ(4)「医者と患者の掛け合い」に引き続いて、笑いを誘うジョークをお送りします。声をあげて笑いましょう。
(2015年4月5日記)
東日本大震災のときに、テレビ番組の中で原発事故による放射線の健康への影響が大きな話題になりました。ある専門家は「この程度の放射能だったら健康に問題ない」といい、他の専門家は「放射線を浴びたら癌になる危険性が高い」とその危険性を述べていました。政府は、「今は大丈夫だが将来は保証できない」と不安をあおるばかりです。
何を信じてよいか視聴者は混乱するだけでした。放射線に限らず、環境中の化学物質や医薬品、化粧品の場合でも、政治家や厚労省の役人は決して「安全です」とは言いません。99.9パーセント安全でも、万が一残りの0.1パーセントで健康被害が出たら、それを承認した国の責任を負わされるからです。したがって、「今のところ問題ない」という表現は、「将来も多分問題ない」事を暗に示していると解釈してよいのです。これが政治家、役人の常用語です。
最近テレビの健康番組には大学教授という肩書の人々が多く出演し、さまざまな意見を述べています。視聴者の多くは素人ですので、その内容を100パーセント信じ込み、家族や友人にそれを伝えます。インターネットで瞬時に世界中に交信できるこの時代に、テレビの耳新しい情報はまたたく間に全国に広がります。その結果、テレビの中で健康によいといわれた品物は、数時間のうちにスーパーの棚から消え、店はその対応に追われます。テレビ局は「いかにして視聴率をあげるか」が至上命令です。したがって、「数字(視聴率)さえかせげれば何をやってもよい」という雰囲気が生まれ、その結果、やらせが横行し、視聴者に見破られない様に物語を巧妙に作り上げます。
健康番組以外に娯楽番組の中でも、「医学博士」や「○○大学教授」という人々が健康情報を語っています。番組のスタッフがその内容を検証することは殆どないでしょうから、番組の中では権威者のいうままに放映されます。したがって、その内容にウソがあっても、それはテレビ局の落ち度ではなく、偉い先生の責任です。ご記憶の人も多いと思いますが、かつてNHKで放映された「納豆ダイエット」の番組がありました。納豆を食べるとダイエットに効くということで、その動物実験のデータなどを紹介しました。翌日はスーパーの店頭から納豆が姿を消したという騒動です。しかし、間もなくそれはねつ造だった事が判明しました。視聴率をとるための現場担当者のプレッシャーの落ち着く先がこういう結果になったのです。
健康になりたいばっかりに健康食品を食べて、その副作用で病院にかつぎ込まれたり、最悪の場合は死亡することがあります。初めて新しい健康食品を食べたり、飲んだりして、少しでも体調が変だと思ったら直ぐ中止することが無難です。身体の不調が長く続くようだったら必ず病院へ行って下さい。
食品も添加物も同じですが、身体に害を及ぼすためには、それなりの量が必要です。昔「焼き焦げで癌になる」ということが高名な癌研究者から発表されました。それは魚の焼きこげの中に発癌性物質を発見したからです。しかし、それは研究室での試験結果で、家庭で焼き焦げによる癌を作るためには、焼いたサンマを毎日20匹程1週間も続けて食べない限り癌にはなりません。しかも、今日食べて翌日癌になるというものではなく、一般には、正常な細胞が癌になるためには20年かかります。試験管内での結果をいきなり生身の人に当てはめると大変な誤りをおかすことがあります。何故か。その主な理由は、試験管の中には解毒の仕組みがないが、身体の中には強力な仕組みが備わっているからです。試験管内の実験結果と、身体の中の反応とは同じではないのです。テレビでは、専門家と称する人が、試験管内と身体の中の現象が同じであるとして毒性を説明するので、視聴者は極端に不安になるのです。
お茶に含まれるカテキンが、体内で体脂肪の蓄積を抑えるとのことで特定保健用食品(特ホ)として売り出されています。一方では、カテキンを実験用ネズミに投与したら発癌性がみられたとの専門家の報告もあります。これも使ったカテキンの量が問題です。発癌性の試験に使った量は、普通日本人が飲むお茶の40倍も濃いものです。したがって、普通にお茶を飲んだからといってすぐに癌が出来るわけではありません。
サンマとカテキンの例から分かる様に、毒性は量によって決まるのです。薬の副作用も同じです。決められた量を越えて飲むと危険な状態になることがあります。健康番組に出演している専門家は、量を全く無視して、「この物質は危険です」、或は「この食品は健康によいです」といいます。これを見た視聴者は何もかも危ないもの、逆に、必ず身体によいと判断します。テレビで、「この食品は血圧を下げます」といっても、それが動物実験や試験管内での結果だったら、人でも同じという保証はありません。医薬品の場合は、患者を用いた臨床試験の結果に基づいて厚労省が承認しますので、その薬の効き目や副作用を示す量が決められています。しかし、一般の健康食品では、患者を対象にした試験は義務づけられていません。つまり、業者が勝手に広告を出して宣伝することが出来るのです。ただし、「○○の病気に効く」と表示したら、薬事法違反ですので、業者は巧妙な表現でそれを宣伝するのです。
2015年4月から始まった消費者庁管轄の新たな「機能性表示制度」では、安全性や機能性について企業や生産者の責任で、食品のパッケージに含有する機能性成分の“健康効果”が記載できるようになりました。しかし、これは国が承認したものではないので、消費者からクレームが出た場合には、すべての責任はそれを製造、販売している企業の責任です。制度を作ったのは国であっても、すべての責任は企業にあります。
テレビでの宣伝や健康番組の中で、健康食品が「身体によい」、「身体の不調が治った」などの説明があったとしても、それは動物での試験かもしれません。その情報を信じて飲んで何も効かなかった場合、それを購入した金銭的な損だけで済みますが、それを飲んで身体を壊したり、具合が悪くなったりしたら取り返しがつかない損失です。健康番組の中の情報には直ぐに飛びつかない方が賢明です。ご自分で判断がつかなかったら近くの薬局で薬剤師に聞いて下さい。 (2015年4月30日記)
最近の異常気象で2015年は4月だというのに熱中症の危険が騒がれています。冬場など体温が異常に下がったときに見られる症状は「低体温症」といわれていますが、高温、多湿、激しい労働や運動によって身体に熱がたまって体温が異常に上昇したときは「高体温症」とはいわずに「熱中症」といいます。
「熱中症」の語源は何でしょうか。昔はこれと似た様な症状は「日射病」と呼んでいました。熱中症の「中」は熱の真ん中ではありません。ここでは「あたる」と読みます。つまり、「熱、暑さにあたる」が熱中症の本来の意味です。「中毒」が「毒に当たる」と同じ意味です。余談ですが、脳梗塞と脳出血を含めて「脳卒中」と言いますが、その意味は「卒然(突然)と邪気に中る」ことです。邪気とは「病気を起こす悪い風」です。ちなみに「中風」とは、「悪い風(邪気)に中る」の意味で脳出血後にのこる半身不随のことを意味します。
さて本論に入ります。気温が上がると身体は自動的に大量の汗をかいて体温を調節します。大量の汗をかくことは高齢者にとってはかなりの体力の消耗になります。その結果、だるくなったり(倦怠感)、胃腸が衰えて食欲がなくなる、気力が衰える、便秘、下痢などに悩むなどの症状が見られます。多くの場合、これらは単独でなく複合して現われます。総務省消防庁の発表によれば、昨年平成26年の5月から9月までに熱中症で病院へ救急搬送された患者は10294人で、5月は368人、7月、8月はそれぞれ4503人、3931人でした。
過去5年間の消防庁の統計によると、救急搬送された患者の約半数が65歳以上の高齢者です。なぜ高齢者が熱中症にかかり易いのでしょうか。それには加齢に伴ういくつかの理由があります。人間の脳の中には、体温を常に36~37度に調節する仕組みがあります。エアコンのサーモスタットと同じ役割です。脳の神経の働きにより、真夏の暑いときには身体や手足の血管が拡張して熱を体外へ放散します。また、汗をかくとそれが蒸発するときに熱も一緒に放散されるので身体を冷やします。したがって、体温よりも気温が低ければ、皮膚から空気中へ熱が移りやすく、体温の上昇を抑えることができます。
熱中症の原因は温度だけではありません。外気の湿度が低ければ汗をかくことで熱が奪われ、体温を上手に調節することができますが、真夏日(30度以上)には、気温が高いばかりでなく、湿度も75パーセント以上になる事が多いので、汗をかいても皮膚から蒸発しないで流れ落ちるばかりです。そのため、発汗による体温調節が出来なくなります。
この様な微妙な調節を司る脳の中のサーモスタットは、加齢とともにその働きが鈍くなり、環境の温度の変化についていけなくなります。その結果、高齢者は夏は極端に暑がり、冬はどうしようもなく寒く感じるのです。私も加齢が進むにつれてそれを実感しています。また、暑い室外とクーラーのきいた室内を頻繁に出入りすると、体温を調節している自律神経がまいってしまい、めまいや食欲低下の原因になります。余談ですが、フィリピンやタイなどの暑い気候の国では、外気が30度以上でも建物の中は20度以下に冷やしています。客をもてなすのには冷やす程よいとされていますので、私の様に急激な温度変化に順応できない旅行者にとっては全く有り難迷惑な話です。
さて、熱中症になると、こうした体温を調節する身体の働きが異常になるために体温がグングン上昇し、大量の汗、喉の乾き、身体がだるい、などの症状が出ます。さらに悪化すると、吐き気、嘔吐、手足のけいれん、強い頭痛、めまい、失神、精神錯乱、昏睡、意識不明などの症状まで進み、最悪の場合、呼吸や心臓が停止して死亡することもあります。2015年5月に、日本救急医学会では熱中症の重症度を三つに分類することを公表しました。体温に関わらず、めまいや立ちくらみがある状態を「1度」。頭痛や嘔吐があれば「2度」、意識障害があれば「3度」です。2度、3度の症状の場合は、速やかに医療機関で処置を受けることが必要です。
高齢者の場合、熱中症の症状が出ても我慢したり、少し横になったら治るなどと安易に考える人が多いですが、その間に症状が急速に悪化しますので、症状が出たら救急車を呼んで出来るだけ早く病院に連れて行く事が必要です。また、高齢者は水を多く飲むとトイレの回数が増えるので水を飲むのを嫌う人もいますが、トイレよりも病院へ担ぎ込まれない様に注意する事です。熱中症は炎天下ばかりでなく、真夏の日中に室内でもおこる事があります。部屋の中にクーラーを備え付けてなかったり、あっても電気代を節約したり、人工の風を好まないなどの理由でクーラーを使わない人が結構多いのも原因の一つです。
私どもの身体の細胞の中は70パーセントが水分です。熱中症やその他の原因で身体が脱水状態になって水分が少なくなると、細胞の働きが低下し、ある限度を超えると細胞は死にます。つまり脱水状態は細胞死につながるのです。高齢者の体内の水分は若い人の半分まで減少しているので、慢性的に軽い脱水状態が続いています。高齢者のからだの水分が減少する理由は、身体の代謝能力が落ちて体内でつくられる水分が出来難くなる、喉が渇いた事に鈍感になり水分を摂らなくなる、などが原因です。したがって、少しの脱水でも非常に危険な状態になります。
熱中症の患者の場合、救急車が来るまでの応急処置としては、取りあえず体を冷やすことです。手足や出来れば全身に水を吹きかけて、拭かないでそのままぬれた状態にしておくと、水が蒸発するときに同時に熱を奪うので体温が下がります。また、腋の下や股など動脈が集まっている箇所をビニール袋に氷を入れて冷やすと熱中症で異常に高くなった体温が下がります。
脱水症状になると、身体の水分の中に溶けた状態で存在する塩分(ナトリウム)も汗の水分と一緒に体外へ流れ出ます。そのため、炎天下のスポーツなどで脱水状態になるとナトリウム不足となるので血管が拡張し、そのため血圧が下がって低血圧状態になり、立ちくらみの症状になります。脱水症状の場合、発汗によって失った水分と塩分の補給が必要です。市販のスポーツドリンクは塩分、糖分を含んでいるので、熱中症患者には最適の飲物ですが、もし、それがないときには、ひとつまみの塩をコップ一杯に溶かしてそれを飲ませるのもよいです。しかし、一度にガブガブと大量の水を飲むと、胃液を薄めてしまい、消化不良を起こすことに繋がります。飲むときは、1回小さなコップ1杯程度を、最低でも1日に3回の食事時と、10時、3時、寝る前など5~6回飲めば、1日1から2リットル程度の水分が補給できます。
高齢者の場合、寝ている間に脱水症が起きることもあるので、のどが渇いたらいつでも水が飲めるように、枕元に飲料用のペットボトルを置いておくとよいです。夏の暑さ対策を軽く考えないで夏バテ予防にしっかと取り組みましょう。 高齢者は根性・精神主義で暑さに対抗して頑張り過ぎないことです。暑い日には絶対に無理をしないことです。涼しくして身体を休めてあげましょう。暑さを我慢しないでしっかりした食事をとり、ビタミンやタンパク質を補給することが暑さを乗り切る一番の秘訣です。 (2015年5月10日記)
最近、新聞やテレビで「ジェネリック医薬品」が大きく取り上げられています。ジェネリック医薬品とは、特許の期限が切れた新薬(先発医薬品)と同じものをジェネリック製薬会社が製造、販売する医薬品で正式には「後発医薬品」と言います。
「後発」という言葉は何となくいかがわしい印象を与えますが、国が承認した正真正銘の医薬品です。最近では、国の行政指導により国立医療機関や国立大学の病院ではジェネリック医薬品を使うことが半ば強制的に行われています。国では2020年度までに処方薬の80パーセントをジェネリックに切り替える方針を表明しています。その主な目的は医療費の削減効果です。国が負担する医療費は高齢化に伴って年々増加し、2020年度には1.3兆円になると試算されています。
国は先発品と同じ効果を持っているので問題ないと言っていますが、患者にとって最も不安なのは本当に先発品と同じ効能を持っているかです。勿論処方されているジェネリックの中には先発品と同様のすばらしい効果を示すものも少なくありません。しかし、中には先発品からジェネリックに切り替えたためにそれまでの効果が見られなかったり、強すぎて副作用を訴える患者がいるのも事実です。ジェネリック医薬品が「安い」、「同じ効果」と利点ばかりであれば、医師もすぐにジェネリック医薬品に変えているはずです。しかし、実際はそうではありません。なぜなら、ジェネリック医薬品にはそれなりの欠点が存在するからです。ここではあまり一般的に知られていないジェネリック医薬品の問題点について触れることにします。
ジェネリック医薬品の本体
ジェネリック医薬品とは、「特許が切れた先発品と同じ効果を示す後発品」です。しかし、この言い方の一部は誤っています。なぜなら、ジェネリック医薬品は先発品が持つすべての特許が切れたわけではないからです。医薬品の特許には「物質特許」と「製剤特許」の二種類があります。
厚生労働省の指針によると、ジェネリック医薬品は先発品に含まれている有効成分(病気の治療に必要な成分)が一錠(または1カプセル)に同じ量だけ含まれなければならないと規定されています。それをチェックする試験は「生物学的同等性試験」(後述)といいます。従って、すべてのジェネリック医薬品を製造、販売するためにはこの試験を実施し、その結果を厚労省に提出して認可を得なければなりません。逆の言い方をすると「生物学的同等性試験」をパスさえすれば「安全性」、「有効性」のデータはなくとも承認されることになります。
そもそも、ジェネリック医薬品の試験に「有効性」は「生物学的同等性試験」である程度推測出来るとしても、国の指針では「安全性試験」は要求されていません。つまり、安全性については先発品を参考にするだけで、ジェネリックについては何の担保もありません。ジェネリック医薬品は先発品と比べ、その製品に対する情報量が極端に少ないのです。
ジェネリック医薬品の盲点
病院で処方される錠剤の中には、有効成分(病気の治療に必要な成分)の他に添加物やその他の主薬以外の成分が含まれています。これらの主成分以外の添加物などの量や性質が変われば、薬を飲んだときに胃や腸などで薬が溶ける時間、また、溶けた薬が体内に吸収される時間などが変わります。主成分は「製造特許」ですが、添加物は「製剤特許」で守られています。したがって、先発品の製剤特許が切れていなければ、ジェネリック会社は先発品と同じ添加物を使用することができません。その上、先発品に含まれる添加物などの成分に関する多くの情報は公表されていないことが多いので、後発会社は先発品と同じものを探し当てることは大変困難です。
そこで、ジェネリック会社では錠剤中に含まれる有効成分以外の添加物などの種類や量は自社で検討します。そのようにして出来上がったジェネリック医薬品は、有効成分については「生物学的同等性試験」にしたがって、先発品と同じものが許容範囲内の量(後述)だけ含まれていますが、それ以外の添加物などは先発品と違うことが多いのです。薬の添加物や剤形(錠剤またはカプセル剤)が変わると、例えば薬の溶け出す速度が変化したり、有効成分が分解されやすくなったりします。もし薬の溶け出す速度が先発品に比べて速かったり遅かったりすると、薬の効きすぎや効き方が遅れるという結果になります。薬が効きすぎることはその分だけ副作用も出やすいということです。逆に、薬の効果が出にくいということは、薬を服用しても期待した効果が出難いということです。
「生物学的同等性試験」って何ですか、
少し専門的になりますが辛抱して下さい。「生物学的同等性試験」とは、ジェネリック医薬品が先発医薬品と効能が同じであることを証明するための試験です。ヒト(健康成人)に同じ有効成分を含む先発医薬品とジェネリック医薬品を常用量投与して、両者の血中濃度の推移に統計学的な差がないことを確認するものです。しかしこの試験には問題点があります。しかも、有効性の試験といっても「完全に有効性が同じである」とは言い切れません。これは「統計学的に先発品と差がない」というだけです。
生物学的同等性試験では、先発品とジェネリックの差が統計学的には80~125パーセントの範囲で同じであれば「差がない」と判断されます。つまり、両者の試験結果がぴったりと同じでなくともよいということです。先発品の効果を100とすると、ジェネリックでの試験結果が80から125の範囲であれば両者は「同等」と判断してよいことになっています。先発品と比べて効果が1.25倍強かったり、8割しかない場合でも「有効性は同じである」と判断されるのです。このような結果の幅は薬の効き過ぎや薬の効果が出にくいという問題の原因になります。
なぜジェネリック医薬品は安いのですか
先発医薬品の場合、薬の種類によって違いますが、開発費は安くとも数億円、新薬の場合は2000億円かかります。その総額の8割は臨床試験に使われます。すべての試験が終った段階で、厚生労働省に申請し、一年以上かかって厳しい審査を受け、それに合格したもののみが国の承認を受けて市場に出回ることとなります。
それに対して、ジェネリックの場合は、特許が切れた先発品の開発で使われた動物実験や臨床試験のデータを出来るだけ利用し、それにかかる費用、時間を省略する事が出来ます。ジェネリックの申請に必要な試験は、先発品と同量を人に投与したときに、その薬の薬効成分が先発品と同じ量だけ血中に入ったかを証明する試験(生物学的同等性試験)のみです。したがって、この試験が成功すれば、厚生労働省に申請して認可を貰うことができます。現在、国内大手のジェネリック専門企業では、高血圧症、糖尿病、脂質異常症(高脂血症)といった生活習慣病の薬をはじめ、抗アレルギー剤や抗生物質、抗ガン剤など、約440品目にもおよぶジェネリックを生産、販売しています。
なぜジェネリック医薬品が浸透しにくいのですか
日本は欧米に比べてジェネリック医薬品があまり浸透していないといわれています。その大きな理由は、日本と欧米では医療事情が全く違います。例えば、アメリカでは医療保険が極端に限られているため、病院にかかると莫大な医療費が請求されます。富裕層は先発品を使用しますが、保険に入っていない多くの国民は少しでも安いジェネリック医薬品に変えようとするのです。
それに対して、日本では医療保険制度が欧米に比べて充実しており、国民は何らかの医療保険に加入していますので、よく素性の分からないジェネリック医薬品について患者は大きな疑問を持っているからです。しかし、今後は国策により半ば強制的にジェネリックを使用することになります。先発品と効果が同じで安全性が担保されるのであれば、その価格が先発品の5-6割であるジェネリックを希望する人が増えることと思います。
「代替処方」でジェネリックを使える
これまでは、薬局では医師が処方箋に書いた先発薬(一般名または商品名)を患者に渡さなければならなかったのですが、2008年4月から患者がジェネリック医薬品を選択しやすいように処方箋の様式が変わりました。具体的には、医師が処方箋の「変更不可」欄にレ印かX印を付けないで、保険医署名欄に署名または押印しない限り、患者が希望すれば医師へ照会しなくともジェネリック医薬品に変更する事ができます。最近では医師が処方箋に最初からジェネリック薬品の名前を書く場合が増えていますが、その場合には処方されたジェネリックを患者に渡すことになります。つまり、薬局で薬剤師と相談することで、自分の薬をジェネリック医薬品にするか、先発品にするかを選ぶことができます。
まとめ
ジェネリック医薬品でも先発品と変わらないくらいすばらしいものはあります。高血圧治療薬のアムロジピンは、2.5mg, 5.0mg錠剤が約40社のジェネリック会社から発売されていますが、薬効や安全性の点で特に問題なく使われています。しかし、ジェネリック医薬品にはリスクがあることを忘れないで下さい。胃薬や解熱薬などの場合は、少しくらい効き目が悪いとか効き方が先発品より強すぎるなどのばらつきがあっても命に関わることはないですが、不整脈の薬や抗がん剤など命に直接関わる薬の場合は、先発品に比べて強すぎたり、弱すぎたりすることは大きな問題になります。
ジェネリック医薬品に替えたとき、それまで飲んでいた先発品に比べて効きすぎた、あるいは効かない、その他の副作用が出たときには、直ちに医師に報告して下さい。処方した薬について、患者から医師に伝えない限り医師から質問することはありません。最近では国立病院や大学病院の医師は、厚労省からの指示で出来るだけジェネリック医薬品を処方する様に指導されていますので、先発品を使いたがらない傾向にあります。国が推奨するジェネリックの使用は、科学的根拠というよりは医療費削減という国策によるところが大きいことも考えさせられます。
(参考資料)
現在「日本ジェネリック製薬協会」に加盟している会員会社は約50社で、皆さんが病院で処方されるジェネリック医薬品の多くは下記の会社の製品です。
東和薬品、沢井製薬、日医工、共和薬品工業、高田製薬、ニプロファーマ、大原薬品工業、キョーリンリメディオ、小林化工、大正薬品工業、辰巳化学、日新製薬(以上12社)
その他、寿製薬、サンド、日本ケミファ、岩城製薬などは古くからの新薬メーカーですが、最近はジェネリックが主になっています。
(2015年5月28日記)
正に「鬼の霍乱」でした。半年程前から胃の具合が悪かったので2015年6月に近くの公立病院で受診しました。血液検査やMRI画像診断などの結果を見て、医師は「直ぐに入院して下さい」とのこと。そう言われてもこちらの都合もあるのでその日は薬の点滴をして帰宅しました。翌朝、早速病院で入院の手続きをし、主治医の説明を聞いて仰天しました。検査の結果から、肝臓、膵臓、胆嚢のすべての働きが異常値を示している、中でも膵臓はこのままだとさらに炎症が進んで働かなくなるとの話でした。
医師の説明によると、以前から胆嚢の中にある結石が飛び出して、肝臓から流れている胆汁と、膵臓から流れている膵液の合流地点を塞いでいるのが原因だとのことでした。出口が塞がれたので、胆汁と膵液が逆流し肝臓と膵臓が急性の炎症を起こしたのです。胆汁と膵液は食物の中の脂肪を消化する重要な役目を持っており、十二指腸に流れ出ています。
入院翌日、胆管の出口を塞いでいる石を破砕し除去するために内視鏡による手術を受けました。1時間程で石はすべて取り除かれましたので、胆汁と膵液は順調に十二指腸に流れる様になりました。肝臓はかなりの炎症でも回復が早いのですが、膵臓の炎症は回復に長い時間がかかります。特に、今回の様に逆流が続くと膵液の成分が膵臓を溶かすという恐ろしいことになります(自己融解と言います)。以上が今回の病状のあらましです。
手術の前日、担当医により手術の目的とその方法について説明がありました。さらに、(1)石を取り出すために胆管の出口を少し切開して広げるので出血するかもしれない、(2)胆汁や膵液が流れ出る十二指腸の壁はペラペラなので、破れることがあるかもしれない、(3)石が硬くて破砕出来ないときは1時間で手術を中断するかもしれない、など予想されるリスクも聞かされました。「そのリスクはどれくらいの割合で起こりますか」の私の質問に、医師は「これまで経験したことがないほど少ないですが、起こる可能性がありますので説明させて頂きます」とのこと。つまり、患者にとっては大変な不安材料になりますが、医師としては起こるかもしれないすべてのリスクについても患者に伝える義務があるのです。今回の場合、結果的に危惧されたリスクは全くなく手術は無事に終わりました。
一通り説明が終わったところで、医師は「手術に同意される様でしたら同意書に署名して下さい」とのことで、4種類の同意書を示しました。(1)「内視鏡的十二指腸乳頭切開術の同意書」(手術に関するもの)、(2)「輸血療法の同意書」(切開した部位より出血したときに輸血するかもしれない)、(3)「ヨード造影剤使用の同意書」(画像診断で写りをよくするためにヨード造影剤を使用する)、(4)「身体拘束に関する説明および同意書」、です。(4)は通常の状態ではあり得ないことですが、時には患者の意識がもうろうとなって、点滴を勝手に抜いたり、徘徊する様な場合には、手足、身体などを拘束することがあるので予め了承して欲しいという文書です。昔は病院側が勝手に身体をベッドにくくり付けたりしましたが、患者の人権問題などで今は予め患者や家族の同意が必要です。
最近は医師が新しい医療行為をする時、特に手術の場合は、その目的やそれに伴うリスクなどについて詳細に患者に説明して、患者の同意が得られてから手術を行うのが医師側の義務になっています。その説明は本人だけではなく家族も対象になります。これは「説明と同意」(インフォームド・コンセントともいう)という手続きで、1990年に日本医師会が公表したものです。それ以前は手術の場合でも診察室で簡単な説明を行うだけで、患者は手術の内容を理解することなく行われたことも少なくありませんでした。その結果、医師の思い違いで手術のときに健全な腎臓を摘出したり、左右の肺を間違って手術したりなど考えられない医療過誤がありました
私にはもう一つの経験があります。2010年に白内障の手術をしました。手術前日に診察室で担当医から型通りの説明がありました。彼は眼の解剖図や、白内障の原因、手術はどんな方法で行うか、など手元の説明資料を見ながら30分程説明しました。説明が終る頃何気なしに手術承諾書を見てびっくり仰天しました。手術する眼は左なのに、右眼に○印がついているのです。「私の手術の眼は左ですが」と言ったら、医師は慌てる事なく右眼の○印にバッテンして左眼に○をしました。つまり、そのまま私が承諾書に署名したら、健全な右眼を手術されても文句を言えなくなったのです。しかしそれは私の危惧であることが後で分かりました。手術当日、手術室の看護師が私の手の甲に「左眼」と書いた絆創膏を貼り、手術時で医師はカルテを見て左眼であることを確認してから手術に入りました。つまり、医師にとっては診察室での承諾書の文言の間違いなどはどうでもよく、患者の署名だけが必要だったのです。
患者は同意書に署名した段階で、「この手術についてはすべてお任せします」という意思表示になります。と同時に、「何事が起こっても医師には責任はありません」という医師側の立場が明確になり、手術するにあたって両者が合意したことになります。このように「説明と同意」は医師側と患者側が相互に納得した様に見えますが、現実問題として病気の治療のために入院し、そのために必要な手術を目の前にして、「手術は希望しません」と同意を拒否する患者は殆どいません。つまり、「説明と同意」で医師の言い分は十分に果たせますが、多くの患者は、不安と緊張で医師に言われるままに署名するのが現実です。医師にとって、患者の入院や手術は日常の業務ですが、患者にとっては一大事です。肝臓や腎臓など大きな臓器の場合、「手術が必要だ」と言われただけで気が動転しているので、医師の説明はほとんど上の空で頭に入りません。こんなときに冷静に話を聞いてちゃんと理解して納得することが出来たら神業です。
「説明と同意」は手術のときだけではありません。いくつかの治療法があるときに、医師はそれらの治療法について利点、欠点を患者に説明した後で、「この中でどれを希望しますか」と患者に治療法を選択させるのです。素人の患者にとってどれがベストかを決めることは殆ど不可能です。結局、「お任せします」になるのです。「説明と同意」の問題点は医師と患者の間の決定的な知識の格差です。医師の説明は,患者や家族がその内容を完全に理解しなければ何の意味もありません。しかし、難しい医療用語を並べた説明では,医師側にとっては完全であっても患者を納得させることは困難です。できる限り易しい言葉や表現を選び,患者が分かっているかどうかを確かめながら説明することが肝心です。
今回の入院生活で多くの貴重な経験をしました。外来患者が一日400人程度の中規模公立病院ですが、歩いて5分程のところに大学病院があり、多くの医師はそこで研修や経験を積んでいます。したがって、患者との対応も洗練されており、「説明と同意」についても全く問題を感じませんでした。病気の治療に当たっては、選ぶ病院や医師により治療法が異なる事があります。マスコミで有名な医師や、週刊誌などで名医といわれる医師が必ずしも患者にとってベストとは限りません。最もよい目安は、その医師にかかっている患者の意見を聞くことです。また、経験豊富な医師であれば、自分の目や指で症状を確認するだけでも、かなりの確率で病気の目安をつけることができます。ですから血液検査や画像診断と合わせて、視診や触診を積極的にしてくれる医師は、名医である可能性が高いです。
患者の話をよく聞く医師も名医と言われています。ちなみに外科医の場合、「手術の上手な外科医は、絵も上手」といわれています。これは手先が器用だからというだけではなく、細かなイメージを頭に描けないと手術が難しいからです。今回私の主治医は内科医でしたが、彼は内視鏡の専門医で、今回の手術についての説明のときに10枚以上の絵をかいて丁寧に説明してくれました。名医と巡り会えて幸せな17日間でした。 (2015年6月23日記)
世の中にはいくら苦しくとも病院だけは行きたくないというご老体がおります。ひとそれぞれの考え方ですので他人が兎や角言う事ではありません。病院へ行くと、診察室の中では医師と患者の間で自ずと上下関係が出来上がります。患者の言う事を殆んど耳にしないで、血液検査や尿検査の結果だけを頼りに判断する医師は名医とは言えません。医師が患者にいろいろ質問する事を「問診」と言います。問診の上手な医師こそが名医です。問診をうまく進めるためには、患者側の協力も必要です。例えば、「いつごろから熱がありますか」の質問に対して、「少し前から」と答えるのではなく、「昨日から」とか「2日前から」とか具体的に数字を出すことが大切です。
昔の医者は必ず触診をしました。おなか具合が悪いときには、腹部を押して「特に悪いものはない様ですね」と言われると、患者はそれまで恐れていた癌ではないと安心します。また、聴診器で腸の音を聞いて、「腸は問題なく動いています」と言われるとほっとします。最近はこの触診をする医師が少なくなりました。診察のときに、「この程度でしたら大丈夫です」、「かなり治ってきましたね」などと言われると患者は安心します。直ちに命にかかわることでない限り、患者に余計な不安を与えることを言わないのがベテランの医師です。診察室での患者は如何に不安を取り除いてくれるかを望んでいるのです。
このような経験に基づく診断が、最近では科学的診断に変わりました。医療技術の進歩により、CTやMRIなどのテレビ画面上の画像診断の説明は、それまでの経験のみに頼る診断よりは素人の患者にとっても分かり易いのは間違いありません。CTやMRIという用語が一般の患者でも知っている程それは欠かせない診断の手段になりました。
先日私は胆管結石で入院しました。胆管を塞いでいる石を粉砕して取り除いた後で、医師は「胆嚢にまだ4個の石があります」とテレビ画面の画像を見せました。いかに経験豊富な医師でも触診だけで石が4個あることは予測できないでしょう。したがって、私は画像診断の重要性を十分に認識していますが、問題は、患者に対する医師の説明の仕方です。専門用語の羅列ではどうしようもありません。多くの患者は医師の説明は最初から難しいものとの先入観がありますので、説明を聞いても上の空です。しかし、理解出来ないことは遠慮せずに医師に質問して下さい。医師にとっても患者の質問は歓迎な筈です。それをうるさがる医師はダメ医師です。
医師が患者に薬の説明をするときも同じです。心臓の薬を貰った患者に、「この薬は多くの患者に使われていますが、使い方を間違うと突然死する人もいます」と言われたら、たとえそれが何万人か何十万人に一人であっても患者にとってはショックです。診察室の中では患者は必要以上に神経質になりおびえています。こんなとき、ベテランの医師だったら、患者の心のうちを読んで不安にならないように説明に気を配ります。「何万人に一人くらいは副作用が出ますが心配いりません」と患者に説明したら、患者は安心してその薬を飲むでしょう。
話題が変わります。自分の死を真剣に意識し始めるのは、60歳半ばをすぎてからだと言われています。年をとると、避けられない老い、たとえば体力の衰え、記憶力の低下、などをつくづく感じます。この状態で最後にはどうなるだろうかと誰もが不安になります。誰でも苦しまないで安らかな終末を望んでいます。そのために、最近では病院の医療が「死を待つだけのあきらめの医療」から、患者が苦しまないで終末を迎えるための医療に変わりました。それが「緩和医療」です。そのために「日本緩和医療学会」が創設されました。その目的は、癌やその他の治癒困難な病気の患者が、終焉を迎える日まで痛みを伴わないで過ごすことが出来る環境を作ることです。そのための専門医の認定制度や専門病院も設立されました。
医師は、高齢者の病気は或る程度延命はできても、完全に癒すのは難しい事を経験的に知っています。場合によっては、延命の努力はむしろ高齢者にとって苦痛な場合もあります。人生の最後をどこで迎えたいか。多くの調査によると、7~8割の人は住み慣れた自宅で、親しい人たちに囲まれての大往生を望んでいます。しかし、現実は8割が病院で亡くなっています。これは、核家族化、家庭での介護能力が難しいこと、延命維持技術の発達などにその原因があるのです。もし本人が希望し家族も同意するならば、担当医に「患者を自宅に連れ帰りたいです」と遠慮せずにはっきり伝えることです。医師は患者の死亡診断書を書く義務がありますが、病院にしばりつける権利はありません。自宅で最期の時を迎えるのは患者や家族の判断で決まるのです。
最後に少し深刻な話題をとりあげます。私が以前から知りたいと思っている事があります。それは医師が臨終に立ち会った時どのような心境で患者の死に接するかです。友人の医師数人に聞きましたが彼らは本音を言いません。その中で漏れ聞くところによると、中規模病院や個人病院の医師の多くは「最後の医者にはなりたくない」と考えているそうです。これはどうやら本音らしいです。
以下はインターネット情報を要約したものです。
医師A. 患者さんを看取るときに考えること。研修を開始して2ヶ月目、初めて患者さんが亡くなった時には悲しくて泣きました。2回目は…悲しかったですが涙は出ませんでした。3回目以降は看取りは仕事の一つになりました。それから18年。「何時何分、ご臨終です」と頭を下げる時、「もう少し何か出来なかったろうか?」と思いますが、病棟の詰め所に戻ったらすぐに看護師と談笑したりします。すぐに笑い話が出来る自分に嫌な気分になる時もあるし「看取りを繰り返していればこうなるさ」と思ったりもしますが、研修医の時の気持ちが、妙に懐かしくなったりします。
医師B。患者本人にとっては最後の瞬間。家族にとっては一生に数度の悲しい経験。医者にとっては月に何度かある出来事。医者が家族並みに悲しみと自省の念を毎回持ち続けていたらつらくてしかたがない。思い入れのある患者に対しては別だが。 死亡診断書の病名をなんてつけようかと考えるばかりだ。
医師C。心電図が反応しなくなった。そろそろ臨終の言葉を言わなければと焦る。 しかし突然心臓が動き出すこともあるから少し待つ。しばらく時間経過。さすがにもういいだろ。 本当に言うぞ。「えー・・ご臨・・」 心電図:ピッ う、まだジャン。 「ご臨席の皆様、今しばらくお待ちください。」 おいおい、俺なに言ってるんだよ。家族に睨まれちまったよ。 (気まずい5分間) よーし。もういいだろう。心電図はピクリともしない。 いよいよ言いますよ。 「残念ですが・・・ご臨終です。」 (ご家族号泣) 悲しくないけれどなんだか一緒に泣けるんだよね。
医師D。田舎老人病院の医者やってますがやっぱりこんな感覚になります。 一番多い時は1日5人看取りました。日常茶飯事すぎて、3日前の食事覚えていないようにすぐ忘却していきます。それに、家族みんな”長生きしたね、お疲れ様”なホンワカな雰囲気だったのに、はじめてやってきた親戚の者にいきなり殴られたことも2回あります。医者として他人の命担いできたんだから死んだら開放させてやれよ。
医師E。 「余計な延命処置はいらないからこの人だけは死ぬ前に呼んでほしい」、 そういう患者さんの言葉が走馬灯のように頭に駆け巡り、こういう死の迎え方でよかったんだろうかと心の中で患者さんに問いかける。患者さんとの会話の内容を思い出すと、ひそかに涙することもある。家族には医者の涙は似合わないから、涙が出そうになると、遺族の方に涙が見えないように深々とお辞儀をし、部屋から去る。 よくもうつ病にならずに10年何とか医者ができたもんだ。 医者でなくセレモニーセンターの職員みたいだなと感じることもある。
医師F。私の研修医時代は救急病院だったから、心肺停止の救急患者ばっかりしょっちゅう見ていた。ご臨終を迎えると「これで心臓マッサージ止められる」という感じ。十数分も心マをやってると「やっと終わった」以外のことは考えられない。 この過酷な戦場にいたら、患者の死に鈍感になってもしかたないかも?多分、患者さんの死について医者が考えられるのは、戦場から離れてふと一人暇になった時とかじゃないかな? あと、患者思いの医者の中には、亡くなった患者さんの家族に気持ちがあった患者であれば、あるほど、亡くなった直後会いたくない先生もいるかも? 理由は助けられなかった自分、何も出来なかった自分、医療の限界を感じてよけいにつらくなるから。
さて皆さんはどのように感じたでしょうか。勿論医師の中にも個人差はあるでしょうが、私にとっては「なるほど」と「まさか」という感情が交錯し、医師の本音がすけて見えた複雑な心境でした。
(2015年7月12日記)
私は仕事柄よく薬についての質問を受けます。その中には、知らないと大変なことになるものや、知っていたら得することなどさまざまです。「薬は多く飲む程効き目が大きい」と考えたら大間違いです。決められた量以上の薬を飲むと、効果は同じで副作用、毒性だけが強く現れます。
どんな薬にも「用法」、「用量」が決められています。「用法」とは1日何回いつ飲むか、「用量」とは決められた投与量のことです。これに従わないと期待した効果が出なかったり、副作用が出たりすることがあります。そうはいっても、決められた用法、用量通りに出来ない事があります。その時にどうするか、ここではそれに答えます。
疑問:薬を飲む時間は正確に決められていますか。
最近の薬は1日1回のものが多くなりましたが、それでもまだ1日3回のものもあります。「1日3回、食後30分服用」の場合でも、30分というのは一応の目安ですので、食後10-20分でも大きな違いはありません。
1日3回の薬の場合、もし食事を摂らないときでも、朝8時、昼12時、夜6時頃を一応の目安にして、その時間になったら1日3回は飲んで下さい。これにより、治療に必要な体内の薬の量が保たれて効き目が持続します。
疑問:1日1回服用する薬は、毎日何時に飲んだらよいですか。
同じ薬でも、昔は一日3回服用だったものが、最近では1日1回でよい錠剤が増えています。この様な剤形を一般に「徐放剤」といいます。これらは錠剤から少しずつ有効成分が放出されて、必要な血中濃度を長時間維持する様に工夫されたものです。1日1回の薬は24時間間隔ですので、毎日ほぼ決まった時間に飲むことです。朝に服用する薬であれば毎朝ほぼ同じ時間に飲み、就寝前に飲む薬であれば毎晩寝る前に飲みます。
疑問:食前または食後服用の薬はその通りに飲まないと効きませんか。
多くの薬は食後服用です。これは薬による胃障害を防ぐからです。しかし、「食前服用」と決められている薬は、食前に飲まないと効果がありません。食前とは食事の30分前から60分前に薬を飲むという意味です。例えば、糖尿病治療薬のアカルボース(商品名:グルコバイ(バイエル社))や、ボグリボース(商品名:ベイスン(武田薬品))は、食前に薬を飲んで、食事から摂取される糖分の吸収を遅らせる作用があります。したがって、食後では既に食物の糖分が吸収された後ですので効果がありません。
疑問:食間服用はいつ飲んだらよいですか
食間といっても食事中に飲む薬ではありません。食事と食事の間の空腹時のことです。通常食後2時間を目安にしますが、10-20分ずれても構いません。食後2時間たった頃は、胃が消化・吸収の働きが終えているため、胃酸の分泌が少なく、吸収も良好になります。該当する薬としては、漢方薬のように吸収されにくく、胃を荒らしにくい薬(漢方薬は食前でも、食間でも自分の飲みやすい方で良い)や、胃粘膜を保護する薬、食事の影響を受けやすい薬などがあります。
疑問:薬を飲み忘れたときはどうしたらよいですか。
もし1日1回の薬を飲み忘れたときには、飲むべき時間から数時間以内であれば,気づいた時点で飲んで下さい。気づいたのが半日以上たった後であれば、その日に飲む分はやめて、翌日決められた時間に1回分だけを飲みます。前回飲まなかったといって決して2回分をまとめて飲んではいけません。2倍量飲んだら大変な副作用が出ることがあります。
1日2回飲む薬の場合、飲むべき時間から3-4時間以内に気がついたらすぐに服用して下さい。次の服薬時間が2-3時間後にせまっているときは、忘れた分は飲まないで次回に1回分を飲みます。決して2回分をまとめて飲んではいけません。
1日3回の薬の場合、飲むべき時間から2時間以内に気がついたら飲んで下さい。2時間以上経ってから気がついたときには、飲まないで次回に1回分だけ飲むことです。これも決して2回分を飲まないで下さい。
疑問。薬には使用期限があるのでしょうか。
あります。最近の薬には有効期限が書いてあります。出来るだけ、直射日光のあたらないところや湿気の少ないところに保管して下さい。多くの薬は室温でも1年間は品質が保証されています。しかし、猛暑のときなどは成分が分解することがあるので冷蔵庫に保存することを勧めます。家庭の冷蔵庫など冷暗所に保存するときには食品とはっきり区別出来る様にして下さい。
疑問:薬をアルコール飲料と一緒に飲んではいけないでしょうか。
絶対に避けるべきです。アルコールと一緒に飲むと、単独に比べて薬の吸収が早くなるので、アルコールなしに比べて効果が予想以上に早く出ます。その上、効果が2-3倍になり危険な副作用が出ることがあります。中でも、脳に作用する抗不安薬や催眠薬などをアルコールと一緒に飲むと、作用が増強され、場合には薬の毒性が強く出ます。どうしてもアルコール飲料を飲まなければならないときには、薬を飲む時間と最低2時間の間隔をあけて下さい。アルコールに弱い人は、薬との間隔が5-6時間は必要です。
疑問:薬は水で飲まないと駄目ですか。
出来るだけ水かぬるま湯がよいです。もし、手元にないときは、お茶、湯ざまし、コーヒー、ジュースなど何でもよいです。ただし、血圧降下薬のカルシウム拮抗薬(商品名:アムロジン(大日本住友製薬)、ペルジピン(アステラス製薬)、アダラート(バイエル薬品)他多数)や、アレルギー性鼻炎などに用いられるテルフエナジンは、グレープフルーツジュース200ミリリットル以上と一緒に飲むと薬の解毒を妨害するので、効果が増強され、その結果副作用(カルシウム拮抗薬:動悸、吐き気、血圧低下;テルフエナジン:眠気、肝臓障害)がみられることがあります。ただし、グレープフルーツの果物は問題ありません。
また、貧血治療薬の鉄剤はお茶の成分中のタンニン酸と結合する性質があるのでお茶と一緒に飲んではいけないと言われていました。しかし、最近の研究によると、よほど濃いお茶でない限りそれほど影響がないことが分かりました。その理由は、飲んだ鉄剤が全部お茶に結合して効かなくなるためには、薬と一緒に1-2リットルの濃いお茶を飲まない限り問題ないことになります。
疑問 : 風邪薬を飲むと眠くなるのはどうしてですか。
病院で処方された風邪薬や、スーパーのドラッグストアなどの市販の風邪薬を飲むと眠くなります。なぜでしょうか。これらの薬は抗ヒスタミン薬または抗アレルギー薬といいます。その成分は鼻、喉、眼などに作用して風邪の症状を改善しますが、同時に脳の中にも入って、脳内のヒスタミンの作用にも影響します。脳のヒスタミンは意識を正常に保つのに必要な成分ですので、その作用が風邪薬の成分により妨害されるから眠くなるのです。
疑問:高齢者は薬の副作用が出易いといわれますがどうしてですか。
高齢者になると若い人に比べて薬の副作用が出易くなるのは本当です。それにはいろいろな原因があります。(1)飲む薬の数が増えてそれらの飲み合わせによる、(2)高齢になると体重が減少し逆に脂肪が増えるので、脂肪に溶け易い薬は体内に蓄積しやがて副作用が現れることがある。
(3)最も深刻なのは腎臓の働きが低下すること。糖尿病や高血圧の患者ではそれが顕著です。多くの薬は腎臓から尿とともに体外に排泄されますので、高齢者で腎機能が半分の人は、半分しか排泄されないことになります。その状態が長く続くと、薬が効きすぎて過度に血圧が下がるために、起立性低血圧になり、立ち上がるとふらつき、ころんで骨折したりすることがあります。
(4)肝臓も腎臓と同じです。高齢になって肝臓の働きが悪くなると、肝臓で分解されるべき薬はそのまま体内に残り、結果的に過剰の薬を飲んだと同じ状態になります。例えば、眠れないからといって何年にもわたって睡眠導入剤を飲んでいた高齢者が、ある朝起きてふらついたらそれは薬の副作用です。肝臓の解毒作用が弱くなったために薬がいつまでも脳の中に残っている証拠です。そんなときには、医師に相談して下さい。
「肝腎かなめ(肝心かなめ)」という様に、肝臓と腎臓は心臓と同様に身体の働きを維持する上で最も重要な役割を持っています。したがって、長年同じ薬を飲み続けている高齢者は、一年に1-2回は血液検査、尿検査をして肝臓、腎臓の働きをチェックする必要があります。もし機能が低下している場合は、医師は投与量を少なくして副作用が出ない様に調節する筈です。
最後に一言。薬は生体内に存在しない化学物質です。その中でたまたま病気を治す働きを持ったものを「くすり」と呼んでいるのです。したがって、間違った使い方をすると農薬や他の化学物質と同様にたちまち毒性を現します。それが薬の副作用です。基本的には人体に影響がなく、薬効を妨害しないものが含まれています。「用法」、「用量」をまもり、「年齢」 を考慮して飲む限り薬は安全な化学物質です。(2015年7月20日記)
ご存知の様に、臍(へそ)は胎内で母体と胎児を繋ぐ臍帯のとれた痕跡で、胎児にとっては栄養の受取口です。出産の際に短く切られ、役割を終わると凹んでしまいます。臍帯を切って母親から離れたらへそは無用の長物と考えられていますが、最近の医療ではへその驚くべき有効活用が行われています。それは、手術によって切り取られた小さな内臓をへそから体外へ取り出すのです。昔は考えられなかったことです。最近私はそれを体験しました。2015年8月12日に胆嚢摘出の手術のため市内の公立病院に入院しました。これは、本シリーズ18話で述べた「総胆管結石」手術に続く話です。
入院日の1週間前に看護師さんから、「入院の2-3日前からへその掃除をして下さい」との指示がありました。へその内側の薄い皮の下は、腸などの内臓をつつんでいる腹膜とつながっています。この膜には神経がたくさん集まっているので、へそが強い刺激を受けると腹痛になってしまうことがあります。昔から「へそのゴマを取ってはいけない」と言われているのは強い刺激を与えるからです。看護婦さんの説明によれば、入浴後にへそをオリーブオイルに浸した綿棒でこすれば、汚れを取り除くことができます。もっと簡単な方法は、入浴のときに石けんを含んだタオルを指に巻いてへそに突っ込み、クルリと回すというだけでも十分です。
胆嚢と胆汁の働き
胆嚢は西洋梨の形をした長さ8センチ、幅4センチ、容積2-30ミリリットル程の袋状の臓器です。胆汁は肝臓で生成されますが、その90パーセント以上は水分で、胆嚢に蓄えられている間に水分は吸収されて10倍くらいまで濃縮されます。食事を摂ると食べ物は胃から十二指腸に移動し、そこで消化管ホルモンが分泌されて、その刺激で胆嚢から濃縮胆汁が十二指腸に排出されます。十二指腸で膵臓から分泌された膵液と一緒になることで、胆汁が膵液の持つ消化酵素を活発にして、脂肪やタンパク質を分解して腸から吸収しやすくします。したがって、胆汁は脂肪の分解、吸収に不可欠なものです。余談ですが、昔から漢方薬として知られている「熊の胆(くまのい)」の材料は、クマの胆嚢を乾燥したもので、強い苦みがあります。また、魚の内臓を食べると苦いのも胆嚢の中の胆汁がその本体です。
胆嚢摘出の対象となる病気
胆汁は肝臓で生成された後、肝内胆管、胆嚢、胆管、総胆管の順序に移動し最終的に十二指腸へ流れ出ます。この流れを「胆道」といいます。この流れのどこかに結石が出来たときに、石のできる場所により、肝内結石(肝内胆管結石)、胆嚢結石、総胆管結石と分類されます。これらをまとめて「胆石症」といいます。この中で一番発症頻度が高いのは胆嚢結石です。胆嚢結石は、無症状で経過することも多いですが、胆嚢炎になると、右腹部の肋骨の下の激しい痛みや、発熱・吐き気などが出ます。また、胆嚢内の石が胆管を通過して総胆管に移動し、総胆管から十二指腸への出口にひっかかってそこを塞ぐと、胆管炎、膵炎を起こします。私が6月に入院したのはそれでした(メディカルトーク18話)。
胆嚢摘出の手術
昔は胆嚢を摘出するときは右の肋骨の下を10-15センチ切開してそこから胆嚢を取り出す開腹手術が一般的でした。しかし、最近では医療技術の進歩により、腹腔鏡を使っての手術が主流になりました。通常、へその下と右上腹部に3~4個の穴をあけます。そこからカメラや手術器械を腹部内に差し込み、テレビモニターに映ったお腹の中の画像を見ながら胆嚢を摘出します(多孔式腹腔鏡下手術)。さらに、熟練した医師では、複数の孔の代わりにへそを中心に3センチ程上下に切開してそこから胆嚢を取り出す技術が使われています(単孔式腹腔鏡下手術)。腹腔鏡手術は開腹手術より手術時間は多少かかりますが痛みが軽度で回復も早く、傷もほとんど目立ちません。合併症がなければ平均して術後4~7日で退院出来ます。私の主治医はこれまで約400例の胆嚢摘出の腹腔鏡手術を経験したベテランでしたので、今回は「単孔式腹腔鏡下手術」で行われました。
手術の説明と同意書
本シリーズ18話でも述べました様に、手術に際しては同意書への患者の署名が必要です。今回は3種類の同意書を提出しました。
(1)「腹腔鏡下胆嚢摘出の手術」に関する同意書
手術前日に手術の方法、効果、予想される危険性について主治医から詳細な説明がありました。手術の効果については十分に納得出来たのですが、危険性についてはあまり聞きたくない内容でした。しかし、たとえそれが何十万人に一人の頻度であっても医師はこれを患者に伝える義務がありますし、患者もリスクを含めて署名することになります。
(2)「全身麻酔」に関する同意書
今回の手術は全身麻酔で行われましたので、麻酔科専門医による説明がありました。昔は全身麻酔は外科医が担当していましたので、麻酔薬の量や操作の間違いで手術中に死亡する例がありました。しかし、現在は麻酔科専門医が行いますのでそのリスクは殆どありません。手術中は血圧計、心電図、血液中の酸素濃度測定器(肺の働きをチェック)などを身体につけて自動的に監視しながら行いますので安心です。
全身麻酔の順序は次の通りです。先ず酸素が流れているマスクを口元に当てます。次に点滴から麻酔薬が入ると数秒で眠ってしまいます。その後口から喉の奥の気管まで直径1センチ程の柔らかいチューブを入れます。全身麻酔中は意識がないので自分の意思で呼吸が出来ません。そこでこのチューブを介して安全に呼吸が出来る様にします。手術が終わったら麻酔薬の投与を止めて、目が覚める前に喉のチューブを抜きます。
一般に、全身麻酔が原因で手術中に死亡した割合は、世界中で飛んでいる旅客機が事故で墜落する数くらいの低い頻度といわれています。完備した手術室と麻酔専門医であれば心配なく手術を受けられます。私も最初は不安でしたが、結果的に全く問題がないことが分かりました。
(3)「輸血療法」に関する同意書
手術中に大量の出血があった場合には輸血が必要になります。昔は輸血に使用する血液が十分にチェックされなかったために、肝炎ウイルスを持った患者の血液を輸血して手術を受ける患者がウイルス性肝炎にかかったりする例がありました。しかし、現在は輸血に使用する血液は非常に厳しくチェックされていますのでその心配はありません。しかし、いくら頻度が少なくとも皆無の保証はありませんのでこれも同意書が必要です。「説明と同意」についてご関心がありましたら、本シリーズ18話をご覧下さい。
いざ出術室へ
いよいよ手術日です。病室から手術室まで車いすかと思っていたら、看護師さんから「歩いて行きましょう」とのことで瞬間戸惑いました。しかし考えてみるとその段階では健康体ですので納得でした。手術室の入り口で氏名と患者番号などを確認された後、手術用の狭いベッドの上に横になりました。やがて酸素マスクが付けられて麻酔薬が入って数秒のうちに意識がなくなり、目が覚めたら手術は終わっていました。麻酔医の話では、術後に吐き気、頭痛、喉の痛みがでるかもしれないとのことでしたが、幸いにそれもありませんでした。
手術は1時間20分で終わり、病室用のベッドに移されて意識が朦朧とした状態で病室へ運ばれました。付き添っていた家人の話では、その途中で主治医が「終わりましたよ」と声をかけたときに、それに反応して私が右手を出して主治医とハイタッチしたそうです。しかし本人は全く記憶がありません。手術前に「終わりました」の声がかかったら主治医と握手しようと考えていましたので、それが脳に刷り込まれていた之かもしれません。もしそうだとすると大変興味のあることです。脳に記憶された意識は全身麻酔下で突然現れることがあるからです。
さて、手術室から病室に戻ったときの私の身体には、手術時に取り付けられた自動式血圧計、心電図などの器械がそのまま付けられていました。血圧と心電図は手術日の翌朝まで24時間モニターされました。また、予想外だったのは、ひざ下の医療用弾性ストッキングを両足に履かされたことです。これは全身麻酔を受けた患者に付けるもので、ふくらはぎの血流をよくして血栓の生成を予防する目的だそうです。看護師さんの話では、最近は全身麻酔の患者でなくとも、一般に足のむくみをとるために多くの女性が使っているとのことでした。
夕方、主治医が手術で取り出した石を持ってきてくれました。真っ黒い石で直径8ミリ程度が4個、4ミリくらいが6個の10個が瓶の中に納まっていました。6月に入院したときのCT画像では4個の石が胆嚢に残っているとのことでしたが、今回手術で取り出したのは10個でした。たった2ヶ月で6個も増えることは考えられないので主治医に聞きましたら、石の成分や胆嚢内の場所によってCTの画面に映らないものがあるそうです。
術後経過
手術の翌日、身体に付けていた血圧計、心電図、ストッキング、点滴などがすべて外されて身体が解放されました。回診の医師から出来るだけ歩いて身体を動かす様に指示がありましたので、病室のある階の廊下を前屈みになって何周もしました。シャワーの許可も出たので傷口を確認すると、へそを中心に3センチほどの切開の後がありました。
胆嚢は肝臓や腎臓などと違って、盲腸と同様に摘出しても生命維持に必須の臓命ではありません。しかし、胆汁を一時的に貯蔵、濃縮する場所がなくなるので、肝臓で生成された胆汁は十二指腸へ直接流し出しますので腸内環境が一時的に変わります。そのために下痢や便秘が続く人がいます。また、胆嚢が無くなって痩せた人もいれば太った人もいます。私は今のところ幸いにこのような症状が出ていません。術後6ヶ月くらい経つと腸内も平常な状態に戻るそうです。
まとめ
主治医の話では、最近胆嚢摘出の患者が増えているそうです。今回の経験から、10個の石を抱えつつ不安な日々を過ごすことを考えると、今回の手術は正しい選択でした。手術については、「心配しなくても寝てれば終わる」です。全身麻酔も安全です。腹腔鏡手術は身体への負担が少ないために、退院後も2-3日で日常の生活に戻ることが出来ます。私の場合、術後4日目で退院し、8日目には東京での会議に出席しました。これは決して特別なことではありません。もし胆石をお持ちで不安な日々をお過ごしの人々には是非ベテランの外科医による腹腔鏡手術をお勧めします。それがこれからの生活の質QOLの向上につながるからです。
(2015年8月23日記)
停年退職してそれまでの仕事から離れると何もすることがなくなります。在職中は「退職したら毎日が悠々自適の生活だよ」と言っていた友人も、1年も経つと毎日が退屈な生活になりました。それまでは仕事が生活を支えて毎日が仕事中心であったものが、その仕事がなくなるとそれまでの生活がなくなったと同然で、生甲斐もなく毎日を無為に送ることになります。さらに、弱り目に祟り目で、毎日の生活スタイルが変わると、体調にも影響し病魔に襲われることが増えてきます。
現実に60歳で「引退」は早過ぎると考えている人が多いです。平均寿命が延びるということは、「老後」についての考え方が変わったということです。ある調査によると、65歳から74歳の人々の3分の1は、実年齢よりも10~20歳ほど自分たちを若く思い、75歳以上の人たちの6分の1は、実際より20歳若い状態にあると考えています。なにしろ、75歳以上でも、老いを感じている人は全体の3分の1でしかないのです。多くの人々は自分たちのことを話す際に、「老い」という言葉を使うのはまだまだ早いと思っています。しかし、生きている限り「老い」は間違いなく迫ってきます。
余命を測る尺度として「テロメア」という物質があります。これからの説明は少し専門的になりますがご辛抱下さい。ヒトの正常細胞を実験室で培養すると、一つの細胞が二つに分裂して2個の細胞になり、さらにその2個が4個、4個が8個と倍数に増えます。これを「細胞分裂」といいます。その細胞分裂を50~70回繰り返すと、細胞はもはや分裂できなくなります。その原因は、分裂を繰り返している間に細胞のテロメアが短くなり、一定の長さ以下になると細胞分裂を停止してしまうからです。このためテロメアは「分裂時計」ともいわれています。細胞分裂の繰り返しとその停止は人間が生まれて死ぬまでの過程を表します。すなわち、テロメアの長さは余命を知る尺度です。丁度、ろうそくに灯を点して、それが時間とともに短くなる様なものです。
しかし、時間が経っても短くならない細胞が2種類あります。その一つは胎児の細胞でもう一つはがん細胞です。妊娠中に母体のお腹の中にいる胎児は、テロメアが短くなっても自分で生産する機能を持っているので、胎児のテロメアは生まれるまで常に一定の長さをもっています。それによって細胞が増えて胎児が母体内で成長するのです。しかし、出生して母体の外に出た途端に、生産する機能が低下するために細胞が増える回数が少なくなります。
人の細胞を使った実験から、人間は理論的には120歳まで生きることは出来ます。しかし、現実にはそこまで生きられる人は極めて限られています。資料によると、これまでに世界で一番長生きした人は、1997年に122歳で亡くなったフランス人女性のジャンヌ・カルマンさんです。また、2015年7月7日現在で、世界の最高齢者は米ニューヨークに住むスザンナ・マシャット・ジョーンズさんです。彼女は2015年7月6日に116歳になりギネス・ワールド・レコーズで認定されました。
次に、がん細胞は胎児と同様に短くなったテロメアを自分で元の長さに修復する能力を持っています。そのためにどんどん増えて、最初に出来た臓器から他の臓器まで広がります。これががんの「転移」です。がん細胞をそのままに放置したら止めどなく増えてがん患者の身体を蝕むので、患者を生存させるためには、抗がん剤や放射線を使ってがん細胞を強制的に死滅させる必要があるのです。しかし、少しのがん細胞でも残ったら、時間の経過とともにリバウンド的に驚くべき勢いで増殖します。それが癌の「再発」です。
がん細胞は元々健康な細胞が何らかの原因で変化したものなので、これまでの多くの抗がん剤はがん細胞だけではなく正常細胞も一部死滅します。これが抗がん剤の副作用です。増殖が盛んな部位の正常細胞はより抗がん剤の副作用が強く出ます。副作用として脱毛や口内炎,下痢,おう吐がよく知られていますが,毛根の細胞や口腔粘膜,消化管(胃腸)粘膜は特に正常細胞の中でも細胞の増殖がさかんな部位だからです。
近年、がんに関する研究が進み、がん細胞が増殖や転移をするのは、がん細胞の中の異常な遺伝子によりできた物質が悪さをしていることがわかりました。つまり、悪さをする遺伝子の働きを抑えることができれば、がん細胞の増殖や転移が抑えられるはずです。そこで、正常細胞には作用しないで、より安全により有効にがん細胞だけに作用することが出来る薬が開発されました。この種の薬は1990年代から開発されている「分子標的薬」で、現在10種類以上が全国の医療機関で使われています。
これらの薬はがん細胞の増殖や転移に関係する特定の遺伝子を狙い撃ちにするので、正常細胞へのダメージが少ないのが特徴です。副作用がまったくないわけではありませんが、従来の抗がん剤に比べると、患者へのダメージがはるかに少なくなっています。最近、肺がんの治療に劇的な転換が起きています。それは患者のがん細胞の性質を調べることにより、それに効果的な分子標的薬を選ぶことが出来る様になったからです。例えば、日本人の場合はゲフィチニブ(商品名イレッサR)とエルロチニブ(タルセバ錠R)の2種類があり、70~80パーセントの高い治療率を示すといわれています。
また、2001年に厚生労働省で承認された「イマチニブ」は、血液のがんである白血病(慢性骨髄性白血病)の治療薬として大きな効果を発揮し、分子標的薬の評価を飛躍的に高めました。その後、この薬はある種の胃がんにも有効であることが分かりました。イマチニブを毎日服用した場合、5年後の生存率は約95パーセントといわれています。
しかし、このような画期的な分子標的薬にも次の様な問題点があります。
現在世界中の大手の製薬企業では新しい「分子標的薬」を開発中ですが、これには莫大な費用がかかります。一般に新薬を開発するのには2000億円かかるといわれています。従って、この様な薬が国で承認されても、薬価が高くなり患者の負担も大変です。例えば、上記のタルセバ錠は、1日の薬剤費が10,347円、1ヵ月だと約32万円、1年間で約380万円もかかります。
幸いなことに、このような高額の薬を使っている患者には国の高額療養費制度が適用されます。これは患者の所得に応じて医療費を補助する制度です。それは、公的医療保険における制度の一つで、医療機関や薬局の窓口で支払った額が、暦月(月の初めから終わりまで)で一定額を超えた場合に、その超えた金額を支給する制度です。私の友人の中で10年前に肺がんを手術し、その後分子標的薬を使用している人がいます。毎月何十万円の薬代は大変な負担ですが、幸いに高額療養費の補助を受けています。
今回は余命と最近の新しいタイプの抗がん剤について述べました。「天寿を全うする」ことは誰でも望むところです。天寿とは平均寿命(男80.0歳、女87.0歳、2014年統計)を超えて、老衰などで安らかに亡くなることを言うようです。個人の寿命はテロメアの長さを測ることである程度予測が可能ですが、皆さんは自分の余命があと何年か知りたいですか。もしそれを知ったら、毎日が余命の最終日から逆算するカウントダウンの生活になります。私の様な小心者にとって、自分の余命があと1年と聞かされたらその間どのように過ごしたらよいか見当がつきません。毎日うろたえる生活を送ることになります。これは決して精神的によくありません。高齢になったら、先のことは「知らぬが仏」、「なるようになる」の方がはるかに健康的な生活を送ることが出来るのです。 (2015年9月13日記)
80歳になるとやがてくるお迎えのことが話題になります。私の大学の同級生は半数近くが既に他界しました。高齢になった仲間の関心事は「死ぬときはどんなものですかね」ということです。たとえ、どんなに老いに抗い、健康を維持しようと努めても、死は避けられない宿命です。
では、死ぬ瞬間とは一体、どんなものなのでしょうか。暗闇に入るものなのか、痛いのか、何も感じないのか。どちらにしろ死の瞬間を正確に伝えてくれる人はもちろんいません。 皆さんの中には親戚、知人などのご臨終に立ち会われた方が少なくないと思います。医師の「ご臨終です」の一言で病室の中は悲しみに包まれます。これは残された方々の悲しみです。それでは患者本人は臨終のときに何を考えているでしょうか。2015年9月20日のNHKスペシャルで「老衰死」の特集がありました。高齢者施設に住んでいる92歳の女性の終末期を追った内容です。本人は延命治療を断り、亡くなる1週間前から全く食欲がなくなり、意識が薄らいで眠ることが多くなりました。そして亡くなる当日は呼吸が激しくなり肩で息をして間もなく亡くなりました。
人は臨終が近づくと一回の呼吸が短くなるので、血中の酸素量が少なくなり、同時に炭酸ガス量が増加します。臨終に伴う患者の呼吸数の増加は見た目には苦しそうに見えますが、実際は意識が朦朧としてくるため苦しみは感じなくなります。その理由は、炭酸ガスは意識を麻痺する作用があるので、それが増えると意識がなくなるからです。500例以上の臨終に立ち会った老人施設の医師の話では、高齢者の場合、末期になると呼吸が速くなり患者は苦しそうに見えますが、患者自身は亡くなる一週間前から意識がなくなるので痛みや苦しみを感じないそうです。特に亡くなる2-3日前には心臓の働きが弱るので、血圧が80くらいまで低下し(正常では120前後)、その結果、脳への血液の供給が不足して酸欠状態となり意識が混濁します。
昔読んだキューブラー=ロスの著書「死ぬ瞬間」を思い出しました。彼女は精神科医で、この本は1969年に発表されて世界的に大きな反響を呼びました。日本では川口正吉の訳「死ぬ瞬間ー死にゆく人々との対話」(1971)と、鈴木晶による完全新訳改訂版「死ぬ瞬間ー死とその過程について」(1998)が刊行されています。日本語訳の中には次の様なことが書かれています。
「死ぬ瞬間とは自分自身を周囲の世界とのかかわりから引き離すという意味です。患者が死ぬときには頻繁に短い間隔で新生児のようにウトウトとまどろむ必要があるといわれています。この時期は、短くて数時間、通常数日、長ければ数週間続くことがあるという。その後、臨終が来ます。」
キューブラー=ロスはシカゴ大学医学部で精神科医として勤務していましたが、2004年に亡くなりました。彼女は、存命中にシカゴ大学のビリングス病院で末期患者約200人との面談内容を録音し、死にゆく人々の心理を分析しました。その結果、死を受け入れるまでには以下の5つの過程があることを発見しました。ただし、すべての患者が同様の経過をたどるわけではないとしています。
第1段階 「否認」
患者は大きな衝撃を受け、自分が死ぬということはないはずだと否認する段階。「仮にそうだとしても、特効薬が発明されて自分は助かるのではないか」といった部分的否認の形をとる場合もある。
第2段階 「怒り」
なぜ自分がこんな目に遭うのか、死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。
第3段階 「取引」
延命への取引である。「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」あるいは「もう数ヶ月生かしてくれればどんなことでもする」などと死なずにすむように取引を試みる。神(絶対的なもの)にすがろうとする状態。
第4段階 「抑うつ」
取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、ひどい抑うつに襲われなにもできなくなる段階。すべてに絶望を感じ、間歇的に「部分的悲嘆」の過程へと移行する。
第5段階 「受容」
部分的悲嘆の過程と並行し、死を受容する最終段階へ入っていく。最終的に自分が死に行くことを受け入れるが、同時に一縷の希望も捨てきれない場合もある。受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。
アメリカの心理学者であるケネス・リング氏は臨死体験のある102人の男女にインタビューをしています。それによれば、彼らは「光に向かう」「死を自覚している」「暗闇やトンネルに入る」「自身が身体から離脱する感覚がある」「(死んだ知人などの)人物、影を見る」「痛みの消失」など幾つかの核となる共通の体験をしているという。
例えば、前述した「光」について、呼吸困難から生還したアメリカ人女性はこう語っています。「私は原っぱにいました。広い何にもない原っぱです。丈の高い、金色の草が生えていて、それがとっても柔らかくて、輝いていました。気持ちの休まる光でした。草は揺れていました」
国内での医師の経験談もあります。ホームオン・クリニックつくば院長で『看取りの医者』の著者である平野国美氏はこう語っています。「死の淵から生還されたあと、〝三途の川を渡りかけた〟〝キラキラ光る世界が見えた〟とおっしゃる患者さんは何人もいます。ここで死ぬんだと思っていると、突然、ほっぺたを叩かれたような感じで、こちらの世界に引き戻されるらしい」。中々信じ難いことですが、平野医師によると、臨死体験をしたと語る人の体験談を聞くと、その内容には多くの共通する部分があるそうです。
なぜ人間は死の間際に同じような風景を見るのか。平野医師はこの現象についてこう分析しています。「人はある種のショックを受けた時、痛みを感じなくさせるために脳内麻薬を分泌します。昏睡状態に入る際も作用し、それが出た状態で見える世界が日本では「三途の川」と言われる世界だと。これには正解は見当たりません。何がどこまで正しいのかを判断することが出来ないのが死ぬ瞬間です。
また、医師から死亡宣告された状態から生き延びた人もいます。バイクで走行中、信号無視の車に突っ込まれて転倒し、対抗車にも轢かれた40代男性のAさんは脳挫傷と大腿部の複雑骨折を負いました。「最初に搬送された病院では手に負えず次の病院に向かう際、ふと意識が戻り、医者が家族に『もうあきらめてください』と言っている声が聞こえ、怯えました。手術室の中では、その照明が見えなくなったらオレは死ぬと言い聞かせて目を見開き、術中は『麻酔をしてくれ』と叫び続けたつもりなのですが、実際には声は出ておらず目も閉じていたそうです。再び意識が戻ったのは事故から3日後、集中治療室でのことでした」生と死の行き交う医療現場で働く医師たちは、しばしばこういった患者たちの「臨死体験」に遭遇するそうです。
最近は、人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括する「終活」が話題になっています。また、高齢者にとっては残された者に迷惑がかからぬよう生前整理も必要になります。
本稿を書き終えて、誰もが「生きる力と同様に人生を閉じる力」が必要であることを痛感しました。皆さんはどのようにお考えでしょうか。 (2015年9月25日記)
私には命に関わる忘れられない経験があります。
40歳代の頃、久しぶりに両親と会って家族一同で夕飯を食べているときに、何かの話題が出て突然大声で笑った途端に、口の中の食べ物が喉に詰まり呼吸が出来なくなりました。息を吸うことが出来ても吐くことが出来ない状態です。恐らく顔色が次第に紫色に変わったのに父が気づき、急いで背中の肩甲骨の間をげんこつで4-5回強く叩きました。驚くことに、詰まったものが吐き出て呼吸が出来る状態に戻りました。
父は薬剤師として戦争中に戦地の野戦病院に勤務し、救急処置の常識を持っていたのが幸いしました。恐らく父の救急処置がなければ、心肺停止状態になりそのままこの世から消えていたかもしれません。それ以来、口の中に食べ物が入っているときには、決して大口で笑わない様にしています。生理的に考えると、大口で笑うと急激に息を吸い込みますので、うっかりすると口の中の食べ物が気管を塞ぐことになります。
食べ物を飲み込むときの仕組み
喉の奥には空気の通り道である気管と、水分や食べ物が通る食道が並んであります。食物塊が喉に入ると、のど仏が動いて喉にあるふた状のものが下向きになり、気管の入り口を閉じます。それと同時に食道が開き、そこに食物塊が送り込まれます。この一連の動きを「嚥下(えんげ)反射」といい、通常1秒以内に終わります。健康な人の場合は、本人が意識しなくとも「嚥下反射」は自動的に行われます。食べ物が無事に食道に入ると、腸の運動と同じ様に食道の筋肉が動き出して食塊を胃へ運びます。高齢になって「嚥下反射」の能力が衰えると、気管に蓋をするのに時間がかかり、その間に食べ物が気管に入ってしまいます。これが「誤嚥(ごえん)」です。誤嚥と同時に食物や唾液に含まれた細菌が気管から肺に入ります。健康な人の肺の中は無菌状態ですので、肺の中に入った細菌により炎症を起こします。これが「誤嚥性肺炎」です。
どうして高齢者に誤嚥が多いのでしょうか
普通に食事をしても突然喉に詰まることがあります。高齢者に多いですが、中でも脳梗塞や脳出血などを患った人、認知症、パーキンソン病など神経の病気の人では高い率で起こります。これが「嚥下障害」です。
高齢者で飲み込むのが難しくなるのはどうしてでしょうか。それには二つの原因が考えられます。第一は、加齢に伴い、食べること、飲み込むことに必要な筋力が衰えることによって、舌で口から喉へ食べ物を送り込むのに時間がかかるなどの不具合が生じやすくなります。本人は若い頃と同じ様に飲み込んだつもりでも、口の中の筋肉や食道は鈍感になっているので中々飲み込むことが出来ません。そのために口の中でもたもたしている間に、食べ物は呼吸とともに気道に引きずり込まれます。食べ物を飲み込む時には筋肉によりのど仏を持ち上げますが、高齢になると飲み込む時に気道を閉じるのに必要な分だけのど仏が持ち上げきれず、食べ物が気管に入りやすくなります。
高齢者は全身機能の衰えに伴なって嚥下機能も低下し、むせやすくなります。第二の原因は、高齢になると、歯の残存数や噛み合わせ、入れ歯の具合が悪くなり、噛むことを怠ると筋肉や感覚の衰えや唾液の分泌減少が急速に進みます。これも飲み込みを困難にする原因になります。従って、高齢者は食べ物を飲み込むときには、出来るだけ食べ物を小さい食物塊にして、多めの飲物と一緒に飲み込むと誤嚥を避けることが出来ます。
高齢者が詰まらせ易い食べ物
・もち、ご飯、パンなど粘りのある食べ物
・イカやタコ、きのこ類など加熱してもやわらかくなりにくいもの
・海苔やレタスなど厚みのないもの
・パン、ふかし芋などパサパサして水分を含まないもの
・青菜類などの繊維の強いもの
(参考:内閣府食品安全委員会/食べ物による窒息事故を防ぐために)
食べ物は気道だけでなく食道にも詰まります
気道の他に食道の途中に食べ物が詰まってむせることがあります。あわてて食べ物を口の中に入れた時、または、口の中の水分が少ないまま食べ物を口の中に入れた時には、食べ物が胃まで落ちないで食道の途中に詰まった場合です。食道は25-30センチの長さで最終地点は胃につながっています。胃までの途中で狭くなっているところが3カ所あります。食べ物はその狭くなっているところに詰まることが多い。ちなみに、食道がんは細くなっている3カ所と、食道が胃とつながっている部分(噴門付近)に出来易いことが知られています。
食道に食べ物が詰まったとき、本人は呼吸が出来なくなる程苦しくなることがあります。こんなときには、水を少しずつ飲んで、引っかかっている食物塊が胃へ落ちるかどうかを試してみます。それでも引っかかっている食物塊が落ちないときには、無理をせずに直ぐに医療機関に行くことをお薦めします。
食べ物が気道に詰まったときにどうするか
激しく咳き込んだりするような場合には、食塊が気道に入ってしまっている可能性があります。その状態が長く続くともがきながら顔が次第に紫色になり、やがて意識がなくなります。冒頭に書いた私の経験は正にこの状態で、意識がなくなる直前でした。気道は詰まった状態で4-5分続くと心肺停止になることがあります。簡単な応急処置としては「背部叩打法」です。これは私が喉を詰まらせたときに父がとってくれた処置です。座らせた状態か立たせた状態で、げんこつで背中の二つの肩甲骨の間を力強く何度も連続して叩きます。それにより喉に詰まった食べ物が吐き出されます。応急処置をしても駄目だったら直ぐに救急車を呼ぶ必要があります。
唾液の効用
喉に詰まるのは食べ物だけではありません。唾液、つばでむせることがあります。夜中に寝ているときに無意識によだれが気管に流れて気管が詰まり、それが肺に入ると「誤嚥性肺炎」になります。ところで、「唾液、よだれ、唾(つば)の違いをご存知でしょうか。答えは、これらは同じものです。唾液腺から分泌される無色・無味・無臭の液体を医学用語では唾液といい、一般にはよだれといいます。よだれは口から無意識に流れ出る唾液でその成分の大部分は水分です。同じものでも、唾は本人が意識して口外へ吐き出したものです。
唾液は唾液腺から分泌されます。人の唾液腺には3対の大唾液腺があります。この中で最も大きいのは耳下腺で、下顎のえらが張った個所の真後ろ、耳の前下方にあります。残り2つは舌下腺と顎下腺で、これらは口の床側の奥にあります。これらの大唾液腺のほかに、多数の小唾液腺が口中に分布しています。
唾液は、正常では1日に1-1.5リットル程度口の中に分泌されて、生きていく上で必要不可欠なものです。口の中には、硬い歯とやわらかい粘膜が同居していますが、しゃべったり、食べたりしても傷つかないのは、唾液が潤滑油として口の中を潤しているからです。また、唾液の中には、食物の成分としての澱粉(でんぷん)をブドウ糖に分解して体内に吸収し易くするアミラーゼという酵素が含まれています。さらに、食べ物は唾液との混和で適当な食物塊ができるため、飲み込みやすくなります。このように唾液は単なるよだれではなく、健康にとって重要な働きを持っています。
まとめ
本人は気がつかなくとも、高齢になるとどうしても身体の機能が低下してしまいます。喉の異変や飲み込みが悪くなるのもその一つです。高齢者の場合、高熱・咳・痰などのひどい症状がでてもそれほど深刻にならないで気軽に扱うことが多いです。しかし、肺炎は治療をしないと間違いなく重症化して最後には呼吸困難の状態になります。
厚生労働省が発表した2013年の人口動態統計では、死亡率の一位はがん、2位は脳梗塞、脳出血などの脳血管疾患、肺炎は死亡原因の3位で、95パーセント以上が高齢者となっています。また誤嚥性によるものは、70歳以上で70パーセントにもなります。誤嚥性肺炎は、罹っていても気付かずに発見が遅れることがあるので注意が必要です。高齢者にとって、誤嚥性肺炎はおそろしい病気です。まずは誤嚥を起こさないようにしっかりと予防し、少しでもいつもと違う様子がみられたら早めに受診することが肝要です。早期受診が、あなたの大切な命を救うことに繋がるのです。 (2015年10月14日記)
今回は「心の老化」を考えます。老化には生理的老化(正常老化)と病的老化(異常老化)があります。別の見方をすると「身体的老化」と「精神的老化」という事も出来ます。
「身体的老化」は視覚的に判るものです。例えば、自動車運転時に必要な条件反射が低下することです。最近、高齢者がブレーキとアクセルを踏み間違って事故になるケースが多発しています。これは高齢者社会になった証拠です。身体の臓器の老化には個人差が大きいです。特に脳梗塞や脳出血など脳血管の老化は脳細胞の老化につながり、それは精神機能の老化を引き起します。
これを防ぐには食生活や運動など日常生活を改善する事が大事です。一方、「精神的老化」は本人が自覚しない事が多い。これには記憶の低下が一つの目印です。記憶が失われて行く順序は、新しいものが先で、段々に古い出来事を忘れます。子供の頃の出来事はいつまでも鮮明に憶えています。
また、「精神的老化」により性格が変わることがあり、これにはいくつかのタイプがあります。第一は、生まれつきの性格が年をとるにしたがってますます増強される人、第二は、加齢とともに逆にそれまでの性格と反対の方に変化する人、例えば、内気だった人が攻撃的になる、呑気な人が短気になるなどです。
第三のタイプは気むずかしかった人が穏やかになることです。高齢になると「丸くなった」といわれるのはこのタイプです。これらと反対に、加齢とともに考えや行動が自己中心的、猜疑心(さいぎしん)が強くなる、頑固になる、などの傾向がみられる人がいます。歳をとってからの人間関係は、ありのままの自分を受け止めてくれる人とのつながりが最も強くなります。無理に性格を変えて「いい人」になる事はありません。
加齢とともに誰でも経験するのは「もの忘れ」です。いわゆる「もの忘れ」は必ずしも認知症の前兆ではありません。単なる「ど忘れ」は、思い出すのに時間がかかるだけですので心配いりません。あるとき思い出せなかった事を、別のときにきちんと思い出せる程度のど忘れは高齢者だったら誰でも経験することです。
毎日の生活の中でつい先程聞いた事を忘れ、家人に同じ事を何度も聞く。仕事、身辺の出来事、約束などを忘れる記憶障害は、いわば生きていくための基本的な精神活動が損なわれることです。この段階になると、単なるど忘れではなく「認知症」の前兆ともなります。朝食で何を食べたかを忘れるのは問題ありません。食べたかどうかを忘れたら深刻です。
肝臓など多くの臓器の細胞は一定の周期で古い細胞が壊れて新しい細胞と入れ替わります。しかし、脳は例外です。脳の細胞は健康な人でも一日10万個ずつ壊れますが、新しい細胞は出来ません。そして80歳までに、脳全体の細胞の約37パーセントが失われるといわれています。これが、物忘れや認知症の原因となるわけです。
特に、老化や脳梗塞、脳出血など脳に障害を受けると細胞の壊れる率が多くなります。脳は50歳を過ぎるころからその重量と大きさは減少します。これを脳の「萎縮」といい老化の目安となります。脳萎縮に伴って、計算力、記憶力、推理力などが低下し、治療のために入院したり、生活環境の変化がきっかけになって、知的機能が著しく低下することがあります。
高齢者の中にはうつ状態で気分が沈み、不安感にさいなまれる人が少なくありません。この様なうつ状態の多くは、健康や経済面への不安、家庭内や社会での人間関係の疎遠、生活目標を失ったりすることによるものです。
退職により、これまでの生活環境が大きく変化し、加えて、配偶者や友人の死、容姿の衰えなどからくる喪失感などがその原因になります。高齢者の精神疾患のなかで、うつ病はもっとも多くみられるものの一つで、脳卒中や糖尿病などの病気や、骨折などの怪我がきっかけとなって、うつ病になることもあります。
うつ状態を解消するにはその原因を除けばよいはずですが、簡単ではありません。その理由は、加齢とともに気分転換や気持ちの切り替えができにくくなるからです。歳(年)をとったら出来るだけ孤立しない様に、どんなかたちでもよいから出来るだけ社会とつながっている方がよいです。リタイア年齢になった人々は、それまでの人生経験は豊富にある筈ですので、それを誰かに伝えるだけでも社会との接点がつくれます。
老化は誰にでも訪れる生命現象ですので、それから逃れることはできません。しかし、老化のスピードは個人によりかなり差があります。老化が早い人でも、趣味や適度な仕事で脳を使う事により、老化の速度を遅らせることが出来ます。また、食生活の改善と運動も老化予防の第一歩です。高齢者にとって最も適した運動は歩行運動です。歩く速さは、うっすらと汗ばむくらいの速さが必要です。ブラブラ歩きでは効果がありません。歩く事は手足の運動になるだけではなく脳の活性化にもつながります。その理由は、歩くことによって、ふくらはぎに溜まっている血液が心臓を介して必要量だけ脳へも供給されるからです。
80歳を過ぎて思うことは、自分のペースで毎日を過ごすことです。若いときの様に無理をすると必ず身体や心にひずみが生まれます。そうかといって、外出もせず、社会や友人との接点を持たないで生活すると、脳の反応が段々鈍くなり、二度と回復しません。これが認知症の始まりです。それを防ぐためには、何かに興味を持つことにより生きる活力が生まれます。
「もういいや」というのが一番いけないです。そうならないためには、どんなときにでも好奇心を失わないことです。人間にとって好奇心くらい大切なものはありません。何も知りたくなくなったら、そのときはおしまいです。新聞を読むのがおっくうになったり、外界や新しいことへの関心が薄れてきたら注意信号です。
高齢になってから現役時代の友人と酒を飲み交わすのは楽しみの一つです。高齢者同士での集まりも大事ですが、「健康寿命」を若く保つためには若い人々と話し合う事が効果的です。歳(年)をとると若いときに比べて雑多な知識や経験の蓄積があるので、どんな話でもそうそう驚く事もなくなります。
そんなとき、若い人々との付き合いがあると、楽しく生きてきた昔の自分を思いだす事が出来ます。是非試みて下さい。ただし、リタイアしたら、現役時代のように、社会的地位や肩書きが通用すると思ったら大いなる錯覚です。身分をわきまえないでやたら出しゃばったり、上から目線の発言を繰り返すと二度と声がかかりません。お互いに気を付けましょう。 (2015年11月記)
世の中には無駄と思われることが多いといわれます。しかし、無駄であってもそれが自分にとって必要とされることであれば役に立ったと考えるべきでしょう。
現役で働いているときは毎日の仕事に追われて余裕のない生活でも、退職して誰にも気兼ねなしで、何にも拘束されない生活になったら、心にも余裕が持てる様になります。しかし、こんな日が一年も続くと、やがてどのようにして一日を過ごすかに苦慮します。無駄な様に思える毎日でも、自由な時間をうまく活用することにより、加齢に逆らって体力、脳力を保つことができます。
商売を成功させるためには、無駄を省くことが必須条件と言われますが、実は必要な無駄というのもあります。時には無駄と思われる顧客との付き合いも、それが大きな商売につながることがあります。また、酒癖の悪い上司に誘われて居酒屋でわけもなく説教されることがあっても、それが「時間の無駄」、「くだらない話」と考えるのではなく、「いつかは役に立つことがある」と前向きに考えて、上手に「日常の無駄」と付き合うのも世渡りのコツかも知れません。
無駄と思われることは立場で大きく変わります。中でも医師と患者の関係は複雑です。医師にとって無駄と思われることでも、患者にとっては医師の一言がかけがえのない心の支えになることがあります。最近は多くの病院で「電子カルテ(病歴)」が普及しています。そのカルテの中には自分の患者に関するすべての情報が収納されています。診察のときに医師は患者と会話するのではなく机の上のテレビ画面とにらめっこです。そんな医者の態度に腹を立てた患者が、「こっちを向け」と後から殴り掛かった、という話がある程です。
「電子カルテ」に集中する医師とは違って、ベテランの医師だったら、「大分よくなってきたのであと一歩ですよ」とか、「今日は顔色がいいですね」とか、患者に話しかけます。これで患者は安心した気持ちになります。この様に患者に話しかけて安心させる治療を医学用語では「ムンテラ」といいます。ムンテラはドイツ語の「ムント(口)テラピー(治療)」の略語で、日本語では「言葉で治療する」ことを意味します。すぐに大きな効果が期待出来なくとも、医師が患者と密接にコミュニケーションをとることは、患者にとって副作用を心配しながら飲む薬よりもはるかに病状の改善に役立ちます。
私たちがよく口にする「病は気から」という言葉があります。一般的には、気分が落ち込んだり、塞いだりすると、体調も崩れ病気になります。逆に必ず治るという希望や助かりたいという強い気持ちになったら、病気はよい方向に向かいます。この「感情を感じる」という行為を行うことは、身体のすべての働きをコントロールしている自律神経を通して症状を回復させるのに、とても重要になります。
どんな患者でも担当医から自分の病気やこれからの見通しについて少しでも多くの情報を知りたいです。しかし、研修医や若手医師は患者の質問に対して多くは語りません。こんな医師の態度に患者は「あの先生は当てにならない、何も知らせてくれない」という不満をもらすことがあります。これは主治医が悪いのではありません。先輩の医師から「患者には余計なことはいうな」と教育されているからです。何故か。必要以上の情報を伝えられた患者が、勝手に「必要以上に安心する」、「必要以上に心配する」ことを避けるためです。病院の中は今でも厳格な「上意下達」の世界ですので、若手医師が個人的な感情で病状についてベラベラ話しをすることを避けているのが実態です。
病棟の若手医師は夜遅くまで担当の患者の手当にあたっています。若手医師や研修医の場合、臨床経験が少ないので患者にとっては「大丈夫かな」といささか不安になります。しかしそんな心配は無用です。多くの病院では、各患者の治療方針について自分が属している内科、外科などの診療科毎に頻繁に症例検討会(カンファレンスという)を開いています。そこでは、若手医師や研修医が担当の患者について詳細な説明をして、それについて教授や先輩医師から今後の治療方針についていろいろなアドバイスを受けます。したがって、若手の主治医であっても個人の意思だけで勝手に治療方針を決めているわけではありません。上司の医師の意見も十分に反映された治療が行われているので安心です。
病院での話題をもう一つ。昔、テレビで話題になった「白い巨頭」のドラマをご存知の方でしたらご記憶があると思います。大学病院では教授回診、一般大病院では院長、部長の回診がありますが、これは殆ど儀式的なことが多いのです。日常の病状は担当医がすべて把握しており、それはカンファレンスで上司の医師や教授に伝えられています。従って教授回診は医学的には無駄なことになりますが、患者にとっては、「偉い先生」の回診は大いに感激するところです。中でも、回診のときに教授、院長から手を握ってもらったり、聴診器で胸の音を聞いて貰うなどしたら、それだけで回復に向かった様な気がします。これも「ムンテラ」の一つです。
昔こんな話を読んだ記憶があります。100匹の働きアリがいると、必ずその中の20匹は皆が働いているときに働かずにいる。それで怠け者の20匹をどけると残りが80匹になります。すると、不思議なことにそのうちの2割はまた働かなくなってしまいます。これは何匹にしても同じことで、必ずその集団の2割は働かない。アリにはこの様な面白い習性があります。無駄な20匹がいなければ残りの80匹は働かない。無駄なことは場合によっては役にたつこともあります。
そろそろ来年のカレンダーが話題になる季節になりました。わが家でもいろいろな人からいただくカレンダーを部屋のそこら中にかけています。同じ部屋に二つのカレンダーをかけるのはいかにも無駄であると考える向きもあろうかと思いますが、それぞれのカレンダーをめくるときには「季節の移ろいの喜び」を感じ、贈ってくれた人を思い出すことが出来ます。
今年は三度も病院の世話になりました。3月には胃の中のピロリ菌の除去の薬を一週間飲んだ後、一ヶ月後に幸いにピロリ菌は除去されました。6月には総胆管結石で16日間入院し、石を砕いて無事に胆汁、膵液が通過する様になりました。退院の前日CTで胆嚢を検査したら、4個の結石がまだ残っているとのことで、胆嚢を摘除するために8月に4日間入院しました。5キロ落ちた体重も11月にはようやく元の状態に戻りました。来年はどんな試練が待っているでしょうか。
私は来年一月で85歳になります。高齢になると一年先のことが予測出来ません。「来年の事を言えば鬼が笑う」と言いますが、私の場合は、「明日の事を言えば鬼が笑う」です。しかし、欲張りな私は、来年の12月まで仕事や友人との予定を入れています。
皆様の2015年はどうだったでしょうか。今年は私の拙文を読んで頂きまして有り難うございました。来年もよろしくお願い致します。 よいお年をお迎え下さい。 (2015年12月15日記)
年末年始の暴飲、暴食の時期がようやく終わりました。皆さんは胃腸の具合は大丈夫でしょうか。食べ過ぎなくとも高齢になると誰でも胃の具合がすっきりしない日が多いです。私は3年前から人間ドックで、「萎縮性慢性胃炎」と診断されました。医者によると「特に治療することはないので経過観察しましょう」との事です。こんな状態が3年も続いています。多くの高齢者は「萎縮性慢性胃炎」の症状を持っていますが日常の生活では気がつきません。しかし、さらに胃を酷使するとついには胃がんにまですすむことがあります。それを防ぐには毎年一回の人間ドックでの検診が必要です。
今回は胃腸の病気とその治療薬について述べます。食物は口から食道を通って胃の入口(噴門部)から胃の中に入ります。そこで一時的に溜められている間に、胃酸(主成分は塩酸)と消化酵素を含む胃液とともに撹拌されて消化されます。そこで、生成された消化物は幽門部と呼ばれる胃の出口から十二指腸に運ばれます。ちなみに、「十二指腸」の名前は、その長さが12本の指の幅くらい(約25センチ)に由来しています。
胃液は強酸性で一日1500ミリリットルも分泌されます。胃酸により多くの食物はドロドロの状態まで消化されますが、同時に、その強酸性のために胃の内側の胃粘膜と直接接すると粘膜は消化されます。それを防ぐために胃の中では常に粘液が胃粘膜を保護しています。食べ過ぎ、飲み過ぎで胃酸が異常に増えると胃粘膜への攻撃が始まるために、胃痛、胸やけ、むかつき、げっぷ、胃もたれ、消化不良、食欲不振などの症状が出ます。
ところで皆さんは「ピロリ菌」をご存知でしょうか。ピロリ菌は子供の頃に最も感染しやすく、大人になると感染リスクは低下します。胃の中のピロリ菌は胃潰瘍や胃がんを引き起す原因の一つと言われていますので、それを薬で除去することが出来ます。しかし、ピロリ菌を除菌すると、胃の中で一時的に胃酸が過剰に生成されて、ひどいときは胃酸が食道を逆流します。これを「逆流性食道炎」といいます。この胃酸の過剰生成は数ヶ月間続くことがありますが、その後徐々に落着きます。
さて、毎日の生活の中でストレスや暴飲暴食が長く続くと、胃や十二指腸の不調を招きます。この様な胃腸の不調を改善するのが胃腸薬です。それらの主なものとしては、制酸薬(制酸剤)、粘膜保護薬、健胃薬(健胃剤)、消化薬(消化剤)、潰瘍治療薬などがあります。また、街の薬局やドラッグストアでは、これらのすべての成分を含んだ「総合胃腸薬」も売られています。さらに、最近は漢方薬もよく処方されています。
酒の飲み過ぎの後で胃が痛くなるのは「急性胃炎」です。これは胃粘膜がアルコールの強い刺激に曝されて傷ついたところへ胃酸が接するためです。同様の症状はストレス、食べ過ぎ、コーヒー、香辛料などでも見られます。ひどいときには胃の粘膜がただれて胃潰瘍ができて激しい腹痛、吐血などのため入院が必要になることがあります。しかし、これらの症状は一時的な現象です。胃の粘膜は非常に再生能力が高いので、一時的に傷がついても通常は数日で修復されます。
「慢性胃炎」は急性胃炎と異なり、特別な原因がなくとも高齢になり胃がくたびれてくると自然に進行する胃炎です。急性胃炎のような強い症状はないですが、慢性胃炎になると、多くの場合治ることなくゆっくりと何十年にもわたって進行します。慢性胃炎にはいろいろな薬がありますが、大きく分けると「健胃薬」と「消化薬(消化剤)」です。「健胃薬」には「苦味健胃薬」と「芳香健胃薬」があります。苦味健胃薬の中に含まれる苦味(にがみ)成分は舌の感覚を通して条件反射的に脳の神経を刺激し、それにより唾液、消化液の量を増やす作用があります。漢方薬としては「ゲンノショウコ」、「センブリ」が知られています。また、食品ではキムチの中のニンニク、唐辛子なども舌を刺激して唾液の分泌を高めるので食欲が増進します。
一方、芳香性健胃薬は、その心地よい匂いが脳の神経を刺激し、胃の粘膜を刺激することにより消化液が増えて胃運動を活発にするものです。この薬としては、漢方薬の「ウイキョウ」桂皮(シナモン)、チンピ(みかんの皮)、メントール(ハッカ油)、胡椒(こしょう)、山椒(さんしょう)などが知られています。
健胃薬と同様によく用いられるのが「消化薬」です。この薬は、胃腸の運動を助けて食欲を増進する作用があります。その主なものは消化酵素です。胃の中には消化酵素がありますが、食べ過ぎると胃の中の消化酵素だけでは足りなくなるので体外から供給します。これが「消化酵素剤」です。この消化剤は胃のもたれなどの場合にも使います。主なものとしては、「ペプシン」(たんぱく質を消化する酵素)、「パンクレアチン」(炭水化物、たんぱく質、脂肪などの食物成分を消化する酵素)です。これらは食べ過ぎのときに飲むと胃がすっきりします。また、「ジアスターゼ」は炭水化物を分解する酵素で、ご飯や穀類の食べ過ぎの場合に効果的です。これらの薬は街の薬局やドラッグストアで売っていますので、食べ過ぎのときには是非試してみて下さい。
ちなみに、炭水化物の体内での大きな働きはエネルギー源になることです。これが不足すると思考力や集中力の低下、低血糖症、疲れやすくなるなどの症状が現れます。また、脳の唯一のエネルギー源が炭水化物です。体内でブドウ糖に分解され脳のエネルギーとなります。
働き盛りの多くの人が悩んでいるのが深酒やストレスによる胃や十二指腸の潰瘍(消化性潰瘍ともいう)です。その治療薬が消化性潰瘍治療薬です。十二指腸は胃で消化された食物が腸の中に運ばれる胃の出口(幽門部)とつながっています。ストレス状態の時は胃酸の量が増えるので、過剰な胃酸は胃や十二指腸の粘膜を傷めて、その状態が長く続くと胃潰瘍や十二指腸潰瘍になります。これらは「消化性潰瘍」とも呼ばれています。
潰瘍治療薬としてはその作用の違いにより3種類に分類されます。第一は「制酸薬」です。これは過剰の胃酸を化学的に中和してくれます。これらの薬は、消化性潰瘍の他に、胸やけ、食べ過ぎ、胃もたれなどにも用いられます。制酸薬は潰瘍そのものを完全に直す事は出来ませんが、潰瘍による痛みをとるのに有効です。制酸薬として最もよく知られているのは「炭酸水素ナトリウム(重曹)」です。これはアルカリ性なので胃酸を中和します。しかし、繰り返し使うと逆に胃酸の分泌がリバウンドして促進するので頻繁に使わない方がよいです。重曹のほかに、酸化マグネシウム、炭酸マグネシウムなども、胃酸を中和するために病院で処方されています。胃腸薬の容器にはこれらの成分が書かれてますので、購入のときに確かめたらよいでしょう。胃酸の過剰生成を完全に抑える薬として「プロトンポンプ阻害薬」というものがありますが、これは病院のみで使える薬です。
第二の潰瘍治療薬は「副交感神経遮断薬」です。少し専門的になりますが、私どもの身体は「交感神経」と「副交感神経」の相反する作用を持った二つの神経系によりコントロールされています。この二つの神経系をまとめて「自律神経系」といいます。胃の場合、副交感神経の働きを抑制すると、胃酸の過剰な分泌を抑えて胃を保護します。病院では、胃潰瘍の痛みを抑えるためにこれらの薬を注射すると、胃液の分泌が抑えられて一時的に潰瘍による痛みが抑えられます。この場合、副作用として唾液の分泌も抑えられるので喉が渇きますが、1-2時間で正常に戻ります。
第三の潰瘍治療薬は「ヒスタミンH2(ヒスタミン・エッチ・ツー)受容体遮断薬で、H2ブロッカーやH2遮断薬ともいいます。これは潰瘍そのものの治療薬で、消化性潰瘍の治療の第一選択薬ですので、どこの病院でも広く使われています。昔は胃潰瘍の治療は手術しか方法がなかったのですが、今では早期の潰瘍はこの薬を服用することにより完治するので手術する必要なくなりました。
H2ブロッカーは1960年代に米国の製薬会社で初めて開発、発売されて、その後多くの類似薬が病院で使われています。昔は病院だけで処方される「医療用医薬品」でしたが、1997年に、処方箋を必要としない「一般用医薬品(OTC医薬品)」となりましたので、今では街のドラッグストアや薬局でも購入出来ます。ただし、作用が非常に強いので、一般の消化薬などと違って回数、用量などを守らないと、予期しない副作用がでます。そのために、購入時には薬剤師が使い方、副作用などについて患者に直接説明することが義務づけられています。また、この種の薬は不整脈などの心臓の異常を起こすことがありますので、心臓病の患者は必ず医師に相談して下さい。(主なH2ブロッカー:シメチジン、ファモチジン、ラニチジン、ニザチジン、ロキサチジン酢酸エステル)。
最後に一言。長い間胃の具合が悪い人は、一度は内視鏡で検査して貰う事をお勧めします。今では胃潰瘍は薬で治療が出来ますし、早期の胃がんは、昔と違って内視鏡で手術が可能になりました。胃の内視鏡検査では食道の異常も同時に検査出来るので、食べ物の飲み込みが悪いと感じる人や胸焼けが続く人などは是非定期的に検査を受けて下さい。そして毎日を楽しく過ごせる様にしましょう。 (2016年1月記)。
肝臓はからだの中で最大の臓器です。成人の肝臓の重さは、1.2~1.5キログラムで、体重の約50分の1にあたります。また、生まれたばかりの新生児では体重比としては成人よりも大きく、体重の約18分の1となります。肝臓はからだの中で化学工場や貯蔵庫の役割を持っています。ちなみに、「レバー」はドイツ語で肝臓を意味しますので、人間の肝臓も外観は動物のレバーと同じです。
口から入った食物、医薬品、栄養素、ビタミンなどは肝臓で代謝、解毒されます。ごはん、パンなどに含まれる炭水化物(でんぷん)は、ぶどう糖に分解された後血中に入り全身の臓器にエネルギー源として供給されます。余分のブドウ糖は非常時に備えてグリコーゲンとして肝臓に貯蔵されます。必要に応じてグリコーゲンが分解してぶどう糖をつくり血液中に放出され、いろいろな臓器にエネルギー源として供給されます。
内臓の中で最もエネルギーを使うのは脳です。脳の重さは体重の2パーセントに過ぎませんが、消費カロリーはからだ全体の20パーセントも使います。脳のエネルギー源はブドウ糖です。脳にブドウ糖を安定供給するためには、ごはんの炭水化物が最もよい供給源です。100グラムの米には約75グラムの炭水化物が含まれており。これが体内でブドウ糖に変化します。 肝臓は暴飲暴食などで酷使すると、一時的にその働きが落ちますが間もなく回復します。多少無理しても胃腸と違って痛みを感じないので「沈黙の臓器」と呼ばれています。しかし、酷使が続いて修復可能な限界を超えた途端に、手のひらを返した様に下り坂を転がり落ちて、ついには、修復不可能の状態になり、肝硬変、肝癌まで病状は進みます。すぐ回復出来るのは若い年齢層だけで、中高年は若い人に比べて修復能力が小さいのでさらに深刻です。
肝炎の原因としては、医薬品による「薬剤性肝障害」、肝炎ウイルスによる「ウイルス性肝炎」とアルコール飲料による「アルコール性肝炎」があります。「ウイルス性肝炎」の原因になる肝炎ウイルスにはA型からE型まで5種類が知られており、日本で最も多いのはB型とC型のウイルスによる肝炎です。慢性肝炎ウイルス感染者は、B型は約5万人、C型が28万人と報告されています(平成20年患者調査)。また、肝炎ウイルスに感染している人は40歳以上の方が9割以上を占めていますが、最近B型肝炎において若い人の感染が増加しています。
昔はウイルス性肝炎患者の主な治療薬はインターフェロンのみで、発熱などの副作用に悩まされました。しかし、最近はウイルス性肝炎の新薬が開発されて広く用いられています。ウイルス性肝炎の血液検査は簡単ですので、もし、だるい、食欲がないなどの症状が続いたら医療機関で検査して下さい。
急性肝炎患者の中で最も多いのは「アルコール性肝障害」です。皆さんにとっても最も身近な問題と思われますので、ここでは少し詳しく述べます。アルコール飲料を飲んだときに頭がガンガンし、気分が悪くなり、吐き気を催すのは、アルコールが肝臓で代謝されて生成した強毒性の「アセトアルデヒド」という物質が原因です。それが脳内に入ると脳の神経が刺激されて頭が痛くなります。酒に強い人の肝臓は、このアセトアルデヒドを素早く分解する「解毒酵素」をもっているので、体内に溜まって二日酔いになることはありません。二日酔いになる人とならない人の違いは、アセトアルデヒドが体内に残っているかどうかにより決まります。下戸は、アセトアルデヒドがいつまでも体内に留まって苦しみが続きます。
日本人の約40パーセントはアセトアルデヒドの解毒酵素が遺伝的に少ないので、少しでもアルコールがからだに入ると顔が真っ赤になり心臓がドキドキします。さらに10パーセントの人は、生まれつき解毒酵素を欠いているので、アルコールが一滴でも体に入ると重度のアルコール急性中毒になります。残りの50パーセントは解毒酵素が十分にあるので一升酒でも殆ど顔色が変わりません。つまり、日本人の半数は下戸で、残りの半数は酔いつぶれることなく飲み続けることが出来る上戸です。
このような日本人にみられるアルコール感受性の個人差は、主として両親からの遺伝によります。詳細は、本シリーズの第7話「酒の飲み方うら・おもて」をご参照下さい。日本人とは対照的に、欧米人は体内でアセトアルデヒドを解毒する強力な酵素を遺伝的に持っています。したがって、多くの欧米人はアルコール飲料をコーヒーと同じ様に気軽に飲んでも顔色が全く変わりません。もし、欧米人の中でアルコール飲料を飲んで顔が真っ赤になる人がいたら、きっと祖先か両親に日本人かアジア人の血が流れていると考えられます。
「酒に強い人は肝臓も強い」と言われていますがそれはウソです。アルコールを解毒する酵素は肝臓の中にある約2000種の酵素の中の一つですので、アルコールに強い人が肝臓のすべての解毒能力が強いとは限りません。ウイルス性肝炎の患者は、アルコール飲料を飲むと肝臓に対するダメージが大きくなるので飲まない方が無難です。
学生が興に乗って行う一気飲みは正に自殺行為です。一気飲みが非常に危険なのは、短時間の間に大量のアルコールやアセトアルデヒドが脳の中に入り、意識、運動などの神経を麻痺させるからです。更に深刻なのは、この様な「急性アルコール中毒」のときは、脳の呼吸を調節する機能が麻痺して、心肺停止状態になることです。これが急性アルコール中毒死の原因です。全身の臓器の中で、脳細胞は酸欠に最も弱いので、5分間心肺停止が続き酸素の供給が止まると脳内の細胞は徐々に死んで元へ戻りません。一気飲みで意識がなくなったら一刻も早く病院で利尿剤や点滴をしてもらうことです。これが急性アルコール中毒の唯一の治療法です。
からだに支障のない一日のアルコール量は、日本酒で一日1-2合、ビールでは大ビン1本、ワインは2日で一本程度だったら大きな問題はありません。しかし晩酌で毎日4合以上の日本酒を飲み続けると、20年-30年後にはアルコール性肝炎から肝硬変になり、さらに進むと最終的には肝癌になることが多いです。出来れば週2回の休肝日を設けて肝臓を休ませると、肝臓の働きが復活します。
アルコール飲料を飲むと、アルコール成分の約20パーセントが胃から吸収されますので、食物と一緒に飲むとその吸収がうすまり、ダメージが小さくなります。逆に食物なしで酒だけを飲むと、アルコールはどんどん胃から吸収されて、酔いが一段と激しくなります。酒を飲むときには炭水化物を多く食べると、酒によりくたびれた脳を復活する源になります。
アルコールは血圧を下げる作用がありますので、下戸の人や飲み過ぎたときなど顔が真っ青になるのは急性低血圧のためです。また、高血圧の人で酒に溺れる人が多いのは、酒を飲むと血圧が下がるために気分がよくなるので、ついアルコールを飲み過ぎるのです。それが10年、20年後に高齢となった頃に、肝硬変、肝癌の発症につながります。
肝臓は再生能力が体の中で最も旺盛な臓器です。その証拠に、生体肝移植でドナー(正常な肝臓を提供する人)が肝臓の4分の3を患者に提供しても、2ヶ月後には正常な肝臓の大きさまで回復し、肝臓の働きも正常に復します。これは他の臓器では考えられない再生能力です。しかし、アルコール性肝炎やウイルス性肝炎の患者の肝臓は再生能力が落ちているので移植には使用出来ません。
アルコール性肝炎の患者では、肝臓が弱っているので肝炎ウイルスが住み着き易くなり、ウイルス性肝炎を併発するケースが多いです。そうなると、やがては肝硬変から肝癌に進みます。特に、アルコールに弱い人が何十年もつきあいで酒を飲み続けると、職場を停年で退職した頃に体力が落ちて突然慢性的な肝障害を引き起こすことがあります。
脂肪肝が最近注目されています。アルコールの飲み過ぎや、糖尿病、肥満などが原因でおこる脂肪肝は、肝臓に中性脂肪が多く蓄積された状態(いわゆるフォアグラ状態)です。ガチョウのフォアグラなら大歓迎ですが、自分の肝臓がフォアグラ状態になるのは誰だって避けたいものです。
アルコールを飲まない人でも脂肪肝になることがあります。これは「非アルコール性脂肪性肝炎」で、英語の頭文字を並べてNASH(ナッシュ)と呼ばれています。原因はまだよくわかりませんが、肝硬変・肝癌に発展することがわかっています。
最後に、からだの臓器は肝臓からのエネルギー供給により順調に活動しています。もし、その供給が停まると60兆個の全身の細胞は徐々に活動を停止し、ついには死に至ります。肝臓は正に命を支える司令塔です。肝臓の病気は血液検査や腹部エコーによる画像診断で比較的簡単にわかりますので、疲れ、だるさ、食欲不振、吐き気、強い倦怠感などがあったら、早めに医療機関で受診することをおすすめします。(2016年2月記)
世の中では大事な事を「肝腎要(かんじんかなめ)」といいます。その様に肝臓と腎臓はからだの中で大変重要な働きをしています。前回は肝臓の話をしましたので、今回は腎臓について述べます。
腎臓の働き
からだの中で絶え間なく生成される老廃物は残らず体外に排除する必要があります。その役割を持っているのが腎臓です。腎臓はそら豆の形をした臓器で背中側に左右一つずつ2個存在し、一個の重さは約100グラムです。腎臓の主な働きは血液から尿をつくり、血液に含まれている老廃物を尿と一緒に体外に捨ててくれることです。したがって、もし腎臓の働きが悪くなって尿がつくれなくなると、老廃物が体内に溜まりいろいろな病気の原因になります。また、腎臓は体内での水分量を調節する重要な場所ですので、その働きが低下すると水分が体内に貯留するため顔がむくみます。
血液から尿が出来る仕組み
全身くまなく張り巡らされた血管の中で、腎臓の中の毛細血管が糸玉のように球状に集まった箇所があります。これを「糸球体」といいます。糸球体では、血液を濾過して尿のもとになる「原尿」がつくられます。 一日につくられる原尿の量は、約180リットル(ドラム缶一本)で、これは一日の尿の100倍に相当します。これだけの水分がからだら失われたら一日で人間はミイラになってしまいます。しかしその心配は要りません。
原尿は糸球体につながっている「尿細管」という細い管を通っている間に、99パーセントの水分が尿細管にからんでいる血管に再吸収されて全身の循環に戻ります。原尿の成分は血液と殆ど同じなので、その中にはからだに必要なアミノ酸やブドウ糖が含まれています。これらは原尿の水分と一緒に尿細管から血管へ再吸収されて全身に戻り再利用されます。再吸収されなかった原尿の1パーセントの水分が老廃物を含む尿として膀胱に蓄えられ、排泄されます。
健康な人は一日1000-1500ミリリットル(1.0-1.5リットル)の尿を排泄します。健康な人では、膀胱の中に一日排尿量の約十分の一(100-150ミリリットル)が溜まると、膀胱の出口の筋肉が神経により緩んでトイレに行きたくなります。しかし、膀胱はゴム風船と同じで、我慢すると500ミリリットル位までは溜めることが出来ます。しかし、余り我慢すると膀胱炎の原因にもなりますので無理することはありません。
高齢になると誰でも頻繁にトイレに行きたくなり、尿の出方が悪くなります。また、膀胱の筋肉が緩みがちになり、本人が気がつかない間に「おもらし」をすることになります。頻尿や排尿に時間がかかるなどは加齢により誰でも経験することですが、場合によっては病気が引き金になっている事もあります。
血液、尿検査で腎臓病を早期発見
尿は腎臓の異常をいち早く知らせてくれる多くのサインを含んでいます。いま、日本では高齢化に伴って慢性腎臓病の患者が急増しています。その数は推定1330万人、実に20歳以上の8人に1人に及んでいるというのです。それを避けるためには、中高年になったら年一回医療機関で受診することです。
血液検査で腎臓の働きを示す用語として、「クレアチニン値」と「糸球体ろ過量(GFR値)」があります。クレアチニンは血中に存在する成分で、腎臓の働きが悪くなるとその数値が上昇します(基準値1.10以下)。また、GFRは糸球体(後述)における血液から原尿をつくるろ過量を示し,数値が小さい程病状が進んでいます(正常は100前後)。慢性腎臓病は高血圧、糖尿病などの生活習慣病が原因になることが少なくありません。腎臓は1回悪くなると自力では回復が困難なので、早期発見のためには、毎日の尿の変化に気をつけることです。最近はドラッグストアで血尿、蛋白尿などを検査するキットが売られていますので自分でチェックすることが出来ます。検査で血尿、たんぱく尿、むくみなどがあったら腎臓病の可能性があるので直ぐに医療機関で受診することをすすめます。手遅れになったら血液透析や腎移植が必要になります。
前立腺肥大症
腎臓病に関連して、前立腺の病気について述べます。トイレの回数が増えるのは加齢現象でもあるので、「2~3回夜中に起きる」という事はよくあることです。しかし、それまでほとんど起きなかった方が、起きる様になったときは、腎臓か前立腺の異常が考えられます。トイレの回数が普段は1日4~5回位の人が、1日10回近くになったら赤信号です。
男性の場合、加齢とともに前立腺肥大症の患者が急増しています。こうなると、頻尿になったり、逆に尿が出にくくなったりして患者は大変苦しみます。しかし、幸いなことに肥大症の優れた薬が世界中で広く使われています。もし症状が出たら我慢することなく医療機関で検査することをおすすめします。
前立腺は膀胱につながっている尿道を包んでいます。丁度、みかんの中心に管を通した様なものです。みかんが前立腺で管は尿道です。病原菌がからだに入ったり、アルコール飲料や刺激物を大量に飲食すると、前立腺が炎症を起こして肥大し、ついには尿道が締め付けられて尿が出なくなります。これが「尿閉」です。前立腺肥大症は悪性のがんと違って良性ですので、それ自体で命を落とす事は殆どありません。しかし、頻尿や尿閉などさまざまな症状で患者は苦労します。
私は10年前から前立腺肥大症の薬を服用しています。今から4年前に尿閉を体験しました。米国へ出張して1週間後に帰国して2日後、夜中にトイレへ行っても尿が出なくなりました。朝まで我慢して大学病院の泌尿器科で、以前からかかっている主治医にお願いして、管(カテーテル)を膀胱まで通して強制的に尿を体外へ出す導尿をしてもらいました。尿閉は単に尿が出なくなるだけではなく、下腹部は張り、血圧は上がり、脈拍が速くなるなど七転八倒の苦しみでした。
前立腺の病気には前立腺に特有の検査マーカーがあります。それは「PSA検査」です。PSAという体内成分は前立腺肥大症や前立腺がんの患者では数値が上昇します。血液検査により、前立腺が正常か、肥大か、がんかを簡単に知ることが出来ます。ちなみに正常な人はPSA値が4以下ですが、肥大になると5、6と高くなります。ただし、加齢とともに少しずつ高くなりますので、70歳以上の高齢者では10くらいまでは正常と言われています。前立腺がんになると20、30と進み100あるいはそれ以上に高くなります。
前立腺がん
前立腺肥大だけで死亡する事は少ないのですが、前立腺がんになったら話は別です。高齢者の前立腺がんの進行は非常に遅いので、前立腺がん以外の原因で死亡した高齢男性を解剖した結果、約半数に前立腺がんが見つかったとの報告があります。つまり、前立腺がんにかかっていてもその症状が見られないまま他の原因で死亡した例が少なくありません。
中高年齢層の前立腺がんは進行が比較的早いので、早期に見つけて治療することが必要です。私の友人でも前立腺がんにかかった人が多くいます。早期に治療した人々は、現在でも以前と変わらない日常生活を送っていますが、発見が遅く既に末期の状態で骨や肝臓などに転移しそのまま亡くなった人もいます。 前立腺がんは自覚症状を伴わない場合が多いので、PSA検査で高値を示した人は、画像検査(CT, MRIなど)で検査し、前立腺がんが疑われる場合は、確定診断として「針生検」を行います。これは下半身麻酔か全身麻酔の下で前立腺の10ヵ所以上に注射針より少し太い針(直径約1.5 ミリ)を刺して直接前立腺のごく少量をとり顕微鏡でがん細胞の有無を調べる検査です。針生検にかかる時間は採取する数によりますが、約10-30分です。麻酔をしますので通常は入院することになります。私は10年前に前立腺肥大症と診断されたときに針生検を受けました。幸いにがん細胞はなく、それ以後今日まで毎年PSA検査を受けています。
前立腺がんの治療には、積極的な治療を行わず経過を見る「PSA監視療法」と、完治を目指して行われる「手術療法」「放射線療法」、がんの進行を抑える目的で行われる「ホルモン(内分泌)療法」「化学療法」、進行したがんによる苦痛を取り除く「緩和医療」などがあります。
PSA監視療法(無治療経過観察)とは、非常に進行が遅く、生命に影響を及ぼさないと考えられる場合、無治療で経過観察することです。高齢者の場合は、身体に負担をかけて治療を行いQOL(生活の質)を損ねるよりも、定期的にPSA値をチェックしながら経過を見る方が良い場合があります。 前立腺がんが前立腺の中にとどまっていれば、完治を目指す手術療法や放射線療法などの治療を行うことができます。このように、早期であるほど、治療の選択肢が広がるといえます。 一方、がんが前立腺の外まで拡がっている場合は、完治を目指すことが難しくなります。ホルモン療法や化学療法で、がんの進行を抑える治療を行います。
治療方針は、がんの進行度や悪性度、PSA値、患者の年齢(期待余命)、健康状態など、さまざまな条件が考慮されますが、患者本人の意志が第一に優先されます。医師とよく相談し、納得した上で、自分にとって最良の治療を選択することが大切です。
最後に一言。泌尿器科の病気の場合、多くの人は病院へ行くのをためらいますが、それを放っておくと取り返しのつかないことになります。尿の出方が悪い、夜中に頻繁にトイレに行くなどは高齢者ではよく見られる事ですが、異常な状態になったらためらわずに泌尿器科を受診することをおすすめします。私の友人で前立腺がんと診断された人の中でも、早期に治療をしたおかげで健康なときと同様の日常生活を送っている人が多くいます。何事も先手必勝です。 (2016年3月1日記)
本シリーズ第11話で腸の重要性について述べました。その後、世の中では腸に関する関心が高まり、脳と腸との関係について知りたいとの要望が多くありましたので、今回ふたたび腸の話をとりあげました。
11話で述べました様に、人の腸には約100兆個にもおよぶ多種多様な腸内細菌が常在しています。それらは種類ごとにまとまって生息しているので腸内フローラ(お花畑)と呼びます。医学用語では、「腸内細菌叢(さいきんそう)」といいます。それらの菌は、善玉菌、悪玉菌、日和見菌(ひよりみきん)の3種類に大別されます。健康な人の場合、これら3種類の菌はおおよそ善玉2:悪玉1:日和見7の割合で存在し、腸内細菌のバランスがとられています。一般に、日和見というのは、「有利な方につくこと、形勢をうかがうこと」を意味します。腸内の日和見菌も同じで、善玉菌が強い時には善玉菌側、悪玉菌が強いと悪玉菌側になってしまうというとても面倒な菌です。
「脳腸相関」って何
今回の主題は「脳腸相関」です。腸と脳は全く関係がない様に思われますが、最近の研究によると、脳と腸は、神経を介して互いに密接に影響を及ぼし合っています。脳と腸はどのような仕組みで連携しているのか。それには腸内フローラが脳に影響を与えていることが明らかになりました。この脳と腸の関係が「脳腸相関」です。腸は刻々変化する腸内フローラの情報をすべて脳に送り込んで、脳からの指令を待っているのです。また、脳がストレスを感じると、自律神経を介して腸にストレスの刺激が伝わるので、お腹が痛くなったり、便意をもようしたりします。逆に腸が病原菌に感染すると、脳は不安を感じます。まさに、腸は「第2の脳」です。
国際的にもっとも権威のある医学、科学専門誌Nature(ネイチャー)の2014年11月12日発行号に興味ある論文が掲載されました。要約すると次の様な内容です。
最近、腸内細菌が心の健康に影響を与えるという説が専門家の間で話題になっている。ヨーグルトの様な細菌を含みからだによい食品の販売会社は、以前から、適正な腸内細菌を育てることが心の健康に良い影響をもたらすと主張してきた。しかし、神経科学者たちはその意見には懐疑的だった。最近になり、腸内の常在微生物群(善玉菌、悪玉菌、日和見菌)が自閉症やうつ病などの疾患と関連していることを裏付ける証拠が積み重ねられつつあり、神経科学者たちは、そうした結びつきが臨床的に重要であると考え始めた。
このような論文から、腸は単に栄養成分の消化、吸収の場だけではなく、脳の働きにも密接に関係していることが医学的に証明されつつあります。
脳腸相関は神経を介した仕組み
胃腸から脳に向かって消化管の状態を知らせる信号が送られると、脳は胃腸に向かって信号を送り返して応答します。例えば、空腹になると胃の中に存在する食欲促進物質のグレリンが、「空腹だから何か食べた方がよいと思う」という信号を脳に伝えます。その信号を受け取った脳は、摂食を促す脳内ホルモンを分泌し、「空腹なら何か食べてもいい」と胃腸に食べ物を受け入れるように指令を出す。このような神経の交信により、本人は食べ始めます。
このように脳と腸は、自律神経や情報伝達物質を媒介にして、双方向のネットワークを形づくっています。少し科学的にいえば、腸内細菌は、脳が関係する腸管刺激因子の刺激を調整したり、制御したりする重要な役割を果たしているのです。腸内フローラは、からだの恒常性(ホメスタシス)の維持に大いに役立っています。
脳腸相関の証拠が増えつつある
脳と腸との関係についての研究が進み、その仕組みがかなり分かってきました。誰でも経験することですが、大切な試験の前や重要な会議の前になると、緊張感などで下痢をしたり、便秘になります。これが「過敏性腸症候群」です。過敏性腸症候群の症状が続くと、うつ症状やさまざまな原因不明の症状が現れます。これらの症状が現れるのは、腸の不具合の情報を脳が受信し、強いストレスを感じて、自律神経の働きが乱れるからです。
こんな症状で困っても、市販薬などでなんとか我慢している人が増えています。日本人の中高生の20パーセントが過敏性腸症候群にかかっているといわれています。過敏性腸症候群の人では、脳から腸にストレスが伝わると、腸の粘膜から神経伝達を媒介するセロトニンという物質が過剰に分泌され、腸の運動が高まって 下痢が起こります。セロトニンの作用を抑える物質は、過敏性腸症候群の下痢型の治療薬として著効することが証明され、臨床応用されています。それは2008年に承認された「ラモセトロン塩酸塩」です。
食物繊維は腸内フローラを改善する
腸内フローラの中では善玉菌と悪玉菌が競り合って住んでいます。善玉菌を増加させるために最も重要なものが食物繊維です。特に水溶性の食物繊維が大事です。腸内の環境をよい状態に保つための重要なポイントは、大腸で「発酵」といわれる反応で、この発酵反応には、材料としての食物繊維と主役の善玉菌の存在が必須なのです。ところが、日本人の食物繊維の摂取量は年々減少して、最近の調査によると、成人の1日当たりの食物繊維の摂取量は男女ともに15グラムほどです。10代、20代では10グラムと極めて少なくなっています。
食物繊維を多く含む食材としては、野菜、芋類、キノコ類、海藻類、豆類などがありますが、洋食の普及と共にこういった野菜の摂取が減少しています。精白米は玄米に比べて食物繊維は6分の1程度です。現在の日本人は平均で5~10グラムの食物繊維不足といわれています。また、日本でおなじみの納豆、酢、みそ、しょうゆ、日本酒、漬け物、ヨーグルトはすべて発酵食品です。これらの発酵食品の製造には、カビ、酵母、細菌などの微生物、いわゆる発酵菌の働きが必要で、もっとも重要な作用は、発酵菌が腸内フローラを善玉菌に変えることです。腸の環境を改善するのには食物繊維と発酵食品がベストの食品である事は間違いありません。
甘酒は「飲む点滴」だ
私は子供の頃母に連れられて母の実家に度々遊びに行きました。そこでは毎回祖母が米麹からつくった自家製の甘酒を振る舞ってくれました。子供心にそのおいしさは忘れませんでした。恐らくその印象が脳に刷り込まれたせいか、80年経った今日まで甘酒は私の大好物です。
甘酒は日本の伝統的な甘味飲料の一種です。甘酒には、私たちのからだに必要なビタミンB群(B1、B2、B6、B12,葉酸)、食物繊維、アミノ酸(システイン、アルギニン、グルタミン)、ブドウ糖などの栄養素が含まれています。オリゴ糖や食物繊維が腸の善玉菌を増やし免疫力をアップしてくれるので、強いからだ作りにも効果があります。
甘酒の栄養は、栄養剤という意味では病院で使われる点滴とほぼ同じ内容ですので、「飲む点滴」といわれています。しかし、病院で使われる点滴は、治療のために使われるもので、あくまでも栄養成分が似ているというだけです。 甘酒の原料には酒粕と米麹の2種類が使われています。酒粕の場合は少量のアルコールを含んでおり、つくるときに砂糖を加えますので、子供や妊婦、ダイエット中の方は、アルコールや砂糖を含まない米麹の甘酒を選ぶようにしたらよいです。ちなみに、私は下戸で酒に超敏感ですのでもっぱら米麹からのものを愛飲しています。
おわりに
「腹が立つ」、「腹黒い」、「太っ腹」、「腹の探り合い」、「腹に一物あり」、など腹(腸)と心(脳)の機微を表す言葉が多く知られています。先人たちは脳と腸がつながっていることを経験的に知っていたのでしょうか。
昔は、「脳が末梢臓器を一方的に支配する」とう考え方でした。しかし、最近の研究では、逆に「胃腸からの信号が脳機能を左右する」という証拠が多く報告されています。「脳腸相関」から明らかな様に、脳と腸は自律神経で強く結ばれています。過敏性腸症候群の患者は心理的ストレスによって,脳が緊張すると腸も緊張して、下痢、便秘が生じます。これにより消化吸収が悪くなり栄養分を不足します。同時に心身症の症状として不安障害,うつ病性障害を伴うことが少なくないのです。
暴飲暴食をするとその結末はすべて腸に負担がかかり、本人は下痢や腹痛に苦しみます。そんなときは悪玉菌が増え続けている状態ですので、腸内環境としては最悪です。こんなときの腸内フローラが健康な状態に戻るためには2-3日かかります。毎日のライフスタイル、食物を改善することにより、腸内の環境が劇的に変わる可能性があります。腸内の環境をよい状態に保って病気の予防、健康の維持を目指してください。
最後に一言。甘酒は科学的にもからだによいです。医学的にもヨーグルトと同じ発酵飲料ですので、腸内細菌の善玉を増やし、うつ状態が改善されたとの話もあります。甘酒の熱心な信奉者として是非一杯の甘酒をおすすめめします。 (2016年4月1日記)
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