私の様な超高齢者になると特に大きな夢もなく生きていますが、70代までの方々は毎日の生活の中で悲喜こもごもの問題に遭遇すると思います。そんな時にどの様に対処するか、そんなことについて私の経験を含めて私見をまとめました。
諦めない心
諦めない心とは、困難な問題や課題にぶつかった時、決して逃げようとせずに立ち向かい、何とか成し遂げようとする気持ちのことです。 もちろん、結果として成功しなくても、粘り強い気持ちを持ち続けることが重要になります。
すぐに諦めてしまうことによるデメリットとは?
諦めない心を持てば、多くのことを達成出来る確率が上がります。では、逆に簡単に諦めてしまう癖があると、どういう問題が起こるのでしょうか。まず第一に周囲からの信頼が得にくくなります。例えば、出来ないことをすぐに放り出す傾向があると、仲間からは頼りにされません。仕事や頼み事を任せても、何も達成できない人だと思われて信用を失うからです。信頼が得られないだけでなく、社会人の場合は昇進にも影響を及ぼしかねません。周りから信頼されないことは、自分にとって最大のデメリットであり、自分の将来も暗くします。
諦めない心を持つ人の特徴
何に対しても忍耐力があって諦めない心を持っている人は、どんなことも成功しやすくなります。世の中には逆境で簡単に諦めてしまう人と、なかなか諦めない人がいます。どちらかというと、簡単に諦めてしまう人の割合が多いです。世の中で成功した人の多くはあきらめない人と言われています。物事に諦めない人には次の5つの特徴があります。
1. 一つの事をやり遂げた成功体験を持っている
難題に取り組んで、見事に結果を出した経験は、大きな自信へと繋がります。成功によって得られた自信は、どんな難しい事態に直面しても、「必ず出来る」という確信を伴うので、諦めない心につながります。更に、成功して達成感の喜びもあきらめない精神の原動力になります。
2. 叶えたい夢や目標をしっかり持っている
将来成功した時のイメージを持っていると、途中で困難なことがあっても負けない気持ちを作り出してくれます。目の前の苦労にとらわれずにその先の夢や目標を見据えることで、難しい場面を乗り切る粘り強さを発揮出来ます。
3. 負けず嫌いで何事も最後まできっちりとやり遂げる
世の中の成功者の中には負けず嫌いな人が多くいます。彼らは困難な状況から逃げ出すことは恥だという気持ちから強く取り組む姿勢を引き出します。ただし、単純な負けず嫌いは途中で燃え尽きてしまうこともあるので、具体的な目標もしっかり持つことが必要です。本心から諦めない心を持つ人は、途中で放り出すことをせずに、目標を達成する心構えを持っている人です。
4. 集中力に優れており、一つの物事に対して没頭できる
諦めない人は、難題に取り組む際雑念が無く、一途に頑張れる精神力を持っています。目の前の目標にまず集中することで、成功確率が自然と上がるので、諦めない状況になります。更に、失敗のイメージを最初から排除すると諦めること自体を考えずに済みます。
5. 弱音や不満など、ネガティブな言葉を口にしない
「出来ない」「無理だ」「面倒だ」などの後ろ向きの発言は、気持ちまで負けてしまうことになります。マイナスの言葉やイメージは、モチベーションを下げ、成功から遠ざかることになります。普段からネガティブな言葉を口にしないことは、成功者に多く見られる習慣です。
おわりに
毎日の生活の中にはどうしても打ち勝つことができない場合と、努力次第では達成する場合があります。これらの考え方は年代により大きな差があります。高齢になると頑固になり簡単に自分の主張を取り下げない人が多くなります。これは長年生きてきた中で蓄積した経験に基づくものです。逆に好々爺(こうこう‐や)という老人もいます。やさしくて気のいいおじいさんです。皆さんはどちらになりたいでしょうか。
私ごとで恐縮ですが、これまでの長い人生を振り返ってみるといろいろな意味での節目が無数にありました。主なものだけでも修学、就職、結婚、学術活動、退職、高齢者としての過ごし方、などで、最後には終活があります。
一般に、「人生の節目を迎える」という場合は、年齢の一区切りや、人生において誰でも経験する出来事(出生、入学、卒業、就職、結婚、出産、子育て、退職等)によって区分される生活環境を言います。従って、各人の節目は人それぞれにより異なります。
また、昔から知られている人生の節目には、年代により次の用語で定義されています。
平均寿命の短かった室町時代には高齢者を初老、中老、高齢などに分けられていました。この分類によると、初老は40歳です。当時の40歳は既に老齢に入る時期で、還暦・古稀・喜寿・傘寿・米寿と同じく「賀の祝い」にあたり、長寿の祝いのひとつでした。当時50代は中老、それ以上の人は「高齢」と言われていました。
現在、世界保健機関(WHO)では65歳以上を高齢者としています。わが国では65歳以上を高齢者、そのうち65~74歳を前期高齢者、75歳以上は後期高齢者と定義しています。私が子どもの頃にイメージしていた65歳とは悠々自適に隠居生活をしていた老人でしたが、今の65歳は働き盛りです。
最近は定年の引き上げ、定年後の再雇用が進んでおり、そのようなところでは60代はまだまだ現役世代です。70歳が古希と言われるのも現実に沿わなくなっておりました。
還暦が日本において現在のような長寿祝いになった歴史には諸説ありますが、古代中国の儒教からきているという説が有力です。儒教には、長寿を尊ぶ思想がありました。その概念が日本にも伝わり、奈良時代から年齢の10年刻みを祝う行事が始まりました。平安時代にはそれが長寿祝いとなり、貴族の間で普及しました。
そして、鎌倉時代頃に「還暦」という概念が生まれ、室町時代・江戸時代にかけて民間でも広まりました。当時の人々の平均寿命は50歳程度であったため、60歳の還暦は大変な長生きとされ、とてもおめでたいこととしてお祝いされました。
還暦はなぜ数え年で61歳なのか。それには、古代中国から伝わった「十干十二支(じっかんじゅうにし)」が関連しています。
十二支とは、よく知られている子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥のひとめぐりです。人は生まれてから60年目で、この十干十二支の組み合わせが一巡します。
還暦を数え年で祝うことが多い理由としては、明治時代頃までは日本人の間に「誕生日」という概念がなく、年が明けると皆一律に一つ年齢を重ねる「数え年」が一般的だったということが大きいからです。また、生まれた年は現在のような「0歳」ではなく「1歳」とされていました。そのため還暦祝いも、数え年で61歳の方を対象に正月などに行われました。満年齢が一般的となった現在においても、重要な節目のお祝いであった還暦に関しては数え年で祝うという風習が引き継がれているのです。
現在では、還暦は敬老の日や誕生日でお祝いすることが主流ですが、「満年齢」「数え年」どちらでお祝いしてもよいとされています。
還暦を迎えた方は、赤い「ちゃんちゃんこ」を着てお祝いしてもらう、という古くからの慣習があります。昔から、生まれたばかりの赤ん坊の産着に赤い色が多く用いられていたことから、赤いちゃんちゃんこには「赤ん坊のようにもう一度生まれて、再び新しい人生をスタートさせられますように」という願いが込められています。また、赤い色には魔除け・厄除けの力があるとされていることも理由のひとつです。
長い人生においては毎日が人生の節目かもしれません。あるいは一年一年が節目かもしれません。それは人それぞれにより異なります。人生を春夏秋冬に例えると、春は人生の準備期間です。そこで十分な準備ができないと、夏を楽しむことができなくなります。夏に元気で過ごすことができなければ秋の実りも期待できないことになり、続く冬の生活も期待できなくなります。他人と良い関係を作ることも、たった一度限りの人生を幸せに生きるために必要なものと思います。
現在イスラエルと隣国パレスチナのガザ地区で戦争が続いています。私は1998年にイスラエルを訪れました。その詳細は私の旅行記「旅のこぼれ話」の第8話に掲載しました。イスラエルなど中東は昔から小さな戦争が絶えない地域です。私がイスラエルを訪れた時も周辺国との争いが続いておりましたが、市内は一見平穏な状態で、民家が連なった細い通りでは若者たちが楽しそうに語り合っていました。今回はパレスチナとの激しい戦争になる前の平和なイスラエル、エルサレムなどを知って頂きたいので、旅行記の一部を掲載致しました。
エイラット
1998年1月にイスラエルのエイラットで国際会議があり、初めてイスラエルへ旅をしました。イスラエルは昔から戦争が絶えない国であること、三つの宗教が同居している珍しい土地であることもあって、物好きな私にとっては大変興味をもって成田を出ました。
ドイツのフランクフルトで一泊後、翌日イスラエルのテルアビブの空港で、今回の会議に出席する欧米の仲間と久しぶりに再会しました。そこから会議が開催されるエイラット行きに乗り換えるため搭乗口へ行って驚きました。搭乗のための検問が異常な程厳しい。そこでは十数項目にわたる質問を一人15ー20分かけて行っていました。
(1)どこから来たか、(2)どこへ何の目的で行くか、(3)その会議の内容は何か、(4)出席者は何名か、(5)会議での主な議題は何か、(6)その会議でどんな効果が期待されるか、(7)その会議は誰が主催するのか、(8)今回の旅行は一人かグループか、(9)ツアーの責任者はだれか、(10)何かお土産を持っているか、その価格は(11)ホテルの名前は、(12)職業は何か、(13)イスラエルには何日間滞在するか、などなどである。
この質問攻めも無事通過してようやく搭乗し、1時間後エイラット空港に着きました。ここはイスラエル国の最南端で唯一紅海に面した港町です。街の中は世界中からの旅行客で賑わっていました。 エイラットでの2日間の会議は予定通り終了し、翌日は朝8時半にホテルを出発してエルサレムへ3時間かけて車で移動しました。ガイドの話では途中広い砂漠を通るので強風に注意する様にとのこと。その場所に行ってみると正に荒野と岩山が続き、この砂漠でキリストが受難したと伝えられている乾燥荒涼な砂土の荒地でした。
死海
マサダ要塞
途中、よく知られている観光地の死海では1時間の休憩を取り、湖で身体が浮く経験をしました。その後、マサダ要塞を見学しました。
マサダ要塞はイスラエルの国の中ではエルサレムに次ぐ人気の観光地です。2001年にはユネスコの世界遺産になりました。ここでは2時間ほどローマ時代の遺跡を堪能し、エルサレムのホテルに着いたのは午後6時頃でした。
エルサレム旧市街
エルサレムの市内は旧市街と新市街に分かれており、旧市街はイスラム教地区、キリスト教地区、ユダヤ教地区に画然と分かれており、その境界は極めて明確に区切られています。住民もそれぞれの宗教の地域内で生活しており、お互いに反目することなく平穏に暮らしていました。しかし、今回のパレスチナとの戦争により宗教間の対立で、あの荘厳な宗教の町が戦火の中にあり誠に残念なことです。日本の様な単一宗教の国では中々理解できないことですが、西洋の歴史の中では宗教の争いが命をかけた戦争にまで発展した例は珍しくありません。
ここでイスラエルの三つの宗教について簡単に解説します。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はすべて一神教で、それぞれの信者は唯一の神を祈ります。それに対して日本では、クリスマスイブの夜はどんちゃん騒ぎをし、新年は初詣で神社へ、仏事のときはお寺へ行くなど、神社仏閣おまけに教会まで含めて八百万の神の国です。
イスラム教の信者は一日5回、聖地メッカの方角に向かって礼拝することが義務付けられています。彼等は世界の何処にいてもひざまずき、メッカに向かって礼拝します。土は世界何処までも続いているので、同じく膝をつくことによってイスラム教信者同士が兄弟としての連帯意識を持つというのが彼らの信条です。ちなみに、私が大学に在職中に留学生としてイスラエルから来た学生は、研究室の前の廊下のすみに布切れを敷き、一日5回の礼拝を絶やしませんでした。1年1回の断食(ラマダン)の月には、日の出から日没までは絶食、絶水します。日没後に1日1回の食事をとりそれが1ケ月続きます。ラマダンが終わった日には盛大なお祭りが行われます。
嘆きの壁
ユダヤ教の信者が多く集まるのはイスラエル市内の「嘆きの壁」です。ここは一年中世界各国からの観光客でごったがえしています。ユダヤ教の信者は独特の帽子をかぶっています。私も「嘆きの壁」に触れようとしたら、そこにいた案内人らしい人に紙製の帽子を渡されました。これをかぶらないとユダヤ教以外の観光客は壁にふれることは許されません。壁に続いた洞窟の中では多くの信者が敬虔な祈りを捧げていました。
聖降誕教会
今回の旅の中で私の最大の関心事はエルサレムから10km離れたべツレへムを訪れる事でした。イスラエル滞在の最後の日は雪も止み晴れた朝を迎えたので、隣国パレスチナにあるベツレヘムへホテルからタクシーで40分ほどかけて行きました。
ここはキリスト生誕の地で、世界中からキリスト教信者が集まっています。日本でも大晦日の夜にこの場所からの中継を見る事があります。ここでの圧巻は、2000年前にキリストが誕生したと伝えられている洞窟のある聖降誕教会です。また、この一角にはギリシャ正教とキリスト教の聖カテリナ教会の建物が隣り合っています。違う宗教の教会が隣り合って、しかも何の不自然も感じないのは、宗教に対する共通の考え方があるからでしょう。感慨にふけている間に2時間が過ぎ、あわててタクシーでホテルに戻りました。
翌朝、イスラエルから出国するためにテルアビブの国際空港へ行って驚きました。空港のロビーには多くの兵隊が警察犬を連れて隅々までチェックしています。正に厳戒体制でした。私が食事のためにテーブルから離れたところにトランクを置いたら、「これは誰の持ち物か」と兵隊がその近くの人々に聞いて回っているのには往生しました。以前からイスラエルへ行く機会を狙っていた私にとっては、今回の旅行は正に生涯忘れられない経験となりました。
毎日の新聞、テレビ報道によると、イスラエルとパレスチナの戦争により平和な街が破壊され、罪のない一般市民が戦禍に遭っていることに、深い悲しみを感じています。今回の戦争には中東の諸国、中でもイラン、イラク、アラブなどが直接的、間接的に関わっています。1日も早い停戦を祈っております。
私は2−3日体調が悪い日が続くと、街の薬局の薬を使うことは少なく、専門のクリニックへ行くことにしています。喉が痛い時は近くの耳鼻咽喉科へ、胸が痛いと循環器内科へ、目尻が痛んだ時は眼科へ、などなど早めに専門医に診察してもらうことにしています。専門医の診断の結果を聞くと安心します。診断の結果、さらに治療を要するときには他の大病院を紹介してもらう。私は病気の時は自分で判断したり悩まないで医者に相談することにしています。医者は病気の診断、治療の専門家です。たとえ「ヤブ」であってもそれなりに専門の教育、経験を持っています。
ちなみに、「藪医者」の語源は、草木が生い茂った「藪」とは直接関係なく、もともとは「野巫(やぶ)」と書いたとされています。 「野巫」とは、まじないを使ったあやしげな治療しかできない田舎の医者のこと。 昔はまじないもれっきとした治療法だったが、医学の進歩に伴い、まじないに頼る治療法はバカにされるようになったことに由来します。
最近の医師は患者の診断の時に目の前の電子カルテが書いてあるパソコンから目を離しません。従って、パソコンと向かい合っている時間が長くなり、昔のように患者と対面で話しながら診察することが少なくなりました。
「何でも気軽に話せる」ことが、かかりつけ医としての重要な条件の一つです。さらに、患者との相性が何よりも大切です。それには実際に医師と会って自分や家族が確かめるのが一番です。「医師」も人間ですし、いくら高い医療技術を持ち合わせていても、患者との相性が合わなければ 「何でも気軽に話せる」雰囲気にはなれません。それには、これまでにかかった人々の意見を参考にすることがかかりつけ医を決める大切な条件と言えます。
かかりつけ医を決めたら、診療を通して医師と信頼関係を築く事が大切です。検査・入院といった専門的な治療が必要になり、大規模の病院を紹介してもらったときにも、その後の経過(診断結果、処方された薬など)についても報告する事が重要です。このような心がけは、その後の健康管理に役立つばかりでなく、お互いの信頼関係を深める事ができます。
医者と言えども一人の人間です。医者を選び基本は「人間的に尊敬できる良い医者を選ぶことです。 患者を怒る医者はよくありません。
患者:「風邪をひいたようですが?」
医者:「風邪をひいたかどうかは、医者が判断するものだ。風邪をひいたとわかっているなら、 医者にはかからなくていいよ。」
肝臓が悪くてお酒を控えるように言われている患者が、お酒を大量に飲んでしまったとき、
医者:「いくら注意しても少しも医者の言う事を聞かないね。悪くなっても僕は知らないよ。」
このような医者は、腕が良くとも頭が良くとも、医師としては失格です。
患者を“叱る”のは時にありうることですが、患者を“怒る”のはあってはならない事です。また、難しい医学用語や言い回しをたくさん使って説明する医者は良医ではありません。患者にわかるような言葉で丁寧に説明してくれる医者が良い医者です。
医者は自分の専門的経験に基づいて患者のいうことを聞きながら最良の治療法を考えます。問題は患者の症状が自分の専門外のときです。内科でも心臓と胃、腸では専門が違います。しかし、内科と看板を出している街のクリニックの医師は、自分の経験に基づいて診断し、薬を処方します。色々会話している中で、医師は最初は丁寧に話していますが、その後患者が「結局、私の病気の原因はなんでしょうか」と質問すると、「それは私の専門ではないので、専門の先生を紹介します」と言ったりします。患者がしつこく質問すると、医者はイライラしてだんだん言葉が慇懃無礼になります。そんな状態になったときには「これ以上聞くなよ」というのが医者の本音ですのでそれ以上の質問をしないほうが無難です。
医者の診断は経験に負うところが大きいです。「この治療で絶対に治る」、「必ず効果がある」、「間違いなく」など、良医は口に出しません。特に内科の場合は、患者のいうことが曖昧な場合は、医師は自分なりに判断します。医者の誤解を防ぐために、いつから、どの部位が、どの程度の痛みか、など具体的に伝える必要があります。 内科の医師は患者の訴えを聞いて自分のそれまでの経験に基づいて病名を推測しなければなりません。例えば風邪だと思っても初期の段階では「風邪です」と断定はできず、風邪の可能性が高いとしか言えないのです。従って、一般的に使われる解熱剤、咳止めなどを処方して一週間後に再度様子を見るのが通常の診療です。その判断が的中した時には、症状がだんだん回復し治療の効き目が出始めます。そんな時、その医師は頼りになる医師として評価されます。
病院の選び方のポイントは、病院や医師を信頼できるかどうかが重要です。特に手術を必要とする大きな病気や、長期にわたり治療が必要な病気の場合、病院や医師との信頼関係が成り立たないと、治療にも影響が出るので、しっかりと自分にあった病院を選ぶ必要があります。 下記はある団体が533人を対象に希望する病院の選択についてとったアンケートの結果です。優先順に列記します。
1位 通院しやすさ(時間・場所)(420人、84%)
2位 家族や知人の口コミ(261人、52.2%)
3位 診療実績(210人、42.0%)
4位 施設や設備のきれいさ(119人、23.8%)
5位 医師の経歴(104人、20.8%)
6位 口コミサイトの評判(95人、19.0%)
7位 提携先病院の数(69人、13.8%)
8位 施設の規模(45人、9.0%)
9位 その他(21人、4.2%)
10位 設立からの年数(18人、3.6%)
11位 医師の出身大学(学部)の偏差値(16人、3.2%)
12位 医師の知名度(メディア露出が多いなど)(12人、2.4%)
13位 雑誌の病院ランキング(6人、1.2%)
最近は高齢者の増加に伴って、自宅で介護医療を受ける老人が増えました。これらの患者は、地方自治体により要支援、要介護の認定を受けています。医師が1週間ないし2週間に1回の割合で定期的、且つ、計画的に訪問し、診療、治療、薬の処方、療養上の相談、指導等を行っていきます。訪問医師の他に、ケアマネージャーとの契約内容に応じて、看護師、ヘルパーなどが随時訪問します。
毎日の生活の中で突然体調が悪くなったときに、近くのかかりつけのクリニックへ駆け込むことは、病気の原因を明らかにすることができて患者本人にとっては心身共に安まることです。夜間やかかりつけ医が休診の時は、地元の夜間救急診療や救急電話相談などに連絡して緊急の事態を解決することが必要です。
今年も間もなく終わります。2023年も拙文をご笑覧頂きまして有り難うございました。
よい年末年始をお過ごしください。また来年もどうぞよろしくお願い致します。
追記
本文に関連した内容として、本シリーズ「97話 医者の見分け方」もご参照下さい。
昔から「十月十日(とつきとおか)」と言われているように、妊娠期間は約10カ月間です。この間、母親と胎児は文字通り一心同体で生活しています。というよりは、胎児は母親の体の一部です。
母と子供の絆は強い。それは医学的に妊娠した時から始まります。胎児は子宮内で自分の力で積極的に成長する機能を持っていません。そのため、妊娠すると子宮内に胎盤が形成されて、そこには母体からの血液を貯めるための血管が満たされています。その血管は母体と胎児の間の連絡通路である臍帯(へその緒)を通して母体の血液内の栄養分や酸素が胎児に供給されることにより成長します。胎児はもっぱら母体からの栄養素、酸素の供給に依存して成長するのです。つまり、母と子の相互の働きかけは、すでに胎児期に臍帯を通じてストレス・ホルモンを介して始まり、出産の前後に最高潮に達します。出産後は五感によるメッセージが加わって、母子間の相互の交流は深まります。
生物の細胞の遺伝子が両親の生殖細胞である卵子や精子を通じて子に伝わることにより子は親に似ることになります。父親と息子、母親と娘の相関は相関係数0.5と明らかな相関があるようで、父と娘、母と息子は0.3の相関があるとのことです。
知能は遺伝子の影響が大きいと考えられてきました。 しかし近年の研究により、頭の良さは先天的よりはむしろ後天的なものの影響の方が大きいことがわかっています。慶応義塾大学(行動遺伝学専攻)の安藤寿康名誉教授によれば、IQはおよそ5割が遺伝の影響を受け、残りの5割のうち3割は家庭環境が影響するそうです。
遺伝とは親の特徴が子へ受け継がれる現象で、ヒトの遺伝子は25,000種類以上あります。親から子へ遺伝するのは以下の2種類が知られています。
• 容姿などの外見的遺伝
• 性格などの内面的遺伝
1.容姿などの外見的遺伝
身長
子の身長の8割が親からの遺伝の影響を受けます。しかし、完全に親と同じ身長になるとは限りません。遺伝要因の他に、環境要因も身長を決める要素の1つだからです。
顔つき
これも遺伝します。一般論として、男性は母親、女性は父親に顔が似るといわれていますが、今のところ科学的に証明されてはいません。
2.性格などの内面的遺伝
性格の50%が遺伝で、残りの50%が環境によるといわれています。性格は両親から受け継ぐことが多いです。
例の1つとしてセロトニン分泌に関わる遺伝子があります。セロトニンとは精神を安定させる働きをもつ神経伝達物質です。セロトニンが少なければ、イライラや不安が拭えないなどの精神の不安定がみられます。近年、セロトニンは「幸せホルモン」と呼ばれて、やる気や幸福感につながる脳内神経伝達物質の9割であることが明らかになっています。また性格は、育つ環境によって大きく変化します。仮に同じ遺伝子をもっていたとしても、親の育て方次第で大きく性格が異なります。
4億人以上を対象とした大規模な「家系と寿命」に関する研究結果によると、夫婦で長生きする程度が似ることから、環境が遺伝子よりも重要であることがわかりました。遺伝子が寿命に及ぼす影響は7%以下であるとのことです。
夫婦間の類似性は、異性の兄弟間よりも高くなっていました。考えられる理由は、夫婦は同じ屋根の下で暮らすため、食事や生活環境を共有するということです。
母親が子を思う手紙のなかに野口英世へ宛てた母親の手紙がよく知られています。福島県の猪苗代の野口英世生家には母シカが英世に宛てた手紙が展示されています。シカは幼いころ、文字を覚えはしましたが、その後ほとんど文字を書く機会がありませんでした。後に英世は母が字が書けるとは知らなかったと語っています。
「はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみてありまする」(早く帰って来てください。早く帰って来てください。一生のお願いです。)と、長い年月会うことができない英世に、一目会いたいという気持ちを切々と綴っています。手紙を受け取った英世は、1915(大正4)年に15年ぶりに帰国し、母との再会を果たしました。約2か月間滞在し母シカは英世とともに過ごす時間を「まるでおとぎの国にいるようだ」と語っています。
11月4日に英世は、横浜からニューヨークへ戻りました。そして、その後二度と日本の地を踏むことはできませんでした。
私の年代の人間にとって母親と息子との絆を綴った手紙としては特別攻撃隊員(特攻隊)の遺書を忘れることはできません。
特攻隊は、太平洋戦争中に編成された特殊部隊で、片道分だけの燃料を積んで敵の艦船を爆撃する攻撃隊です。 隊員は自分で志願した20歳そこそこの若者です。それらの隊員は国や家族を想い、尊い命を犠牲にして戦地へ向かいました。
彼らの本音や母親に宛てた想いがつまった手紙が数多く残されています。その中でいくつかの例を挙げます(紙面の都合で文章は一部省略しました)。
・相花信夫(享年18歳)
母上様御元気ですか。永い間本当に有難うございました。我六歳の時より育て下されし母。継母とは言え世の此の種の母にある如き。不祥事は一度たりとてなく 慈しみ育て下されし母。有難い母 尊い母。俺は幸福であった。ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺。幾度か思い切って呼ばんとしたが 何と意志薄弱な俺だったろう。母上お許し下さい。さぞ淋しかったでしょう。今こそ大声で呼ばして頂きます。お母さん お母さん お母さんと。
・茂木三郎(亨年19歳)
僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない。お母さん、良く顔を見せてください。しかし、僕は何んにも『カタミ』を残したくないんです。十年も二十年も過ぎてから『カタミ』を見てお母さんを泣かせるからです。お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。それが僕の別れのあいさつです。
・広田幸宣(亨年21歳)
母上様 たびたびのお便りうれしく拝見致しました。この前の便箋7枚の手紙を見ては涙がとめどなく頬を伝わりました。金送りましたが、こんなに喜んでいただけるとは思いませんでした。神様などへ備えなくともよろしいですから、すぐ用立ててください。少し金持ちらしくやってください。財布が底抜けにならぬよう一ケ月に一回は必ず補給します。(中略) 私は貯金はこちらでたくさんやっていますから、送った金はぢゃんぢゃん使ってください。(中略) みかん着いたそうで何よりです。できたらもっと送りませう。玉ちゃんにも小遣いできるだけ送りますからお嫁に行く日の貯金に、お母さんの書いて寄越されたことも近い中にあるかも知れません。今度、金が自由になったらゆっくりと面会に来られないですか。やがては泊りもありますし、来ますし、共に寝ることもできるわけです。汽車は酔わなければ良いのだがなぁ。トランク要るなら送っても良いです。ではお体大切に。 ベッドの中で 懐かしい母上様、かぁちゃんよ!!
人づくりの原点は母と子の絆にあるとされています。子供は毎日の生活の中で、両親を見ながらその生き方を学び取り、少しずつ人間的に成長していきます。ところが、核家族化が進み、共働きが一般化する中で、こうした「人づくり」の基盤が見失われてきました。
さらに憂慮すべきことは、職業を持つ女性が子育てよりも仕事に重点をおいたため、母と子の絆が薄められつつあるという現状です。
高齢になると身なりに関心がなくなります。恐らく高齢者の身だしなみには誰も関心がないだろうと思い込みがちですが、意外に多くの人々が注目している様です。自省を込めて言うならば、男性の中には、身なりに無頓着な人が少なくありません。清潔感がないと相手に不快感を与えてしまいます。例えば、髪、ひげはだらしない印象を与えないようにしたいものです。私事で恐縮ですが、普段は無口だった私の母は生前に、無精髭は不潔に見えるので、「年をとっても髭だけはよく剃る様にしなさい」と注意されました。基本的に「身だしなみ」とは、相手に不快感を与えないように気を遣うことだと思います。
最近、高齢者の方が駅や病院などで暴力を振るう、暴言を吐くなどの犯罪がマスコミに報道されることが増えています。そのため高齢者に対して、若い世代の反感の声も強まりつつありますが、なぜこのようなことが起こるのでしょうか。 高齢者が怒りやすいとされる要因の一つに加齢による性格の変化があります。急に怒ったり、些細なことで暴言を吐いたりする高齢者が少なくありません。ここでは「怒りやすくなる原因」と「怒りやすい高齢者への対応」について考えました。
人間の「怒り」の感情は脳の「大脳辺縁系」という部位で起こります。その「怒り」を抑制する機能は頭の前部にある「前頭葉」が担っています。ところが前頭葉は、加齢とともに働きが低下し、さらに高齢になると前頭葉が収縮して、判断力や感情の抑制力が低下します。抑制する力が弱まり、怒りを抑えられないことが、外から見ると老人はキレやすいと捉えられてしまいます。
高齢者がキレやすくなる病気の一つに「認知症の初期症状」があります。感情のコントロールが難しくなることで、キレやすくなります。さらに周りの状況を理解して把握することが困難となり、イライラしたり怒りっぽくなったりする症状がみられます。突発的に大声を出して叫ぶ患者もいます。また、認知症の症状が進行すると今まで出来ていたことができなくなります。そのことを周囲から指摘されることでプライドが傷つき、感情が高まってしまうケースも少なくありません。
1.認知症による不安や猜疑心によるもの
認知症の方は、今までできたことができなくなるときや、物忘れがひどいときにはイライラして家族や周りに当たってしまうことがあります。相手を疑う気持ちが強くなり、人を信頼できなくなる傾向も見られます。被害妄想や強迫観念が強くなって、常に「どうしたらよいだろう」「怖い」などを口にします。
また、高齢者の認知症患者の中には、「ある状況に対して、衝動や感情を抑えることができなくなることがあります。これを「脱抑制」と言います。脱抑制の可能性がある人は、感情のまま行動してしまいます。常識的に人前ではマナーを守って、社会的に外れないようにコントロールしようとする抑制ができなくなります。具体的には後先を考えない行動や、突然泣き出したり怒ったりして感情を出す症状が現れます。
2.感情失禁で怒りが表に出やすくなる
高齢者の場合、感情のコントロールができないと、ちょっとした刺激で喜怒哀楽を急激に変化させて表現する状態になることがあります。これを「感情失禁」または「情動失禁」と言います。脳卒中や脳梗塞などで脳の神経細胞が破壊され、高次機能障害になってしまった方に多く現れる症状です。
怒りやすくなっている高齢者を鎮めるためには、次の3点が役立ちます。
1.人間関係を広げるきっかけをつくる
定年を迎えると、仕事を通して人間関係がなくなる男性が多いことから、社会的孤立に陥る傾向が強くなります。そこで、常に新しい人と出会い、新しい行動を取り入れていくことが、脳を刺激し心を穏やかにするために必要です。仕事以外でも、趣味や地域の友人を作ることができれば、定年後の日常生活で人とのコミュニケーションをもつことができます。夫婦や家族で地域のボランティアに参加したり、習いごとの教室に通うのも有効です。
2.家族が主体的に関わりをつくる
現役で会社勤務をしていた時に友人や知人を作らずに仕事に没頭した人は、老後を一人で過ごす可能性が高くなります。このような場合は、家族でコミュニケーションを取れるかどうかが重要です。昔の同僚など誰かと話をする機会を持つことで気持ちが落ち着くことも多くなります。
3.話を受け入れる態度
社会人として他人とのコミュニケーションを円滑にするには、高齢者の方の意見を尊重するといった、人生の先輩として敬う姿勢を心がけることが必要です。高齢者は、いままで多種多様な経験をしています。長年生きてきた中で培ってきた人生経験とプライドがあります。同じ話を何度も繰り返す、言葉を間違えることがあっても、否定したり怒ったりしないで、そのままを受け入れることが必要です。高齢者の方は昔頑張った仕事について質問すると、喜んで教えてくれます。これも高齢者と良好なコミュニケーションをとる手段の一つです。
高齢者が怒りやすい背景には、孤独感や不安が存在していることが少なくありません。周囲の人々が関係を持つことを拒否してしまうと、うつ病や認知症になる可能性もあります。高齢者の孤独感は加齢とともに増加します。その原因は友人が他界したり、交流が徐々に薄れたりすることによります。高齢者の場合、まずは少しずつでも友人や知り合いとのコミュニケーションをとることです。それにより気持ちを和らげることができます。私の場合、特に急用がなくともできるだけ毎日友人、知人の一人と電話で話し合うことにしています。こちらから一方的に電話しますので先方は迷惑かもしれませんが、彼らはすでに現役を離れて70−80歳、90歳ですので有難いことに雑談に付き合ってくれます。今後ともよろしくお付き合いのほどお願い致します。
総務省統計局 によると、2023年9月現在の高齢者人口は3,623万人、高齢者人口率は29.1%となりました。超高齢社会が進むと深刻なのが認知症です。
平成29年度厚労省の高齢者白書によると、2012年は認知症患者数が約460万人、高齢者人口の15%だったのが、2025年には5人に1人、20%が認知症になるという推計もあります。認知症の主な要因の一つは加齢にあることから、超高齢社会では誰も認知症になりうる環境です。
「認知症」とは、「正常に発達した知能(脳)に何らかの原因で記憶・判断力などの障害が起き、日常生活がうまく行えなくなる病的状態」を言います。単なるもの忘れとは違って、明確な脳の病気です。その結果、社会生活あるいは職業上に明らかに支障をきたし、それまでの能力が明らかに低下した状態です。現在では日常的に“認知症”という言葉を使っていますが、医学的には “認知症”は病名ではなく、患者に見られる共通の症状を表す名称(症候群)です。
脳の萎縮
認知症は原因によって(1)アルツハイマー型認知症、(2)脳血管性認知症、(3)レビー小体型認知症の3種類に分類されます。
1.アルツハイマー型認知症
脳は加齢とともに徐々に萎縮します。萎縮の速度には個人差があり、その速度が速いとアルツハイマー型認知症の原因になります。また、アミロイドβ(ベータ)という化学物質が脳内に貯留するとさらに進行します。また、脳の記憶をつかさどる「海馬」(かいば)が萎縮することで、もの忘れなどの記憶障害が起きます。
2.脳血管性認知症
脳梗塞、脳出血などで脳の血管が一時的に詰まったり、怪我で脳の機能が低下すると脳血管性認知症になります。この種の認知症は、原因の脳梗塞、脳出血が治ると認知症症状もある程度改善されます。脳は、各部分により担う機能が異なるため、脳梗塞、脳出血を受けた部分の機能は低下しますが、ダメージを受けなかった部分の機能は比較的健在ですので、障害を受けた箇所が改善されると記憶能力も改善されます。
3.レビー小体型認知症
この種の認知症は正常な意識や血圧の調整を司る自律神経が失調しやすいという特徴があり、夕方や食後に一時的に症状が悪化することがあります。例えば、食後にぼんやりして反応が鈍くなったり、時には幻覚をみたり、意識混濁、混乱状態になることもあります。
認知症の原因は色々ありますが、その一つがストレスです。生活環境が突然変わると、高齢者はそれが強いストレスとなり順応性が破壊して精神状態が異常になり、その結果、認知症やうつ病の状態になることがあります。認知症になると回復する事は極めて困難で、多くの場合徐々に症状が悪化します。 ストレスが長期間続くと、ストレスホルモンの分泌が続きます。ストレスホルモンは全身の血流を悪くするので、脳の神経細胞もその影響を受けて必要な栄養や酸素の供給が減少します。その結果、脳の中の記憶を司る海馬が萎縮し認知症を招くと言われています。
加齢とともに脳の神経細胞は減少しますが、ストレスは脳神経細胞の死滅速度を加速させます。脳の神経細胞は肝臓や腎臓など体の他の臓器と違って、一度死滅すると新たに生成されることはありません。ストレスが溜まると意欲が低下し、周囲の何事に関しても無関心になります。そのため、他人との関わりを避けて自宅に閉じこもり、うつ状態になる結果、外界からの脳への刺激が少なくなります。その一つが「リロケーションダメージ」です。
高齢者の場合、環境の変化に順応することが難しくなるため、それまで経験したことがない強いストレスが長期間続くと、それが引き金になって認知症を発症することがあります。認知症になると前述の症状が顕著になり、日常生活や社会生活が困難になります。認知症は不治の病です。年単位に多くの症状が出始めて、最後は家族の顔を認識することができなくなります。
認知症の初期は最近起こった事、今朝のことを忘れやすいのが目立つ様になったと感じるくらいで、日常の生活でそれほど深刻な病的症状は見られません。しかし、症状が進行すると、それが極端になり、最終段階では家族の顔も名前も覚えられなくなります。
認知症の最初の薬である“アリセプト”は日本のエーザイ(株)で開発されました。その開発グループで中心的な役割を果たしたのが杉本八郎博士です。杉本博士はエーザイを定年退職後、京都大学薬学部教授となり、さらに同志社大学薬学部教授となり現在でも精力的にご活躍です。杉本博士が認知症の母を訪ねたときの有名な逸話があります。
私の母は認知症を患いました。私が訪問するたびに母は尋ねました。「あんたさん、どなたですか?」。私は、母が自分の子どもすら認識できないことに衝撃を受けました。「お母さん、私はあなたの子どもの八郎ですよ」。すると母はこう答えました。「ああ、そうですか。私にも八郎という息子がいるんですよ。あなたと同じ名前ですね」。これは、私にとって笑うことのできない悲しい体験でした。私は、母との対話を胸に秘め、この難病中の難病といわれているアルツハイマー型認知症に有効な新薬を開発することに、研究者としての使命感をますます鼓舞されました。
(詳細は「メディカルトーク」【8. ど忘れと認知症は別もの】を参照)
認知症の患者が物忘れになると周囲の人々はその誤りを指摘しそれを注意します。しかし、それは本人にとってかえってストレスの症状を助長します。認知症に患者に命令的口調で話しかけると、多くの場合それに反対し拒否します。認知症の患者と接する上で重要なことは、本人が言うことを叱ったり、否定しないで言うことを認めることです。これを実行するためにはかなりの辛抱強さが求められます。認知症の患者はその行動に波があり、1日の中で朝や午前中は比較的正常な会話ができますが、夕方から夜間になると、病的症状が顕著になることが多いです。一般に認知症の患者は頑固になり一度言ったことを執拗に主張するので、それを叱るのを我慢して柔らかな表現でなだめることは容易ではありません。
認知症は本人が自覚しない間に症状が進行します。数種類の治療薬が開発されていますが、症状の進行を止めるか和らげる程度で完治することはできません。本人にとって強いストレスが続くと、患者はそれに順応することができなくなり精神的に破壊します。その結果、そのことだけを考え込む、食欲がなくなる、他人が自分の悪口を言っている、など被害妄想の兆候が顕著になります。本人の行動が明らかに誤って周囲の人がそれを訂正しようとしても受け入れようとしません。順応力が破壊されて環境に合わせることができなくなります。認知症の患者は自分の言うことを受け入れる優しい人と、常に叱りつける人を明確に区別して行動します。認知症患者の理不尽な言い分に対して優しく接するにはかなり辛抱がいります。一般に、高齢者になると頑固になりますが、それが異常に強くなったら認知症の入口かもしれません。認知症の患者とうまく接することは辛抱の連続ですが、それが高齢化社会の宿命です。
参考資料
「メディカルトーク」114. 認知症治療薬の最前線
<付記>: 挿絵は画像生成AIで作ったものです。(赤川)
人は誰しも老いていきます。そしてその老い方は人それぞれです。私は今年93歳になりました。皆さんからどんな生活をしているのか聞かれますが、特別な秘訣はありません。私の大学の同級生は半数が亡くなりました。連絡をとっていない人を含めるともっと多いかもしれません。高齢の友人の暮らし方などを見聞すると本稿で述べる様なことに集約されます。
長生きする人の生活習慣は、1。無理のない適度な運動(有酸素運動)をする。2。バランスのとれた食事をとる。3。ストレスのないポジティブな思考、生活をおくる。
1.運動の促進
高齢になり運動量が低下すると、心臓病、脳卒中、がん、足腰の痛みなど多くの病気のリスクが高くなります。運動習慣のある人は、病気の発症率、及び死亡率が低く、運動をすることで、精神状態や、生活の質の改善にも効果があると言われています。しかし、高齢になると積極的に運動をする機会が少なくなります。私は特別な運動はしておりませんが、出来るだけ散歩するように心がけています。
2.食事のバランス
食事は、栄養のバランスをとることが大事です。栄養のバランスの具体的な種類としては、10大栄養素が知られています。①肉、②魚介類、③卵、④大豆製品、⑤緑黄色野菜、⑥乳製品、⑦海藻類、⑧いも類、⑨果物、⑩油です。しかし、家庭の中で毎食栄養を考えて用意するのは容易ではありません。適当にバランスが取れた食事で十分なのではないでしょうか。
高齢になると多くの病気があります。出来るだけ毎日自分で血圧、体温、体重のチェックをすることが大事です。発熱や咳などの症状が2−3日続いたら、ためらわずに病院で受診をお勧めします。診察を受けて原因はわかったらそれに対応する処置をすることにより安心できます。「どうしてもっと早く来なかったですか」と医師に言われる前に、少しでも症状がある時は早めに診察してもらうことが必要です。
高齢になると若い頃と比較して外出を控えるようになり、友人、知人と会う機会が減り、体力が落ちるなど悪循環になる傾向があります。家族や友人との繋がりは極めて重要で、人と会って会話をすると、相手の話に合わせて話をするために脳が活動し、相手の様子を見て雰囲気をつかんだりするなど頭も使います。家族や友人と交流を持つことは、認知機能の低下を抑えることもわかっています。日常生活に支障のない健康な高齢者であっても、積極的に友人との交わりをしない人は、社会的に孤立と閉じこもり傾向になり、加齢による心身状態の悪化が一段と進むことになります。
傾聴とは、悩んでいる人の話を、相手の立場に立って、相手の気持ちに共感しながら理解しようとすることです。高齢になるとなかなか自分の本心、意向を話さなくなりますが、身体状態、精神状態を受け止めてくれる人がいれば、安心して話すことができます。高齢者にとって本当の幸せは、自分の事をしっかりと受け止めて理解し、支援してくれる人がいる事です。それは、家族であり、親しい友人です。
最近迷惑電話や詐欺の電話が家電に頻繁に入ります。それを防止する為に、私は留守電にメッセージが残していない場合は無視することにしています。先日、一日6回同じ電話番号から電話が入りました。知らない電話番号です。最初は無視していましたが、午後10時に電話のベルがなったときには、相手と対決するつもりで受話器をとりました。相手の最初の言葉を聞いて迷惑でも詐欺でもないのでとりあえずホッとしました。最初の5分ほどの話の中に私の友人Yさんの名前が度々出たので、彼のお父上であることがわかりました。お父上は96歳とのことです。私は93歳ですが、この歳になると年上の人と話をする機会が少ないので、私にとっては興味を持って話を進めました。
以前にYさんから聞いたところでは、お父上は耳が遠いとのことでした。確かに電話では私の質問は無視してご自分のことを休みなしに話し続けました。高齢者は長話であることは有名ですが、お父上の話は止まることを知らず諸々の話題について40分続きました。後でYさんに聞いたところでは、父上からの電話は1時間くらいは日常らしいです。話題は、毎日畑を耕しているなど、96歳としては素晴らしい毎日の暮らしであることを知りました。もっとも驚いたことは、以前から身の回りをお世話してくれていた女性と再婚されたとのことでした。女性には大変感謝しており、御礼として自分の土地の一部を彼女に差し上げました。しかし、差し上げると贈与税の対象となることがわかったので、彼女の籍を入れて実質上結婚したそうです。健康に問題ない96歳の再婚は素晴らしい人生です。相手の女性は80代とのことでした。心からご夫妻のご長寿とお幸せをお祈りします。
これまで 「メディカルトーク」では高齢者の生き方について度々書きました。加齢に伴って物事に対する考え方、生き方などの個人差が大きくなります。どれがベストか各人の考え方により違いますが、他人と協調することにより精神的に楽に毎日を過ごすことができます。もう一つは、加齢とともに順応性が鈍くなってきます。周囲の変化への適応が困難になると、ひとり取り残された感じになります。そんな不安状態になった時には友人、知人と話すことにより解消します。好奇心が旺盛であることも一つの要因です。今回の内容について詳細は下記の参考資料をご一読ください。
参考資料 「メディカルトーク」90話:「穏やかに人生の最終章を迎える」
追記
次号は私の紀行文「旅のこぼれ話」の中から選んで掲載いたします。
<付記>: 挿絵はChatGPTで作ったものです。(赤川)
海外旅行を経験した人は、日本程安全な国はないと感じます。確かに、ヨーロッパでもアメリカにしても、観光地であればどこでも危険と隣り合わせです。ローマの観光地では物乞いの子供が群れをなしており、観光客にぶつかってきて財布などを奪うことがあります。こんな経験が重なると折角の史跡の観光もいやな印象を残すことが少なくないのです。
1980年代に初めて北京へ行ったときに、外国の観光客が集まる場所や、外国人が多く宿泊している高級ホテルなどの前には、夜になると若い母親が子供を連れて旅行客に物乞いをする姿が多く見られました。しかし、2000年頃に行ったときには、中国政府の厳しい取り締まりによりこの様な光景は見られなくなっていました。流石にこのような光景は中国の権威にかけて世の中に見せるのは国の恥と政府が厳しく管理したものと思います。世界中を旅行していると予想もつかない危険を経験することが少なくありません。今回はその中で私が体験した三つの災難を述べます。
やがて友人がトイレから戻ったので一部始終を話してひたすら謝りました。幸いかばんの中には高価なものはなかったですが、彼は私が差し上げた日本のお土産を失った事を非常に悔やんでいました。彼は早速ホテルの警備責任者を呼び、世界的に有名なホテルの警備のお粗末さを指摘し、警官を呼んで事件として処理することを命じました。ホテル側も警察も毎度のことらしく事務的に処理し、型通りの書類を提出しました。ホテルの係員によると、この手の盗難は有名なホテルに常駐しているプロ窃盗団の技だそうです。その後どうなったか知りません。
実例2。1994年、ベルギーへ旅をした時のことです。パリでの会議の後、列車でベルギーの首都ブラッセルへ行くため、乗換駅のアントワープに途中下車しました。アントワープは日本人にとっても人気の観光地です。アントワープ駅のホームでブラッセル行の列車を待っていました。 アントワープはベルギーの中で、首都ブリュッセルに次ぐ第二の都市で、ルネサンス期の有名な画家であるルーベンスの自宅兼アトリエは「ルーベンスハウス」として博物館となっています。日本人の観光客も多く訪問しています。私も以前にベルギーで会議があったときに訪れました。
私にとっては印象深い芸術の都であるアントワープの駅のプラットホームで列車の到着時間が間近だったので、大きな旅行カバンと毎日使っている手提げカバンを足元の背中側において列車の来る方を見ていました。しばらくして何気なく足元をみると手提げカバンがないのです。瞬間、周囲を見回すと5メートルほど先を少年が私のカバンを持ったまま小走りに走っていました。私は旅行カバンを置いたまま反射的に走って手提げカバンを少年からもぎとって腕をつかまえました。少年は、”Sorryすみません"と言ったままホームを走り去りました、一瞬の出来事です。置き引きにあったのは初めての経験だったので、少年をつかまえた瞬間どのようにして問い詰めるかを考えました。しかし、気にかかるのは、5メートル離れたところに置いたままの私の旅行カバンです。
もし、少年が二人組だったら、この少年をつかまえている間に、もう一人が私の大きい旅行カバンを狙うに違いないのです。もし、あと10秒気が付くのが遅かったら私の手提げカバンは彼等の飯代になっていたに違いありません。その中には、現金、航空券や会議の書類などなど旅行を続けるための必需品が入っていました。もし、これを紛失したら私にとっては明日からの旅行が出来ないこととなっていたのです。 今回の経験から、荷物を足元に置くときには必ず視界の中に置くこと。どちらに目を向けても神経を荷物から離さないことです。漫然と立っているとあなたもいつかは同じ災難に会うかもしれません。その後、ヨーロッパへは度々行きましたがそれからはアントワープを訪れる気にはなれませんでした。
実例3。1998年にスペインのアリカンテで開催された国際会議が終った後バルセロナの大聖堂の近くにある築100年という宿に一泊しました。 行ってみると、立て付けはかなり古いがそれなりに歴史を感じさせる古色蒼然とした建物でした。チェックインし、部屋に入りひと休みした後バストイレに入りました。何気なくドアを閉めて、用をたして出ようとしてドアのノブを回したが空回りして全く開かない。時間は夕方で薄暗くなって、 バストイレには小さな窓がついているだけです。いくら大声をあげても聞こえそうもない、電話もついていない。人間、パニックになると思わぬことを考えるものです。若しこれでドアが開かなければ、明日部屋を掃除するメードが来るまでこの個室から出られないだろう。明日の飛行機の時間は朝早い。どうしようかとしばらくトイレの座席に座り込みました。考えた末、最悪の場合は体当たりして木製のドアを破るしか手はないだろうということでした。
再度、夢中でノブが壊れる程強く上下左右に動かしたところ、なんと突然ドアが開いたのです。地獄で仏です。大聖堂の前なので地獄でキリストかもしれません。あわててバストイレから出て階段を走り下りてホテルのフロントへ行き厳重抗議しました。しかし、フロントの係は「早速修理させます」と言うくらいで全く詫びる様子はありませんでした。古いホテルなのでひょっとして毎度の事なのかもしれません。 暖簾に腕押しです。既にあたりは真っ暗になり、折角楽しみにしていたバルセロナの市内観光も時間がなくなりましたが、このまま部屋に戻るのも気が落ち着かないので、暗くなったバルセロナの中心街をぶらぶらして、ホテルに戻ったのは夜11時でした。あれ以来、私はホテルのバスに入る時にはドアを決して閉めず僅かに開けておくことにしています。皆さんも、ヨーロッパの古いホテルに一人で泊まるときは、必ずドアを少し開けておくことをお勧めします。
「旅のこぼれ話 第1話」を編集
<付記>: 挿絵はChatGPT- 4で生成したものです。(赤川)
「さようなら」は「さようならば」の変化した語で、もともとは、「それならば」、「それでは」という意味の接続詞です。それが、「ごきげんよう」「のちほど」などのほかの別れの表現と結びついた形で用いられるようになり、江戸時代後期に独立した別れの言葉として一般化しました。
「さようなら」は“ありがとう”と並んで最も美しい日本語といわれています。また、「さようなら」は別れの言葉です。私事で恐縮ですが、60代後半から10年間、年間50−100日くらい国際会議に出席のため海外へ出張しました。帰国の時に、JALを利用すると成田空港に近づいて着陸態勢に入った頃、CAは挨拶のアナウンスの最後に、「それでは御機嫌ようさようなら」と結んだ。私はこの「さようなら」を聞くと無性に寂しく、悲しくなりました。これで誰とも会えなくなるのか、皆さんはどこへ行くのだろう、など自然に悲しくなったことを鮮明に覚えています。成田に到着する時間は夕暮れか夜が多かったので一層感傷的になったのかもしれません。
人生には、楽しい出会いもありますが、悲しい別れもつきものです。学校では入学は出会いの時であり卒業は別れの時です。長い間住み慣れた土地を離れて他の土地へ引っ越す時など、近所の人々との別れは辛いものがあります。最大の別れは人生の終焉に際して、万感を込めて交わし合う今生の別れ、そんな場面では「さようなら」という言葉で別れを語りかけます。
誰でも経験するように、別れには寂しさ悲しさを表す場面が少なくありません。たとえそれが日常的な別れであったとしても、「さようなら」という別れの言葉にはいとおしい響きがあります。その響きはたとえ日本語を知らない外国人にとってもその感受性が伝わるもので、昔、ハリウッドで「SAYONARA」という映画が作られたことがありました。
「さようなら」という日本語に込められている日本人の特別の思いを教えてくれたのは、東京大学名誉教授 竹内整一先生の著書『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』 (ちくま新書)(2009年)という本です。 それによると、世界中には多くの別れの言葉があり、一つは「グッドバイ」(英語)や「アデュー」(仏語)のような「神のご加護を願うもの」、一つは「アウフ・ヴィーダーゼーン」(独語)や「再見」(中国語)のような「また会うことを願うもの」、一つは「アンニョンヒ・ゲセヨ」(朝鮮語)や「フェアウエル」(英語)のような「お元気でと願うもの」といった三つのタイプに大別されます。
しかし、竹内先生によると、日本語の「さようなら」の意味することは、そのどのタイフにも入らない、世界中どこを探しても『さようなら』のような意味あいはきわめて珍しいそうです。元々「さようなら」とは、「左様ならば」と、先行きのことを受けて、 後続のことが起こることを示す接続詞、つまりつなぎの言葉であり、それがやがて別れの言葉として自立して11世紀以来、「さようなら」と互いに口にし合いながら、別れ合ってきたということです。
日本人は「別れ」をいったん立ち止まって、今までのことを確認し、次のことへ進むための節目とすると考えていたようです。 そこで、「さようなら」という接続詞そのものが、いろいろな意味を含む別れの言葉になったのです。つまり、「さようなら」は「今まではこうだったのだから、そうであるならば、この先はこうしよう。」という意味を込めて、使っていたのです。
この「さようなら」に、どんな意味を込めるかは使う場面や使う人によって変わっていきます。竹内先生は前出の書物の中で次のような例を挙げています。
誰でも経験することですが、それぞれの年代で「さようなら」の意味は異なります。私の経験では次のことを思い出します。
なぜ日本人は「接続詞」を別れの言葉として、使っているのでしょうか。竹内先生によると「日本の忖度文化」に関係している、ということです。日本人の場合、全てを言わなくとも理解できるという忖度の文化があります。「さようなら」という言葉の意味は、さようであるならば、この先もきっと大丈夫ということです。日常的に何気なく使われている「さようなら」は「これからも大丈夫」という願いを込めて使うと本来の意味がもっと生きると思います。
日本人にとって「さようなら」は別れの言葉です。誰でも経験する様に、「さようなら」という響きは寂しさや悲しさを表す場面が少なくありません。外国人でも「さようなら」という日本語は一度聞いたらよく覚えています。最近の若者は昔ほど「さようなら」を言わなくなりました。それに代わる簡単な言葉、「じゃあ」「では」「また」などが日常的に使われているからです。私の様な昔の人間にとっては寂しい気がします。人間は2度死ぬといわれています。一つは肉体の死、もう一つは思い出の中から消えた時です。皆さんにとってどちらが本当の「さようなら」でしょうか。
<付記>: 挿絵はChatGPT- 4で生成したものです。(赤川)
小林製薬の紅麹サプリメントが大きな事件を起こしてから、サプリメントに関する関心が高まっています。サプリメントの利用目的は健康の維持と増進、病気の予防、食事で不足している栄養素の補給や疲労回復、美容やダイエットなど性別や年齢により目的は様々です。中には、病気の治療目的に使用する場合もあります。
薬のような対症療法ではなく、身体そのものの体質を変えていく健康食品なので、自分に必要な栄養素を見極め、品質にこだわったサプリメントを継続的に飲み続けることが重要です。本来、必要な栄養素は、毎日の食事から摂ることが望ましいですが、近年、食品に含まれる栄養価自体が減少しており、バランスの良い食事を心がけていても十分に摂取するのが難しいのが現状です。食生活が偏りがちな人は特に、良質のサプリメントで効果的に栄養を摂ることも一つの方法です。
医薬品の開発には10−20年かかります。最終的に厚生労働大臣の承認を受けた後、製造、販売が承認されます。また、医薬品は製品の品質が一定であり、有効成分量、有害物質の混入などが厳しく管理されています。万が一、医薬品によって健康被害が生じた場合には、医薬品副作用被害救済制度という公的な救済制度の仕組みがあります。
一方、健康食品・サプリメントは国の制度によって、「特定保健用食品(トクホ)」「栄養機能食品」「機能性表示食品」の保健機能食品と、それ以外の「その他健康食品」に分類されます。このなかで、サプリメントは特定の成分を濃縮し錠剤やカプセルの形をした製品です。
サプリメントは必要な栄養素だけを効率的に補給できる食品です。「糖質」「脂質」「タンパク質」などの栄養素を十分に摂取していても、「ビタミン」「ミネラル」を不足している人にとっては、栄養バランスを改善するためには手軽で時間がかからない解決策の一つです。したがって、日常生活の中で十分に栄養バランスのとれている人にとっては必要ありません。むしろ、使うことにより過剰摂取になって好ましくない作用が出ることもあります。
サプリメントは薬と異なり即効性はありません。効果が出始めるのは、個々のサプリメントにより異なります。一般に、飲み始めてから1〜2週間程度で期待した効果が出るもの、また、1ヶ月程度かかるものもあります。私見としては、一般に飲み始めてから1週間が一つの目処です。1ヶ月飲んでもなんの効果も見られない場合は効き目が期待できないということで中止したほうが良いと思います。一般にサプリメントは一般の食品などより高価なので、無駄な使用をせず、効果が見られない時は医師と相談することが先決です。
健康食品やサプリメントは薬ではないのでたくさん摂っても大丈夫と思われがちですが、健康食品でも摂り過ぎは禁物です。健康障害の中で多いのは一時的な下痢や蕁麻疹など軽症のものです。中には長期服用により肝機能が悪くなる人も少なくありません。例えば、骨を丈夫にする目的や骨粗しょう症の予防のためにカルシウムを積極的に摂っている人が多いと思いますが、カルシウムを摂り過ぎると、動脈の石灰化を促し、心臓病のリスクを高めるという米国の研究発表がありますので、医師と十分に相談して服用して下さい。
このほかにも、ビタミン剤の摂り過ぎにより、手足の痺れなどの神経障害や、感覚障害、腎臓結石など、さまざまな健康被害が報告されています。また、ビタミン剤を過剰(15,000~30,000μgRE/日)に摂りすぎると尿中に排泄されても余分は肝臓などに蓄積し、頭痛、めまい、吐き気がなどの副作用が起こる場合があります。
ハーブ系、漢方系サプリメントは種類が豊富で、海外では漢方薬として使われているものも多く、欧州ではビタミン系よりハーブ系が主流になっています。代表的なものには「ブルーベリー」、「イチョウ葉」、「エキナセア」、「セントジョーンズワート」、「カモマイル」、「パッションフラワー」、「ヨクイニン」などが挙げられます。ハーブと言うと、薬草で副作用がないようなイメージがありますが、実際には健康被害が多いサプリメントはハーブ系のものです。ハーブは非常に種類が多く、多くの成分が含まれているのでどの成分がどのように作用しているか、よくわからないことが多いです。中でも「セントジョーンズワート」は治療薬やサプリとの飲み合わせによる副作用が多いので、他の薬を使用している場合は、必ず医師に相談して下さい。
サプリメントのボトルを手に取ったら、まずパッケージの裏をチェックして下さい。裏に書かれている原材料名を見れば、天然成分を使用しているのかが分かります。たとえば、ビタミンCの場合、「ローズヒップ」「アセロラ」「レモン」「ストロベリー」など具体的な食品名が書かれていれば、天然由来。「ビタミンC」と書かれていたら合成成分です。サプリメントには合成成分が使われているものが多いです。
サプリメントは食事の代わりにはなりません。まずは食事をしっかり摂って、基礎となる栄養を摂取することです。サプリメントはあくまでも補助的役割ですので、その食事で足りない栄養素を補うためのものです。サプリメントはその吸収率を考えると食後がオススメです。食べ物から得られる栄養とサプリメントの栄養を組み合わせることで、さらに効果が高まるからです。 またビタミンBやCといった水溶性のビタミンは、体の中に2〜3時間程度しか留まってくれません。こういった栄養素は1回に大量摂取しても効果が低いため、朝、昼、夜の食後に小分けに摂ることが理想的です。
サプリメントは薬と同じような形状をしていますが、薬とは明らかに異なります。原因がわからない症状、たとえば慢性的な体調不良、疲労感、皮膚症状、神経精神症状やアレルギー症状などは、栄養素の不足や偏った栄養状態が原因となることがあります。 薬のような対症療法ではなく、身体そのものの体質を変えていくのが目的なので、医師と相談して自分に合うものを用いるようにして下さい。
<付記>: 挿絵はChatGPT- 4で生成したものです。(赤川)
人は誰しも老いていきます。そしてその老い方は人それぞれです。後期高齢者が増加している今日、これから高齢者社会はどのように進展するか、今後の行く末を案じています。高齢者が社会から排除されることについては姨捨山(おばすてやま)を思い出します。これは深沢七郎の小説「楢山節考」やその後の映画化によって広く知られています。かつて食糧難解消の「口減らし」を目的に、働けなくなった老人を山に遺棄したという物語です。
経済学者の成田悠輔氏が2021年に、ネットの動画番組で、少子高齢化問題を議論した際に「高齢者は集団自決をしたほうがよい」と発言し物議を醸しています。生産性のない高齢者は早く世の中から消えた方が良いという経済学的立場からの発言かもしれません。しかし、自ら命を絶つことは、道徳的にも、法律的にも許されることではありません。「集団自決」とは、第二次世界大戦で沖縄において戦争が激しくなった時に集団で防空壕に避難し、敵が上陸して襲撃される前に全員が爆薬で自決したという痛ましい出来事です。
日本は現在「超高齢社会」と呼ばれるほど、高齢者の人口が増加しています。その中にはいわゆる前期高齢者の65〜74歳の人々も含まれていますが、この年代は心身の健康が保たれており、現役で仕事に従事している人が多くいます。また、国の政策で、70歳まで定年を延長することが会社や大学などで実施されています。したがって、従来の65歳以上を高齢者とすることには否定的な意見が強くなっており、今後は現在後期高齢者と定義されている75歳以上を新たな「高齢者」として定義することが提案されています。
高齢者人口と今後の予測
日本の総人口は2010年に1億2800万人でピークを迎えましたが、その後は減り続け、2022年12月時点では1億2484万人まで減少しました。このまま長期的に人口減少を続けていけば、2029年には1億2000万人を下回り、2053年には9000万人に割り込むと予想されています。
総務省統計局の報告 (2023年9月15日現在)
○ 高齢者人口は1950年以降初めて減少したが、 総人口に占める高齢者人口の割合は29.1%と過去最高となった。
○ 75歳以上の人口が初めて2000万人を超えた。10人に1人が80歳以上となった。
○ 日本の高齢者人口の割合は、世界で最高(200の国・地域中) となった。
高齢化がこのまま進行していくと、今後様々な問題が起こると考えられています。日本では高齢化に加え、少子化も進行しています。高齢化によって高齢者の死亡数などは減少していますが、同時に出生率が落ちているため総人口は減少し続けています。2036年には3人に1人が高齢者となり、高齢者1人に対する生産年齢人口の負担が高くなります。
日本の平均寿命は2022年時点で男性が79.64歳、女性が86.39歳でしたが、医療技術の発展や、栄養・食事面の改善などにより2065年には男性が84.95歳、女性が91.35歳となると予想されています。 (参考出典:内閣府「 令和4年版 少子化社会対策白書」、厚生労働省「主な年齢の平均余命」)
「2025年問題」における日本の社会像
「2025年問題」とは、いわゆる団塊世代(1947~1949年生まれ)が75歳以上の後期高齢者となり、それにより働き手が不足する問題のことをいいます。女性や高齢者の労働参加が進んだとしても働き手は減少するとみられ、1人あたりの社会保障負担はますます重くなることが特に問題視されています。
厚生労働省の資料によると、認知症の高齢者数は2012年時点で約476万人おり、2025年には約675万人になるだろうと指摘されています。また、高齢者・後期高齢者・認知症高齢者の増加により、医療・介護人材のさらなる確保が求められます。介護職員数は、2019年度時点の約211万人に対し、2023年度には約233万人、2025年には約243万人を確保する必要があると予測されていますが現状では希望者が少なく十分な人数は確保されていません。 (参考出典:介護人材確保に向けた取り組み、厚生労働省)
2025年問題の対策として重要なのは、高齢化の進行を止めることはできませんが、一人ひとりが認知症予防などのための運動習慣を身につけるだけで、社会保障費の抑制につなげられる可能性があります。
長寿の世界は必ずしもバラ色ではありません。個人の生活環境が幸せかどうかは千差万別ですが、高齢者が増加するに伴って、それを支える若年層への負担が増大します。私は超高齢者の一人として姥捨山の現代版が始まるのではないかと危惧しています。これまでは長寿はお祝いすべきことだったですが、今後は必ずして歓迎される時代ではなくなるかもしれません。超高齢者が世の中に受け入れられて堂々と暮らすためにはどうするか、今後の大きな問題です。
今回は本文で超高齢化社会に関する深刻な話題を取り上げましたので、次のジョークで心を休めて下さい。
■ 大学病院の教授回診
教授が入院患者のお腹を触りながら主治医に話した。
教授:う~む、この人の脾臓は分かり難いね、これが触診できるようになるには10年かかる。
主治医:この患者、脾臓は手術で摘出しているのですが。。。
その後間もなく、主治医は遠くの病院に飛ばされた。
■ カウンセリング
ある婦人が夫の精神状態について心療内科でカウンセリングを受けていた。
婦人「先生、主人はひどいノイローゼです」 ひとしきり日常の様子、ことに夫の精神的異常についてまくしたてた。
医者「そのようですね」
婦人「しばらく療養させたいのですが、海と山とどちらがよろしいでしょうか?」
医者「そうですねぇ」と少し考えた後答えた。
「ご主人が山に行かれて、奥さんが海に行かれると一番よろしいかと」
■ 講義「注意深い観察」
医科大学の授業で,教授は「注意深い観察」について講義していた。教授は,ビーカーに入った黄色い液体を学生達に見せた。
「君達。ここにあるのは尿です。良い医師になるには,物の形,色,匂い,味などに注意深くなければなりません」。そう言うと,教授はビーカーの中に指を浸して,指をそのまま口に入れて言った。
「この患者は糖尿病の気がある...」
どよめく学生達を見渡しながら,教授は言った。
「これから,ビーカーを皆さんに回します。私と同じように注意深く観察して下さい」。クラス中の学生は,しぶしぶビーカーの中に指を浸し,それを舐めていった。最後の一人が終わって,ビーカーは教授の元に返ってきた。
教授は講義の最後に言った。
「今日は,”注意深い観察”をテーマに講義しましたが,皆さんはそれが出来ていませんでした。もし,注意深く,私の指を観察していたなら、ビーカーに入れた指が人差し指で,口に入れたのが中指だったのに気づいたことでしょう」。
<英語ジョーク集より引用>
<付記>: 挿絵はChatGPT- 4で生成したものです。(赤川)
先日、かかりつけの内科クリニックへ行ったら、受付に下記の張り紙がありました。
「医薬品の不足で鎮咳剤、去痰剤、消炎鎮痛剤、漢方薬については5日分の処方をさせて頂きます」
眼科へ行ったら、ドライアイの薬がいつもは6本処方されるところ5本になりました。薬局からの入荷量が制限されているとのことでした。皆さんはこのようなご経験はないでしょうか。
最近、どこの薬局でも薬が品不足になって処方箋に書かれているジェネリック医薬品(後発薬)が患者に処方箋通りに供給できなくなりました。特に不足が目立つのは、咳止めや痰を切る薬、去痰薬(きょたんやく)などのかぜ薬です。
皆さんが薬局へ処方箋を出すと、「ジェネリックにしますか。それとも先発品にしますか」と問われることがありませんか。
後発薬の不足が長期化している原因は、2020年以降に複数のメーカーで品質不正や法令違反が相次ぎ、出荷停止になったことがきっかけです。
政府は保険を使った時の医療費を節約するために、医師には薬価が安い後発薬の処方を奨励しています。そのために後発薬を一定割合以上処方する病院や薬局に対して診療報酬を加算するなどの措置を採ってきました。多くの国立大学病院は原則として後発薬を処方することになりました。
先発医薬品の場合、薬の種類によって違いますが、開発費は安くとも数億円、新薬の場合は2000億円かかります。その総額の8割は患者に投与して効果や副作用を見る試験(臨床試験)に使われます。すべての試験が終った段階で、厚生労働省に申請し、一年以上かかって厳しい審査を受け、それに合格したもののみが国の承認を受けて市場に出回ることとなります。 これが先発品です。
それに対して、後発薬の場合は、先発品の中で特許が切れたものについて、開発時に使われた動物実験や臨床試験のデータを出来るだけ利用して、自社ではその試験を省略し費用、時間を節約する事が出来ます。後発薬の申請に必要な試験は「生物学的同等性試験」のみです。これは、先発品と同量を人に投与したときに、その薬の薬効成分の血中濃度が先発品と同じであることを証明する試験です。したがって、この試験が成功すれば、厚生労働省に申請して認可を貰うことができます。現在、国内大手の後発薬専門企業では、高血圧症、糖尿病、脂質異常症(高脂血症)といった生活習慣病の薬をはじめ、抗アレルギー剤や抗生物質、抗ガン剤など、約440品目にもおよぶ後発薬を生産、販売しています。
品不足の問題の発端となったのは、2020年12月に発覚した福井県の後発医薬品メーカー「小林化工」が水虫の治療薬の製造段階で睡眠導入剤の成分が混入した不祥事でした。服用した80代男性が亡くなったと発表した。 水虫の患者が服用後に意識を失うなどの健康被害が出た人は240人以上に上りました。2021年2月、小林化工は福井県から過去最長となる116日間の業務停止命令と業務改善命令の処分を受けました。その後事実上、経営の再建を断念し、2022年3月末に工場などを別のジェネリック大手が設立した新会社に譲渡しました。 なぜ睡眠導入剤が混入したかを調査の結果、国が承認していない製造工程の過程で睡眠導入剤が混入されたことが判明しました。
なお、「小林化工」は紅麹カビで問題になった「小林製薬」とは関係がありません。
2021年3月には富山市にある国内で後発薬の最大企業である「日医工」が富山県から業務停止命令を受けました。「日医工」は医薬品の品質試験で不適合となった錠剤を砕いて再び加工して販売したり、出荷前の一部の試験を省略したりなど10年前から法律違反を繰り返していました。その後「日医工」は本格的な出荷が再開できないまま、今でもその影響が全国的に医薬品の供給不足として続いています。
「日本ジェネリック製薬協会」は、小林化工や日医工の問題以降、自主点検の結果を発表しました。それによると、加盟する38社の8割を超える31社で、国の承認書に記載のない製造手順などが見つかりました。品目数では点検の対象全体の15%にあたる1157品目です。
現在市中の薬局やクリニックでは慢性的に一部の薬の品不足が続いています。それは生産量が少なくなったことと、少ない薬を薬局や病院が奪い合うからです。同じ薬を卸屋に注文しても、在庫が少なければ希望量が入手できません。それは製薬会社の生産量が落ちているからです。足りないのは風邪薬だけではありません。日本製薬団体連合会の調査によると、2024年4月時点で医師の処方箋に書いてある全ての医薬品の23.0%(3906品目)が限定出荷や供給停止となっています。後発薬は2589品目と約7割を占めています。
また、大手メーカーの沢井製薬は生産能力を増加するために新しい製剤棟を竣工しました。東亜薬品も新しい工場の新棟を竣工し生産能力を引き上げました。日医工も生産を23年度実績で60億錠を76錠まで引き上げる予定です。
多くの違反業者について業務停止期間は過ぎても違反以前の状態に戻ることは殆ど不可能です。恐らく年単位かかるものと思われます。その理由はいくつか挙げられます。業務停止命令を受けた会社はその薬の生産工程を停止したので、それを再稼働するにはかなりの日数がかかります。生産を中止したことにより、全国の供給量が少なくなり、調剤薬局や市中のクリニックが卸屋に発注しても薬の種類によっては在庫がなかったり、品不足になると希望通りの数量が供給されないので、患者への薬の日数も制限されます。
現状では解決の見通しは見えません。当分はこの状態が続くと思います。体調が悪かったら早めにクリニックでの治療をお勧めします。
2024年9月1日
(注)後発薬(ジェネリック医薬品)の詳細については本シリーズ「メディカルトーク」17話(2015年5月28日)をご覧ください。
1998年11月に国際会議で初めてメキシコを訪れました。
成田から米国ロサンジェルスまで約9時間、さらに乗り換えてメキシコシ市まで3時間の旅です。メキシコ市上空にさしかかった頃、ひどい大気汚染で街の上空はスモッグで覆われていました。
昔、北京へ行った時も上空でひどいスモッグのため下の景色は見えなかったことを思い出しました。メキシコ市の空港に到着し、グアダラハ行の飛行機に乗り換え1時間近く飛んで無事グアダラハラ空港に到着しました。荷物を受け取ってタクシーで予約したホテルにチェックインしました。すでに夜8時です。今日は朝から満足な食事をしていない。部屋に荷物をおいて早速近くのレストランを探しました。ホテルの隣に「寿司バー」の看板をみつけましたが入り口の赤い提灯が何とも怪しい。私の経験では、この手の店は大抵地元の板前と称する男が似ても似つかない寿司を出す事が多い。ぶらぶら探したが他に見つからず結局ホテルに戻りレストランで遅い夕食をとりました。
翌日は朝から夕方まで会議が続き全員かなり疲れた状態でした。ホテルに戻り休憩の後、夕方7時から11時までメキシコ毒性学会が我々を夕食会に招待してくれました。レストランに着くと、メキシコの友人たちはすでに食前酒で賑わっていました。「上等のテキーラだよ」と薦められて一口飲んで大変。下戸の私にとっては、口の中が火の海になるくらい強いものでしたが、会議の仲間は疲れを忘れた様にテキーラをぐいぐい飲んでいました。「テキーラはとても強すぎて飲めない」と言ったら、「それじゃ甘いカクテルを飲んだらいい」といって出されたのが「マルガリータ」です。
これとてテキーラをベースにしているので強い事には変わりはありませんが、甘いのでつい飲んでしまいました。
テキーラに合う肉料理の味が絶品でした。夕食会もテキーラの酔いがまわるにつれて、いつも通り連中の質問合戦が始まりました。彼らは日本に大変興味を持っているのか最初に私が狙われました。「ところでテツオ」、口火を切ったのはイタリア出身の陽気な男です。「2年前に家内と京都へ行ったときにゴールデンテンプルを見て感激したよ」。どうやら金閣寺のことらしい。欧米人は日本の風俗や習慣、歴史に驚く程興味を持っている人が多い。さすがに今の日本にちょんまげの侍がいるとは誰も思っていませんが、日本は欧米人からみると彼らとは別の世界の様に見えるらしい。
突然フィンランドの友人が聞いた「京都にはいくつお寺があるの」。さて皆さんはご存知ですか。たまたまメキシコへ行く1ヶ月前に京都の観光ブックを読んでいましたので、「約1600でその中で観光に解放しているのが約100もないと思う」私は自信を持って答えました。
質問が続く。「京都が昔日本の首都だった事は知っているが、いつ東京に移ったのか」などなど、日本の歴史に興味があるらしい。
質問は夜中まで果てしなく続きました。「それでは今夜はジャパンナイトに乾杯して解散しよう」会長の音頭で全員テキーラを飲み干しました。私にとって、今回の旅行でメキシコの初印象は初めて飲んだ強烈なテキーラの魔力でした。
世界には6,500種類の言語があると言われていますが、その中で英語は最も広く使われている共通語です。外国の人々は、「日本人は語学の天才だ」と言います。9年間の義務教育の間に約5万語以上の漢字(常用漢字は約2,000字)と100文字のカタカナ、ひらがなを覚えます。これは欧米人にとって信じ難いことです。彼らは26文字のアルファベットで生活をしています。
日本語を学ぶ外国人を悩ませるのは、カタカナ、ひらがな、漢字の3種類を組み合わせて使うことです。また、外国人にとって最も不思議なのは同音異義語です。「かみ」は「髪、神、紙」などを使い分けています。さらに彼らを困惑させるのは「ものの数え方」です。犬は一匹、箸は一膳、家は一軒、鉛筆は一本などものによっては発音と漢字が異なります。また、一人称の言い方に複数あることです。日本語で「私」「僕」「俺」は英語ではすべて「I(アイ)」で済んでしまいます。日本語の場合、一人称の使い方はその時の雰囲気で異なります。親しい間柄の場合は「俺」と言っている人でも、仕事の場では「私」を使っているなど、使い分けも珍しくありません。 外国人にとって日本語はまさに驚異の言語です。
文部科学省はこのような素晴らしい日本語の教育課程に、2020年度から大幅な教育改革を行いました。具体的には、「英語を聞くこと」「話すこと」に慣れ親しむことを目標として、小学校3・4年生では英語を体験的に使い、さらに、5・6年生からは教科として「英語」の学習を始める、ということになりました。また、これまでの読み書き中心の学習から、聞き取りや会話などによる音声コミュニケーションを中心とした「英会話」の教育も取り入れることになりました。小学校から英語教育を行い、英語を使いこなせるグローバルな人材を養成するのが大きな目標です。
私は藤原教授と同感です。国の方針は将来国際人を育成するために小学校から英語の教育が必要であるとのことです。しかし、小学校の子供が全て国際人になるわけではありません。ごく一部が将来国際的に活躍することになるのです。日本人である以上自分の国に関する知識を習得するのは当然であります。ヨーロッパの国々の国民は、自分の国の歴史、社会について非常によく知っています。
先日、新聞のオピニオン欄に、高校生の意見として次のような記事が掲載されていました。
「先日街を歩いていたら、外国人観光客に英語で道を聞かれたがとっさに英語が出ずうまく答えられなかった。そこで高校での英語は文法よりも話す英語に重点を置くべきである。」
もしこれが初等教育での英語教育の導入理由だとするならば主客転倒です。TOEFL® TESTやTOEIC®で良い成績を採りたければ、また、英会話が上達したければ学校での義務教育の時間外に個人で英会話塾へ行く方がはるかに早く上達します。小学校における義務教育の貴重な時間を犠牲にして英会話の学習を初等教育、高等学校の教育に求めるのは無理です。
日本に住んでいて小学校で英会話を学んだとしても、1日の生活の9割は日本語での家庭生活です。このような現状で、バイリンガルの子供を日本国内の初等教育で作り出そうとするのであれば、それは無謀なことと言わざるを得ません。バイリンガルの子供は生活環境により出来上がります。例えば、親の勤務の都合でアメリカに住んだ子供は、学校へ行って最初の1−2ヶ月は英語の生活に慣れるのに時間がかかりますが、やがて友達もできて、半年も経たないうちに何不自由なく現地の友達と会話ができるようになります。これは本人の意思とは関係なく、そのような環境に置かれると誰でもできる能力です。子供の場合、最初は友達の言うことを真似して繰り返すところから始まります。彼らは、家に帰って両親と話すときは日本語で話します。まさに努力せずにバイリンガルになります。親はできるだけ日本語や日本の教育、風習を忘れさせないために現地の日本人学校に通ったり日本語を勉強するようにします。帰国子女も日本国内での生活が長くなるとやがて英語を忘れる人が多いようです。
外国語は高等学校や大学で教育を受けている間に、将来海外で働きたいと思考が定まってから自分で積極的に学習しても遅くないです。私の知り合いで、会社に勤務し数年経って突然人事異動で海外の支店や研究所に転勤され人が多くいます。彼らは最初の1年目は片言の英語で苦労しますが、2年目にはほとんど不自由のないくらい英語が上達します。英語の会議でも堂々と発言し、自分の意見を主張することができます。これはもちろん本人の努力によりますが、上達の最も大きな要因は必要に迫られて習得した聴く力が身につくからです。話し好きの人は発信力が高く、この特性が外国語の習得に役立っている気がします。多少訛りがあっても、文法が完璧でなくても、英語を使うことを楽しみ、積極的に英語で発信しようとする彼らに日本人が学べる点はたくさんあります。
70歳代に海外に行く機会が多かった頃、フランスやイタリアの街中でも高齢者は英語がほとんど通じず、困ったことが度々ありました。けれども最近では都市部の空港、ホテル、街中で、ほとんどの人が英語を話します。それは地理的な近さ、経済・人的交流の豊かさ、言語の類似性を考えれば、ヨーロッパ人が外国語を学びやすい環境にいるのは間違いありません。さまざまな言語の国が隣接し、互いに交流しているため、意思を伝え合うために英語はとくに必要なのです。彼らは完全な英語を望んでいません。相手に通じれば良いのです。日本人は「TH」の発音やLとRの違いに神経を使いますが、それより内容の無い話は評価されません。
国際学会などでは、フランス人、ドイツ人などはフランス語訛り、ドイツ語訛りで堂々と発言して全く問題がありません。日本人も堂々と日本語訛りで話したらどうでしょうか。
昭和の時代に活躍した俳人・中村草田男(なかむら・くさたお、1901~1983(明治34年~昭和58年))は明治から昭和への転換により消える明治の文化に思いを馳せて、有名な一句「降る雪や明治は遠くなりにけり」を詠みました。 草田男がこの句を詠んだのは昭和6年(1931)、30歳の時で、「明治」が終わってから約20年経った頃です。
昭和の初めに生まれ、戦中戦後に育った筆者としては、昭和が遠くへ行った事を寂しく感じることが多い。事実、戦後生まれが圧倒的な比率を占める昨今、いたずらに昔を偲ぶことは意味がないとも考えます。
昭和は日本の元号の中でも最も長く続いた元号です。昭和時代には、第二次世界大戦や昭和恐慌、 連合国最高司令官総司令部(GHQ)による国内の統治など日本を揺るがす大きな出来事が数多くあり、日本の政治や文化、人々の生活や価値観が大きく変わった激動の時代でした。
昭和時代の64年間の中で、1945年(昭和20年)8月15日に日本が無条件降伏をしたことで、第二次世界大戦が終結しました。 戦争が終わった日として「終戦記念日」、また追悼と平和への意志を込めて「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とも呼ばれています 。 戦後、焼け野原になった東京に仮設の建物が立ち始めました。その頃の新宿駅周辺は今のような高層建築はなかったので、新宿駅の西口に近いホームに立つと、すぐ近くに平屋で木造の紀伊国屋書店が見えました。
昭和20年8月15日を境に、ものの考え方は大きく変わりました。筆者は戦争中には「軍国少年」として教育されて、敗戦まで「国のためにいかに死ぬか」を教わり、敗戦後は「いかに生きるか」を教わりました。その頃の青年は今や90代となりやがて 100寿を迎えます。長生きは単純に喜びもありますが、同時にこの先どうなるだろうかという不安も伴います。
昔「暴走老人」という言葉が流行りました。これは芥川賞作家の藤原智美(ふじわら ともみ、男性、1955年生まれ)が2007年に著した本のタイトルです。「暴走老人」とは高齢者に多い「キレ易い」事を表しています。キレることは老人に特有のものではありませんが、高齢になるとちょっとした事でカッとすることが多いのは否定できません。
どうして老人がキレやすくなるのでしょうか。それは自律神経のバランスが崩れるからです。専門的になりますが、自律神経は全身に隈なく張り巡らされており、この神経系を支配している中枢は脳の視床下部という場所にあります。自律神経は心臓、腎臓、胃、肝臓その他のあらゆる臓器の働きを制御し、ストレスや環境の変化などに応じて体を微調整しながら、全身を最適な状態に保っています。
自律神経は相反する作用を持つ2種の神経、「交感神経」と「副交感神経」から成り立っています。交感神経系は興奮性、副交感神経系は抑制性の作用があります。一般に「アドレナリンが出た」という表現は交感神経の刺激によるものです。 老化すると、ブレーキをかける副交感神経の働きが低下するので、相対的にちょっとした刺激でも交感神経が興奮します。そのため感情のコントロールができなくなり、思わず大声を出したり、手を出したりすることになります。これが、老人がキレやすくなる理由です。
昭和人間と平成の人々は性格の違いに表れていると言われます。例えば、昭和世代は対面でのコミュニケーションを重視しますが、平成、令和世代はSNSやメッセージアプリを使ったコミュニケーションが一般的です。さらに、昭和の人はインターネットやAIが普及する前に社会人になりましたので、それらの最新の技術、知識に疎い部分があります。
昭和と平成の人は、それぞれの時代の影響を受けて、異なる特徴を持っています。しかし、社会の中ではこれらの人々がお互いに理解し合い、協力し合って生きています。生まれ育った時代背景が異なっても、世の中の人々は共存共栄の精神で生きています。それが現代社会です。戦時中に育った筆者としては、80年続いた戦争のない平和な社会がこれからも続くことを祈るのみです。
台北駅
台湾は一年中熱帯気候と思われていますが、本当は夏期と冬期があります。しかし、いくら冬期でもさすがに降雪はないですが、台北では日が沈むと急に寒さが強くなります。台北市内、特に台北駅の周辺には日本の飲み屋、牛丼屋、カラオケ屋が日本と同じくらい軒を並べています。「セブンイレブン」は今やアジアのどこでもみられ、台湾では恐らく日本と同じ位の数があるものと思います。地元では評判よく繁盛しているとのことです。
台湾は親日家が多く、75歳以上の人は日本語で教育されたので日本人と変わらない綺麗な日本語を話します。私が知る限り世界中で日本語が最も通じる国です。ホテルや買い物でも言葉で不自由しません。台湾の人々は大変勤勉で、教育制度が行き届いています。
国立台湾大学
国立台湾大学は日本統治時代の1928年(昭和3年)に7番目の帝国大学として設立されました。当初は文政学部と理農学部の二学部が設置され、1928年4月に開講しました。1945年に国立台湾大学に改称されました。
現在は日本の総合大学と同様に、文学部、理学部、社会科学部、医学部、歯学部、薬学部、農学部、工学部、獣医学部、商学部、法学部、生命科学部など12の学部(学院・大学院研究科)から構成されています。
台湾の大学の頂点は国立台湾大学で、これまでの台湾の大学での教育は日本の影響を大きく受けました。しかし、最近では米国から入る情報が大きく影響しています。また、アジアの国では珍しいですが、台湾政府は米国ですばらしい業績を挙げた台湾出身者を優遇して国の主要ポストに迎える制度があり、多くの分野の人々がその制度で母国に戻って台湾のために貢献しています。日本でもこの様な制度があったら、かつて頭脳流出として日本を離れた優秀な研究者が母国に戻る機会が出来ると思います。
かつて台北で一番の高級ホテルであった帝国ホテルは、現在「圓山大飯店(グランドホテル)」としてVIPの宿に使われています。私は一度泊まった事がありますが、素晴らしい設備に驚きました。また、台湾には日本と同じく多くの温泉地があります。ある時台湾の友人に誘われて台北に近いところの温泉へ行ったことがあります。脱衣場から温泉の湯舟まで日本と殆ど同じで、国内の温泉にいる気分でリラックスする事ができました。
台灣高速鐵道
台湾の新幹線は日本人として是非乗ってみて下さい。台灣高速鐵道(台灣高鐵)に使われている漢字が、「台湾高速鉄道」ではなく、昔日本で使われていた旧漢字「灣」「鐵」が使われているのが年長者には大変懐かしく感じました。台灣高鐵は日本の新幹線の車両とほとんど同じで、車両の内部の標識(トイレ表示、座席番号など)までもが新幹線と全く同じです。驚く事に車内の電光掲示板や英語のアンアウンスもそのままです。その上、発着の時刻の正確さは日本と同じく、欧米の観光客にとっては大きな驚きです。
2009年9月に高雄医科大学薬学部を訪れました。ここには昔千葉大学薬学部に留学した人が教授として勤務していました。薬学部での講演の後で夕方私のために歓迎会を開いてくれました。10人程の教授が集まりましたが全員が日本に留学した経験があり、皆さんと日本語での会話が出来て楽しく過ごしました。
台北へ帰るときに高雄の左営駅から新幹線に乗り、ノンストップで約1時間30分後には台北駅に着きました。聞くところによる、台灣高鐵は当初フランスの業者により話が進められていましたが、ある日突然当時の李登輝総裁の一言で日本に決まったそうです。李総統は京大農学部のご出身で、大の日本びいきなのが関係しているかもしれません。兎に角、台湾は日本人にとって日本国内と同様に全くストレスを感じさせない外国です。日本から台湾までの飛行時間は3時間ー3時間半です。是非台湾への旅をされる事をお勧めします。
厚生労働省は2023年7月28日に2022年分の平均寿命と平均余命が記載された令和4年簡易生命表を発表しました。男性の平均寿命は 81.05 年、女性は87.09年となり、前年と比較して男性は 0.42年、女性は0.49 年下回っています。
厚生労働省の分析では、平均寿命について前年との差を死因別に解析した結果、男性は悪性腫瘍(ガン)の死亡率の変化が平均寿命を延ばす方向に働いているが、男女とも新型コロナウイルス感染症、心疾患(高血圧性を除く。以下同じ)、老衰などの死亡率の変化が平均寿命を縮める方向に働いています。
令和4年簡易生命表によると、主な年齢の平均余命は男女とも全年齢で前年を下回っています。余命というのは個人に残された寿命で、女性75歳の平均余命は15.67年、男性75歳の平均余命12.04年となっています。 40年前と比較すると、75歳からの平均余命は男性では約4年、女性では約6年長くなっています。
日本は世界一の長寿国です。長寿国とはつまり「平均寿命が長い国」ということです。寿命が長いことはいいことですが、やはり“健康で長生き”したいものです。そこで重要なのが、「健康寿命」です。 日本では、「健康寿命」を延ばすことが国としての大きな課題となっています。
WHOが発表した世界保健統計2023年版によると、日本人の平均寿命は84.3歳、世界第1位です(男性は81.5歳で、スイスの81.8歳に次いで2位。女性は86.9歳で、2位韓国の86.1歳を0.8歳上回って1位)。そして健康寿命は74.1歳で、こちらも世界第1位です(男性72.6歳、女性75.5歳で、男女共に1位)。 ここで注目すべきなのは、その“差”です。平均寿命と健康寿命には、男性8.9年、女性11.4年の差があります。この差の年数分というのはすなわち、”不健康な期間”を表します。男性は約9年、女性は約11年にもわたって、健康上で何かしらの問題を抱えながら日常生活を送っている、ということになります。 なお、日本は平均寿命、健康寿命とも世界第1位ですが、平均寿命と健康寿命の差では第33位です。
要支援者とは、要介護者となる可能性があり、身支度や家事などの日常生活に支援が必要な65歳以上の人か、要介護者となる可能性がある40−65歳未満の人であって、その原因が特定の疾病による場合を言います。
厚生労働省によると、2021(令和3)年度の要介護・要支援認定者数は約690万人となり、前年度に比べ約1.1%増加しています。公的介護保険制度がスタートした2000(平成12)年度の認定者数約256万人と比べると約2.69倍増加しています。 認定者を要介護度別にみると、最も多いのは要介護1の142.9万人となっています。次いで要介護2が116.2万人、要支援1が97.4万人、要支援2が95.2万人となっています。
高齢になり骨や関節、筋肉などの体の中で運動に関係する箇所が衰えて、それが原因で歩行や日常の生活に支障をきたす状態を運動器症候群と言います。この状態が進行すると要介護へのリスクが高まります。これに関する病気としては、高齢者に多い骨粗鬆症、骨折、変形性関節症、変形性脊椎症、脊柱管狭窄症などが知られています。
厚生労働省の「平成28年国民生活基礎調査」によれば、要支援、要介護になる要因の割合は全要支援者、要介護者の総数に対して下記の割合です。
運動器障害(ロコモ、前述) 24.6%
認知症 18
.0%
脳血管疾患(脳卒中) 16.6%
高齢による衰弱 13.3%
その他 27.5%
これによると、高齢者に多く見られる骨粗鬆症、骨折、変形性関節症、変形性脊椎症、脊柱管狭窄症などによる要支援者、要介護者の割合が最も多くなっています。
世界的に見ると日本は長寿国として知られています。2023年5月19日にWHOが発表した世界の健康寿命によると、日本の健康寿命は1位となっています。2位がシンガポール、続いて韓国とアジア圏の国が多く、4位以降にはヨーロッパ各国が続きます。上位10位には先進国であるアメリカやカナダといった北米の国が入っていません。
日本の健康寿命が1位である理由はいろいろ考えられますが、その中でも健康保険制度が世界的にみて最も優れていることが挙げられます。日本には複数の社会保険制度がありますが、必ず入らなくてはいけない義務保険「国民皆保険制度」があるのは世界的に珍しいことです。
海外では国民皆保険制度がある国は少なく、個人で民間保険に入るか、そうでなければ医療費は全て自費となってしまいます。米国には皆保険制度がないので、一度病院にかかると医療費は全額患者負担になり莫大な費用がかかります。したがって、貧困層は健康診断や治療を受けられず、病気の早期発見・治療が困難になってしまいます。最も高いのはアメリカで、州によって違いますがニューヨークの例をあげると下記の通りです。
医療費、入院費、治療費(歯科・盲腸)(金額単位:円)
初診料:20,000から40,000
(専門医の初診料:27,000から68,000)
救急車の料金:84,000(救命士なし)/ 143,000から155,000(救命士あり)
入院室料(1日あたり):約270,000から400,000
虫垂炎(盲腸)入院・手術治療(1日入院費):約1,300,000
歯科治療:約130,000/本
平均寿命と健康寿命の差が大きくなると、入院や介護が必要となる時間が長くなることが予想されます。健康寿命を伸ばすために、日本政府は2019年に「健康寿命延伸プラン」を策定しました。2040年までに健康寿命を男女ともに75歳以上とすることを目標としています。
健康寿命を伸ばすためには、個人の日常の生活が重要です。要支援者、要介護者とならないように、できるだけ運動をし、筋肉や関節、骨の運動機能を維持することが大切です。また、高齢者は趣味として読書する、絵を描く、囲碁、将棋、ゴルフなど、体や脳を積極的に活性化させることが有効です。しかし、高齢になると実際はなかなか理想通りにはなりません。無理をせずに自分のペースで暮らすことをお勧めします。
年の瀬は慌ただしい日が続きます。一瞬くっすり笑って下さい。
行方不明者
ある女子アナウンサーが、船がナンパして沈没したニュースを読んだとき、「行方不明者」と言うべきところを「亡くなった方」と言ってしまった。 すぐさま、隣の先輩キャスターが 「亡くなった方とお伝えしましたが行方不明者の間違いでした。 遺族の方、大変申し訳ありませんでした。」
結婚式
あるスコットランド人が結婚した。
式の後で「牧師さん、お礼はいかほど差し上げましょう?」
牧師は軽く頭を下げ、「花嫁の美しさにふさわしいだけ…」
しめたと思った男は、たった一ドルの献金。
呆れた牧師は花嫁のベールをめくり、 五十セントを差し出し
「おつりです」
妻の味噌汁
ある所に息子夫婦と舅(しゅうと)が三人で住んでいた。 一年前に他界した姑女(しゅうとめ)は、とても温和で上品な人、嫁にも優しい人であった。 しかし、舅の方はそれと反対に、頑固で少々意地の悪いところがあった。 かいがいしく世話をする嫁の行動に、いちいち文句をつけるのだ。
中でも味噌汁については
舅:「婆さんとは全然味が違う、なっとらん!本当に覚えが悪い嫁だ!」
と毎日嫁を怒鳴りつける始末。
ある日、とうとう頭に来た嫁は舅に出す味噌汁の椀に、こっそりと殺虫剤を振りかけた。
その味噌汁を一口すすった舅が一言。
舅:「これじゃよ!この味じゃよ!!婆さんの味噌汁は!!」
以上 「アメリカン・ジョーク集」より引用
師走の季節になりました。高齢になると一年があっという間に過ぎます。今年も「メディカルトーク」をお読み下さいまして有難うございました。佳い新年をお迎下さい。明年もよろしくお願い致します。
最近は「人生100年時代」と言われています。先のことを考えると誰もが「いつまで元気でいられるだろう」と不安になります。加齢に伴って心配なのは「認知症」です。2025年には65歳以上の5人に1人が認知症になるといわれています。
東北大学加齢医学研究所の瀧靖之教授は約16万人の脳MRIを解析して“健康脳”を提案しました。「健康寿命」を「平均寿命」に近づけるには健康な状態の脳を保つことです。高血圧、糖尿病、心臓病、高コレステロール患者では「脳出血」や「くも膜下出血」「脳梗塞」などの脳の病気が多く見られます。また、「認知症」も高齢化社会では大きな課題です。いつまでも元気で暮らすためには、脳の血流がよく、常に活発に動いている"健康脳"が必要です。
長生きするためには下記の10項目を意識して生活に取り入れるとよいと考えます。それにより“健康脳”を保つことができます。
脳を若返らせるには「好きな事」を見つけることです。私の場合、初めて訪れた街をぶらぶらすることが好きです。中でも海外の街は建物や人々の動きの珍しさも手伝って私の好奇心を刺激します。70代の頃、国際会議の役員を務めていた関係で一年に多い年には100日くらい海外へ出張しました。予定の会議の日程が終わった翌日は初めての知らない街をぶらぶらして一人で観光するのが私の好奇心と趣味でした。これにより初めての街を知り、地元の人と話をしたり、「知的好奇心」を満すことができました。歩くことは健康にもよいです。大きな街には必ず大きな市場がありますのでその中をぶらぶらのぞいたりするだけでも、楽しく1日を過ごすことができます。これにより“健康脳”を保つことができて長寿につながります。
適正な体重を維持するためには適度な有酸素運動が有効です。それにより脳内で記憶を司る海馬(かいば)の萎縮を食い止めて認知機能を維持するという研究結果があります。1日30分程度の散歩は脳を活性化するのに役立ちます。散歩は手足の運動だけではなく、全身運動になります。また、友人とゴルフやテニスなどの運動を続ける人は全身の筋肉が鍛えられます。
人と会話するときには、相手が何を話したいかを知ることが必要です。相手の趣味を考えて、それに関する話題を引き出すと効果的な会話になります。知的好奇心の高い人ほど、脳の記憶や会話、読み書きなどに関わる側頭頭頂部(そくとうとうちょうぶ)の萎縮を防ぐと言われています。おしゃべりしながら相手に共感するとき、脳の社会性や理性を司る「前頭葉(ぜんとうよう)」を活性化します。
現役を退職後に趣味を生かすためには、若いうちから多くの趣味を持つことが必要です。特に趣味がなくて「仕事が趣味」という方は退職してから毎日退屈しますので何か趣味を持つことをお勧めします。老後は自分のペースで生活すると疲れません。現役の時のように毎日全力で頑張ると、やがて疲れて最悪の場合は体調を壊しますので決して無理をしないことです。私は駅の階段を登るのは大変なので、駅にあるエレベーターを探して利用することにしています。
アメリカで発表された「長寿プロジェクト」によると、「律義さ・誠実さ」と「他人とよい関係」を構築できる人は、家族内でも良い関係を作り、よい社会的関係を作ることができます。逆に長い間友人もなく孤独でいると、認知機能を悪化させます。若い頃から多くの友人を作ることは長寿に繋がります。
現役を引退すると「毎日が日曜日」の生活になります。最初の1年間くらいは朝もゆっくり起きて日中も好きなことができます。しかし2年目になるとその生活にも飽きてしまいます。長寿を目指すならば1日の日課を決めることにより退屈せずに過ごすことができます。
タバコは健康上「百害あって一利なし」です。私は20−30歳代には紙巻きたばこやパイプを吸っていました。ある年の正月に風邪で喉が痛くてタバコをやめたらそれ以後吸う気持ちにならなくなりました。私の友人の中には、若い時から70−80歳になるます喫煙を続けたことにより肺気腫や肺がんになって亡くなった人が数人います。長寿をしたければ禁煙しましょう。
身だしなみの3要素は「清潔感」「機能性」「品位」で、その目的は相手に不快感を与えないことです。高齢になって家にこもりがちになると、身なりやおしゃれに対する関心が薄れてしまいます。また、外出の機会が減り、人や社会とのかかわりや交流から遠ざかります。 高齢になっても身だしなみをよくすることは周囲の人々に好感を持たれます。手入れした口ヒゲやあごひげの人はそれなりに威厳がありますが、剃るのを怠けて伸びたままの無精髭は決して推奨できません。
適度な睡眠は正常な生活を維持するためには必須です。適正な睡眠時間は人により異なりますが、厚労省の調査によると、日本人の約4割の睡眠時間は6時間未満です。テレビを見ての夜更かしや、夜遅くまでの勉強・仕事などによって慢性的な寝不足が続くと、様々な生活習慣病や循環器疾患、うつ、認知症、免疫力の低下のリスクを上げることが知られています。高齢者の場合、6時間―8時間が望ましいと言われています。
ストレスのない生活を送るためには完璧主義にならないことです。物事を完璧に行おうとすると、精神的に追い込まれて、ストレスがたまりやすくなります。完璧主義をやめ目標を低めに設定してみると、自分で立てた目標に追われることがなくなり、気持ちが楽になります。多くの高齢者の中で健康で長生きしている人は、ストレスを溜めない様クヨクヨ悩まず物事を前向きに考える性格の人が多い様です。長生きの高齢者には、「考えても仕方ないことは、考えないのが一番」と笑顔で話す人もいます。
私はできるだけ友人と会ったり電話で会話するように心がけています。おしゃべりのように他人と接触することは老化を抑えてくれます。 話すことが好きな人は、社交性があるという特長があります。 「いろいろな人と知り合いたい」「話したい」という気持ちが強く、初めて会う人でも緊張せずに話ができます。 基本的に明るい性格で、相手に楽しんでもらいたいという思いから、ユーモアを交えて話すことが多いです。誰からも好かれる人は、他人の悪口・陰口を言わない、相手の話をむやみに否定しないことが必要と言われています。
今回は少し深刻なテーマを採り上げました。私はこれまで多くの人々と接してきました。どのように生きるかは十人十色で他人がとやかくいうことではありません。「どう生きたいのか」を考えてそれを実行するのは難しいことですが、それができるようになるとその人自身生きるのが楽になり、幸福になります。「生きる力」とは「生命力」と「生活力」です。
「生命力」とは生き抜く力で、元気さ、行動力、スタミナ、健康、病気に対する抵抗力です。「生きる力」は単なる知識ではなく社会生活をしていく上で必要な様々な技術や能力などを指します。また、身体的な健康だけでなく、心の活力や意欲、積極的な心構えも含まれます。 積極性に富んでいる人は、日々の活動に情熱を注ぎ、自身の能力を最大限に活用し、充実感と幸福感を得ることができます。
「生活力」とは衣食住を快適にする能力です。お金がある時には、それをうまく使って毎日の生活を快適にできますが、お金がない時でも、色々工夫してそれなりに快適にすることができます。それには、お金を稼ぐ能力、美味しいものや素材を調達する能力、調理する能力、快適な衣類を調達する能力、快適な住居を調達する能力、快適に保つ能力情報を得る能力、情報を活かす能力などが含まれます。 生活力に不安を抱き始める年齢には個人差がありますが、例えば、親の下で庇護された環境から自立したときに初めて実感します。また、親が老いて先行きに不安を感じたときです。それだけに収まらず、生活力には就労の意欲や自立心、主体性などにも多くの影響を与えます。
医師の余命宣告は、患者やその家族にとって、非常にショッキングな情報となることが多いです。余命宣告の時期や内容は、医師の判断によって大きく異なります。同じ患者でも3ヶ月と短く伝える医師もいれば、3年と長く伝える医師もいます。また、一切余命宣告をしないという医師も少なくありません。これは、宣告する期間が「大体の目安」であり、正確な数字を示すものではないからです。
医師の余命宣告は、患者やその家族に心の準備をさせる意味合いがあります。突然の死や急な病状の悪化に対して、家族が納得しづらい場合や疑念を抱くことを防ぐため、ある程度の前触れとして伝えられることが多いのです。がん治療中の患者において、余命宣告が行われる時期は、末期に近くなり治療の選択肢が限られてきた場合に多く見られます。
最近、高齢者の孤独死、孤立死が問題になっています。厚労省の公表によると、2024年5月13日に、今年1−3月に自宅で亡くなった一人暮らしの人が全国で2万1716人確認され、そのうち65歳以上の高齢者は1万7034人で、8割近くを占めていました。年間の死者数は6万8千人と推定されます。その中で85歳以上が4922人となっています。 孤立死と孤独死はどちらも「誰にも看取られず一人で亡くなること」を指した言葉ですが、この2つの言葉には違いがあります。
孤立死とは家族や近隣住民との関わりが希薄で、社会から孤立した状態で誰にも看取られることなく亡くなることを指します。最近では、独居高齢者だけでなく若年層の孤立死も増加しています。
孤独死とはなんらかの理由で、家族や親族、近隣住民とも、ある程度の交流はあったものの亡くなる際にひとりだった場合を孤独死と言います。
自殺はその原因として命を立たざるを得ない状態と考えた末の行為です。自殺の背景には精神上の問題だけではなく、過労、生活の困窮、介護疲れ、いじめや孤立など様々な社会的要因があります。これは決して特別な人たちの問題ではありません。自殺行為に至った人の直前の心の状態は他人が推し測ることはできませんが、大多数は、様々な悩みにより心理的に追い込まれた結果、抑うつ状態になったり、うつ病、アルコール依存症などの精神疾患の影響により正常な判断ができない状態になっていることが多いです。つまり、「自殺の多くは追い込まれた末の死」と言えます。
2024年3月29日の厚労省の公表によると、2023年の自殺者数(確定値)は2万1837人で、2年ぶりに減少しましたが、コロナ禍が始まった2020年から増加傾向に転じています。男性は2年連続で増加し、女性は4年ぶりに減少しました。小中高生の自殺者数は、過去最多の514人(22年)に次ぐ513人です。
安楽死と尊厳死は、延命のための治療をしないという点では共通しています。しかし、根本的に異なる点は、安楽死は意図的に寿命を縮めて死をもたらすことですが、尊厳死は意図的に寿命を縮めることはせずに、自然に任せて残された人生をその人らしく生きることを指します。
尊厳死は人の生死に関わるデリケートなテーマであるため、さまざまな問題点とそれに対する意見があります。すでに欧米諸国では、尊厳死を法律に取り入れている国がいくつもあります。一方、日本では、尊厳死の考え方は徐々に受け入れられるようになってきましたが現状では法律上では認められていません。ただし、下記の場合は日本で尊厳死になる条件として認められています。
(1) 患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること。
(2) 患者は死が避けられず、その死期が迫っていること。
(3) 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと。
(4) 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること。
尊厳死は、本人が望んでいても家族の同意を得られなければ成立しません。本人が望む場合は、まず最初に家族と意見を合わせる必要があります。家族が延命治療を望むケースもあるので、患者と家族で納得できるまでしっかりと話し合う必要があります。
なお、「安楽死、尊厳死」については本シリーズの第3話で詳細に述べましたのでご参照下さい。
私は「出会い」という言葉が好きです。そこには、自分から出て心を開き、相手とめぐり合うという意味があるからです。死ぬ間際に「自分の人生は意味がある人生だった」と思える人は幸せな人生だったと言えるはずです。
私たちは、限りある人生をいかに生きればよいのでしょうか? 人間が老いること、生涯を閉じることは生命を持つ人間にとっては避けることのできない自然現象です。こころ豊かに生きるためには他人と温かな人間関係を築くことが必要と考えます。ギネス世界記録に認定された世界最高齢の糸岡富子さんが2024年12月29日に116歳で亡くなりました。特に病気もなかったことから老衰と考えられています。
一方、健康で長寿な人はお祝いすべき事ですが、最近では高齢の父母や配偶者が認知症になり、家族がその看病でストレスやうつ状態になるケースが少なくありません。この様な患者は高齢者施設で治療を続けることも可能ですが、患者の性格や団体生活に慣れない場合は自宅療養にならざるを得ません。介護に携わる家族は心身ともに大変ですが、患者が生涯を全うするまで付き添うことが家族としての務めと考えます。
累積 | 今日 | 昨日 |