2014年7月2日から4日まで、親戚8人で富良野、小樽、洞爺湖、登別、白老を巡った。
我々夫婦としては、1972年の新婚旅行で札幌、層雲峡、知床、阿寒湖にバスと汽車で旅をし、
その後2004年に函館、大沼、洞爺湖、小樽、札幌を、2005年には富良野、層雲峡、知床、阿寒湖のコースをレンタカーで巡った。
今回は10年ぶりの北海道となったが何度でも行きたいと常々思っている。
この季節東京は梅雨空だが北海道は梅雨がなく湿度は低いが汗ばむ気候。
新千歳空港でレンタカーを借りた。借りた車はトヨタハイエースグランドキャビン,2700cc,10人乗り。一番若い義弟が主で、私が4割ほど運転。
初めてのワゴンカーであったが、運転席の下にエンジンルームを配置して安定感あり、運転席が高く見晴らしがよく、直近では前方ぎりぎりまで見え、後方はナビのカメラが付いており思いの他運転しやすい。
道東自動車道から占冠で降り、富良野へ2時間半のドライブで ファーム富田に到着。
薄紫のいわゆるラベンダー色の花が、時期的には幾分早めだが、一斉に伸び見応え十分。他にサルビア、マリーゴールド、ハマナスなど綺麗に咲いていた。
十勝岳を望む
富良野市の新富良野プリンスホテル近隣はロープウェイ、風のガーデン、ニングルテラスなど見どころが豊富。
2008年フジテレビ開局50周年を記念して制作された倉本聰脚本のドラマ「風のガーデン」の舞台となったイングリッシュガーデン。
北海道旭川出身のガーデンデザイナー上野 砂由紀氏が2006年から2年かけて植栽・造成した。
今回の旅行で楽しみにしていた訪問先の一つ。
「風のガーデン」の看板が下げられたパーゴラの先には、選ばれた背高の宿根草が風に揺られ、別世界に入り込んだ意識にさせる。
個々の草花に懐かしさを感じたのは、ドラマでは毎回花の名前が出たからと後で思った。18時からライトアップされる。
2008年に平原綾香の主題歌・劇中歌「ノクターン/カンパニュラの恋」を聴き、我が家でも翌年カンパニュラを植えた。
木々の合間を抜けるとガーデンの入口に至る
(売店)
アンチューサ・アズレア
薄紫の花はデルフィニウム、和名オオヒエンソウ
サルビア・シルベストリス‘シュネーフューゲル’
リクニス・カルケドニカ
ジキタリス
ピンク色の花はアスチルベ
アキレア・ミレフォリアム’コロラド’
アリウム・カエルレウム
カンムリキンバイ
ノーティア・アーベンシス
ニングルとは、倉本聰の著書「ニングル」に出てくる北海道の森に住むという15cmの妖精。 ニングルテラスでは、富良野の特産品を中心に販売するログハウスタイプの店舗が点在する村。「森の時計」というコーヒーショップに立ち寄りコーヒーを飲んだ。
新富良野プリンスホテル
ホテルの部屋から富良野市街
富良野から道央自動車道経由で小樽へ。予約してあったすし店で昼食。小樽市内散策。
小樽から南下し、ニセコ手前倶知安町で左折、羊蹄山を右前方に見て、276号線,230号を通り洞爺湖へ。ニセコ手前の山道で一時霧が出て見通しが悪かったが、空いており予想より早く到着した。
2004年の旅行で洞爺湖温泉湖岸の旅館に泊まった際、湖を見渡す山頂に「ウィンザーホテル洞爺」が建っていて、2008年には洞爺湖サミットが開催されたホテル。いつか宿泊したいと思っていて今回念願がかなった。
旅の目的の一つは名所を訪ねることだが旅館・ホテルも名所となりうる。老舗旅館や著名人ゆかりの宿、リゾート地など立地がよく「おもてなし」の心で応対するホテルもある。
ここは標高625メートルのポロモイ山の頂上にあり、東に洞爺湖、西に内浦湾を見下ろす立地で、ホテルスタッフもよく洗練されており少々我がままな頼みでも素早く応対し大変気持ちがよかった。
元々は北海道拓殖銀行の子会社が650億をかけて1993年に開業した会員制高級ホテル「ホテルエイペックス洞爺」。その後拓銀の経営破綻とともに1998年にホテルも廃業となった。2000年にセコムが買い取り営業が再会されたが、2014年7月にセコムから三井グループの明治海運に売却されたばかり。
(写真:ウィンザーホテルfbより)
(写真:ウィンザーホテルfbより)
フランス料理のコースを注文
デザート
ホテルの部屋から見た洞爺湖
旅行最終日はホテルから洞爺湖畔の遊覧船乗り場へ。湖に浮かぶ島の間を廻ってくる約50分のコース。 そのあと足湯に寄って洞爺湖を後にした。
遊覧船に乗った
島の間を抜けるコース
洞爺湖より昭和新山
湖岸の花壇
洞爺湖から登別温泉「地獄谷」に寄り、そばやで昼食をとった。地獄谷の噴煙を見て平成4年に亡くなった父のアルバムにあった登別温泉の噴煙を背景にして撮った父の若い頃の写真の記憶が蘇った。父は中学卒業後室蘭の製鉄所に就職したので登別温泉へ行ったことがあったようだ。
「京庵」は70才の女主人が一人で営んでおり、登別のうどん屋を譲った息子が打ったそば一日20食の限定。大変忙しくしており電話に出る暇もない。注文してから出てくるまで一時間以上かかった。
そばや「京庵」。登別でうどん屋を営んでいた女主人の隠居所とのこと。
「京庵」の板そば。白いものはそばの実の中心から取れる真っ白い粉から。黒いものはそばの実の一番外側から取れる黒みがかった粉を使う。
帰りの新千歳空港に向かう途中立ち寄った。ポロトコタンとはアイヌ語で「大きい湖の集落」の意味。昔の集落を再現や博物館があり、アイヌ文化を伝える。アイヌのかやぶきの家(アイヌ語でチセ)では伝統芸の実演があった。
新千歳空港で土産を買って食事し、19時発JALで羽田へ。町田の自宅へは22時30分に帰った。
ルウンペ(木綿衣)
昔のアイヌの生活などについて説明。北海道の地名の8割はアイヌ語とのこと。
鮭の保存食サッチェプ
昔のアイヌの女性は結婚すると口に刺青をした。
アイヌ楽器ムックリ
アイヌ楽器 トンコリ
イヨマンテリムセ(熊の霊送りの踊り)
この日は韓国からの団体ツアーや東南アジアからの観光客があり、同行の人が韓国語と英語の通訳をしていた。