北海道ドライブ旅

2004年8月 函館  洞爺湖  小樽  札幌  レンタカー旅行記録

1日目 : 函館空港  五稜郭  函館山  湯の川温泉  函館山夜景ツア-

自宅を早朝に立ち、羽田より函館まで、久しぶりの飛行機旅だった。函館空港で指定のレンタカー 会社のカウンターで待った。他の人は次々とピストン輸送のマイクロバスで近くのレンタカー会社まで連れていかれてるのに 我々はお呼びがかからない。最後に取り残され、係りの女性が帰りそうだったので問い合わせたところ、リストの中ほどに私 の名前があったがチェックマークが乱れており、つまり飛ばされたのだ。 マイクロバスが呼び出され、我々2人だけレンタカー会社に着いた。指定された車は黒っぽいカローラで 大変にタバコくさい。ナビもなんとなく古臭い。自宅のトヨタの最新式のナビとは大違い。ナビの操作を説明書 で一通り学習したあと、出発。

まずは五稜郭に向かった。ホンの百数十年まえ、明治維新前後の歴史はよく知られている。 函館は江戸時代は箱館と書いた。放送中のNHK大河ドラマ「新撰組」を思いながら歩いた。

歴史の概要: 「幕末の志士たちが命を散らした函館戦争 1868年(明治元年)、8月から9月に奥羽越列藩同盟の会津藩、仙台藩、盛岡藩が相次いで新政府軍に降伏。 榎本武揚らの旧幕府脱走軍艦隊は、東北での足がかりをなくしてしまいます。そこで新天地を求め、10月20日、 軍艦「開陽丸」ほか7隻の艦隊を率いて、箱館の北約20キロの鷲ノ木浜から上陸しました。しかし、23日未明、 峠下村付近で箱館府派遣の警備兵と衝突、「箱館戦争」の火ぶたが切られます。その後各地を転戦しますが、 実戦経験の豊かな脱走軍に、箱館府側は連敗。12月に榎本は五稜郭 を占領、総裁となり、箱館は脱走軍に占拠されます。ところが翌年4月、江刺から上陸した新政府軍は徐々に巻き返しを図り、5月11日箱館市街戦で箱館を制圧。ついに五稜郭開城をもって、脱走軍は降伏します。元新撰組組長・土方歳三もこの戦いで命を落とし、最後の国内戦争は終結しました。蝦夷から北海道へ、箱館も函館と改められ、本格的に明治維新の時代を迎えることになるのです。」

土方歳三の像
土方歳三は1835年東京日野市の生まれ。 新撰組副長のあと戊辰戦争(1868年から1869年)としての函館戦争で1869年(明治2年)34歳で戦死している。
辞世の句
「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ」。
 ともに徳川家に忠節を尽くした近藤勇は処刑された。歳三も最期まで東の君を思ったのだろうか。 34歳の短くとも太い人生を生きたと思う。

函館山の夜景は有名だが昼の景色もみて置こうと、麓のロープウェイ乗り場から上った。 まだ8月なので風が心地よい。マグロの一本釣りで有名な青森大間も見えた。

五島軒
帰りはカレーで有名な「五島軒」でチキンカレーを食べた。
海岸沿いの金森赤レンガ倉庫を歩いた。
ガイド:
「函館のカレーといえば五島軒。店自体は明治12年に創業。当時はロシア料理とパン・ケーキ の店としてスタートしました。明治19年の大火以降、フランス料理店として再出発し、以降 ケーキや養殖・カレーなど多彩な味を楽しむことができるお店となりました。 今や天皇陛下が食べて絶賛した等、道内だけでなく道外でも有名な店として函館の一つのシン ボルになっています。 五島軒の名前は初代料理長「五島英吉」からとられ、建物は国登録有形文化財指定建物になって おり、レトロ感がありながらどことなく高級感がある観光名所にもなっています。」

湯の川温泉の旅館に着いて館内放送があり、函館山の夜景バスツアーがあるという。これに申し込み 夕食後バスで函館山に向かった。8月後半のまだ夏休み時期だったこともあり、頂上は大変な混雑 だった。それでも夜景は大変綺麗だった。よくあさの朝食でイカの刺身が追加料金1,000円だというので 前夜注文しておいた。函館のイカはコリコリした食感で新鮮でおいしかった。

2日目 : 大沼公園  昭和新山  洞爺湖温泉

湯の川温泉を出発し大沼公園に向かった。私にはあまりなじみの無い公園だったが実際に観ると駒ケ岳をバック に自然に囲まれたスケールの大きな公園である。しばし緑と水のまわりを散策した。

ガイド:
大沼国定公園は、昭和33年7月に、全国で13番目、南北海道唯一の国定公園となりました。 北海道の南西部渡島半島の中央部に位置し、活火山である駒ヶ岳と、噴火によってできた大沼、小沼、 蓴菜(じゅんさい)沼をはじめ大小の沼、自然豊かなその周辺地域一帯が指定されています。 総面積は9,083ヘクタールで、亀田郡七飯町、茅部郡鹿部町、及び森町の3町にまたがっています。

駒ケ岳が背景

大沼公園から洞爺湖に向かった。北海道の道路はとにかく空いている。ナビがなければ路に迷ったかと 不安になりそう。洞爺湖が見えはじめ、天気もよく湖畔のドライブは窓を全開にして白樺の間を走った。 湖を見下ろす山頂にウインザーホテルが見えた。拓銀が破綻した原因のひとつにもなり外資によりよみが えったときく。そのうち泊まってみたいと思った。ちなみに料金は食事なしで1部屋2名で43,000円とある。 ディナー付きだと2人で軽く10万円を超える。リーズナブルか迷う料金である。
近くの昭和新山に足を伸ばした。1943年から1945年に有珠山の噴火で出来た溶岩ドームというらしい。 この山は当時も白い煙を吐いていた。

ふもとのガラス工藝館で土産を買った。 北海道はどこにいってもガラス工藝館がある。ガラス工藝品の色彩豊かな輝きが人をひきつける。

旅館「万世閣」に着き一休みしてから湖畔の遊歩道を歩いた。空気が乾燥しており大変さわやかで気持ちが よかった。ホテルのロビーでメロンの直売がありメロン農家のお兄さんの売り込みが美味かった。 夫婦ともメロンには眼がなく5個いりのメロンを宅配で買った。

当ホテルの風呂からの眺めがよく洞爺湖を眺めながらの入浴は気持ちがよかった。 夜は湖での花火が旅の疲れを癒してくれた。

3日目 : 小樽 石原裕次郎記念館  小樽運河  札幌

洞爺湖温泉を出発し道央自動車道で苫小牧を通り小樽までの長距離ドライブ。 北海道の大自然の中を貸切のように空いている高速道路を走る。ドライブ好きにとってはたまらない。 石原伸晃が「北海道の高速道路は車より熊のほうが多い」といって亀井静香に叱られていたが、そのとおりである。北海道では、一般道路も広く 人家も少ないところが多く80キロぐらいで走れるため高速道路は通る必要はないと思う。
新千歳空港ちかくのインターをすぎるとさすがに交通量が増える。札幌を通過。

小樽ではヒルトンホテル近くを通って、憧れの「石原裕次郎記念館」に入場した。 裕ちゃんは父の転勤で幼少の3歳から9歳をこの地で過ごした。当館はそれが縁でこの地に1991年にオープンされた。 祐ちゃんのハワイの別荘の様子、愛車のベンツ、多くの出演した映画のポスターなど展示されていた。 「黒部の太陽」のセットや部分映画も上演されていた。 共演した北原三枝、浅岡ルリ子などの若い写真も印象深かった。

小樽運河の付近では駐車場が満車で少し離れたところから歩いた。有名な運河沿いの倉庫街を歩いた。 倉庫の中はほとんどが食堂か、お土産店である。北一硝子の店も見た。寿司屋で小樽の魚貝を味わった

小樽から札幌まで高速道路を戻り札幌市内に入った。さすがに札幌は大都市である。道路の広さ、建物の多さ などドライブしてみるとまた印象が違う。遠くに今日宿泊予定の高層ホテルが見えたが道路も混んでおり なかなか到着しない。3日目になるとさすがにシンドイ。ホテルは朝食のみ付いていたので、ススキ野を散策し、 レストランで北海道の素材を使ったコースメニューを食した。台風が近づいていた。

4日目 : 札幌  新千歳空港

空港や駅でのランチとお土産選びも旅の楽しみのひとつである。新千歳空港は北海道随一を誇る国際空港でもあり、 売店やレストランフロアには北海道の味が詰まっている。台風が接近していたため札幌での朝の予定を取りやめた ので早めに空港に着き、レンタカーを返した後、時間が十分にあった。
まずは腹ごしらえ、旅行最期の北海道の味を堪能しようとランチは奮発して、豪華(私にしては)な寿司にした。


みやげはなんといっても「白い恋人」である。当時はダントツの人気を博しており、とくに女性に人気があった。 同様の菓子は他のものもあるが、この菓子の名前と包装はいかにも北海道情緒たっぷりである。所詮食べ物は イメージが大事。2007年に賞味期限改ざんサワギのあと、人気が落ちたらしい。大小5箱ほど買い、帰りの飛行機に 乗り込み台風の影響もなく無事羽田についた。