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美術館訪問記-99 国立ウンブリア美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ペルジーノ作
「マグダラのマリア」
ウフィッツィ美術館蔵

添付2:国立ウンブリア美術館正面

添付3:ペルジーノ作「慰めの聖母」
添付4:ペルジーノ作
「聖母子と天使、聖フランチェスコ、聖ベルナルディーノ、信心会の会員達」

添付5:ラファエロ作
「キリスト磔刑」
ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵

添付6:ピエロ・デッラ・フランチェスカ作
「多翼祭壇画」

これまで何回か触れて来たペルジーノは、本名ピエトロ・ヴァンヌッチ。

ペルジーノは「ペルージャの人」という意味で、その名の通りイタリア、 ペルージャ近郊に1450年頃生まれ、1523年ペルージャ近郊で没しています。

かのレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)とほぼ同時代の画家です。

ペルージャは、イタリア、ウンブリア地方の中心都市で ローマとフィレンツェの中間に位置します。

ペルジーノはペルージャの画家の工房で手ほどきを受けた後、レオナルドと同じ フィレンツェのヴェロッキオ工房で修業し、 ラファエロの父に「神のごとき画家」とまで言わしめた、確かな技量を身に着けて ペルージャに戻り、親方として工房を構え活躍します。

この工房からラファエロやピントゥリッキオ等が輩出するのです。

ペルジーノの作品は、一目でそれと知れる、甘美な優雅さを湛えており、 ウフィッツィ美術館の「マグダラのマリア」など、惚れ惚れと見とれてしまいます。

28歳の若さで、ローマ教皇シクトゥス4世の招聘で、ヴァティカンへ行き、 その後のシスティーナ礼拝堂の絵画装飾の中心的役割を果たしています。

同時に招かれているのが、ボッティチェッリやギルランダイオですから、 ペルジーノが当時いかに高く評価されていたかが判るでしょう。

そのペルジーノの作品がまとめて観られるのが、ペルージャにある 「国立ウンブリア美術館」。13作ありました。

その内2作を添付しますが、これらにペルジーノの特徴がよく現われています。

シンメトリーな安定した構図。鮮やかな色彩。甘美で優雅な登場人物達。 反転して使用されている全く同じ天使達。

マグダラのマリアも含め、聖母の顔はどれもよく似ていると思いませんか。

モデルは彼の若い妻で,フィレンツェの建築家ルーカ・ファンチェッリの娘 キアーラだと言われています。

ペルジーノの人気が余りにも高く、 イタリア国内ばかりでなく、海外からも注文が殺到したため、 効率よく捌くために、同一パターンを繰り返し使う手法を採った事が、 型にはまって独創性のない画家と見做され、 やがて飽きられ、急速に声望を失う事になっていきます。

添付5のように師匠そっくりの絵を描いていたラファエロは目敏くその愚を悟り、 レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロに学び、脱皮していったのですが。

国立ウンブリア美術館はペルージャの街の中心に位置するプリオーリ宮殿内にあり 主にウンブリア地方出身の画家達の作品が一望できます。

特にペルジーノも多くを学んだという、第6,7回で詳述した ピエロ・デッラ・フランチェスカのサンタントニオ女子修道会の多様祭壇画が凄い。

上部の受胎告知の天使とマリアの間の、遠近法を誇示するような、 回廊が珍しいのですが、何よりも、並みいる他の作品に比べ、 絵の発散する精神性の深さが群を抜いています。

美術館訪問記 No.100 はこちら

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