美術館訪問記-100 サンタ・マリア・マッジョーレ教会

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サンタ・マリア・マッジョーレ教会外観

添付2:バリオーニ礼拝堂内部

添付3:ピントゥリッキオ作
「受胎告知」

添付4:ピントゥリッキオ作
「自画像」
(「受胎告知」内の画中画)

添付5:ピントゥリッキオ作
「幼子キリスト礼拝」

添付6:ピントゥリッキオ作
「寺院での議論」

添付7:ピントゥリッキオ作
「4人の巫女」

ペルージャ生まれのピントゥリッキオ(1454-1513)は 本名ベルナルディーノ・ディ・ベット。

ピントゥリッキオとは、イタリア語で「小さな絵描き」という意味で、 小男だったようです。

ペルジーノ同様、ペルージャであまり有名でない画家の下で手ほどきを受けた後、 システィーナ礼拝堂のフレスコ画装飾でペルジーノの助手を務め、 その後は腕を買われて、ローマやシエナ、ウンブリア地方各地の貴族の館や教会に、 多くの作品を残しています。

彼の最高傑作として強く記憶に残るのは、ペルージャの南東20km程の所にある 小さな町スペッロの「サンタ・マリア・マッジョーレ教会」にあるフレスコ画、 「受胎告知」、「幼子キリスト礼拝」、「寺院での議論」。

これらはバリオーニ礼拝堂の3壁を、それぞれ占めています。 礼拝堂の天井のヴォ―ルトの帆形の部分には「4人の巫女」の姿もあります。

修復されたのでしょうか、1501年作という時代の隔たりを感じない色鮮やかさで、 その甘美な装飾性、大胆な遠近法と細部描写に凝った建物と風景、 特に金色の効果的な使用が目立つ、優美な色彩には目を見張りました。

何という華麗な礼拝堂でしょうか。

これほど美しく華やかな礼拝堂は世界広しといえども、ここだけにしかありません。

左壁の「受胎告知」から観て行きましょう。

神の子の受胎を告げる大天使ガブリエルの左手には、 マリアの純潔を象徴するユリの花が捧げられ、 マリアは書見台に置かれたバイブルの上に右手を置いています。

そこには「聖母は男の子を出産しエマニュエルと名付けられる」と書かれている由。

左手上部には、天使に囲まれた神が、聖霊の鳩を飛ばし、 聖霊によって身籠る事を示しています。

場所はルネサンス様式の館の中で、床や柱、天井は色大理石の象嵌細工。

絵の中の右の壁に、ピントゥリッキオの自画像を画中画で描いているのも心憎い。

外の景色は当時のスペッロの風景。

中央の「幼子キリスト礼拝」では、前景に、 生まれたばかりのキリストを取り囲む様にマリアとヨセフ、3人の羊飼いと、 神の子キリストを象徴する羊を引く若者、 キリストの受難を象徴する十字架の敷布を持つ、二人の天使達。 左端の羊飼いは、観る者の方を向き、実に写実的に描かれています。

庭や小屋の屋根にも、十字架を暗示する木材が置かれ、 屋根の上の孔雀は永遠のキリストの命、端的にはキリストの復活を象徴しています。

右下のワイン瓶とパンは聖餐の暗示でしょうか。

上空には天使達がキリストの生誕を祝福しています。

中景には貢物を持つ東方の三博士の一行。 その後ろには聖家族のエジプトへの逃避の要因になる軍隊。 エジプトの暗示でしょうか、中景には駱駝が歩いています。

一人の兵士の盾にはこの礼拝堂の発注者のバリオーニ家の紋章があります。

その後ろの岩山には隠者達の姿。

中景以降は時系列的に今後起きる事を示しています。

背景には海のあるエキゾチックな場所の風景。

右壁の「寺院での議論」では中央に少年キリスト、その左右に博士達を配して、 床は対面の「受胎告知」の床と対応するように色大理石の象嵌細工。

左端の黒服の男性が発注者のバリオーニ、その右に金袋を持つ会計係がいます。

右側のグループの先頭にはヨセフが中央を指さし、マリアは彼のベルトを握って います。背後には異教徒の寺院があり、 その壁龕にはミネルヴァらしきローマ神が祀られています。

天井の巫女達を含め部屋全体をこのように装飾したピントゥリッキオの手腕と、 この礼拝堂を500年以上奇跡的に保ってくれた人々に敬意を表します。