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美術館訪問記-98 ヴァティカン博物館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ヴァティカン博物館入口

添付2:ヴァティカン博物館中庭

添付3:古代エジプトの募影

添付4:ラファエロ作
「アテネの学堂」

添付5:ピントゥリッキオ作
「ボルジアの間壁画」の一部

添付6:システィーナ礼拝堂内部

添付7:メロッツォ・ダ・フォルリ作
「ヴィオラを弾く天使」 

添付8:ラファエロ作
「キリストの変容」

前々回モナコ公国が国連加盟国の中では世界最小と書きましたが、 全ての国の中で最小なのがヴァティカン市国。

面積僅かに0.44k㎡。人口836人(2012年)。

イタリア、ローマ市内にあるのですが、ローマ市の面積が1285k㎡、 人口264万人ですから、面積で1/3000、人口では1/3200に過ぎません。

その小さな国の中に、世界でも最高峰の博物館があります。
「ヴァティカン博物館」。

尤もこれは総称で、実際は下記の美術館、博物館、ギャラリーから構成されます。

ヴァティカン絵画館(ピナコテーカ)、グレゴリウス世俗美術館、馬車博物館、 ピオ・クリスティアーノ美術館、伝道・民族美術館、キアラモンティ美術館、 ピオ・クレメンティーノ美術館、エジプト美術館、エトルスコ美術館、 ブラッチョ・ヌオーヴォ、ヴァティカン図書館、地図のギャラリー、 碑文のギャラリー、燭台のギャラリー、タペストリーのギャラリー。

ヴァティカン博物館の見学コースに含まれるモニュメントには、 システィーナ礼拝堂、ボルジアの間、ラファエロの間(「署名の間」 「ボルゴの火災の間」「ヘリオドロスの間」「コンスタンティヌスの間」から成る)、 現代宗教美術コレクション、ニコラウス5世の礼拝堂等もあります。

ヴァティカン博物館は、観光名所になっている事もあり、美術愛好家以外の人達も 大勢詰めかけるのでいつも混雑しており、事前に予約する事をお勧めします。

インターネットで簡単にでき、長蛇の列の行列を尻目に、 1人悠々と予約者専用入口から入れます。

オーディオガイドも借りた方がよいでしょう。 1台で伊独英仏西と日中韓を選べるようになっています。

内部は見学者の好みと使える時間に合せて4種類のコースに分かれており、 それぞれ色で通路上に表示されています。

全ての博物館・美術館を巡る黄色のコースで5時間。尤もこれは標準時間で、 私のようにシスティーナ礼拝堂に1時間近く座っていたりすると、倍はかかります。

ヴァティカンはシスティーナ礼拝堂を除き、何処も撮影可です。

世界の潮流としては、美術館は基本的に撮影可の所が多いのですが、 どういう訳か日本だけは撮影禁止が一般的で、困ったものです。

逆にイギリス、イタリアは昔不可だった所が可になってきています。 ロンドンのテート・モダンが最近の新作も含め全て撮影可というのは一驚しました。

日本も、上野の国立西洋美術館や、皇居近くにある東京国立近代美術館が 撮影可になったので、主体性なく上に倣へのお国柄、 そのうち世界並みに、どこでも可になっていくでしょう。

最初にあるエジプト美術館では、ミイラの顔と手が露出しているのが生々しい。

棺に貼られた死者の似顔絵は、実に現代的で、写実的です。 どうしてこの技術がその後立ち消えてしまうのか。不思議です。

ローマの前住民だったエトルリア人の文明は、文字の記録が十分でないので、 よくは判らないらしいのですが、ローマ人が子弟を勉学の為にエトルリアに 送った事からも、相当高い文化を持っていたようで、エトルスコ美術館に残る 金の留め金は大きく、彫られた絵や加工も精密で、それを垣間見せます。

ラファエロの間の素晴しさは、何度見ても感慨深いものがありますが、 25歳の若者に、それまであった巨匠の壁画を塗り潰してまで 新しく描き直させた、時の教皇ユリウス2世の慧眼もたいしたものです。

4回目の訪問で、そのラファエロが、師に敬意を表して、唯一残したという、 火災の間のペルジーノの天井画の美しさと、 ラファエロの間に続くボルジアの間のピントゥリッキオの壁画の、 緻密で装飾的な美を改めて認識しました。

彼等の本質を理解するまでかなりの時を要したようです。

その後に続く現代宗教美術コレクションには、教皇パウロ6世により1973年から 始められた、寄贈のみによる絵画、彫刻、グラフィック・アートが、 55室に渡って展示されているのですが、近代絵画・彫刻の名手達に混じって、 入る通路の両側の壁に、渡辺禎雄(1913―1996)の版画が12点展示されていました。

続くシスティーナ礼拝堂の素晴らしさは、「美は沈黙を強いる」と言った小林秀雄の 言葉通り、黙って見詰めるしかありません。

当時の全ての画家が頑なに捉われた遠近法の呪縛、宗教画の決まり事から 完全にフリーに描いた、ミケランジェロの創造性と不屈の闘志は見上げたものです。

堂内には、美に没頭できない人々のざわめきが途絶えないので、8分毎に 「静粛に。写真・ビデオは禁止です。」という放送が流れるのですが、 これが伊独仏英西日語のみで、順に繰り返されます。

ミケランジェロの大壁画修復についてのオーディオガイドで、 「日本の日本テレビの全面的サポートで世界の文化遺産の維持ができた。」 と言っていたのと合せて、日本人として気分は悪くありません。尤も、 私が最後に訪れたのは2009年の事で、今は中国語に変わっているかもしれませんが。

続く絵画館で、強く再認識したのはメロッツォ・ダ・フォルリ(1438―1494年)。

イタリア、マルケ地方のフォルリ出身で、ウルビーノ公国に移り、 ピエロ・デッラ・フランチェスカの教えを受けて、遠近法や短縮法を身につけ、 マンテーニャの影響も受けます。

その後ローマに出て、システィーナ礼拝堂の建立者としても知られる、 ローマ教皇シクストゥス4世に可愛がられ、「教皇の画家」とまで言われ、 ルネサンス絵画の一翼を担いました。

色彩が美しく、明るく、写実的で、自然。人物が輝きを放っています。

ヴァティカンでも特別扱いで、絵画館でも、ラファエロほど広くはありませんが、 一室がフォルリのために充てられています。

彼の絵はここヴァティカンに16点ある以外は、アムステルダム国立美術館、 イタリアの、パンテオン、ロレート大聖堂ぐらいしか残っていないようです。

そのラファエロは、第8室に3作の大作が並んでいますが、 真ん中に置かれた「キリストの変容」はラファエロ最後の作で、 37歳の若さで死んだ彼が、昇天するキリストの顔を最後に描き、 自分の全てを出し尽したとして、後は一切筆を執らなかったといいます。

美術館訪問記 No.99 はこちら

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