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美術館訪問記-87 ルイジアナ近代美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:ルイジアナ近代美術館

添付2:入り口前で入場を待つ人々

添付3:マックス・エルンスト展ポスター
自分の彫刻作品の後ろに立つエルンストと最後の妻ドロテア・タニング

添付7:ルイジアナ近代美術館の庭

前回触れた「ルイジアナ近代美術館」はデンマーク、コペンハーゲンの北 約35kmの町、フムレベックにあります。

昔の邸宅を改築して美術館にしていますが、ルイジアナ近代美術館という名前は、 この建物の最初の持ち主であったアレクサンダー・ブランにちなんでいます。 彼は生涯に3度結婚したのですが、どの妻の名前もルイーズだったというのです。

ここは1950年以降の現代美術コレクションとしては、世界でもトップクラスに入る と言われますが、大々的な企画展を行うことでも有名です。

1999年に訪れた時はマグリット展をやっていました。 全てのマグリット作品を観たような気がしました。 10年後の2009年に訪れた時は「夢と革命」と題した、 マックス・エルンスト展を開催中。

10分前には着き11時の開館を待ったのですが、 4,5歳の子供の集団を含め100人程が待っていました。 美術館の開館を待つ人数としては、欧米の地方都市としては例外的な多さです。 それにしても4,5歳の子供にエルンストを見せて何と説明するのでしょうか。

11時ジャスト開館。エルンストの油彩111点、プリント 66点、彫刻 16点、 コラージュ写真 10点、挿絵本 17点、 ”Maximiliana, or the illegal Practice of Astronomy”1964年作 という 和紙34枚に刷り込んだ版画。規模が半端ではありません。

エルンストの出演する映画を2本、別々の場所で放映中でした。 1つは20分のドイツ語会話のデンマーク語字幕。 もう一つは、エルンスト本人が語る1時間半ほどの自伝的映画。こちらは英語です。

至る所に当時の写真、本人の映った映画、関連人物が登場し、 見入ってしまいました。以下は映画からの抜粋です。

エルンストは1891年ドイツで生まれ、フランスに移り、 第2次大戦時にアメリカに移住。アメリカ国籍獲得。1953年フランスに移動。 フランス国籍獲得。独仏で1度ずつ、アメリカで2度結婚しています。

3回目の相手がペギー・グッゲンハイム。1941年結婚し、43年には離婚している。 4度目の結婚は1946年、死ぬ1976年まで続きました。

この間作風は目まぐるしく変わり、その為晩年まであまり人気は出ませんでした。 1954年のヴェネツィア・ビエンナーレで大賞を獲り、一躍世界的名声を確立します。 まさに波乱万丈の人生。魅力的な男だったようです。

ここは海に面し、4月半ばでしたが、強い日差しと抜けるような青空。 大勢の人々が外で食事をしたり、芝生に寝そべったりしています。 コペンハーゲンから足を伸ばして、ゆっくり1日を楽しんでいるのでしょう。

常設展では、ジャコメッティの彫刻17体をはじめ、ピカソ、リキテンスタイン、 ウォーホル、ポロック、キーファー、ベーコン等が展示され、 庭にはヘンリー・ムーア、アレクサンダー・カルダー、ジャン・アルプ等の 彫刻がありました。

(*アルベルト・ジャコメッティ作「ヴェネツィアの女達」、ロイ・リキテンスタイン作「風景の中の形態」、 フランシス・ベーコン作「男と子供」は著作権上の理由により割愛しました。管理人)

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