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美術館訪問記-86 ペギー・グッゲンハイム・コレクション

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:ペギー・グッゲンハイム・コレクション裏側

添付2:ペギー・グッゲンハイム・コレクション入口

添付5:ワシリー・カンディンスキー作
「赤いスポットのある風景2」

添付6:モネ作
「積みわら」
アメリカ、ボストン美術館蔵

添付7:ドイツ・グッゲンハイム美術館

イタリア、ヴェネツィアには 「ペギー・グッゲンハイム・コレクション」があります。

カナル・グランデ(大運河)沿いにあり、狭い水の街ヴェネツィアには珍しい 緑溢れる庭園と彫刻に囲まれた現代美術館です。

緑の少ないヴェネツィアの路地をうろついた後、 ホット一息つける安らぎの空間がここにはあります。

ペギーはソロモン・ロバート・グッゲンハイムの姪で、 ここには彼女が収集した現代美術を展示しています。 管理はソロモン・ロバート・グッゲンハイム財団がしています。

この建物は18世紀建築の館で、ペギーは1948年にここを買い、 1979年にイタリアで死ぬまで30年程住んでいました。

彼女は第2次大戦中、退廃芸術家としてナチスに迫害された マックス・エルンストを救出するためもあり、彼と結婚しています。 この一部始終を撮った実録映画があります。2人は直ぐ別れましたが。

デンマークにあるルイジアナ近代美術館を訪れた時に、 大々的なマックス・エルンスト展をやっており、 そこで2人の登場する映画を興味深く観ました。

ペギー・グッゲンハイム・コレクションには勿論エルンストの作品が 沢山ありますが、他にもカンディンスキー、ピカソ、キリコ、ミロ、モンドリアン、 シャガール、ダリ、マグリット、ポロック、ベーコン、ロスコ等多士済々。

エルンスト、ブランクーシ、ジャコメッティ、アルプ、ゴンザレス、ムーア、 マリーニ等の彫刻も館の内外に散在しています。

ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)は1910年世界初の抽象画を描いた 画家として知られていますが、画家を志したのはピサロよりも遅く、 29歳の時でした。

彼はモスクワ生まれのロシア人で、モスクワ大学で法律と経済を学び、 順調に教授への道を進んでいましたが、1896年モスクワで開かれた フランス美術展でモネの「積みわら」を観て衝撃を受けます。

彼は最初それが何を描いているか判らなかったのですが、 その色彩に惹き付けられ、観ているうちに風景画という事は理解したものの、 絵は描かれた対象が何か判明しなくても感動を与えるという事が新しい発見でした。

約束された教授職を捨て、画家を志したカンディンスキーは同年ミュンヘンに移り 美術学校に入学。理論家で筆も弁も立った彼は友人達と1901年私立の芸術学校 ファランクスを創立。翌年入学してきた資産家の娘ガブリエ―レ・ミュンターと 二人でヨーロッパ各地を旅し、フォーヴ派の絵画にも触れ、1910年抽象画を 産み出す事になるのです。

実際は抽象画はほぼ同じ頃世界各地でお互いに関連なく描き出さているのですが、 著作家でもあったカンディンスキーの書いた「抽象芸術論」が嚆矢となり、 一般的にカンディンスキーが抽象画を始めたとされています。

ロシア革命後、1918年ロシアに戻った彼は、革命政府内で活躍し、ロシア人女性と 結婚しますが、スターリンの台頭に伴い、1921年にはドイツに移り住み、 ナチスの台頭により、1934年にはパリへ移りフランス国籍を収得して死ぬまで フランスで暮らしています。

ところで、他の2つのグッゲンハイム美術館はドイツとアメリカにあります。 ドイツのものはベルリンにあり、ドイツ銀行の1階の1部屋のみで、 企画展専用に使われています。 2008年に訪館しましたが、 見たことのない現代作家のインスタレーションが1点あるのみでした。

アメリカのラスベガスに5番目のグッゲンハイム美術館が2001年に造られました。 私は2004年に訪れたのですが、「ルノワールからロスコまで」展を開催中で、 グッゲンハイム財団の所有する優品を展示していました。 しかしここは2008年閉鎖されました。

注:インスタレーション:現代美術における表現手法の一つで、空間芸術とも言える。彫刻やオブジェ等の作製物や岩や木を置いたり、 映像を照射したり、雷鳴や水滴音を響かせたり、その場、空間を通して作者の芸術的感性を発現しようとする芸術手法。
1970年頃から一般的になって来た。枯山水等の日本庭園もインスタレーションの一種と考えられる。

(*マックス・エルンスト作「花嫁の化粧」,「アテネの街角」は著作権上の理由により割愛しました。管理人)

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