美術館訪問記-82 ダリ美術館

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(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:ダリ美術館

添付2:ダリ美術館内部

添付6:ウィリアム・ブグロー作
「ヌード」

添付7:ヘラルト・ドウ作
「聖書を読む老婦人」
アムステルダム国立美術館蔵

スペイン、フィゲラスにある「ダリ美術館」を訪れたのは木曜日の昼時でしたが、 平日にもかかわらず長蛇の列ができていました。

フィゲラスはフランス国境と地中海から、それぞれ10km足らずの 辺境の田舎町ですが、こんな辺鄙な所にこれだけの人が集まっているとは。

結局1時間以上並んで入館。特別な企画展のない美術館でこれだけ並んだのは、 まだインターネットによる予約ができなかった10年前に訪れた ロシアのエルミタージュ美術館ぐらいでしょうか。

中も人込みを縫いながらの見物。

外観も卵を幾つも載せた奇抜な姿をしていますが、 内部もダリの絵画や壁画、プリント、彫刻、様々なオブジェが大小入り混じり、 横、下、上、斜めと所構わず、まるでビックリ箱と美術館を 組み合わせたような造り。子供連れが多いのも頷けます。

1974年、ダリが70歳の時に昔の劇場を改造してオープンしたという当館、 いまでは年間100万人を集めるといいます。

この町に生まれ、この町で死んだダリにとっては、 この美術館そのものが巨大な作品であり、彼の最高傑作と言えるでしょう。

内部に小さな庭を持つ4階建ての美術館には22の部屋があり、 それらを結ぶ通路にもダリの作品が溢れています。

サルバドール・ダリ(1904-1989)は20世紀を代表する画家の一人で シュルレアリスムの旗手と見做されています。

ダリの生まれる9か月前に、3歳にならない兄が死亡しており、 その兄と同じサルバドールと名付けられたダリは両親に溺愛されながらも 自分と同じ名前の兄の墓標を見る度に死への恐れを抱きながら育ったのです。

フィンセント・ファン・ゴッホが誕生日も同じ3月30日生まれの1歳上の 自分が生まれる前に死んだ同名の兄の墓標を見る度に、自己のアイデンティティ への不安に震えた心理的葛藤と似たものがあるのかもしれません。

18歳でマドリードの王立フェルナンド美術学校に入学し、この時知り合った 映画監督になるルイス・ブニュエルとは6年後にシュルレアリスムの代表的映画 「アンダルシアの犬」を共同製作しています。

23歳でパリに出、ピカソやシュルレアリスムの創始者アンドレ・ブルトン、 詩人のポール・エリュアール等シュルレアリスムの中心人物達と交流を持ち、 2年後には正式にシュルレアリスト・グループに参加します。

エリュアールの妻だったガラと恋に堕ち、結婚する事になるのは76回で触れました。 生涯を通じてダリのミューズ(美の女神)だったガラのマネージメントもあり、 天才と自称して憚らず、数々の奇行や逸話を残していますが、 根は繊細で気配りのある常識人だったというのが親しい人々の評価でした。

ところで美術館の4階のルーム14がマスターピースの部屋と呼ばれており、 ダリのコレクションが納まっています。

何があるか想像してみて下さい。

ウィリアム・ブグローとヘラルト・ドウが2点ずつ。それにグレコ1点。 ちょっと意外だったでしょう。

ブグローは19世紀フランスのアカデミズムを代表する画家で、女性像や少女、 子供の描写に非凡なものがあり、生存中は絶大な人気を誇ったのですが、 20世紀に入って一時忘却され、最近再評価されて来ています。

ヘラルト・ドウはオランダの黄金時代の画家でレンブラントの最初の弟子として 知られ、細部描写の素晴らしい、輝くような色彩を操る卓越した画家です。

グレコは第28回で触れました。これら3人の画家をみても、 ダリが本格的な正統派の画家に惹かれていたことがわかります。 添付の「パン籠」などは彼のそういう一面を如実に示しています。

出口を出て右に曲がると、建物の角に入口があり、 入場券を購入する際に幾つか渡された券の1枚で入場できます。 ここがルーム23の宝石の間。ダリのデザインしたジュエリーが並んでいます。

1つ、ハート型の真ん中を長方形にくり抜いた上に王冠を乗せた金製品があり、 くり抜いた中に心臓を模した赤いビロード状のものが連続して ドクドクと動いているのが、機械仕掛けなのでしょうが、リアルで面白い。

私はダリの、奇を衒い過ぎる感のある作品は好きになれないのですが、 この美術館を訪れて少し彼を見直しました。

(*ダリ作「ガラ」、「パン籠」、「顔」、「高貴な心臓」は著作権上の理由により割愛しました。管理人)

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