戻る

美術館訪問記-79 アルゼンチン国立美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:アルゼンチン国立美術館正面

添付2:グレコ作
「オリーブ園のキリスト」

添付3:マネ作
「驚くニンフ」

添付4:マネ作
「草上の昼食」
オルセー美術館蔵

添付5:マネ作
「オランピア」
オルセー美術館蔵

添付6:ゴーギャン作
「海の女」

ピカソはスペインの生まれですが、スペイン語を公用語とする国は幾つか あります。その一つがアルゼンチン。

哀愁の中に情熱を秘めた重い低音のバンドネオンとギターで奏でられる アルゼンチン・タンゴ。 あのメロディーとリズムを聞くと、鋭角的で、歯切れよく、官能的な タンゴの踊りと共に思い出す美術館があります。 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにある「アルゼンチン国立美術館」。

この美術館はラプラタ川の河口近くの公園の中にあります。 河口と言っても最大幅240kmもあり、海にしか見えませんが。 4本の太い円柱の立つ堂々とした建物。

この美術館が凄かった。第一級の名画揃い。 第8回でブラジルのサンパウロ美術館を採り上げ、南半球一と言いましたが、 ここは南半球第二の内容。その割に両方とも余り知られていないのは、 地球の反対側にあるという日本からの距離のせいでしょうか。

ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれ、人口300万人を超す近代的な大都市です。 中心を通る大通りは最大で140mという世界最大幅。 行きかう人々は白人が大半で、人種のるつぼと化した本場のパリよりもパリらしい。 これも19世紀末、奇跡と呼ばれる経済発展でヨーロッパからの移民が大量に 首都ブエノスアイレスに流れ込んだ結果です。

アルゼンチンはスペイン語を公用語にしているものの、 ブエノスアイレスに限れば上流階級のパリに対する憧れのためか、 「南米のパリ」という呼称をすんなりと受け入れたくなります。

経済力を付けた市民達は子女をヨーロッパに留学させ、買い手の少なかった 印象派等の絵画を買い漁りました。まだアメリカ人達が買い始める前です。 ただその後の世界大恐慌の影響をもろに受け、経済力が低下した時期に ヨーロッパやアメリカから画商達が買い付けに来て流出した絵画も多かったという。

それでもティツィアーノ、グレコ、ルーベンス、スルバラン、レンブラント、ゴヤ、 コロー、ドラクロア、ミレー、クールベ等に加え、印象派、ポスト印象派、ルソー、 ヴュイヤール、ピカソ、モランディ、ポロック、ロスコ、藤田等、堂々の布陣。

特にマネの「驚くニンフ」は彼の初期の重要な作品です。

マネ(1832-1883)はクールベに続いた画壇の革命児で、1863年にサロンに出した 「草上の昼食」や1865年提出の「オランピア」で続けざまに物議とスキャンダルを 巻き起こしたのです。

「草上の昼食」は着衣の男性2人と全裸の女性を現実の場面設定で描いています。 それまでの長い間、ヌードを描く事は、神話や聖書に書かれた登場人物に限って 許されてきたのです。神でも歴史上の人物でもない現実の女性を夢の中ではない、 実際のピクニック場面に描いたのですから当時の人々にとっては 大変なショックだったのです。

「オランピア」はすぐそれと判る生身の娼婦を 伝統的なヴィーナスのポーズで描いたのですから、より大変でした。

また技法的にも従来の遠近法や陰影による3次元表現に捉われず、 明確な輪郭線と強い色彩だけで立体感を表現したのです。 「草上の昼食」でも奥の女性と木々の距離感は現実とは全く異なっています。

しかし旧態依然とした古いアカデミズムへの挑戦は当時の若い絵描き達の共感を 呼び、第67回のバジ―ルの絵にもあるように、印象派のメンバーからはリーダー と目され、マネは「印象派の父」と呼ばれます。

マネ自身は、面白い事にサロンで認められる事に集中し、 8回開かれた印象派展には一度も参加していません。 直接の弟子だったベルト・モリゾは7回も参加しているのですが。

国立美術館では当然ながら、 地元のアルゼンチンの芸術家達の作品が面積的には多くを占めます。 名前を知っている画家はいなかったのですが、カタログ本の表紙を飾っていて 最も展示数の多かったアントニオ・ベルニ(1905-1981)と 特異な画風で何度か見かけた事のあるフェルミン・イギア(1942-)は 印象に残っています。

この美術館の開館時間は平日、12時半から20時半まで。月曜日は休館。 週末は9時半から20時半まで。 小さな美術館や私立美術館では珍しくありませんが、国立美術館で 平日これだけ遅く開館し、夜まで毎日オープンしている所は他に知りません。 勤め人も来場し易いように遅くまで開けておくためだとか。

週末は国立美術館の職員がやりくりして11時間開放している訳で、 顧客本位の考えに立つアルゼンチンの国家公務員に感心したものでした。

フランスから技術者を連れて来て醸成したメンドーサ地区産のワインと、 アルゼンチン・タンゴのショーを満喫してホテルへ戻る道すがら 道端の犬の糞を踏まぬよう細心の注意を払わなければならなかったのは パリに見習った悪しき習慣でしょうか。

尤も我々の訪れたのは2000年ですから、今は良い方に変わっているかもしれません。

(*アントニオ・ベルニ作「第一歩」、フェルミン・イギア作「絵画」は著作権上の理由により割愛しました。管理人)

美術館訪問記 No.80 はこちら

戻る