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美術館訪問記-78 上原近代美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:上原近代美術館正面

添付2:上原近代美術館庭

添付6:コロー作
「サン・カテリナ・レ・ザラスの洗濯場」

ピカソの作品は日本にもあちこち所蔵されていますが、第74回で書いたように ピカソの未成年期の作品を所有している美術館は殆どありません。
その数少ない一つが伊豆、静岡県下田の片田舎にある「上原近代美術館」。

周囲の豊かな自然に溶け込むようにして佇む平屋で、2000年の開館。 実にセンスの良い造りの建物で、高台にあるため小テラスからの眺めもよく、 庭には山本直道作の「風と少女―Versilia」が可憐に佇んでいます。 テラス前の休憩室では無料のコーヒー、紅茶のセルフ・サービスもあります。

展示室は3室のみで、展示品数は限られますが、粒揃いで、 コレクターの大正製薬株式会社会長だった上原昭二の鑑識眼の高さを窺わせます。

展示は年に4回ほど替えられているようですが、 入口に飾ってあるベルナール・カトランの「ガーネット色のバックのアイリス」 だけはいつも変わらず、我々を迎えてくれます。

ここにあるピカソの「科学と博愛」は彼の16歳時の作で、 スペイン、バルセロナのピカソ美術館にある有名な作品の習作ですが、 ピカソの若年期の作品がスペイン以外にあるのは珍しい。 昭二がピカソの娘から直接譲り受け、彼女はこの美術館に来たこともあるという。

他にもコロー、ピサロ、シスレー、セザンヌ、レドン、モネ、ルノワール、 ボナール、マティス、ルオー、ブラック、ユトリロ、マルケ、ヴラマンク、 シャガール等。特にアンドレ・ドランは8点あります。

日本人画家の作品も多く、藤島武二、安井曽太郎、梅原龍三郎、中川一政、 鳥海青児、岡田謙三、香月泰男、川合玉堂、横山大観、小林古径、鏑木清方、 前田青邨、伊東深水、奥村土牛、中村岳陵、東山魁夷、奥田元宋等。 特に上原の敬愛する須田国太郎の作品は数が多い。

須田国太郎はピカソに遅れる事10年、1891年、京都の生まれで、 高校時代に独学で絵を描き始め、京都大学哲学科美学美術史を専攻し、 大学院に通う傍ら関西美術院でデッサンを学んでいます。

28歳でスペインに留学。マドリードに居を構え、4年間の滞在中 ヴェネツィア派の色彩理論や、バロック絵画の明暗法を研究しています。 ヨーロッパ各地も旅し、最新の芸術動向を探るとともに、 西洋絵画の伝統からも多くを学んだようです。

帰国後は、高等学校の教師として勤める傍ら、 西洋絵画を基礎にしつつも、日本独自の油彩画を生み出そうと努力を重ね、 初めての個展を開いたのは1932年、実に41歳になっていました。

翌年、独立美術京都研究所の開設に際し、学術面の指導者として招かれ、 1934年からは独立美術協会会員となり、制作活動を本格化させています。 「黒の画家」と呼ばれる重厚な画風で、強靭な精神性を感じます。

1947年には日本芸術院会員に選ばれ、数年後には京都市立芸術大学の教授にもなり、 後進の指導にあたっています。享年70。

隣接して昭二の父、上原正吉と夫人の小枝が建立した上原仏教美術館があり、 こちらには木彫仏像百数十体と平山郁夫の仏画3点があります。

(*ベルナール・カトラン作「ガーネット色のバックのアイリス」、ピカソ作「科学と博愛」および須田国太郎作「烈日下の鳳凰堂(平等院)」は著作権上の理由により割愛しました。管理人)

美術館訪問記 No.79 はこちら

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