前回のサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂から北西に400mも行くと 「サン・マルティーノ聖堂」があります。
茶色の垂直型三分割の簡素なファサードですが、1879年と近代になってからの完成。 教会の創立は1227年とボローニャでも最古の部類に入ります。
内部は三廊式。薄茶色の床に赤茶色の柱、白色の壁と天井。 装飾は目立たずシンプルですが色彩の組み合わせで華麗に見えます。
左右の側廊には礼拝堂が並び、祭壇画がかかっています。
まず目についたのはリッポ・ディ・ダルマシオの「聖母子」。 1355年頃ボローニャの画家一家に生まれ、ヴィターレ・ダ・ボローニャや フィレンツェで活躍したオルカーニャの影響下に腕を磨き、 1410年に亡くなるまでに15軒もの不動産を所有する大成功を収めた画家でした。
ボローニャで生まれボローニャで死んだ生粋のイタリア人ながら、 もっぱらフランチャ(イタリア語でフランス人)と呼ばれた フランシスコ・フランチャの「聖母子と聖人たち」もあります。
フランチャの親友だったロレンツォ・コスタの「聖母被昇天」は1506年と 盛期ルネサンスの作で、彼は1460年フェラーラの生まれですが、 20代の初め頃にはボローニャに移っていました。
コスタは1509年にはマントヴァに移り、マンテーニャ亡き後の ゴンザーガ家の宮廷画家として亡くなる1535年まで働いています。
ロレンツォ・コスタに学んだアミーコ・アスペルティーニ(1474-1552)の 「聖母子と聖人たち」もありました。アスペルティーニはボローニャで生没した 生粋のボローニャ派の画家で、複雑で風変わりなスタイルを貫きました。
ヴァザーリによるとアミーコは筆使いが早く、両手が同じように使え、 片手には明るい色を、片手には暗い色を持って明暗に富む絵を一気呵成に 描いたといいます。しかし残っている作品数はそれほど多くありません。
アミーコ亡き後の1555年ボローニャに生まれたルドヴィコ・カラッチは プロスペロー・フォンターナ(第763回参照)の下で修業後フィレンツェ、パルマ、 ヴェネツィアに武者修行の旅をしてボローニャに戻った画家です。
彼は1585年、従兄弟のアゴスティーノ・カラッチと、その弟でバロック絵画の 端緒の一人アンニバーレ・カラッチの3人でボローニャの美術アカデミーを創設。
ルドヴィコはアカデミズムの伝統の不毛から脱却するには生きたモデルを よく観察し、そこから素描するのがよいと固く信じており、 写生を重視した実践と指導で新たな古典主義を一族で生み出したのでした。
彼の指導を受けた優れた弟子にグエルチーノ、グイド・レーニ、ドメニキーノ等が 輩出。ボローニャ派の確固たる地位を確立することになりました。
この聖堂にはルドヴィコ・カラッチの「聖ヒエロニムス」があります。