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美術館訪問記 -766 サン・ドメニコ聖堂、Bologna

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:サン・ドメニコ聖堂正面

添付2:サン・ドメニコ聖堂前広場

添付3:サン・ドメニコ聖堂内部

添付4:聖ドメニコの墓石棺 写真:Creative Commons

添付5:ミケランジェロ作
「天使像」

添付6:グィド・レーニ作
「聖ドメニコの栄光」

添付7:グエルチーノ作
「聖トマス・アクィナス」

添付8:フィリッピーノ・リッピ作
「聖カタリナの神秘の結婚」

前回のぺポリ・カンポグランデ宮美術館から南に300mも行くと 「サン・ドメニコ聖堂」があります。

1238年ドメニコ修道会士によって建てられ聖ドメニコを祀る聖堂です。 スペイン生まれのドメニコは、死の3年前にボローニャを訪れ、 布教活動中に1221年ボローニャで亡くなりました。

赤レンガで造られたこの教会は、その後続々と建てられたドメニコ派教会の 手本となり、類似の教会がヨーロッパ諸国の町々で見受けられます。

聖堂前の広場中央には高いモニュメントがあり 1627年作の聖ドメニコ像がその上に立っています。

なおドメニコはイタリア語読みで、英語ではドミニコ。日本では一般的に イタリア人の聖フランチェスコを英語読みの聖フランシスコと呼ぶように ドミニコと呼んでいます。ちなみに聖ドメニコの生誕地スペインではドミンゴ。

内部は三廊式で主廊の柱、壁、天井共白塗りで明るい。私が最後に訪れた 2014年も内部は撮影禁止でしたので写真はWikipediaから借用しました。

後陣には聖ドメニコの墓石棺があり、この聖人の生涯を物語る彫刻が施されて います。石棺本体は1267年の完成ですが、後に幾つかの像が付け加えられ、 燭台を持つ男性的な天使、聖ベトロニウス、聖プロクロスの像の3体は、 ボローニャを訪れていた当時19歳の若きミケランジェロの作。

ここの後陣はこの石棺を囲んで半円形に、2段に彫刻が飾られているのが珍しい。

後陣の天井にはグィド・レーニの最高傑作と言われる「聖ドメニコの栄光」があり、 厳密に考え抜かれた構成と理想的な肉体表現、豊かな色彩で 17世紀のボローニャ美術を代表する古典主義絵画となっています。

グイド・レーニは1575年イタリア、ボローニャの生まれ。 カラッチ一族の画塾で学び、1599年画家として独立したレーニは、 1602年ローマに出て、洗練された演劇性と感傷性、大胆な構想と計算された構図、 均整のとれた人体表現、豊かな色彩などから古典主義画派の指導者的存在となり、 ラファエロの再来とまで呼ばれるようになるのです。

当時の教皇パウルス5世やその甥にあたる枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの注文を 受けていましたが、1612年、宮廷人としての生活より自由な画家としての活動を 選び、故郷ボローニャに戻るのです。以降は1642年に没するまで 短期間の旅行を除いてボローニャを離れず、制作と後進の指導に努めたのでした。

後にイタリアを旅し「イタリア紀行」を著したた文豪ゲーテは 書中でグイド・レーニを「神のごとき天才」とまで激賞しています。

左右の側廊には幾つもの礼拝堂があり、それぞれに祭壇画が飾られています。 前回名前を出したグエルチーノの「聖トマス・アクィナス」がありました。

聖トマス・アクィナス(1225-1274)はイタリアに生まれ、ドメニコ会修道士から パリ大学教授となった聖人で、アリストテレス哲学をキリスト教信仰に調和させて 解釈し、信仰と理性の一致を目指し、「神学大全」を出版。神の存在と教会の 正当性を論証する大著として、後世のキリスト教に大きな影響を与えた人物。

グエルチーノは、1591年ボローニャとフェラーラの間に位置するチェントという 村の生まれで、本名ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ。 グエルチーノはイタリア語でやぶにらみを意味し、 彼が斜視だったことからつけられたあだ名です。

彼はカラッチ一族などの作品に学びつつ、ほぼ独学で自らの画風を形成し、 カラヴァッジョやカラッチ一族によって幕が開けられたバロック美術を発展させ、 17世紀のイタリア絵画史上最も重要な画家の一人と見做されています。

1642年のグイド・レーニの死後、グエルチーノは工房をボローニャに移し、 ボローニャ派を代表する画家となり、 1666年に亡くなるまで、絵を描き、教え続け、相当な財を成しています。

ここにもフィリッピーノ・リッピの「聖カタリナの神秘の結婚」がありました。