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美術館訪問記 -763 ダヴィア・バルジェッリーニ市立美術館、Bologna

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ダヴィア・バルジェッリーニ市立美術館正面

添付2:ダヴィア・バルジェッリーニ市立美術館内部

添付3:アントニオ・ヴィヴァリーニ作
「聖母子」

添付4:ヴィターレ・ダ・ボローニャ作
「聖母子」

添付5:ジャコモ・フランチャ作
「聖母子と二聖人」

添付6:プロスペロー・フォンターナ作
「ゲツセマネの祈り」

添付7:ラヴィニア・フォンターナ作
「ホロフェルネスの首を持つユディト」

17世紀に建立されたダヴィア・バルジェッリーニ宮殿に納まっているのが 「ダヴィア・バルジェッリーニ市立美術館」。

家具、馬車、教会調度品、陶器、細密画、刺繍、皮革製品、絵画と展示品の多い 美術館です。絵画ではボローニャには珍しくヴェネツィアの画家 アントニオ・ヴィヴァリーニの作品が2点ありました。

ヴィヴァリーニ一族開祖のアントニオ・ヴィヴァリーニは1418年頃、 ヴェネツィア、ムラーノ島のガラス製品製造業の家に生まれ、 ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの影響下で 絵画修業をし、金色を用いた華麗な装飾性に富む国際ゴシック様式に 3次元的要素を加えた明瞭な色調や温雅な線描とで一家を成しました。

1441年頃からは義弟ジョヴァンニ・ダレマーニャと組んで ムラーノ派と呼ばれた大規模な工房を構え、ムラーノ島を拠点に パトヴァ、ボローニャ、ヴェネツィア等で精力的に活動を行います。

1450年ダレマーニャが急死すると、実弟バルトロメオ・ヴィヴァリーニや、 息子アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニと共同で作品を手がけています。

ボローニャの美術館ではよく見かけるヴィターレ・ダ・ボローニャが ここにもありました。寄進者の姿が異常に小さく描かれた古色蒼然たる スタイルですが、聖母の表情には時代を超えた可憐さが観られます。

前回触れたフランチェスコ・フランチャの息子ジャコモ・フランチャが 父の絵をコピーした「聖母子と二聖人」もありました。

彼は1484年ボローニャの生まれで、弟のジュリオと共に父の下で修業し 1517年父の死後は工房を引き継ぎ、二人で多くの祭壇画を残しています。

フランチャ一族の跡を継いでボローニャのリーダー的画家になった プロスペロー・フォンターナの「ゲツセマネの祈り」がありました。

ゲツセマネの祈りとはキリストがゲツセマネの園で、十字架刑に処せられる前夜 祈った事をさします。死が翌日に来る事を知っているキリストは、 ペテロたち3人の弟子を伴い、ゲツセマネに行き、十字架での死をできれば 回避したいと 祈りながら、神の御旨を求めるのです。

弟子たちには目を覚ましているように言うのですが、皆眠ってしまいます。 三度祈った後にイエスは決心して、自ら逮捕されるために進んで行くのです。

キリストが人間としての弱さを垣間見せる場面ですが、 新約聖書の4福音書には全てこのゲツセマネの祈りは記述されています。

プロスペロー・フォンターナは1512年ボローニャの生まれで 様々な画家に就いて修業後、1550年にはミケランジェロの紹介で ローマ教皇ユリウス3世の下で肖像画家として働き、 1570年にはボローニャに戻り美術学校を開いてカラッチ兄弟を教えています。 1597年ボローニャで死去。

プロスペロー・フォンターナの娘ラヴィニア・フォンターナの 「ホロフェルネスの首を持つユディト」もありました。

彼女は、1552年ボローニャで生まれ、父親の手ほどきで絵画の腕をあげ、 ボローニャの上流階級の人々の肖像画を描き続け、 51歳で教皇の招きでローマに引っ越すなど、生活のために死ぬまで働いて、 61歳で亡くなりました。その割に作品は多く残っていません。

第4回で紹介したソフォニスバ・アンギッソーラが西洋絵画史上最初の 女流職業画家ですが、彼女は宮廷画家でしたから、 ラヴィニア・フォンターナは巷で働いた最初の女流職業画家と言えるでしょう。