前回、最後に記した「サン・ペトロニオ聖堂」は1390年に建設が始まったものの いまだに未完成という巨大な教会で、ファサードの上半分は荒削りのままです。
ゴシック建築の優れた一例として知られ、ボローニャの守護聖人で 5世紀にボローニャで司祭をしていた、聖ペトロニオを奉る教会です。
正面中央入口、円形アーチのポルタ・マグナ(中央玄関)のデザインは 当時最高の彫刻家とされていたシエナのヤコポ・デッラ・クエルチャ(1373-1438) によるもので、クエルチャ晩年の最高傑作と言われています。
扉の両側に渦巻き状の装飾を施された脇支柱が設けられ、 その外側に旧約聖書の5つの場面のレリーフがそれぞれ作製されています。
1494年にボローニャを訪れたミケランジェロは、この装飾に感動し、 後にヴァチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の壁画を描く際に、 これらのレリーフを参考にしたと認めています。
扉の上のルネッタには聖母子像を中心に聖ペトロニオと聖アンブロシウスが 配されています。ルネッタとは入口の扉の上の半円状の部分で、 イタリア語のLuna(月)に、 小さいとか可愛いという意味の接尾語、 ettaがついた言葉で、 「可愛いお月様」といったような意味から来ています。
中に入ると8本の柱を束ねた太い柱が何本も林立しており、上部の天井や壁は シンプルな白塗りですが、各礼拝堂は祭壇画や彫刻で溢れていました。
特に「天国と地獄」は類のないおどろおどろしい地獄図で驚かされました。 下部の地獄に仁王立ちしたサタンは上と下に口があるとされ、 その両方から人を呑み込もうとしています。
作者のジョヴァンニ・ダ・モデナはその名の通りボローニャの北西40㎞程にある モデナで1379年頃生まれ、ボローニャで1451年頃まで活動していた画家で この「天国と地獄」は1410年頃制作されています。
ロレンツォ・コスタの「玉座の聖母子と聖人達」は1492年と盛期ルネサンスの作で、 彼は1460年フェラーラの生まれですが、 20代の初め頃にはボローニャに移っていました。
コスタは1509年にはマントヴァに移り、マンテーニャ亡き後の ゴンザーガ家の宮廷画家として亡くなる1535年まで働いています。
ロレンツォ・コスタに学んだアミーコ・アスペルティーニ(1474-1552)の 「ピエタ」もありました。アスペルティーニはボローニャで生没した生粋の ボローニャ派の画家で、複雑で風変わりなスタイルを貫きました。
37歳で夭折し、晩年は深く錬金術に傾倒し、精神が危機的状況にあったとも 伝えられるため、残された作品数も少ない、パルミジャニーノ(1503-1540)が 1527年、ボローニャでペスト終焉を願って描いたという「聖ロクス」もあります。
聖ロクスは14世紀半ばに実在したフランス人で、ペストに対する守護聖人として 古くからヨーロッパで崇敬の対象となってきました。
聖ロクスは20歳のとき両親をなくしたのを機に全財産を貧者のために投げうって ローマ巡礼の旅に出、ローマでは当時流行していたペスト患者の看護にあたり、 ロクスが患者の頭上に十字架の印をすると、患者はたちまち癒えたと伝わります。
絵画では、裂傷を負った脚を見せ、傍らにはその傷を舐めて癒してくれたという 犬が描かれているのが通例です。この絵では寄進者が右手に描かれています。