次の町はボローニャ。フィレンツェとヴェネツィアを結ぶ道の途中、 ややフィレンツェ寄りにある古都で、1088年創立という西欧諸国最古の大学、 ボローニャ大学があることで有名です。人口39万人余り。
この町の中心、マッジョーレ広場に面したボローニャ市庁舎となっている コムナーレ宮の3階にあるのが「ボローニャ市立美術館」。
エレベーターで3階に上がり、降りると広場になっており、 その両側に市立美術館の展示場がありました。
まず目に留まったのはヴィターレ・ダ・ボローニャの「聖ペテロと巡礼者」。
ヴィターレ・ダ・ボローニャはその名の通り1310年頃ボローニャの生まれで ボローニャを中心にその周辺都市で活躍し、1360年ボローニャで没しています。
次いでルカ・シニョレッリの「マグダラのマリア」がありました。 この絵は多翼祭壇画の一部を切り取ったものと思われます。
ルカ・シニョレッリは1445年頃コルトーナの生まれ。
この頃の画家の常として生年や修業時代の事はハッキリしませんが、 ヴァザーリによるとピエロ・デッラ・フランチェスカの弟子だったといいます。
ローマ教皇シクストゥス4世はヴァティカンのシスティーナ礼拝堂の壁を装飾する 旧約、新約聖書の物語を描くことを1481年、当時最高の画家達に依頼しています。
ピエトロ・ペルジーノが主として受け、ピントゥリッキオやボッティチェッリ、 ドメニコ・ギルランダイコ、コジモ・ロッセリ、ピエロ・ディ・コジモと並んで ルカ・シニョレッリもその一員に加わり「モーゼの遺言と死」を描いています。
これからしてもルカ・シニョレッリが当代一流の画家と見做されていた事が 解ります。この時29歳だったレオナルド・ダ・ヴィンチは さぞかし悔しい思いをしていたでしょうが。
ルカ・シニョレッリが自分の親戚筋に当たると書いているヴァザーリは、 シニョレッリは画家というよりも貴族というにふさわしい人物だったと 評していますが、シニョレッリは1488年から亡くなる1523年まで コルトーナの治安判事の職に就いていました。
続いてティントレットの「老いた男の肖像」。
ティントレットは1518年ヴェネツィアでヤコポ・ロブスティとして誕生しますが 父親が染物屋だったので染物屋の息子(イタリア語でティントレット)という 仇名で呼ばれます。ティツィアーノの弟子となり、ミケランジェロに心酔して ティツィアーノの豊麗な色彩と、ミケランジェロの天才的な形体把握を結びつけ ヴェネツィアの教会や宮殿で彼の絵がない所が珍しいほど大量の注文を受け、 1594年ヴェネツィアでその栄光の生涯を終えています。
一目でアイエツ(第433回参照)作と判る魅力的な若い女性像「ルツ」がありました。
ルツは旧約聖書中の「ルツ記」の主人公で、寡婦となりながらも姑のナオミを助け 当時貧困者に許されていた落穂拾いをして尽くすのを地主に認められ、その地主と 再婚してダビデの祖父となる息子を生み、ユダヤ人の祖の一人となるのです。
この絵では麦の穂を持ち、落穂拾いをするルツを描いています。
有名なミレーの「落穂拾い」は旧約聖書の時代からミレーの生きた19世紀まで 連綿として続く、西欧での貧者救済の伝統を描いているのです。
美術館の窓外にマッジョーレ広場とサン・ペトロニオ聖堂が見えました。