戻る

美術館訪問記 -759 国立プーリア美術館、Bitonto

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:国立プーリア美術館正面

添付2:国立プーリア美術館内部

添付3:作者不詳複写ティツィアーノ作
「紳士の肖像」

添付4:ランフランコ作
「キリストと聖母マリアの別れ」

添付5:プッサン作
「ニンフと水を飲むサテュロス」

添付6:プッサン作
「アルカディアの牧人たち」
ルーヴル美術館蔵

添付7:トーマス・ローレンス作
「若者の肖像」

添付8:トマス・サリー作
「淑女の肖像」

次の町はビトント。長靴形のイタリアの踵にあたる場所にあるバーリから 西に11kmほどにある人口5万5千人余りの、オリーブ畑に取り囲まれた オリーブオイルの生産地です。「オリーブの町」とも呼ばれます。

この町の中心、ドゥオーモの東100m程にあるのが「国立プーリア美術館」。

2009年開館の比較的新しい美術館ですが、古都らしく狭い路地に面し、 16世紀前半に建てられた都市型ルネサンス建築に納まっています。

内部は美術館のために改修したのでしょう近代的な造り。 ここは事前の調べではティツィアーノ作品があるという事で期待していたのですが、 その作品にはコピーと表示されていました。

これまで採り上げたことのない、キリストの聖母マリアとの別れを主題にした 作品がありました。この出来事は新約聖書には何の記述もないのですが、 1300年頃ドイツで出版された「聖母の生涯」に初出しており、以後特にドイツで ポピュラーな題材となり、アルブレヒト・デューラーも版画にしたりしています。 15, 16世紀にはヨーロッパ全域に広まっていきました。

最初はキリストと聖母マリアの二人だけが描かれていましたが、 段々と脇役が増えて行き、ここにあるランフランコ作品ではキリストの弟子たちや マグダラのマリア、聖母マリアの親族たちも描かれています。

ジョヴァンニ・ランフランコは1582年パルマの生まれで、 アゴスティーノ・カラッチの弟子となり、アゴスティーノの死後、ローマに出て アゴスティーノの弟のアンニーバレ・カラッチの助手として腕を上げました。

歴代の教皇に重宝されてローマで多くの仕事をこなし、1647年没しています。 彼の作品は世界各地の美術館でよく見かけます。

ランフランコの一回り下、1594年、フランス・ノルマンディー地方生まれで 主にローマで活躍したプッサンの「ニンフと水を飲むサテュロス」がありました。

1624年、プッサンはローマに出て、教皇ウルバヌス8世の甥にあたる フランチェスコ・バルベリーニ枢機卿や、その秘書で自由思想家であった カッシアーノ・ダル・ポッツォの知己を得ています。

バルベリーニ枢機卿を通じてフランスに送られた絵画を通じて、プッサンの名声は 母国にも広まり、当時のフランス国王ルイ13世はプッサンに親書を送り フランスへ呼び戻すのですが、後にフランスの保守的な王立絵画・彫刻アカデミー 創立の中心的存在となる画家たちと対立し、プッサンは1640年から1642年に かけてのわずか2年で再びローマへ向かい、生涯帰ることはありませんでした。

プッサンの活躍した17世紀はバロックの全盛期ですが、彼の作品においては バロック的な激しい感情や劇的な明暗の表現は抑制されており、 代表作「アルカディアの牧人たち」にみられるような、 古典主義的で深い思想的背景をもった歴史画や宗教画が多い。

イギリスで最も著名な肖像画家の一人、トーマス・ローレンス(第216回参照)や イギリス生まれながらアメリカに帰化したトマス・サリー(第755回参照)の 作品があるのはイタリアではここだけでしょう。