ベルガモの最後に新市街にある「サント・スピリト教会」を採り上げましょう。
この教会のファサードは実にユニークで、 世界でもここだけでしか観たことがありません。教会の創建は1311年ですが、 1569年には、砂岩の覆いが始まり、未完成のまま放置されています。
荒壁のままのファサードの扉と屋根の中間に取り付けられた縦長の青銅彫刻は 1972年にフランチェスコ・ソマイニが手掛け、教会名である 聖霊の降下を表現しているとかで、こんな違和感のあるファサードは珍しい。
フランチェスコ・ソマイニ(1926-2005)は、20世紀後半のイタリアを代表する 彫刻家で、1959年のサンパウロ・ビエンナーレでは、 国際彫刻部門で第1位を受賞し、世界的な評価を確立しました。
彼は初期は鉄の塊などの素材を用い、その後ブロンズなどを主要な素材としました。 彼の彫刻は、引き裂かれたり、侵食されたり、 ねじれたりしたような力強く有機的なフォルムが特徴です。
内部は一身廊で両側に4つずつの礼拝堂が設けられています。
その内の一つは商人のマルケッティ・アンジェリーニの所有で、 礼拝堂内には彼がロレンツォ・ロットに依頼した 「サント・スピリトの祭壇画」が異彩を放っていました。
この祭壇画は1521年の制作で、それまでの祭壇画注文の経験を踏まえて、 全く前例のない祭壇画を創り出しています。
この絵では礼拝堂型の背景を払拭し、聖人全員を自然の風景の中に置き、 聖母子の上にはビザンティン風のクーポラではなく、 聖母マリアの赤い衣の補色となる濃い緑の布を広げただけなのです。
つまり、何も建物のない所に、まるでテントを張るように、 仮の礼拝堂を造ってみせたのです。
何という想像力であり,創造力であることでしょう。
あのレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロたちでさえ、 宗教画では、聖書に書かれていることに基づくか、 過去の図像を念頭に置いて構図を決めていました。
しかし、ロレンツォ・ロットは、あの第555回のレカナーティ美術館の 逃げ出すマリアの「受胎告知」といい、第556回のサン・ドメニコ教会の クリスマスツリーのような「ロザリオの聖母」といい、 ここの祭壇画といい、全て自らの創案で新しい図像を創出したのです。
この教会にはロットの素晴らしい祭壇画の他にも観るべき祭壇画が複数あります。
一つはベルゴニョーネの華麗な多翼祭壇画「玉座の聖母と礼拝者達と四聖人」。
ベルゴニョーネは本名アンブロージョ・ダ・フォッサノ。 1453年頃トリノの南ジェノヴァの西にあるフォッサノの生まれで、 ミラノとその周辺で活躍し、1523年死亡したと考えられる画家です。
彼はレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)とほぼ同じ時代に生きた画家で、 レオナルドもかなりの期間ミラノにいたのですが、作風は全く似たところがなく、 むしろルネサンス前のヴィンチェンツォ・フォッパ風ですらあります。
やや古風なスタイルながら、彼の作品には一目で彼が描いたと判る個性と美、 観ていると心に安らぎを感じる何かがあります。
ミラノと周辺の教会や美術館に彼の作品が多く残っているのは、 同じような思いを当時の人々も共有していたからなのでしょう。
もう一つはアンドレア・プレヴィターリの多翼祭壇画と「洗礼者ヨハネと四聖人」。
アンドレア・プレヴィターリ(1480-1528)は ジョヴァンニ・ベッリーニの弟子で主にベルガモで活躍しました。
彼は「ジョルジョーネでなかった画家」としても有名です。
英国の美術史家で1933年、30歳でロンドン・ナショナル・ギャラリーの 館長になり、日本語訳も多い幾多の美術書を出版し、美術に関するテレビを 通しての啓蒙活動でも知られ、一代限りの男爵も授爵したケネス・クラークが、 1937年、ジョルジョーネ作とされていた4点の小品を美術館用に破格の高額で購入。
1年もたたずにこれらの作品はアンドレア・プレヴィターリの作と判明したのです。