次の都市はデトロイト。ミシガン州南東部にあり、 東はカナダのウィンザー市に隣接するアメリカ中西部有数の国際都市です。
「自動車の街」とも呼ばれる工業都市で、自動車産業華やかな1950年のピーク時は 人口約185万人でしたが、日本の自動車産業の台頭により深刻な打撃を受け 現在ではその1/3近い人口64万人弱となっています。
その街のミッドタウンにあるのが「デトロイト美術館」。
1885年開館で当時アメリカの美術館は十指に満たない状況でした。 1927年現地にポール・クレイ設計のイタリア様式の建物が完成し移転。
ニューヨーク、ワシントン、ボストン、シカゴのアメリカ4大美術館に次ぐ 規模と展示内容。およそ100の展示室には欧米の世界的に有名な作品が 勢揃いしている他、アメリカの総合美術館の常としてエジプトや 古代ローマ、アジア、アフリカ、中近東関連の美術品も充実しています。
印象に残る作品が多い中で、この美術館を代表する作品を幾つか紹介しましょう。
生涯を僧院で過ごし、イタリア語で修道僧を意味する「フラ」に、 彼の敬虔な信仰心を秘めた深い精神性を感じさせる画風から「天使のような」 という意味の「アンジェリコ」をつけてフラ・アンジェリコと呼ばれた画家の 邪念の一切ない清純で神聖な美しさに溢れた絵画がありました。
世界で21箇所しか観られないヤン・ファン・エイクもあります。 彼は初期フランドルの画家で、神の手をもつ男と称えられたほど 卓越した手腕を発揮し、輝きのある鮮やかな色と、精密な細部描写という 油彩画技法を完璧なものにした、歴史上最初の人物なのです。
彼が絵画に与えた革新は、ルネサンスに匹敵するものがあり、 油彩画技法の確立を筆頭として、超写実とも言えるリアルな絵画を創出したのも、 3/4の向きで一般人の肖像画を描いたのも、作品に署名と日付を書き込んだのも、 商人やブルジョアの肖像画を描いたのも、ヤンが最初というのです。
聖ヒエロニムス(347-420)は歴史上の人物で語学に秀で、それまでヘブライ語で 書かれていた旧約聖書とギリシャ語の新約聖書を初めてローマの一般市民が読める ラテン語に翻訳した、キリストと聖母以外で宗教絵画に最も多く描かれる聖人です。
砂漠で隠遁生活をし、棘の刺さったライオンを助けた事から、 ライオンと共に描かれる事が多い。
1696年生まれながらイタリア・ルネサンス最後の画家と言われつつも、 彼の生きた時代を反映してロココ風の優雅さと軽やかな飛翔感も覚える画家、 ティエポロの官能性と美しさに溢れる「マンドリンを持つ若い娘」の 華麗で装飾的な表現と鮮やかな色彩に、目を奪われました。
フュースリーの代表作「夢魔」もここにあります。 1782年、ロンドンのロイヤル・アカデミーでこの絵が発表されると、 公衆に驚きをもって迎えられ、夢や悪魔的な主題を描く画家として 彼の名声はイギリスはもちろん、ヨーロッパ大陸中に響き渡ったのでした。
ところで日本で展覧会を開催すると必ず盛況になるというゴッホの作品を アメリカで最初に購入した美術館はどこだと思いますか。
そう、1922年1月に、デトロイト美術館が買ったゴッホの自画像が最初なのです。
ゴッホは1886年、オランダから弟のテオを頼ってパリに出て来ます。 2年目になるこの自画像はそれまでのオランダ伝統の薄暗い茶系統の絵から、 印象派の明るく鮮やかな色彩に大変貌していますが、大都会パリに出て来て 何かと緊張しているゴッホの内面を映し出しているかのようです。
麦わら帽を被ったこの自画像は、その後1956年のハリウッド映画「炎の人ゴッホ」 主役のカーク・ダグラスのメークアップにそのまま使われたのです。 映画は大ヒットとなり、助演したゴーギャン役のアンソニー・クインは アカデミー賞助演男優賞を得ています。
そのゴーギャンの自画像もありました。
ゴッホの死後、ゴーギャンは文明生活への嫌悪感から1891年にタヒチに渡ります。 1893年にパリへ戻った間に描かれたこの絵では、彼は都会の服装ではなく 田舎の農民の服を着て長い髪をはやし、自分をアウトサイダーとしています。
背景のスケッチに描かれているのはアダムとイヴで、タヒチという楽園から 一時的に追放されたゴーギャンは、わが身を彼らに模しているのです。
アメリカ人画家たちの作品も数多い中で、1888年にフランスに渡り、 アカデミー・ジュリアンで学び、1891年末にアメリカに戻り、 美術教師となってエドワード・ホッパーやジョン・スローン、国吉康雄など 有名画家たちを輩出した、ロバート・ヘンライの小粋な作品を添付しましょう。
世界の他の大美術館では観られないここだけの見ものは中央ホールを取り巻く 大壁画。メキシコ人画家ディエゴ・リベラによるフレスコ画の大作 「デトロイトの産業」。1930年代に最先端だった自動車工場の風景を中心に 農業や鉱業、製造業、そこで働く労働者の姿がリアルに描き出されています。
この絵が描かれた1930年代初頭は大恐慌時代。デトロイトも恐慌の波を受け、 自動車工場労働者たちは解雇され、工場はガランとしていたそうですが、 画中ではそんな気配はまるでなく活況を呈しています。
デトロイト美術館も苦境にあり、自動車王フォードらの援助で時代の荒波を 乗り切っていったのですが、フォードは芸術にも理解を示し、 メキシコからリベラを招聘し、大壁画を描かせたのも彼だったのです。
資本主義者フォードの依頼にも拘らず、画中では、当時はありえなかった、 白人、黒人、黄色人が上下なく平等に働く姿を描いた社会主義者リベラも それを受け入れたフォードも傑物だったと言えるでしょう。