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美術館訪問記 -750 デモイン・アート・センター、Des Moines

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:デモイン・アート・センター正面

添付3:モーリス・プレンダーガスト作
「青い服の少女」

添付4:モーリス・プレンダーガスト作
「ニューハンプシャーの秋」

添付5:マティス作
「白いドレスの女」

添付6:デモイン・アート・センター内部

添付7:カール・ミレス作
「ペガサスと人」

添付10:国吉康雄作
「愉快なジャグラー」

アメリカ都市名ABC順に戻って次の都市はアイオワ州の中央付近にあるデモイン。 アイオワ州の州都であり、人口21万人余りで州内最大の都市です。

この町の西方、広大な公園グリーンウッド=アッシュワース・パークに接して 「デモイン・アート・センター」があります。

1948年の開館。鉄筋コンクリート建てですが、薄茶色の石を全面に貼り付けた、 凝った造り。内部の部屋も面白い形をしており、看視員はバタフライと呼びました。

天井の中央が低く両側が上がってそこがガラスとコンクリートになっていて、 直射日光は差し込まないが、反射光が拡散して入る仕組みが、 蝶が羽根を斜め上に上げているようにも見えます。

突き当たりの壁にこの美術館のマスターピースと言える、 エドワード・ホッパーの「オートマット」が掛かっていました。 オートマットとは自動販売機による軽食の販売摂食施設のことで、 夜のオートマットでコーヒーカップのなかを見つめる一人の女性が描かれています。

彼の絵では登場人物はたいてい一人で、所在なげに何かを見つめる孤独な人が多い。

じっと観ていると、初老の男性看視員が話しかけてきました。客は小生一人で、 他の邪魔にはなりません。こちらが世界中の美術館を巡っている事を話すと、 「自分も仕事をリタイアした後この役を勤めて12年になりますが、アートは 本当に素晴らしいと実感しています。それまでは何も知らなかったのですが」

と言うので、ご自分でも何かやっているのですか、と聞くと、 実はと言いながら、使い込んだスケッチブックを取り出してきました。 客が誰もいない時は、名作を複写しているのだと言います。

そのスケッチが実に上手い。とても素人の余技に見えない。そう率直に褒めると 実に嬉しそうに微笑みました。グランファーザー・モーゼスを狙ったらと言ったら、 笑っていましたが、意外と本気になるかもしれない風情でした。

アメリカの国民的画家グランマ・モーゼスは農婦でしたが、75歳で絵を描き始め 89歳の時には当時の大統領トルーマンにホワイトハウスに招待されるほどの アメリカでは知らない人がないような有名画家になったのでした。

次にプレンダーガストの比較的珍しい肖像画が目に留まりました。

モーリス・プレンダーガストは1858年カナダに生まれ、少年時代にボストンに移住。 父親の破産によって家が貧しかったため、14歳で働き始めます。 勤め先がポスター製作などを手がける美術系の会社であったため、 絵画と縁のあるスタートを切ることができました。

1880年代にモーリスは弟で画家になるチャールズと一緒にイギリスへ渡り、 1891年から4年間パリで過ごし,ポスト印象派とナビ派の人たちの影響を受けます。

1895年帰国後は水彩画を描いていましたが、1898年にヴェネツィアを訪れ、 カルパッチョの風俗画から影響されて彼固有の風俗画のスタイルを作り上げます。

それは明るい色彩とモザイク模様の全く独自の油彩画で生存中は理解を得られず、 一部好事家のみの評価に留まり、1924年病没しています。

しかし1934年ニューヨークのホイットニー美術館で大々的な回顧展が開催され アメリカ絵画に新風を吹き込んだ独創的な画家として再評価されるのです。 現在ではチョットしたアメリカの美術館では彼の作品を観ない事はない状況です。

一目モーリス・プレンダーガスト作品と分かる風景画もありました。

これも一目マティスと分かる「白いドレスの女」もあります。 一目で誰の作品か分かる画風に達するのはごく限られた画家たちなのです。 そうでなければ大勢の中に埋もれて名の残ることは稀でしょう。

この美術館には彫刻作品も数多く、中庭にはスウェーデンの誇る彫刻家 カール・ミレスの特許と言える方々で見かける「ペガサスと人」が飛んでいます。

ケニア、ナイロビ生まれのワンゲキ・ムトゥの「人魚」は展示室中央に優雅な 姿態を寛がせていました。彼女はニューヨークで活躍中の画家兼彫刻家です。

背後に広がる公園を見渡せる窓際には、何度か紹介した デボラ・バターフィールドの「フーヴァー」が鎮座しています。

ここにも国吉康雄(第106回参照)が1点ありました。

この作品は1952年、彼の死の前年に描かれたものですが、 晩年、国吉は自分を道化師に見立てたような哀愁感ある作品を連作しました。 彼の数奇な人生を振り返って、自分をアメリカと日本、両国間の戦争という 時代に翻弄された哀れな道化師と感じていたのでしょうか。



(添付2:エドワード・ホッパー作「オートマット」、添付8:ワンゲキ・ムトゥ作「人魚」および添付9:デボラ・バターフィールド作「フーヴァー」は著作権上の理由により割愛しました。
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