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美術館訪問記-75 ピカソ美術館 パリ

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:パリ「ピカソ美術館」外観

添付3:ジャクリーヌ・ロックとピカソ

添付4:パリ「ピカソ美術館」内部

パリにも「ピカソ美術館」があります。

ピカソは1973年に死亡。 まさかこれを見越していた訳ではないでしょうが、フランス政府は1968年、 特別に国が認めた場合は相続税を物納できる法律を策定しています。

ピカソは「ピカソの世界一のコレクターは私だ」と言っていた程で、 死亡時には膨大な作品群が残っていました。

フランス政府は遺族から物納の形で、相続税として合計3500近くの 絵画、素描、版画、彫刻、陶器、スケッチブック、ノート等を徴収。 こうして、フランスは相続税支払いの為にピカソ作品がオークションで 売り立てられ、国外に散逸するのを防いだのです。

これにピカソが購入したり、物々交換したりした、 セザンヌ、マティス、ルソー、ドラン、ブラック、ミロ、バルテュス、 アフリカ美術等のピカソ・コレクションが加わります。

これらを展示するために、1985年 パリ、マレ地区にパリ国立ピカソ美術館を開館します。

サレ館(塩の館)という別名を持つ17世紀の建物で、 もとは、塩税徴収官が私腹をこやした末に建造したもので、当時の人々が 「塩のきいた(サレ)館」と皮肉ったところからこう呼ばれています。

確かに皮肉の一つも言いたくなるような、宮殿のような巨大な建物ですが、 その館に税で徴収した美術品を並べるフランス政府も見上げたものと言うべきか。

1990年には、ピカソの死を見取った後、ピストル自殺した第二の妻、 ジャクリーヌ・ロックの寄贈品が加わり、所蔵作品数は5000点を優に超えています。

ピカソが最後まで保存していた作品群から 政府選定の美術鑑定家が選んで抜き取ったのですから、 青の時代、バラ色の時代、キュビズム、新古典主義、シュルレアリスムと各時代を 満遍なく網羅しており、ピカソ美術館としては質量共圧倒的に世界一でしょう。 幼年時代が乏しいのは仕方ありませんが。

古い建物らしく、中庭や地下を含め、上下させられますが、 上手くコース設定がされており、ピカソ関連の写真、風刺漫画、 新聞・雑誌の切り抜き、自筆の手紙等もあり、飽きさせません。

現在は改装中のため2014年春まで閉館しています。 そのためか所蔵品は世界各地を回っているようで、昨年5月トロントにある オンタリオ美術館を訪れた時は、パリのピカソ美術館からの147作品を中心に 大々的にピカソ展を実施中でした。



注 : ピカソは生涯に渡り画風が著しく変化し、各時期が「XXの時代」と呼ばれる。
 青の時代(1901-04):親友カサヘマスの自殺によりショックを受け、青色基調の絵ばかりを描いた。
 バラ色の時代(1904-07):フェルナンド・オリヴィエと同棲を始め、バラ色を基調とした明るい色彩でサーカスの人々を多く描いた。
 キュビズムの時代(1907-18):アフリカ彫刻やセザンヌに影響を受け、絵画の革命とも言えるキュビズムを創始。
 新古典の時代(1918-25):バレエ団の踊り子オルガ・コクローヴァと結婚。彼女に「私と判らないような絵はいや」と言われ、写実的で古典的、量感のある母子像を多く描いた。
 シュルレアリスムの時代(1925-36):シュルレアリスム(超現実主義)はブルドン等により、1924年に提唱された20世紀最大の芸術運動でピカソもこの流れに乗り、非現実的な形態で人物を描いた。オルガとの不和と新しい恋人マリー=テレーズが出現。

(*バルテュス作「ブランチャード家の子供達」、ピカソ作「自画像」、「2人の兄弟」 、「ギターを持つ男」、「肘掛椅子に座るオルガ」 、「横たわる裸婦」、「山羊」は著作権上の理由により割愛しました。管理人)

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