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美術館訪問記 -749 エステ家別荘、Tivoli

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:エステ家別荘入口

添付2:庭から見た邸宅

添付3:フェデリコ・ツッカリ作
イッポーリト枢機卿の礼拝堂

添付4:ヘラクレスの間天井画

添付5:邸宅から見る窓外の景色

添付6:邸宅バルコニー直下の庭

添付7:卵形噴水

添付8:ペガサス彫刻

添付9:自然の女神の噴水

添付10:エステ家別荘からの眺め

前回のイタリア、ティヴォリの「エステ家別荘」はご存じない方も多いでしょう。

ティヴォリはローマの東30㎞程の場所にある人口5万5千人余りの町で 古代ローマ時代から保養地として知られ、 ハドリアヌス帝や多くの貴族たちの別荘が造られた所でした。

エステ家別荘は16世紀に教皇争いに敗れた枢機卿のイッポーリト・デステが、 旧ベネディクト会の修道院を改築して造らせたもので、 別荘はその豪華な庭のおかげで有名になりました。

アニエーネ川から地下水道を引いて4.5ヘクタール(約1万4千坪)もの広大な 庭に作られたのは、大小500以上の噴水。巨大な滝、洞窟の中の滝、古代ローマの 名所をミニチュアにした噴水など、とにかく創造性に溢れる噴水のオンパレード。

この庭園はヨーロッパ各国で庭園を造るにあたり参考すべきモデルとされ、 ティヴォリという地名が大衆の娯楽のための公園名として使われるようになります。 デンマークのコペンハーゲンにあるティヴォリ公園は有名ですね。

エステ家はフェッラーラ、モデナ、レッジョを治める公爵家で、 芸術や科学を奨励し、ルネサンスの芸術家を庇護したことで知られています。

別荘の邸宅は、往時は枢機卿のコレクションや豪奢な家具、装飾品で 溢れていたようなのですが、今では3階建ての大きな建物の各部屋の壁や天井に 16世紀のローマ派の画家たちによって描かれたフレスコ画が残るのみです。

その一例がイッポーリト枢機卿の礼拝堂で、1572年にフェデリコ・ツッカリと 助手によって完成されたフレスコ画が、当時の面影のまま残っていました。

ヘラクレスの間にはオリンポス山に招かれたヘラクレスを描いた天井画があります。

フェデリコ・ツッカリ(1539-1609)は、ルネサンス100人の芸術家の一人とされる イタリアのマニエリスム画家、建築家でイタリア国内外で活動しました。

13歳年上の兄のタッデオ・ツッカリ(1529-1566)も一角の画家でした。 フェデリコは当初は兄の助手として、ローマ、ヴェネツィア、フィレンツェ、 オルヴィエートなどで画作に励んだのでした。

やがて名を挙げた彼は、ミケランジェロが途中で死去したため未完成だった ヴァティカン宮殿のパオリーナ礼拝堂を仕上げるべく ローマ教皇グレゴリウス13世によりローマへ招聘されるほどになっていました。

その後ブリュッセル、イングランド、スペイン王家から次々と招かれ、 それぞれタペストリーの下絵を描いたり、王族や貴族の肖像画を求められたり、 エル・エスコリアル修道院の装飾を手掛けたりと一流画家として遇されています。

1595年、ツッカリはローマ教皇シクストゥス5世承認の設立勅許状を得て、 ローマに芸術家協会としてアカデミア・ディ・サン・ルカを設立し、 その初代校長になったのでした。

伝説によると、最初に聖母マリアの肖像画を描いたのは、 聖ルカ(イタリア語でサン・ルカ)であったということから、聖ルカは全ての 芸術家の保護者とみなされていたため、サン・ルカの冠せられた芸術家協会は イタリアのみでなくヨーロッパ各地にあります。

エステ家別荘はかなりの高台にあり、邸宅内から見渡せる遠方の山野や 眼下に広がるティヴォリの街並みが良い借景になっていました。

また様々な噴水庭園は、豪華なエステ家の邸内バルコニーから ティヴォリの風景と共に一望できます。

200m四方はあろうかという庭園には方々に趣向を凝らした噴水と彫刻が 設置されており、種々の木々、草花、苔までが効果的に配置されて 時間の経つのを忘れさせます。

最後に遠くローマを臨む眼下に広がる絶景を堪能して別荘を後にしたのでした。