次の都市はデイトン。シカゴの南東約400㎞にあるオハイオ州の町で 人口13万5千人余り。ライト兄弟を生んだ土地で、航空宇宙や先端技術分野の 研究が盛んな工業都市で優力企業の本社も多く置かれています。
市内を貫通して流れるマイアミ川に面してあるのが「デイトン美術館」。
1919年にダウンタウンの豪邸を利用して開館し、 1930年に現在の位置に移されました。ルネサンス調の建物に収納された この美術館は1974年に国の歴史的ランドマークに指定されています。
美術館ファサードはどこかで観たようだと思ったら イタリア、ティヴォリにある「エステ家別荘」をモデルにして造られたのでした。
ここは5,000年以上の時代にわたる、2万点以上のコレクションを誇りますが、 ヨーロッパ絵画では第743回で詳述したジョシュア・レイノルズの 「第8代ウォードーのアランデル男爵ヘンリー」が23歳で結婚したばかりの ヘンリー・アランデル男爵の凛々しい姿を美麗に仕上げており目につきました。
レイノルズと同じイギリスのジョン・コンスタブルの風景画が3点あるのも、 アメリカの美術館では珍しい。裕福なイギリス出身者が多いのでしょう。
フランス絵画では、アメリカ人に人気で、よく見かけるウィリアム・ブグローの 作品がありました。ブグローは19世紀フランスのアカデミズムを代表する画家で、 女性像や少女、子供の描写に非凡なものがあり、生存中は絶大な人気を 誇ったのですが、20世紀に入って一時忘却され、最近再評価されて来ています。
サロンで高い評価を得、歴史画、宗教画の多くは国によって買い取られ、 官展画家としての名声を欲しい儘にしたジャン=ジャック・エンネルは 若い女性の肖像画に、伝統のみに捉われない近代的な佳作が多いのですが、 そのような1点がここにもありました。
ベルギー人ながら生涯の半分近くをフランスで過ごした テオ・ファン・レイセルベルヘの作品もありました。
レイセルベルヘはまだ紹介していなかったのですが、 1862年ベルギー、ゲントの生まれ。ブリュッセル王立美術アカデミーで 2歳年上のアンソールと学び、1883年にブリュッセルで設立された 前衛美術集団「二十人会」にアンソールと共に弱冠20歳で参加します。
1886年、最後になった第8回印象派をパリで見学し、出展されていた スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」に強い衝撃を受けます。
彼は早速スーラの点描を仲間たちと共に取り入れ、 1887年の二十人会展にはスーラも招待されて作品を出展しています。
1887年夏のパリ滞在ではロートレックの才能に惚れ込み、 1889年のパリ滞在ではゴッホと親交を結び、二十人会展に招待します。 この二十人会展でゴッホの生涯唯一の作品購入者が現れたのでした。 この時売れた「赤いブドウ畑」はモスクワのプーシキン美術館にあります。
1897年パリに移住。1910年まで点描技法で描き続けた後、 同年南フランスに移り、点描は完全に放棄します。1926年死去。
アメリカ絵画ではアメリカ人ながらパリの印象派展に積極的に参加した メアリー・カサット(1844-1926)がまだ印象派になる前の パリでのアカデミー絵画修行時代の素養を窺わせる珍しい絵がありました。
私の好きなエドワード・ホッパーもありました。
彼の絵では登場人物はたいてい一人で、所在なげに何かを見つめる孤独な人が多い。 ここにある「ハイヌーン」もそんな絵です。
何故かはわかりませんが、戸口に立つ無名の女性。誰かを待っているのでしょうか? それとも単に外を見ているだけなのでしょうか? 彼女に何かの行動を起こす気配はなく、陽光が屋根と壁にドラマチックな影を 落とす大きな家を背にじっと佇んでいます。
ここには物語は何もありませんが、それこそ愛好家がホッパーに惹かれる所以です。 彼の絵の鑑賞者は、物語のない絵の中に、自分なりの物語を想像するのです。
ここにも国吉康雄(第106回参照)作品が1点ありました。
(添付9:エドワード・ホッパー作「ハイヌーン」は著作権上の理由により割愛しました。
長野さんから直接メール配信を希望される方は、トップページ右上の「メール配信登録」をご利用下さい。管理人)