前回のシカゴ美術館から南に12㎞程の場所にあるのが「スマート美術館」。
シカゴやニューヨークのような大都会では車は渋滞することが多いですし、 駐車場も混んでいることが多いので、普通は公共交通機関を使用します。
ホテルから地下鉄を乗り継いで行ったのですが、路線変更で乗り換えた時に 同じエレベーターで乗り合わせたプロレスラーのような体格の黒人女性掃除婦が、 降りる時に一言 ”Be safe.”(気をつけなさいよ)と言いました。
そう言われて地下鉄車内を見渡すと、土曜日の朝ということもあるのでしょうが、 車内には得体の知れない黒人男性が一人乗っているだけなのでした。 シカゴの治安はかなり悪そうです。
念のため付け加えておきますと、過去50年間に公私含めて173回の海外旅行で 実際に怖い思いをしたことは一度もありません。
スマート美術館はシカゴ大学の付属美術館ですが、大学は大都会の中とは思えぬ 217エーカー(約27万坪)の敷地。敷地内の数か所に公園もあり、 歩いていると境界が見えません。綺麗な花々も方々に植えられていました。
巨大な大学にしては美術館は小さく3部屋しかありません。それぞれを仕切り壁で 区切って展示面積を増やしています。所蔵作品は15,000点もあるのですが、 展示されていたのは50点程度。それでもロスコの作品がありました。
ロスコも何回か名前を出しましたがまだ解説していませんでした。
ロスコは本名マーカス・ロスコヴイツツで1903年ロシアのの生まれ。 ロシアにおいて人種差別の対象となっていたユダヤ人だったこと、さらには ロシア革命が起きつつあったことから、彼の父親は1910年に単身アメリカ移住。
ロスコも10歳で渡米し、ボストンのニュー・スクール・オブ・デザインや イエール大学で学び画家への道を歩みます。
当初は室内の人物や都市風景などを具象的な手法で描いていましたが、 1946年から49年にかけて,「マルチフォーム(複合形態)」と呼ばれる, 画面の中に複数の色面が浮かぶスタイルの抽象画を描き,1949年になると, 縦長の大画面に二つないし三つの柔らかいエッジの矩形が浮かぶ, いわゆる「ロスコ・スタイル」のものになるのです。
この間、ヨーロッパとアメリカにおける反ユダヤ主義に対する懸念から、 1938年アメリカ国籍を取得、1940年無国籍的なマーク・ロスコに改名しています。
当時ロスコが住んでいたニューヨークではジャクソン・ポロックや フィリップ・ガストンなどと共に、ヨーロッパ美術の影響を脱して 新しい米国の絵画を創出しようとした「抽象表現主義」が力を得ていました。
抽象表現主義は、1940年代後半のアメリカ合衆国で起こり、 世界的に注目された美術動向で、主な特徴は、 ・巨大なキャンバス(イーゼル絵画との決別) ・画面に中心がなく、地と図の区別がない、「オールオーバー」(均一)な平面 ・キャンバスは、作家の描画行為の痕跡であると考え、創作過程を重視する
アメリカが初めて世界に影響を及ぼした美術運動であり、 ニューヨークがパリに代わって芸術の中心地となるきっかけになったものです。
ロスコは自分が非常に大きな画面の作品を描く理由として, 小さな絵は人を体験の外側に置いて、体験を外側から傍観するためのものである のに対して,大きな絵を描けば,画面の中にいることになる,と述べています。
また「私の絵の前に立つ人は私がそれを描いているときに体験するのと同じ 宗教的体験を味わうのである」とも言っています。
ロスコは抽象表現主義を代表する画家の一人と見做されますが、 1970年、癌や私生活上のトラブルなどの理由で自殺しました。享年66。
2012年彼の作品は8,680万ドル(約70億円)で購入され 当時のオークションレコードを記録しています。
他にも前回詳述したカイユボットの「セーヌ川河口」や カイユボット・コレクションの国家への寄贈を大反対したアカデミック派の巨頭 ジェローム(第232回参照)の「ピグマリオンとガラテア」もありました。
ギリシャ神話では、彫刻家ピグマリオンが自ら作った彫像ガラテアの美しさに 魅了され、その像に恋心を抱きます。彼は愛の女神アフロディーテに祈り、 その祈りが聞き入れられたことで、ガラテアの像に命が吹き込まれるという物語。
デュフィの「跪く人物」も彼らしい軽快で心楽しい絵でした。
(添付5:マーク・ロスコ作「NO,2」は著作権上の理由により割愛しました。
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