シカゴ美術館のコレクションはアメリカの他の大美術館同様、 個人コレクターの寄贈が90%以上を占めていますが、 その比重は近現代美術に大きく傾いていて、購入した”Master Paintings”という 美術館所蔵の名作を集めた本でも近現代美術作品が83%を占めていました。
30万点以上あるという所蔵品の少しでも多くを展示するため、 2009年、レンゾ・ピアノの設計になる新館が開館しています。 現在では本館にオールドマスターとアジア、アフリカ、オセアニア、メソアメリカ、 新館に近現代美術とアメリカ美術、古代エジプト美術が展示されています。
本館と新館の間には昔からあった5車線の鉄道線路があり、 その上に2階建て通路橋が渡されているという、恐らく世界でもここだけの構造。 その通路橋の2階には10室あり、印象派作品の展示に充てられていました。
なかでも必見なのは第104回で詳述したジョルジュ・スーラの畢生の傑作、 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」。
裕福な家の子で画家だったフレデリック・バートレットは妻ヘレンと美術品の 蒐集を開始し、1924年、この作品を購入。1926年、結婚後4年にしてヘレンを 亡くした彼は、彼女への追悼の思いを込めて、門外不出の条件をつけて シカゴ美術館に寄付したのです。従ってこの作品はここでしか観られません。
印象派グループの経済的、理論的支柱ながら夭折したフレデリック・バジール (第447回参照)が24‐25歳時に描いた自画像も珍しい。
この頃彼はモネとスタディオを共有して後の印象派の中核となる 画法を模索しており、医師への道を捨て画家になる決意を示しているようです。
前述の美術館本”Master Paintings”のカバー絵になっており、この美術館を 代表する名画と位置付けられているのがカイユボットの「パリの通り、雨」。
カイユボットは何度も名前を出しながらまだ解説していませんでした。
ギュスターヴ・カイユボットは、1848年、パリの裕福な上流階級の生まれで、 大学で法律を学び、1870年には弁護士免許を収得するのですが、その直後に召集。 普仏戦争に駆り出され、心境の変化があったのでしょう、敗戦後政治体制が 帝政から共和制へと大きく変化したのを機に、画家になる決意をするのです。
レオン・ボナ(第254回参照)の画塾に通い、本格的に絵の勉強を始め、 ドガと知り合い、彼を通じて印象派の画家達と親交を結びます。
1874年の第1回印象派展には参加していませんが、同年父親が世を去ると莫大な 財産とともに自由を手に入れ、印象派の友人たちの作品を購入するようになります。
ルノワールの誘いもあって1876年の第2回からは自らも印象派展に参加。 8点の作品を出展しています。第3回展では、 カイユボット自身が資金調達や宣伝も行うなど、企画・サポートの面でも活躍。
このとき出展されたルノワールの名作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」、 モネの「サン=ラザール駅」をのちに購入したのもカイユボットでした。
「パリの通り、雨」は第3回印象派展に出品されたものですが、描かれているのは、 近代的な街並みに改造されたばかりのパリの一角、リスボン通りとモスクワ通り、 トリノ通りが広い八叉路で出会う有名な場所です。
雨で濡れた石畳の路面などに見られる反射的な光の表現、孤立的な人物の配置、 大胆なトリミング的構図や画面構成、急激な遠近法の使用など、 画家独特の都会的で近代的な都市生活、都市の近代化の中で孤独を抱える人々と いうテーマは、カイユボットの作品にはしばしば見られるものです。
カイユボットは1894年、45歳の若さで急死しますが、遺言でルノワールを 遺言執行人として彼のコレクション67点を国家に遺贈するとしていました。
ルノワールの努力にもかかわらず、印象派嫌いのジェロームを筆頭ととする サロン派の大反対から、政府は、コレクションの一部だけを受け入れることで 妥協を図り、1896年、ようやく、40点が選ばれて受け入れられたのです。 これらの作品が現在オルセー美術館の中核となっています。
アメリカ人ながらパリの印象派展に積極的に参加したメアリー・カサット (第190回参照)の作品は当然数点展示されていましたが、 その中で彼女の典型的な画題である母と子を用いた沐浴の情景を添付しましょう。
母親に抱かれながら足を洗われる子供の白い肌や子供の腰に巻かれる白布、 陶製の水差し、水桶などは、やや暗めの色調が支配する画面の中で一際存在感を 示しているほか、高く取られた視点の採用とそれによる垂直の強調、明確な輪郭線、 母親の身に着ける太い縞模様の衣服の装飾性、平面的な色彩展開などは明らかに 日本趣味(ジャポニズム)、特に日本の版画からの影響をうかがわせます。
世界で最も有名なアメリカ絵画と称されるグラント・ウッド(1891-1942)の 「アメリカン・ゴシック」はここにあります。
日本ではどうか判りませんが、アメリカでは誰でも知っている絵で、一見 コミカルに見えることもあってか、世界で最もパロディ化された絵とも言えます。
アイオワの農夫と娘を描いた作品で、1930年発表当初はアイオワ州の住民を 風刺したものとして反発もあったのですが、すぐに世界恐慌が深刻化すると、 西部開拓時代の揺るぎない開拓者精神を描いたものだとみなされるようになります。
ウッド自身は、農夫とその娘を苦難を乗り越えた人として描き、 田舎のコミュニティの強さに敬意を表し、経済が大きく動揺する時代に 安心を与えることを意図していたと書いています。
現在ではアメリカの伝統的な価値観や農村生活へのノスタルジアを 表現したものと解釈されており、グラント・ウッドはアメリカ的価値観を 体現した重要な地域主義画家と評価されています。
アメリカ絵画中の世界的知名度では「アメリカン・ゴシック」に勝るとも劣らぬ エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」もここにあるのです。
ナイトホークスとは直訳すると夜鷹ですが、ここでは夜更かしする人々の意で、 明るい人工照明に照らし出された店内と真っ暗な街路との対比、カウンターの 1組の男女と背中を向けた男から、都会の孤独と哀愁が伝わって来ます。 何やら心に響くものを感じられる方も多いのではないでしょうか。
最後に国吉康雄の「私の男」と有名なシャガールのステンドグラスを添付します。
(添付8:エドワード・ホッパー作「ナイトホークス」および 添付10:シャガール作「アメリカの窓」は著作権上の理由により割愛しました。
長野さんから直接メール配信を希望される方は、トップページ右上の「メール配信登録」をご利用下さい。管理人)