戻る

美術館訪問記 -737 ミント・ミュージアム・アップタウン、Charlotte

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ミント・ミュージアム・アップタウン正面

添付2:ニキ・ド・サンファルの「火の鳥のアーチ」

添付3:ミント・ミュージアム・アップタウン内部

添付4:ベンジャミン・ウエスト作
「芸術と商業に支えられた農業」

添付5:ジョン・シングルトン・コプリー作
「肖像画としての聖チェチリア」

添付6:チャイルド・ハッサム作
「オールド・ライムの石小屋」

添付7:ロバート・ヘンライ作
「わが友ブライエン」

前回のミント美術館ランドルフから北西に4㎞程行ったシャーロットの街中の 文化の中心地、レヴィン・センター・フォー・アーツにあるのが 「ミント・ミュージアム・アップタウン」。

5階建の奇抜な形状の大きな街中のビルディング。 直ぐ前の小広場にはニキ・ド・サンファルの「火の鳥のアーチ」がありました。

この斬新な形状の美術館は13,500㎡の床面積を誇り、 5階層に渡って現代美術、アメリカ美術やガラス、陶器、木材、 その他の素材を使用した美術工芸品を展示しており、2010年に開館しました。

内部は外見と異なり、オーソドックスな構成で展示品が並んでいます。 アメリカ絵画は年代順に展示されていましたが、それに沿って観て行きましょう。

最初はベンジャミン・ウエストの「芸術と商業に支えられた農業」。

ウエストは、1738年イギリス領ペンシルバニア植民地の生まれで、 独学で絵を描き始め、18歳までは故郷のペンシルバニアで肖像画を描いていました。

ペンシルバニア最大の富豪ウィリアム・スミスがウェストの才能に惚れ、 パトロンとしてイタリアへの留学費用を出してくれました。 1760年、資金援助を受けたウェストはイタリアへと旅立ちました。 1763年、アメリカへの帰国途中でイギリスに立ち寄ったウェストは そのままロンドンに住み着いてしまいます。

ウエストは1772年にイギリス王ジョージ3世の宮廷歴史画家に任命されていますが、 その任務の一つがウィンザー城の女王のロッジの9枚の天井パネルの装飾で この絵はその下描きの一つです。この農業の寓話は「農夫ジョージ」と 呼ばれることを好んだジョージ3世の個人的なお気に入りでした。

ジョン・シングルトン・コプリーの「肖像画としての聖チェチリア」は 音楽の守護聖人である聖チェチリアとして、ロンドンに住むアメリカ人 マーサ・クラウニンシールド・ダービーを描いています。

コプリーは1738年ボストンの生まれで、子供の頃から画才を発揮し、 19歳でプロの肖像画家として活躍し始め、数多くの肖像画を残しています。 36歳で独立戦争を避けイギリスに渡り、肖像画家、歴史画家として成功しました。

チャイルド・ハッサムの「オールド・ライムの石小屋」は1903年の作ですが 青と緑の風通しの良い色彩や明るく羽毛のようなブラッシュ・ワーク、 石小屋の石壁の素朴な色調などに、20年近く取り組んできた印象派のスタイルを 完全に自分のものにしているという自信が伝わって来ます。

ハッサムは1859年ボストンの生まれで、高校中退でイラストレーターになり、 独学で絵を学び、1883年、ヨーロッパ各国を友人と学習旅行しています。

帰国後結婚した彼は新妻とパリに渡り、4年間、描き溜めた絵を売りながら、 美術館や展示会を巡って研鑽に努めます。

この間印象派の画家達と交わる事はなかったようですが、 1889年帰国した時には、画風は完全に印象派になっており、 ニューヨークに居を構えて、アメリカを代表する印象派画家として活躍しました。

第731回で触れたロバート・ヘンライの「わが友ブライエン」は 1913年ヘンライがアイルランドのアキル島を旅した時のガイドの肖像画です。

ヘンライ曰く「私が描くのが好きな人々は「私の人」であり、人生の尊厳が明らか にされている人々です。彼らを見つけるやいなや、私自身の言語である絵を色彩で 描くことによって、彼らを表現したいという衝動を抑えられなくなるのです」

今回初認識したブランチ・ラゼルが1914年に描いた「花束」の シニャック風のおおまかな点描スタイルと色彩感覚が心地よい。

1878年生まれの彼女はオキーフやカサットと並んでアメリカ近代女流画家と しての開拓者です。1901年から1909年までウエスト・ヴァージニア大学で美術を 学び、途中1908年にはニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグにも 参加しています。この時偶然オキーフも参加していました。

1912年7月から1913年9月までをヨーロッパで過ごし、ポスト印象派の画家たち と親交を結び、帰国後はケープコッドのプロヴィンスタウンの芸術家村に居を構え、 日本の浮世絵に基づく木版画を多く制作しています。

1923年に再び渡欧。レジェやアルベール・グレーズと交際し、 キュビスムと幾何学的抽象画を学んで1年後に帰郷。1956年に死去するまで キュビスムと抽象画のアメリカでの先駆者として活動しました。



(添付8:ブランチ・ラゼル作「花束」は著作権上の理由により割愛しました。
 長野さんから直接メール配信を希望される方は、トップページ右上の「メール配信登録」をご利用下さい。管理人)