次の町はチャペルヒル。アメリカ東部の中央付近、ノースカロライナ州中央部に 位置する都市で人口61000人強。全米最古の州立大学であるノースカロライナ大学 チャペルヒル校がキャンパスを構える大学町として知られています。
そのノースカロライナ大学付属美術館が「アックランド美術館」。
この美術館では稀有な体験をしました。前にも書きましたが大学付属美術館は 撮影禁止の所が多いので、事前に学芸員宛に世界中の美術館を巡り、記録している ので撮影させて欲しいと撮影許可願いの打診をして承諾を貰っていました。
2012年5月、知らせておいた時間に行くと、美術館前に髪の白くなった 60歳近い女性が守衛さんと一緒に待ってくれているではありませんか。
彼女が学芸員で、先ずアジア美術の専門家を呼んでくれ、開催予定の日本展に備え 本来閉まっているアジア部門を守衛さんに開けてもらい特別に見せてくれたのです。 何とここには雪舟の屏風があるのでした。まだ色彩も鮮やかです。
「アメリカの美術館には近代美術館のような特化したところ以外はたいていアジア、 アフリカ、中南米、エジプト美術を揃えている所が多いですね。ヨーロッパでは あまり見かけないですが」と言うと、2人でアメリカ人はいろんな国に ルーツがあるからあまねく収集するのだろうと言っていました。
アジア部門担当の老年の男性学芸員に礼を言って別れた後は 女性学芸員がご専門の絵画を説明しながら館内を隈なく案内してくれました。
1階を観終えた後守衛さんを呼んで2階の鍵を開けて貰い、学生に勉強で見せると いう写真とレンブラントの弟子の追随者の絵画等がある部屋を見せてくれます。
おまけにその時開催中の特別展の本と彼女が書いた”A Place for Meaning: Art, Faith, and Museum Culture”という厚めの本をプレゼントしてくれたのです。
世界中の数々の美術館を巡って来た私もこれだけの厚遇を受けたのは初めてでした。
閑話休題。美術館入口前に太い蔦で壺や徳利、急須などの形状を編んだ 大きなオブジェが幾つか置かれていたのは他では見たことがありません。
数ある展示品の中から目についた作品を年代順に並べてみましょう。
まずはブロンズィーノのいかにも彼らしい「聖母子と洗礼者ヨハネ」。
艶やかな聖母の肌と顔付きはブロンズィーノ固有のものですが、 キリストとヨハネは工房の手が入っていそうです。 左上の男性とロバは「エジプトへの逃避」を暗示しているのでしょう。
ドラクロワの「墓場の少女」は全く同じものをルーヴル美術館で観ましたが、 インパクトのある作品なので好事家の求めに応じて自分でコピーしたものなのか。
1824年作で、当時のフランスは打ち続く戦争や政治的混乱の影響で、多くの孤児が 明日をも知れぬ日々を送っていたのだとか。ドラクロワも若くして両親を 失っており、墓場で出会った少女に、自身の人生を重ね合わせたのかもしれません。
クールベの「雪中ののろ鹿」は彼の好んだ主題で、幾つものヴァリエーションが ありますが、中でも色彩の妙が際立つ作品となっています。
ジョン・エヴァレット・ミレイの「窓辺にて」は一見彼の作品とは思えないもので 窓外の風景などは水彩画のようなタッチで描かれています。
結婚後8人の子供を養わなければならなかったミレイは「5シリング硬貨よりも 小さな部分を描くのに丸1日費やすわけにはいかない 」と言って ラファエル前派の緻密な描写からは遠ざかっていったのでした。
アンリ・ルソーの「パリ、シテ島の眺め」はどんな画集でも観たことのなかった ルソーらしくない夕暮れのパリの町を逆光で捉えた真面な絵で意表を突かれました。
この美術館で初認識したのはデンマーク出身の女流画家エリザベス・ボウマン。
彼女は1819年ポーランド生まれでデュッセルドルフ美術学校で学び、 27歳でローマ在住の彫刻家の美術教師と結婚。 デンマークは勿論、イタリアやフランス、イギリス、ドイツでも認められた才媛。 1852年にはヴィクトリア女王の招待でバッキンガム宮殿に出向いたほどでした。
彼女はヨーロッパ中を旅しており、1869年と1874年、中東を旅した時は デンマーク王女の紹介状もあり、ハーレムに入り西洋人画家として始めて ハーレムの実態を描いたことで知られています。 それまでのハーレム画は全て想像の産物だったのです。
ここにあるのは「イタリア」と題された男性の肖像画ですが、 ロマン主義的なメランコリックな画風で、イタリア人画家アイエツを連想しました。