戻る

美術館訪問記 -734 クラナート美術館、Champaign

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:クラナート美術館前景

添付2:フランス・ハルス作
「ハールレム市長コーネリウス・グルデワーゲン」

添付3:ムリーリョ作
「鞭打ち後のキリスト」

添付4:ティエポロ作
「聖マクシムスと聖オズワルド」

添付5:クラナート美術館内部

添付6:ウィンスロー・ホーマー作
「セルネ=ラ=ヴィル:フランスの農場」

添付7:チャイルド・ハッサム作
「公園の淑女」

添付9:佐藤昌三の部屋

次の町はシャンペーン。シカゴの南200㎞の所にある大学都市で人口88,000人強。

ここにシカゴやシャンペーンが属するイリノイ州の州立大学、 イリノイ大学があり、広大な大学の敷地内にあるのが「クラナート美術館」。

平屋の建物ですが地下室が広く、4,500㎡と大学付属美術館としてはトップクラス。 コレクションも古代エジプト美術からアジア・アフリカ美術、ヨーロッパ美術、 アメリカ美術と広範で、11,000点以上の所蔵品を誇っています。

ヨーロッパ美術ではフランス・ハルスの肖像画やムリーリョとティエポロの宗教画、 ニコラ・ランクレ、ブーシェ、アングル、クールベ、ブーダン、ピサロなど 一流どころが揃っています。

最初の3人の作品を添付しますが、ティエポロの作は説明が必要でしょう。

この絵はパドヴァの教会のための祭壇画で、イングランドのノーサンブリアの王 オズワルドをパドヴァの2代目の司教、聖マクシムスが祝福している場面です。

オズワルド王は隣国マーシアの異教徒と戦って殉教。聖人に列せられたのです。 マクシムスの隣に跪く若い男性は、永遠の命にちなんで、ヤシの枝を衣服に忍ばせ ロッジアの天井からオズワルドを迎えに降りてくる天使をちらりと見ています。

アジア部門を観ていると、老女に伴われて小学校低学年の子供達と引率の教師が やって来ました。ここには日本の屏風もあり、源氏物語絵巻の江戸時代の複写版の 解説を始めました。聞いていると、「これは日本で書かれた世界最初の小説の 内容を絵にしたもので、その小説は54の話しからなる複雑なもので、、、、」 と正しい説明をしていました。流石大学の美術館。知識人がおられるようです。

アメリカ美術も充実しており、前回採り上げたウィンスロー・ホーマーが 1867年フランス遊学中に描いた風景画がありました。 セルネ=ラ=ヴィルはパリ南西にの郊外にある農村です。

第51回で詳述したチャイルド・ハッサムの印象派絵画もあります。

20世紀を代表するアメリカ人芸術家の一人、フィリップ・ガストンの 修業過程の大部分を反映させた作品が目に留まりました。

フィリップ・ガストンは1913年カナダのモントリオールで生まれ、1919年に 家族でロサンゼルスに移住しますが、生活苦から10歳時に父親が首吊り自殺。 それを発見したのはガストンで、彼が紐を切り落としたのです。

その後美術に興味を持った彼は、母親の勧めで漫画の通信講座を受講。 ロサンゼルスのマニュアル・アーツ・ハイスクールに通い、 同級生のジャクソン・ポロックと親交を深めました。

ニューヨークに移り住んだガストンは1930年代に公共事業促進局に在籍し、 メキシコ壁画やイタリアのルネサンス絵画(特にピエロ・デッラ・フランチェスカ)、 ジョルジョ・デ・キリコやパブロ・ピカソ、マックス・ベックマンなどの ヨーロッパのモダニストの作品に着想を得た作品を制作しました。

その後、具象画から抽象画へと移行した彼は1950年代には当時ニューヨーク在住の 親友のジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニング、マーク・ロスコと並び アメリカ抽象表現主義の代表者と見做されるようになるのです。

ガストンは1980年ニューヨーク州ウッドストックで亡くなりましたが、 2013年、作品「フェッリーニヘ(1958)」がクリスティーズで2,580万米ドル (約38億円)で落札されガストンのオークション記録を樹立しています。

2022年にはガストンの娘のムーサ・メイヤーが、 残された父の作品220点をメトロポリタン美術館に寄贈すると発表しました。

この美術館に展示されていた「ポーチ」は1945年の作で、 大道芸人に扮した子供たちのグループが楽器を演奏する様子を描いたこの絵の 構成とスタイルに、ガストンの初期の特徴が全て織り込まれています。

登場人物は、十字形を形成する2本の白い線で区切られた圧縮されたキュビスムの 空間を占め、左上の背景にはイタリア風の建築が見えます。 左側の人物はシンバルとホルンを演奏し、右側ではマスクをした道化役が 靴底を持ち上げて視聴者に見せています。

手前には2人の子供がいて、1人は紙の帽子をかぶり、 もう1人はドラムを叩いています。建物の描写や色彩は、 ピエロ・デッラ・フランチェスカとキリコの両方を思い起こさせます。

演技者、ミュージシャン、道化役のテーマの様式的な扱いは、これらの人々を 作者の代理としてよく使用したピカソとベックマンの作品を思い起こさせます。

最後の一室は「佐藤昌三の部屋」と表示されており、 彼の制作した屏風が部屋の中央に、水墨画が周囲の壁に展示されていました。

佐藤昌三というのは初耳でしたが、部屋の記述によると彼は1933年神戸生まれで、 東京で油彩画、演劇、音楽、茶道、華道を習得した上、第7代中村勘三郎の下で 歌舞伎を学び、中村勘蔵の芸名まで授かっているという万能芸術家。

1964年イリノイ大学に客員芸術家として招かれ、 1968年には日本芸術文化プログラムを設立し、書道、墨絵、生け花、歌舞伎、茶道、 日本画などの日本の伝統芸術の授業を担当しています。

彼はまたマクベスやオセロ、蝶々夫人など多くの西洋演劇を歌舞伎風に 脚色、上演したことで有名で最後の米国でのオセロ上演は2007年のことでした。

1992年には退職して北カリフォルニアに移り日本芸術センターを設立。 2016年からはシャンペーンに居を構え、書道、墨絵、禅を教えているのだとか。



(添付8:フィリップ・ガストン作「ポーチ」は著作権上の理由により割愛しました。
 長野さんから直接メール配信を希望される方は、トップページ右上の「メール配信登録」をご利用下さい。管理人)