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美術館訪問記 -728 ホーエス城内州立絵画館と市立絵画ギャラリー、Füssen

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ホーエス城遠景
写真:Creative Commons

添付2:ホーエス城内州立絵画館正面

添付3:ホーエス城内州立絵画館内部

添付4:バルトロメウス・ツァイトブロム作
「聖アントニウス」

添付5:ベルンハルト・ストリーゲル作
「神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世」

添付6:ハンス・ホルバイン父作
「8連パネル画」-1

添付7:ハンス・ホルバイン父作
「8連パネル画」-2

添付8:フランツ・デフレッガー作
「少女」

ザンクト・マンク修道院から100m程坂道を上ると、かつてアウクスブルク司教領主 の居館であった後期ゴシック様式のホーエス城が雄姿を見せています。

1322年に建設され、1489年から1504年にかけて、 壮大で要塞化された城郭に拡張されたこの大きな城は、 バイエルン州で最も保存状態の良い中世の城の一つと考えられています。

この城の北棟2階にバイエルン州立絵画コレクションの分館ギャラリーとして あるのが「ホーエス城内州立絵画館」。

ここにはかつてこの城館の部屋を飾っていた後期ゴシック様式のパネル画や彫刻が 展示され、15世紀から16世紀への境目のこの地方の芸術を概観できます。

特に注目すべきは華麗なレリーフが施された格天井を持つ騎士の間で、展示された 絵画や彫刻は皇帝マクシミリアン1世治下のフュッセンの文化的繁栄を偲ばせます。

バルトロメウス・ツァイトブロム(1450-1519)の「聖アントニウス」がありました。

ツァイトブロムはアウスブルクの西にあるウルムで活躍した画家ですが、 当時のドイツ人画家らしくない、クールで明朗な美しい色彩で軽妙な絵を描きます。

聖アントニウスはこれまで「聖アントニウスの誘惑」図を何度か出して来ましたが、 250年頃、エジプトで生まれた実在の人物で、敬虔な両親に キリスト教徒としての教育を受け、20歳になった頃両親と死別。 財産を貧しい者に与え、自らは砂漠に籠もり苦行生活に身を投じるのです。

この修行中にしばしば悪魔の誘惑にさらされて、その信仰心を試されたとされます。 空想的な魔物や魔女が登場する「聖アントニウスの誘惑」はこの時の話です。

305年頃、アントニウスが町で行った説教に心を打たれた修道僧らと開いたのが 修道院の始まりとされ、聖アントニウスは修道院の父とも呼ばれます。

また修道院では病気の治療も行っており、聖アントニウスは皮膚病の治療に 卓越していたとされ、皮膚病の軟膏に豚の脂を使ったことから豚がアトリビュート となりました。ツァイトブロムの絵に豚が描かれているのはそのためです。

神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世の宮廷画家で、 肖像画、祭壇画に優れたベルンハルト・ストリーゲル(1460-1528)が フュッセンを訪れた皇帝を描いた肖像画がありました。

ストリーゲルは存命中から名声を博し、コンスタンツの帝国議会議事堂に 皇帝の肖像画を描くという栄誉にも預かっていました。 しかし彼は、作品に署名をしなかったために、長い間忘れられた存在でした。 ようやく19世紀後半になってからストリーゲルの再評価が行われたのです。

南ドイツではよく見かけるハンス・ホルバイン父の8連パネル画がありました。 ホルバインは名前も同じハンス・ホルバイン子の方が圧倒的に有名ですが、 父も生まれ故郷のドイツ、アウクスブルクで名を成した画家で ドイツ絵画をルネサンス様式に変革したリーダー的存在でした。

この図は実在したヘンリー2世(973-1024年頃)とクニグンデ(980-1033年頃)という ドイツの皇帝夫妻の伝承を描いたものです。左上から下、右上から下という順に、

1.悪魔が若者に姿を変え、王妃クニグンデの寝室に出現 2.クニグンデは不貞罪に問われる 3.ヘンリー2世はクニグンデに試罪法(過酷な試練に耐えたものを無罪とする)命令 4.クニグンデは灼熱の鋤の刃の上を歩かされる 5.ヘンリー2世はクニグンデに跪いて許しを求める 6.ヘンリー2世の死 7.女王となったクニグンデが大聖堂建設者に賃金を支払う 8.悪魔は隠者にヘンリー2世の魂を奪うことはできなかったと告げる

ホーエス城の北棟1階には「市立絵画ギャラリー」も入居しています。

コレクションの重点は19世紀のミュンヘン派の絵画で、 その中からフランツ・デフレッガーの「少女」を添付しましょう。

デフレッガーは1835年オーストリア、チロルの農家の生まれで、 ミュンヘンやパリの美術学校で学んだ後、風俗、歴史、肖像画家として成功。

1878年からミュンヘン美術院の教授となり、1910年までその仕事を続け、 1921年同地で死去。1883年にバイエルン王国から貴族に叙せられています。