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美術館訪問記 -727 フュッセン市立博物館、Füssen

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:フュッセン市内を流れるレヒ川

添付2:フュッセン市立博物館正面

添付3:インペリアル・ホール

添付4:礼拝堂

添付5:修道院図書館

添付6:リュートとバイオリンの部屋

添付7:プレセピオ一例

添付8:「慈悲の聖母」

添付9:ヤコブ・ヒーベラー作
「死の舞踏」

添付10:「死の舞踏」説明パネル一例

次の町はフュッセン。オーストリア国境に近く、ドナウ川支流のレヒ川が 市内を流れる、ロマンティック街道の終点となる風光明媚な所で、 ドイツ観光で人気のノイシュヴァンシュタイン城から西に4㎞足らず。

この街の中心近くレヒ川沿いに建つザンクト・マンク修道院の 壮大なバロック様式の複合施設内にあるのが「フュッセン市立博物館」。

内部は宮殿のような華麗な装飾でやや煩雑過ぎるようにすら見える バイエルン・バロック様式の世界となっており、 ザンクト・マンク修道院のかつての繁栄を思い起こさせます。

インペリアル・ホールや礼拝堂、修道院図書館などを通り抜けながら これらが本当に厳粛なる宗教施設だったのかと疑いを持ったほどでした。

博物館としてのリュートとバイオリンの部屋は、 ヨーロッパのリュート製作発祥の地としてのフュッセンを思い起こさせます。

それらの楽器製造技術は木彫技術も発達させたのでしょう、 フュッセンで19世紀から20世紀にかけて作られた プレセピオ(キリスト降誕再現模型)が4点、展示されていました。

木彫技術は古くからの伝統だったのでしょうか、 作者不詳ながら1260-70年頃の作という「慈悲の聖母」は 750年以上前に作られたとは思えぬ現代的な顔立ちの聖母で瞠目しました。

アンナ礼拝堂に「死の舞踏」図が飾られていました。

死の舞踏とはどんな人でも死の前では平等であるという考えを表した主題です。 14世紀末のペストの大流行でヨーロッパの人口の半分とも1/3ともいわれる 人たちが亡くなりました。ペストにかかれば、貴賤に関係なく死が襲い掛かります。 そこから「死の舞踏」というテーマが生まれたのです。

ここの「死の舞踏」はテンペラの木製パネル (合計サイズ 516 x 344cm) に 描かれた20の個々のシーンが印象的です。

1602 年、近在の画家ヤコブ・ヒーベラーは、この葬祭礼拝堂の修復と装飾を 依頼され、その一環としてこの絵を描いたのです。

国王、王女、医者、商人、領主、金貸しのような精神的および世俗的な権威の 代表者から農夫、魔女、不良、処女、子供、画家自身まで死は平等に訪れています。

図の横には大きなパネルが置いてあり、そこに個々の絵がどういう意味を 表しているのかが細かく説明されているようなのですが、 残念ながらドイツ語文しかなく理解できなかったのが心残りでした。

フュッセンの死の舞踏は、バイエルン州で現存する最古の死の舞踏であり、 今日ではヨーロッパで最も重要で記念碑的な死の舞踏の1つです。 フュッセンは、バーゼル、リューベック、ルツェルン、ウィーンと並んで、 死の舞踏の図像の中心地になったのでした。