前回のシュテーデル美術館から川沿いに1ブロック西に行った所にあるのが 「リービークハウス彫刻美術館」。
チェコのリービック男爵(1839–1904)が1896年に建てた宮殿のような隠居用別荘を 1907年、フランクフルト市が取得し、市立彫刻美術館としたものです。
立派な庭を囲んで城のようにも見える邸宅とその横に展示棟が別に造成されており 両方に所蔵品が展示されていました。総数約3000点とか。
コレクションは主に寄贈や国際的な購入を通じて構築され、フランクフルトの 芸術や歴史とは特に関係なく、古代ギリシャ、ローマ、エジプト、アジアの彫刻、 古代から中世、ルネサンス、バロック、ロココ、新古典主義の作品まで幅広い。
数多くの展示品の中から私の注意を引いた作品を年代順に観てみましょう。
最初は紀元前13世紀頃の女性ミイラ石棺3点。両手を組んだ姿は女性を表し、 羽を広げた神々は死者を銘文とともに保護しています。
時代は下って西暦120-150年頃のエジプトの棺に貼られた死者の似顔絵は実に 現代的で、写実的。どうしてこの技術がその後立ち消えてしまうのか、不思議です。
1400年頃タイで作られた仏頭も古代ギリシャ、ローマ時代の彫刻が建ち並ぶ中では いかにも文化と宗教の違いを体現していて、神秘的で静謐さを感じさせます。
1475-1500年頃作成された彩色スタッコ浮彫彫刻の「聖母子像」。
作者のアントニオ・ロッセリーノは1427年セッティニャーノに生まれ、 1479年フィレンツェで没しています。本名はガンベレッリでロッセリーノは 髪が赤毛だったことから来ている仇名です。
かなり年長の兄ベルナルドのもとで修業し、大胆で生き生きとした写実性があり、 古典的な優雅さと軽快な運動感とをみごとに融合させています。
続いて1500年頃のアンドレア・デッラ・ロッビア作の彩釉テラコッタ 「聖母被昇天」。この像は聖母マリアの被昇天を信じず証拠を求める 使徒聖トマスに、聖母ご自身が天上から帯を垂らしてトマスに与えたという 伝説に基づいており、イタリアでは特にこの伝承が広く信じられていました。
彩釉テラコッタは15世紀にフィレンツェの彫刻家ルカ・デッラ・ロッビアが 産み出した技術で、単にテラコッタ(粘土)に顔料をつけるだけでなく、 像の縮みを計算に入れた上で粘土像を焼き上げ、 融解性の高い透明なガラス性物質(マルツァコット)で覆った後、 さらに釉薬を重ねて、より低い温度で再び焼き上げた彩陶彫刻です。
彩釉テラコッタは化学的な釉薬の調合や温度差のある、数次の焼き入れなど 秘伝的要素があり、ロッビア一族の独壇場となりました。ルカの後を継いだ 甥のアンドレア・デッラ・ロッビアもルカに勝るとも劣らぬ優れた芸術家で、 彼らの作品は、世界中の美術愛好家を引き付ける魅力を持っています。
ドイツ最高の彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダーが1520年頃作った 「神の母」もあります。リーメンシュナイダーは1460年頃の生まれで1483年から ドイツ、ヴュルツブルクに居住し、1531年に没するまで同地で活躍した彫刻家です。
彼は親方として工房を構え、教会や市民からの注文による祭壇や墓碑彫刻を量産。 名人として評判になり市議会議員に選ばれ、1520年には市長職にも就いています。
新古典主義の彫刻家ヨハン・ハインリヒ・ダンネッカー(1758-1841)の 最高傑作と謳われる「豹に乗ったアリアドネ」もありました。
ギリシャ神話によると、クレタの王女アリアドネは、ミノタウロスの犠牲として クレタに連れて来られたアテナイの王子テセウスに恋をします。
アリアドネはテセウスの怪物退治を助け、ともにクレタ島を脱出しますが、 テセウスはアリアドネを見捨て、ナクソス島に置き去りにしてしまうのです。
アリアドネがひとり海岸で嘆き悲しんでいると、豹の牽く戦車に乗って現れた 酒神バッカスに、その美しさを見初められ、妻に迎え入れられたということです。
ダンネッカーによるとこの像の意図は「美しさによる野生の飼いならし」だとか。
この彫刻美術館の庭と地下には無料入場可能なカフェがあり、野外にも置かれた 彫刻を眺めながら長閑なひと時を楽しむ人々の姿がありました。