次の町はデュースブルク。ライン川とルール川の合流地点に位置する 工業都市で、デュッセルドルフの北に隣接しており、人口50万人足らず。 世界でも有数、ドイツ国内では最大の河港を有する古都です。
この街の中心、デュースブルク中央駅から西に500m余りの所にある イマーヌエル=カント公園の西端にあるのが「レームブルック美術館」。
1924年開館のデュースブルク美術館を母体として、1964年に現在地に開館。 建物の設計は彫刻家ヴィルヘルム・レームブルックの息子で建築家の マンフレッド・レームブルックが行いました。
1881年デュースブルク郊外に生まれたヴィルヘルム・レームブルックは デュッセルドルフの美術工芸学校を経て、1907年まで同市のアカデミーで学びます。
初期はベルギーのムーニエの影響もあって労働者など社会的主題の作品を制作。 やがてロダンを知り、1910年に移住したパリではマイヨールの影響も受けますが、 モディリアーニ、アーチペンコ、ブランクーシといった作家たちと交流する中で、 細長く引き伸ばした新しい人体造形に強い精神性を結びつけた独特の作風を確立。
ドイツ表現主義を代表する彫刻家となるのです。この時代は抽象絵画や抽象彫刻等、 美術においても革命的な新しい動きが現れ、レームブルックの作品もこれに呼応し、 抽象化、純粋化の傾向を見せましたが、その主題は常に人間を志向していました。
残念ながら激動の時代は繊細な芸術家の心を打ち砕き、極度の憂鬱状態を経て、 1919年、38歳の若さで自らの命を絶ってしまうのでした。
さらに、彼の死後、ナチス・ドイツによって「退廃芸術」の烙印を押され、 作品は公的機関から押収されて人々の記憶から消し去られてしまいます。
しかし、深い精神性を湛えた彼の作品は、第二次世界大戦後当然ながら復権し、 私達の心にいまだに深く訴えかけてくる鋭い現代性を持ち続けているのです。
これまでの美術館訪問記でおわかりのように、私は彫刻にはほとんど目が 行かないのですが、一目でそれと判るレームブルック作品は数少ない例外です。
この美術館は彼の彫刻33点、絵画18点、パステル作品11点、素描819点、 版画260点を保有し、世界最大のレームブルック・コレクションを誇ります。
彼の作品を年代順に添付しましょう。
最後の「くずおれる男」は第一次世界大戦下の悲惨な状況を象徴的な形態に 昇華させて表現したものでしょう。並外れた四肢の長さとは対照的に、 本来なら勝利者としてのシンボルとなる刀剣は柄を残して断ち落とされ、 身ぐるみ剥がれた青年の外見的な惨めさを強調するポーズになっています。
この美術館はレームブルック作品以外にも、20世紀の芸術家の作品を数多く 所蔵しています。その中からダリとアウグスト・マッケの作品を添付します。
(添付8:ダリ作「聖アントニウスの誘惑」は著作権上の理由により割愛しました。
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