ドルトムント中央駅から見て前回の文化史・美術史美術館とは反対側の 西斜め前にあるのが「オストヴァル美術館」。
この美術館は第二次世界大戦からの文化的復興を期して1947年、20世紀芸術を 展示する目的で、ドルトムントの旧城壁の東側に開館しました。 ドイツ語でオストは東、ヴァルは壁を意味し、オストヴァルとは東壁という事です。
2010年、1927年頃に建てられたドルトムントで最初の高層ビルで屋上に Uの金文字が飾られている事からUタワーと呼ばれるビル内に移転。 Uタワーは西壁の外側にあるのですが、美術館名は旧称のままでした。
3フロアにわたって近現代芸術作品を展示しており、 芸術文化センターであるUタワーを代表する人気の文化施設となりました。
移転時の改修工事でビルの内部は近代施設が完備しており快適な環境です。 添付の館内写真の中央に立っている場違いな扮装の人物は、 これまでも何回か紹介して来た超写実的彫刻です。
作者のロイ・ヴィルフォーイェは、1960年マーストリヒト生まれのオランダ人で アムステルダム在住の芸術家、映像作家。第696回のラーケンハル市立博物館でも 登場しましたから西ヨーロッパではポピュラーな芸術家のようです。
土地柄ドイツ表現主義の画家たちが数多く展示されていましたが、 その中からこれまで何度か紹介して来たキルヒナーの「青い小道のある村」と パウラ・モーダーゾーン=ベッカーの「子供を抱いた母」を添付しましょう。
ほのぼのとした暖か味のある絵、透明感ある豊かな色彩、 セザンヌを思わせる単純化した構成、底流に漂う詩情で 私の好きな画家の一人、アウグスト・マッケの傑作もありました。
彼の4歳下の従弟のヘルムート・マッケのアウグストに似た画風の 「ヴァルベルクからの下り路」があります。
ヘルムート・マッケは1891年デュッセルドルフの北西クレーフェルトの生まれで クレーフェルトの工芸学校で学び、1909年マルクと出会い、彼がカンディンスキー と創立した「青騎士」のメンバーと交流し、1912年にはベルリンでキルヒナーの 創立した「ブリュッケ」のメンバーと知り合っています。
アウグスト・マッケは第一次世界大戦で戦死してしまいますが、ヘルムートは 無事でクレーフェルトやボンで活動しました。1936年に船旅中に事故で水死。
「ヴァルベルクからの下り路」は1925年の作で、 ヴァルベルクはミュンヘンの南、スイス国境に近いドイツの景勝地です。
ヘルムート・マッケと同じクレーフェルトで1889年に生まれ、 同じ工芸学校で学んだハインリヒ・カンペンドンクの作品も展示されていました。
カンペンドンクはヘルムート・マッケを通じて、アウグスト・マッケや マルクと知り合い、「青騎士」の重要なメンバーとなっています。 1926年にはデュッセルドルフ・アカデミーの教授に就任しますが、 1933年ナチスの弾圧でクレー同様、頽廃芸術家として追放されオランダへ移住。 1935年にはアムステルダム国立美術学校の教授となり、後に校長に就任。
第二次大戦後もアムステルダムに留まり、オランダ人として帰化。 栄光に包まれた芸術家として1957年同地で死去しています。 彼の画風はキュビスムからフォーヴィスム、表現主義と揺れ動きましたが、 マルクの動物画の影響を受け、抒情性漂う線的描写で身の回りの状況に焦点を当て、 愛敬のある人物を主人公に、豊かな色彩で独特の画風を生み出しました。
いかにもピカソらしい奔放な女性のヌードがも好もしい。
デボラ・セングルの「マラソン走者」には少しドキリとさせられました。
1974年オーストリア生まれの彼女は、カモフラージュと欺瞞の主題を様々な方法で 扱っています。セングルの作品では、同一性の問題、模倣や仮装が動物の世界に 移され、非日常と日常が逆転したような不思議な感覚に捉えられるのです。
(添付3:ロイ・ヴィルフォーイェ作「探究者」、添付8:ハインリヒ・カンペンドンク作「愛好者」 、添付9:ピカソ作「横たわる裸体女性」および 添付10:デボラ・セングル作「マラソン走者」は著作権上の理由により割愛しました。
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