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美術館訪問記 -708 コーブルク城塞文化財博物館、Coburg

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:コーブルク城塞遠望  写真:Creative Commons

添付2:コーブルク城塞入り口

添付3:コーブルク城塞文化財博物館入り口

添付4:1560年製作の現存する最古の馬車

添付5:寄木細工の部屋

添付6:ルーカス・クラーナハ父作
「愛の寓意」

添付7:ルーカス・クラーナハ父作
「ルクレティアの自殺」

添付8:ルーカス・クラーナハ父作
「マルティン・ルター」

添付9:デューラー作
「ミヒャエル・ヴォルゲムート」

添付10:コーブルク城塞からの眺め

次はコーブルク。ニュルンベルクの北90㎞余りの所にある城塞都市で 1918年までザクセン=コーブルク=ゴータ公の宮廷所在地でした。

ザクセン=コーブルク=ゴータ家は、イギリスのヴィクトリア女王の夫 アルバートや現在のベルギー王家などを出した名門です。

この街から170m以上の高台にあるのが「コーブルク城塞文化財博物館」。 コーブルク公爵家の収集品を居城だったコーブルク城塞内に展示しています。

1225年に文献に登場したというこの城塞、ドイツで2番目の大きさを誇る 中世城塞で、畏敬の念を込めて「フランケンの冠」と呼ばれています。

2重、3重の城壁が張りめぐらされ、16世紀にはザクセン選帝侯の居城で、 彼の保護の下で、1530年ローマ教皇によって破門された、 宗教改革者マルティン・ルターが半年間ほど居住していたこともあります。

1918年、公国消滅後は州の所有物となり、第二次世界大戦中の火災で 被害を受けましたが、修復後1969年から博物館として公開されています。

内部には甲冑や兵器、狩猟道具、ステンドグラス、マルティン・ルター居住部屋、 1560年製作の現存する最古の馬車などのコレクションもあり、 精巧な寄木細工で壁の全面が覆われた広い部屋もありました。

それらも楽しめたのですが、最も嬉しい驚きだったのは ルーカス・クラーナハ父の作品が31点も展示されていた事でした。

彼の作品がこれだけ一か所で観られるのは世界でもここだけでしょう。

ルーカス・クラーナハの名が歴史に初めて登場するのは当地の領主、 ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に御用絵師として仕えた1504年の事です。

クラーナハは、1472年、後に彼の姓になるドイツ、クローナハの生まれで、 画家だった父の下で修業を積んだ後、歴代のザクセン選帝侯に仕えます。

宮廷画家としての拘束は非常に緩やかだったようで、 他からの絵の注文や副業にもせっせと励み、数多くの肖像画や宗教画、 なかんずく需要の多かったルクレティア等の裸体画を大量に残しています。

商才に長けた人物で、大きな工房を構えて沢山の注文をこなす画業の傍ら、 薬局や印刷所を経営して多大な利益を挙げ、 ヴィッテンベルクの市長を務めたりもしています。

ヴィッテンベルクで宗教改革の火ぶたを切ったマルティン・ルターは 11歳の年下ながら親友で、ルターの結婚の媒酌人も、 彼の長男の洗礼式の立会人も務めています。

またこの関係を利用して飛ぶように売れたルター訳の新約聖書は勿論、 彼の著作一切を自分の印刷会社で出版。印刷物は自分の経営する本屋で売り、 印刷用紙の売買もして何重にも儲けたのです。

勿論本業の絵の方でも、個人崇拝されてきたルターの肖像画を量産。 ルター本人だけでなく彼の妻や両親の肖像画も描いています。

ルーカスの次男も同じ名前の画家になっており、 1553年、父の死後も工房を引き継いで 父の絵によく似た絵を描いているので混同しないようにしなければなりません。

ルーカス・クラーナハ子の作品も3点、展示されていました。

他にもデューラーやグリーン、ホルバイン親子の作品などもあり、 ドイツ古典絵画の第一級のコレクションです。

なおミヒャエル・ヴォルゲムートはデューラーの絵画の師として有名です。

城塞内の一番東側にある高所稜堡から城壁越しに見下ろすと、コーブルクの街と 牧草地帯、森林地帯、さらに地平線の彼方まで続くドイツの景色が望めました