前回のケムニッツ市立美術館から南西に1200mも行くと、 「グンツェンハウザー美術館」があります。
美術館の建物は1930年に建てられたケムニッツで最初の高層ビルで、 装飾を排したシンプルなデザインで当時では斬新な建物として注目を集めました。
ミュンヘンの画廊経営者グンツェンハウザーが長年にわたって収集してきた、 芸術家270人の作品約2,500点を所蔵しており、 ドイツ20世紀美術のコレクションとしては重要な美術館の一つです。
その中には、オットー・ディックスの作品290点が含まれています。
オットー・ディックスは何回か名前を出しましたがまだ説明していませんでした。
彼はケムニッツの西60㎞程の所にあるゲーラで1891年に労働者階級に生まれ、 18歳で奨学金を得て、ドレスデンの美術学校に入り、アルテ・マイスター絵画館で オールド・マスターを模写したり、表現主義に影響されたりしています。
第一次世界大戦の勃発とともに参戦し、1918年、何とか無事に帰還しますが、 ドレスデン美術アカデミーで暫く学び、戦争の悲惨さや、戦後ドイツの頽廃した 社会情勢を表現したり、暮らしのために多くの肖像画も描いていきます。
魔術的レアリスムとも称される、その酷薄なまでに生々しい描写は、 社会の実相と人間の本能を時に妖しく、そして冷ややかに暴きだしてみせます。
1922年には新即物主義運動を代表する画家となり、1927年、 ドレスデン美術アカデミー教授となりますが、ナチスの弾圧で職を追われ、 退廃芸術として260点もの彼の作品が公的機関から押収されています。
第二次世界大戦では1944年9月にドイツ本土防衛に備えて創設された軍事組織で、 16歳から60歳の民間人で構成された国民突撃隊に招集され、従軍させられますが 終戦間近にフランス軍の捕虜となり、1946年2月に解放されています。
第二次世界大戦後はドイツ芸術アカデミー会員に選ばれたり、 ドイツ連邦共和国功労勲章を授与されたり、様々な名誉を得て1969年死去。
私の訪館日にはディックス作品が33点、美術館に展示されていました。
1912年作の、彼がまだドレスデン美術学校時代の自画像もありました。 20歳を過ぎたばかりの若々しい青年の姿で、後年の彼の絵とは隔絶しています。
ヤウレンスキーも24点、ガブリエレ・ミュンターが9点ありました。 そのわりにどういう訳かカンディンスキーは1点もありません。 購入した英語のカタログ本には所蔵品として名前だけ載っていましたが。
マティスとマルケ、ヴァロットンなども1点ずつ展示されていました。
館内は異様に空間が多く取られており、美術館の単位面積当たり 展示数コンテストがあれば、間違いなく少ない方の最上位に入るでしょう。
(添付2:オットー・ディックス作「帽子を被った自画像」1912年、添付3:オットー・ディックス作「日曜日の少女」1921年、添付4:オットー・ディックス作「嘘つき」1930年 および 添付5:オットー・ディックス作「赤毛の女」1931年 は著作権上の理由により割愛しました。
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