次の町はユトレヒト。首都アムステルダムの南東約30㎞、国土のほぼ中央付近に 位置するオランダ第4の都市で人口37万人足らず。宗教の中心でもあります。
この街の中心部にあるのがその名も「セントラル・ミュージアム」。
1838年開館のオランダでは最古の市立美術館で、所蔵品の拡大に伴い現在地に 移転開館したのが1921年。ユトレヒトは、17世紀に始まったオランダ黄金時代に アムステルダムにその座を奪われるまで、オランダ文化の中心的都市だっただけに ユトレヒト出身やこの地で活躍した画家の作品が数多く展示されています。
その筆頭がヨアヒム・ウテワール。1566年ユトレヒトでステンドグラス職人の家に 生まれ、父親の下で修業後、1586年頃にイタリアのパドヴァに赴き、1588年には フランスへ渡り修業後、1591年頃、ユトレヒトに戻り、工房を開いています。
ウテワールは洗練されたマニエリスム様式の歴史画や肖像画、風俗画を 真珠のような光沢のある色彩と故意にゆがめられたポーズをとった優雅な人物像で 描き、オランダ・マニエリスムの第一人者と見做されています。1638年永眠。 息子のピーテル・ウテワールも画家になっています。
彼の作品は世界中の主たる美術館で観られますが、 主戦場だったこの美術館には18点もあり、世界最大の所有数を誇っています。
ヨアヒムに勝るとも劣らないのがヘンドリック・テル・ブルッヘン。 かのルーベンスが、「その他のユトレヒト出身芸術家の全てを超越する」 との記述を残しているほどなのです。
ブルッヘンは1588年生まれで、ユトレヒトで画家修業後、1607年にローマへ赴き 1614年にユトレヒトに戻ったころにはカラヴァッジョに心酔する 明暗基調の強い生粋のカラヴァジェスキになっていました。
単なるカラヴァッジョのコピーではなく、オランダの伝統を受け継いで 個々の主題や人物の表現など多くをデューラーやルーカス・ファン・レイデンらに 負っています。黄褐色、緑、うすい紫などを用いた色調もユトレヒトで修業中に 身に着けたものです。1629年、比較的若い年代でユトレヒトで死去。
ブリュッヘンと並ぶ、オランダにおけるカラヴァッジョ様式の指導的な画家には ヘラルト・ファン・ホントホルストがいます。
ホントホルストは1592年、ユトレヒトの画家の家に生まれ、父親の下で修業後 1616年から4年間イタリアで修業。グイド・レーニと親しくなり、二人で 貴族で美術収集家のヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニの邸宅に住んで カラヴァッジョを含むジュスティニアーニの多数のコレクションから学びました。
ホントホルストはカラヴァッジョの強い明暗対比のある表現を、 画面の中に1本ないし複数の蝋燭を描いた夜の場面の中に引き継いでいます。
この美術館にある「女衒」もそうした夜の場面を描いた作品の一つで、 光源に蝋燭の光を用いることで、ボウッと、夢のような柔らかい世界を画面に 現出させています。ローマでは王侯貴族や教会からも注文を受け「夜のゲラルド」 と呼ばれて人気を博しました。ゲラルドはヘラルトのイタリア語読みです。
1620年に故郷に戻り、工房を構えて成功をおさめ、名声の高まりから1628年には 英国王に招かれたり、デンマーク王に招かりたりして国際的な評判を得て、 ハーグのオランダ王室の宮廷画家として宮殿装飾や肖像画を多くてがけました。 1640年代になると徐々に名声も陰りをみせ、1656年ユトレヒトで死去。
ブリュッヘンが北方の伝統ともいえる人間の醜さを導入した画風だったのに対し、 ホントホルストは飽くまでも美しく幻想的な雰囲気を大切に描いており、 ゲーテにラファエロの再来と言わせたグイド・レーニの輝くような色使いも 自家薬籠中のものとして、特徴ある照明法や色彩、そして風俗主題は、 後のハルスやレンブラント、フェルメールなどに深く影響を及ぼしています。
「グラニダとダイフィロ」は1615年に出版されたオランダのピーテル・ホーフト作 の戯曲「グラニダ」中の一場面です。同戯曲は大成功をおさめ、何度も上演され オランダ黄金期の多くの絵画の主題となっています。
これは森の中で家来たちとはぐれ、道に迷ったペルシアの姫グラニダが、 羊飼いのダイフィロと偶然出会い、紆余曲折の後恋に落ち結ばれるというお話です。
セントラル・ミュージアムにはこれらオールド・マスター以外にも 近代画家の作品も多くありますが、友人や親戚に会うため頻繁にユトレヒトを 訪れていたゴッホの作品は5点も所有しています。