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美術館訪問記-70 セザンヌのアトリエ

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:セザンヌのアトリエ入口

添付2:セザンヌのアトリエ

添付3:「石膏のアムール像のある静物」
ロンドン、コートールド美術館蔵

添付4:「リンゴとナプキン」
損保ジャパン東郷青児美術館蔵

添付5:セザンヌのアトリエのある丘の上から見たサント・ヴィクトワール山、拡大撮影

添付6:「サント・ヴィクトワール山」
ロンドン、コートールド美術館蔵

前回のカーニュ・シュル・メールから西に140kmほどの所に エクス・アン・プロヴァンスあります。 人口14万人を超えるちょっとした都会です。

この街の北にある丘の中腹にあるのが「セザンヌのアトリエ」。

この土地はセザンヌが1901年に購入し、自身の設計で翌年アトリエを建て、 1906年亡くなるまで住んだ所。 セザンヌについては第13回のフィラデルフィア美術館で触れました。

アトリエの壁も彼が10日かけて自分好みの、 全ての色を自然に見せるという灰暗色に塗ったといいます。 2階建てで、1階が生活空間。2階がアトリエ。狭い階段で2階に上がります。

ここは予約制で予約者優先ですが、予約なしでも十分入れます。 20人ほど集まったところで中年の女性が1人、 時々英語を交えながらフランス語で説明してくれます。

それによると、僅か4年の間に彼の代表作と言われる 水浴のシリーズや静物画を次々とここで描いたという。 彼の絵に出てくる小物がそのまま残っています。 それらの絵のA4サイズのコピーを見せながら、あれがこれ、これがあれと説明する。

石膏のアムール像、緑色の水差し、緑色の壺、藁紐のかかったショウガ壺、 青い水差し、ラム酒の瓶、3つの頭蓋骨、カード遊びの人々のパイプ、 白い果物皿、等。セザンヌが静物画で多用した木製テーブルもあります。

アトリエの片隅にはイーゼル、パレット、絵具箱、チューブ入り絵具、鉛筆、 パレット・ナイフ、大作を描く時に使用したという梯子、等も置いてあります。

ここは正しくアトリエだけで、セザンヌの作品は1点もないのでした。

セザンヌのアトリエを出て500mほど更に上ると、 彼がサント・ヴィクトワール山を描いたという場所があります。 しかし現在では木々が茂り、ビルができたりして、 山の全体像が見えるポイントはありませんでした。

サント・ヴィクトワール山も遥か遠くに小さく霞んでおり、 彼の絵のイメージに合わせるには、もっと近づかねばなりません。 それとも彼は創造と写生を組み合わせたのでしょうか。 遺品の中には望遠鏡の類はありませんでした。

セザンヌは肖像画では妻を、静物画ではリンゴを、風景画では サント・ヴィクトワール山を数多く描きました。 特にサント・ヴィクトワール山は油彩画だけでも約40点にのぼります。

そしてそのほとんどを47歳になる1886年以降に描いているのです。 この年、17年前に同棲を始め長男を儲けていたオルタンス・フィケと正式に結婚。 同棲を隠し続けていた厳格な父が死亡し、多額な遺産を相続。

生活も安定し、画家としての力量にも自信を持ち始めていた彼にとって 「聖なる勝利の山」という意味のサント・ヴィクトワール山に 自分の心情を同化させたかのようでもあります。

20年後の1906年10月15日、野外でこの山を描いていて大雨に会い、 パレットを手にして倒れ、1週間後に肺炎で死亡します。 「絵を描きながら死にたい」と言っていたセザンヌは希望を果たしたのでしょうか。

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