次の町はマーストリヒト。オランダ最南部の都市でこの辺りはまるで半島のようにオランダから突き出ており、両側がドイツとベルギーに挟まれています。マース川沿いの河港都市でオランダ最古の町と言われ、人口12万人余り。
街の中心部にマース川に背を向けて建つのが「ボネファンテン美術館」。
この美術館はオランダのリンブルフ州の歴史考古学博物館として1884年に設立。ボネファンテンという名前は、1951年から1978年まで博物館を収容していたかつての修道院の通称であるフランス語の「ボンネ・ファンテン(良い子供たち)」に由来しています。
1995年に、美術館は現在の場所に移転しました。新しい建物は、アルド・ロッシによって設計され、マース川を見下ろす銀色に輝くロケットの形をしたキューポラは、マーストリヒトで最も有名な近代建築のひとつとなっています。正面側は3階建ての普通の近代的ビルディングですが。
中に入ると伝統的な美術館の造りで、厳粛な気持ちで階段を上がることになります。
この美術館の中世からルネサンスにかけての美術品の多さには驚かされました。特に、この時期のイタリア絵画収集数では圧倒的にオランダ一です。
ここにあるビオンドの「聖ステファノ」はその鮮烈な色彩と清浄な凛々しさに惚れ惚れと見とれてしまいます。いかにも聖人らしい心洗われる絵画です。
頭に載っているのは聖ステファノのアトリビュートになっている石です。
ジョヴァンニ・デル・ビオンドは1356年から1398年にかけてフィレンツェで活動していた事が明らかな画家で、ジョットの弟子兼助手だったタッデオ・ガッディの下で学んだようです。
彼はフィレンツェに国際ゴシック様式を持ち込んだ画家として知られています。
ピエトロが1460年頃描いた「聖母子と二聖人」も華やかさでは負けていません。聖人はアッシジの聖フランチェスコとシエナの聖ベルナルディーノです。
サーノ・ディ・ピエトロは1406年シエナの生まれで、1428年にはシエナの芸術家組合に登録され、大工房を構えて作品を量産しました。彼の色遣いの鮮やかさは誰しも認めるところです
クリヴェッリの「聖アンブロージョ」も一目で彼の作と分かる強烈な個性を発揮しています。
カルロ・クリヴェッリは1430年ヴェネツィアの生まれで、アムステルダム国立美術館の「マグダラのマリア」で紹介したような高貴なエロティシズムとでも言うべき独特な物がありますが、国際ゴシックの金地を使用し、金属的で硬質な線描を用い、過剰にすら感じられる華やかで豪壮な装飾により独創的表現に辿り着いています。
クリヴェッリと同じヴェネツィアに1445年頃生まれ、当時栄華を極めていたジョヴァンニ・ベッリーニ一派と覇を争ったヴィヴァリーニ一族の雄、アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニの「聖母子」もあります。
ドイツからはこれも一目で彼と分かる個性の持ち主ルーカス・クラーナハ父の「聖母子と洗礼者ヨハネ」を上げましょう。
面白いのは、2005年に訪館した時に買った美術館本ではこの絵の作者はルーカス・クラーナハ子とされているのですが、2022年に来た時のラベルではルーカス・クラーナハ父と工房作となっていました。
ルーカス・クラーナハ子の作品は殆どが父の作品のコピーですから識別に困ることもあるのでしょう。
フランドルからはルーカス・クラーナハ子同様、殆どの作品が父のコピーでこの作品もコピーのピーテル・ブリューゲル子の「ベツレヘムの人口調査」。
ピーテル・ブリューゲル子の祖父のファン・アールスト作品も3点ありました。
ピーテル・クック・ファン・アールストは1502年、ブリュッセルとゲントの中間、アールストに生まれた画家、版画家、建築家、工芸家です。1520年代の半ばにイタリアに旅し、イタリア・ルネサンスに触れたとされます。
1534年から神聖ローマ帝国のローマ皇帝カール5世のために働き、1550年に亡くなる直前に、カール5世の宮廷画家になっています。ピーテル・ブリューゲル父の師で、娘はブリューゲル父と結婚しています。