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美術館訪問記 - 696 ラーケンハル市立博物館、Leiden

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:ラーケンハル市立博物館正面

添付2:ラーケンハル市立博物館内部

添付3:レンブラント作
「眼鏡売り」

添付4:レンブラント作
「歴史画」

添付5:ヘラルト・ドウ作
「ろうそくの明かりの下の天文学者」

添付6:ヤン・リーフェンス作
「手を洗う海賊」

添付7:ルーカス・ファン・レイデン作
「最後の審判」

添付8:ヤン・トーロップ作
「2本の木」

次の町はライデン。アムステルダムの南西36kmに位置するオランダ最古の大学都市であり、画家レンブラントの生地。日本で近代医学の父と呼ばれるシーボルトが、長崎 出島から戻り暮らした街でもあります。人口13万人足らず。

市の中心部、縦横に張り巡らされた運河の一つに面して建つ、1640年建設された昔の繊維会館に収まっているのが「ラーケンハル市立博物館」。1874年開館。

市立博物館らしくライデンの歴史を物語る博物品と市の収集した美術品を展示中。

ライデンはオランダの美術史上に名高い画家たちを輩出しましたが、その筆頭がどなたもご存じのレンブラント。

レンブラント・ファン・レインはこの地で1606年、製粉業を営む家の9番目の子供として誕生。姓のファン・レインは「ライン川の」を意味します。

当時は美術学校などなく、イタリア留学経験のある地元の画家から描画の基礎と解剖学などを学んだ後、18歳でアムステルダムに赴き、当時オランダ最高の歴史画家と言われたピーテル・ラストマンに師事します。

この期間は半年だけででしたが、カラヴァッジョ派の明暗法などを収得後、1625年にはライデンで工房を構え、独立します。すぐに頭角を現した彼は1630年に父親が死亡したのを機に、アムステルダムに出て大成功するのです。

この博物館にはレンブラントのライデン時代の作品、3作がありました。特に「眼鏡売り」は1624年の制作で彼の貴重な最初期作品です。

1626年作の「歴史画」は主題が不明なので単にそう呼ばれていますが、画面には大勢の武装した男たちが並び、奥には動物のモニュメントが乗った塔など興味深い建築物が見られます。手前の神殿のような建物には王らしき人物が何かを命じるように王笏を持ち、段下に男たちが手を掲げてそれに応えています。

レンブラントは自画像を多く残していますが、彼の他主題の作品中にも自身が顔を見せていることが間々あります。この絵でも王笏に隠れるように若きレンブラントの姿が認められます。

15歳でレンブラントの弟子になったヘラルト・ドウ(1613-1675)もライデンで生没した有名画家です。ドウは写真と見紛うような精密描写や、ろうそくの明かりで照らされた光景を得意とし、画家として成功しました。

この博物館では5点展示されていましたし、世界中の美術館でもよく見かけます。

第634回で詳述したライデン出身でレンブラントと共同で工房を構えたこともあるヤン・リーフェンス作品も4点、展示されていました。

ライデン生まれの画家の先駆者としてルーカス・ファン・レイデンを忘れる訳にはいきません。彼の姓はファン・ライデンと呼ばれることもあります。

1494年生まれのルーカスは画家の父から手ほどきを受け、12歳で銅版画家として活躍し始めた早熟の天才でした。1521年にアンワープで出会ったデューラーの影響のもと、遠近法や自然の細部描写を使用した銅版画を多く制作しました。

銅版画ほどの情熱を反映するものは少ないとは言え、ルーカスは100点を超える木版画をも制作し、当事はまだめずらしかったエッチングの版画も制作しています。

この博物館にはルーカス・ファン・レイデン畢生の名作「最後の審判」があります。

偶像崇拝を禁止するプロテスタントの台頭による宗教戦争と偶像破壊を生き延びたルネサンス期の祭壇画はオランダでは数少なく、これは希少な三翼祭壇画です。絵に向かって左翼は天国、右翼は地獄となっています。

近代では何度か名前を出したヤン・トーロップの「2本の木」を添付しましょう。

出口近くに十字架のような材木を持った土人の様な人物がいるのに、何事かと思いましたが、これまで数度お見せした超写実彫刻の一つなのでした。

作者のロイ・ヴィルフォーイェは、1960年マーストリヒト生まれのオランダ人でアムステルダム在住の芸術家、映像作家。



(添付9:ロイ・ヴィルフォーイェは著作権上の理由により割愛しました。
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