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美術館訪問記 - 693 テイラース博物館、Haarlem

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:テイラース博物館正面

添付2:化石展示室

添付3:オーヴァル・ルーム 写真:Creative Commons

添付4:絵画展示室

添付5:ミケランジェロ作
「人物習作」

添付6:ヤコブ・マリス作
「渡し舟」

添付7:アントン・モーヴ作
「荒野の羊」

添付8:ゴッホ作
「桃の木(モーヴの思い出)」
クレラー=ミュラー美術館蔵

添付9:上図の左下部分

次の町はハールレム。第279回のフランス・ハルス美術館がある、1245年に都市権を得た、オランダではアムステルダムより古い、歴史ある素敵な街です。

この街の中心を縫って流れるスパールネ川に面してあるのが「テイラース博物館」。

博物館名は、裕福なハールレムの織物と絹の製造業者であり銀行家でもあったピーテル・テイラー(1702-1778) にちなんで付けられました。

啓蒙主義の支持者として、ピーテル・テイラーは芸術と科学に大きな関心を持っており、彼のコレクションと資産をテイラース財団に遺贈しました。

彼の遺志に基づき、テイラー家の裏に博物館が建てられ、1784年、開館。

オランダ最古の博物館で、当初から博物館として設計されていました。当時としては革命的な快挙で、市民による、市民のための知識機関であり、人々は教会や国家からの干渉なしに自ら世界を知る機会を持てたのです。

歴史を物語る重厚な木製の扉を開けて中に入ると、まず化石展示室があり、中には非公式ながら最初にみつかった始祖鳥の化石もあるとか。

続いて開館時からある中央のオーヴァル・ルーム。鉱物展示室で2階は図書室。採光のために長楕円のドーム型をしています。

続いて2部屋ある絵画室。4000点に及ぶという素描・版画コレクションを誇り、25点のミケランジェロの素描や、ラファエロ、レンブラントなどを含みます。

絵画では、最初に前回触れたマティス・マリスの兄ヤコブ・マリスの「渡し舟」を紹介しましょう。ヤコブは1839年ハーグに生まれ、父親は書籍印刷会社の主任で、国内外の偉大な芸術家たちの印刷画像を家に持ち帰ることが多く、3人の息子たちは自然と芸術に親しみ、模写したりして興味を掻き立てられていきます。

ヤコブはハーグとアントワープの美術学校で学んだ後、1856年ハーグに戻り、プルクリ・スタジオのメンバーになります。1859年には弟のマティスと工房を立ち上げ、幸いにも王室から王家の先祖の肖像画の複製を依頼され、それらの肖像画のあるドイツ、スイス、フランスを二人で周遊し、腕を磨きました。

1865年、ヤコブはパリに移り住み、パリの有力な画商、グーピル商会と契約し、イギリスやアメリカで需要のあった女性画を描いていましたが、コローと知り合い、バルビゾン派の画家達に影響されて風景画に転向します。

1870年パリのサロンに出した「渡し舟」が、「輝く水平線の端で、空と水が2つの愛し合う口のように一つになります。上品で色彩豊かな魅力的なキャンバスです」という好意的評価を受け、絵が売れるようになります。

しかし普仏戦争と、パリ・コミューンの混乱のため1871年、ハーグに帰国。ハーグ派のメンバーとして1870年代後半からオランダで評価され始め1880年代になるとオランダの人気画家となります。

60代になると病気がちになり、療養で行ったチェコで1899年、客死。

ハーグ派のリーダーの一人、アントン・モーヴの「荒野の羊」もありました。

アントン・モーヴは1838年、オランダ北部の町ザーンダムの牧師の家庭に生まれ、プロの画家たちに絵を学んだ後、オランダのバルビゾンと呼ばれるオスターベークに定期的に滞在し、風景画の腕を磨きました。

1872年、モーヴはハーグに居を構え、その繊細で優しい叙情的ハーモニーの作品でハーグ派の主要画家となります。彼の作品の多くは、屋外での人物や動物を描いたものですが、特に羊の群を描いた作品はアメリカで人気になりました。

モーヴはゴッホの従姉妹のアリエットと結婚しており、ゴッホの義従兄でした。

挫折後、画家を志したゴッホはハーグへ移り、1881年末にモーヴのアトリエで3週間過ごし、モーヴから油絵と水彩画の指導を受けました。モーヴは、ゴッホを励まし、アトリエを借りるための資金を貸し出すなど、親身になって面倒を見ます。

しかし、モーヴは次第にゴッホによそよそしい態度を取り始め、やがて絶縁状態になります。ゴッホは、わずかな意見の違いも自分に対する全否定であるかのように受け止めて怒りを爆発させる傾向があり、モーヴに限らず、知り合ったハーグ派の画家たちも次々彼を避けるようになっていきました。

とはいえゴッホは生涯モーヴを敬愛し、ゴッホの現存する152通の手紙の中で、モーヴについて直接的または間接的に言及しています。

1888年2月、モーヴが49歳の若さで急死しした時、ゴッホは追悼の思いを込めて「桃の木(モーヴの思い出)」を描き、未亡人になったアリエットへ贈っています。絵の左下には「モーヴの思い出」という添え書きとゴッホのサインがありました。