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美術館訪問記 - 691 トゥエンテ国立美術館、Enschede

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:トゥエンテ国立美術館正面

添付2:トゥエンテ国立美術館前の教会

添付3:トゥエンテ国立美術館内部

添付4:ヤン・トーロップ作
「3人の花嫁」
1893年 クレラー=ミュラー美術館蔵

添付5:ヤン・トーロップ作
「憩う農民の娘」1904年

添付6:ヤン・トーロップ作
「男爵夫人の肖像」1919年

添付7:ハンス・ホルバイン作
「リチャード・マボット」

添付8:ヤン・ブリューゲル父作
「歩兵と幌馬車のある丘陵風景」

添付9:ヤン・ステーン作
「リュートを弾く女性」

添付10:ヘオルヘ・ヘンドリック・ブレイトネル作
「白い着物の少女」

次の町はエンスヘデー。人口16万人余り、ドイツとの国境に接してオランダの東端に位置する、中世から20世紀初頭にかけて繊維産業で栄えた街です。

この街の北側、静かな住宅街にあるのが「トゥエンテ国立美術館」。美術館前にはオランダの街でよく見かける構造の教会が建っていました。

オランダ語でRijksmuseumつまり国立美術館または国立博物館と名がつく美術館はこことアムステルダム国立美術館しかないのですが、観光客で混み合うアムステルダムに比べ、こちらは日曜日というのに朝10時の開館を待っていたのは私一人。退館するまで美術館スタッフ以外誰にも会いませんでした。日本でもこの美術館をご存じの方はごく僅かでしょう。

この美術館は繊維業で財を成したヤン・バーナード・ファン・ヒークが自分のコレクションと12部屋からなる建物を国に寄贈したものを基に1930年開館。トゥエンテはオランダ語の12で、当初の美術館の展示室数から来ています。

その後の寄贈と購入、美術館の増改築で今では中世から現代まで8000点以上の所蔵品を誇る堂々たる国立美術館となっています。

ただ気鋭の学芸員がいるのでしょう。古典と現代美術を組み合わせて展示してあるのですが、どれも空回りしている感じで楽しめるものはありませんでした。私としてはアムステルダム国立美術館のように、古典を展示するなら所蔵している古典作品だけを展示してくれた方が余程嬉しいのですが。

前回詳述したチャーリー・トーロップの父ヤン・トーロップの2作品がありました。

ヤン・トーロップは1858年ジャワ島で生まれ、10才の時にオランダに移住。アムステルダムとブリュッセルのアカデミーで学び、アンソールらに出会います。

トーロツプが生きた19世紀後半から20世紀初頭にかけては,世紀の転換期として,美術史上ではかつてないほどの激しい変革の時代でした。つまり印象主義に始まって,新印象主義,ポスト印象主義,象徴主義と続き,現代美術の幕開けを用意するフォーヴィスムやキュビスムが登場するという,激動の時代だったのです。

1884年にイギリス人女性アニー・ホールと恋に落ちたトーロツプは、彼女の家族と会うために行ったイギリスでホイッスラーの影響を受けています。1886年アニーとと結婚し、チャーリーが生まれるのです。そうしてトーロップは現代では珍しい4代続く画家一家の祖となったのでした。

トーロップは当時ヨーロッパの前衛美術の拠点であった、アンソールらの設立した「二十人会」への加入を契機に,ヨーロッパの数多くの前衛芸術家や文学者との交流を深めて,やがて初期の印象主義的な様式から,点描主義,象徴主義へと自己の様式を展開していきました。

1928年、69歳でハーグにて死去するまで、自分の経て来た様々な様式を変幻自在に使い分けながら肖像画家としても、陶器やポスター、グラフィック・デザイン、製本制作者としても生き抜いた生涯でした。

トーロップはインディアンの血を引きますが、生まれ故郷であるジャワ芸術に通じるような象徴的な色彩を帯び、暗く、神秘的かつ謎めいた作品で、アールヌーヴォーの先駆けとなり、代表作とも言われる「3人の花嫁」と、この美術館にある、印象派風な作品とごく普通の肖像画を添付しましょう。

なお第242回のクレラー=ミュラー美術館はヤン・トーロップ作品を油彩、素描併せて117点所有しています。

古典作品ではハンス・ホルバインが2度目の渡英後の1533年に描いた素晴らしい肖像画とヤン・ブリューゲル父の侘しい風景画、ヤン・ステーンの風俗画の中では珍しい主題の「リュートを弾く女性」が卓抜。

ヘオルヘ・ヘンドリック・ブレイトネルは余程着物姿の少女が好きなのでしょう。ここには赤ではなく白い着物姿の少女像がありました。