次の町はドルドレヒト。ロッテルダムの南東10㎞余りの所にある商工業都市で人口12万人余り。この街の中心近くに「ドルドレヒト美術館」があります。
1842年開館のオランダでも早期に庶民に門戸を開いた美術館です。
柵で囲まれ、大きな木々がうっそうと生える中庭に面した美術館の建物は、歴史を感じさせ、美への期待を高めてくれるかのように佇んでいました。
内部は2010年に大幅に改修されたとのことで、近代的な装いです。
作品はルネサンスから現代まで400年に渡り、年代順、テーマ別の展示。当然ながらドルドレヒト出身者が重点的に集められています。
中でもドルドレヒトで生まれ、のちにパリで活躍したアリ・シェフェール作品は10点を数え、展示数としては最高でした。
彼は1795年生まれで、貧しい画家だった父親を14歳で亡くし、1811年パリに出て国立美術学校で学びます。当時フランスではロマン主義の嵐が吹き荒れていましたが、シェフェールはそれらとは距離を置き、「冷ややかな古典主義」と呼ばれた独自のスタイルを発展させました。
1822年にオルレアン公爵ルイ・フィリップの子供たちの絵画教師になった事が大きく彼の運命を変えました。公爵の紹介で上流階級の人々の肖像画注文が増え、1830年にルイ・フィリップが王位に就くと、注文は捌き切れない程になります。
しかし1848年の2月革命で王政が覆されると、王族と強く結びついていたシェフェールの人気は失墜し、通俗画家の烙印を押されてしまうのです。
失意のシェフェールはアトリエに籠りきりになり、ひたすら絵を描き続けましたがそれらが発表されたのは彼が亡くなった1858年以降の事でした。
現在は完全に復権を遂げているシェフェールの「天上の愛と地上の愛」は、ギリシャの哲学者プラトンの言う精神的な天上の愛と肉体的な地上の愛を可視化したもので、着衣の天上の愛が裸体の地上の愛を見下している構図です。
ティツィアーノの描いた「天上の愛と地上の愛」は、アダムとイヴからも想起される様に、天上の愛を裸体で、地上の愛を着衣で表現しています。片方が白い衣装でもう一方が裸体に赤い布をまとうだけというのは同じ。時代の変遷とともに天地の表現方法が真逆になっているのが面白い。
シェフェールの「天上の愛と地上の愛」の隣に、ドルドレヒト生まれでシェフェールの従弟の画家アリ・ヨハネス・ラメ(1812-1900)が描いた「大スタディオで描くアリ・シェフェール」が展示されているのも心憎い。
展示作品数でシェフェールに次ぐのはアルベルト・カイプとニコラース・マース。共に8点ずつ展示されていました。
アルベルト・カイプ(1620-1691)はドルドレヒトで名門の芸術家一族に生まれ、肖像画家だった父ヤーコブの下で修業しますが、風景画家として歩みます。
彼はオランダを広く旅して多くのスケッチを残していますが、イタリアから帰国した他の画家の影響を受けて1640年代中頃から、カイプより10年先輩のクロード・ロラン風の壮大で大気感が漂う詩情性豊かな理想的風景画を描くようになり、後に「オランダのロラン」と呼称されます。
カイプ自身は一度もイタリアに行った記録はないのですが。
特に早朝や夕暮れの輝く光の表現は秀抜で、18世紀末にはイギリスで高く評価されターナーにも強い影響を与えています。カイプの作品は世界中で見かけますが、特にイギリスでよく見ます。
ニコラース・マースは1634年ドルドレヒトの裕福な商人の家に生まれ、14歳でアムステルダムのレンブラントの工房に入ります。1653年には一人前の画家としてドルドレヒトへ戻り、家庭内の風俗画に没頭し、レンブラントから学んだ色彩の魔法を広げ続けて行きました。
彼の最も脂ののった頃の「盗み聞き」では、下の階の男女の逢引きを密かに窺いながら、こちらを茶目っ気たっぷりに見る召使をユーモラスに描いています。詮索好きな召使は、マースのお気に入りのテーマの一つでした。
1673年アムステルダムへ移住し、1693年に同地で没します。マースは大変成功した画家で、死亡時には約4億円の現金とドルドレヒトに2軒、アムステルダムに3軒の家を残したと記録されています。
マースは風俗画以外にも肖像画や静物画なども数多く残しており、この美術館にある彼の自画像と師のレンブラント作品を添付しておきましょう。