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美術館訪問記 - 687 パノラマ・メスダフ、Den Haag

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:パノラマ・メスダフ正面

添付2:パノラマ・メスダフ内部、中央が観覧場所

添付3:パノラマ・メスダフ内部、中央部からの眺め

添付4:パノラマ・メスダフ外周図

添付5:パノラマ・メスダフ外周図の一部

添付6:パノラマ・メスダフ内展示室

添付7:ヘンドリック・ウィレム・メスダフ作
「漁獲の水揚げ」 1875年

添付8:ヘンドリック・ウィレム・メスダフ作
「北の海」 1900年

添付9:シーナ・メスダフ作
「夕暮れの羊飼い」

添付10:シーナ・メスダフ作
「かけす」

マウリッツハイス美術館の北東約800m、ギャラリーや家具店が連なるノールトアインデ通りを抜けた所にあるのが「パノラマ・メスダフ」。

高さ14m、周囲120mの世界最大のパノラマ風景画を展示するために建てられた美術館です。作製された場所に現存するパノラマ画としては世界最古なのだとか。

1880年のスヘフェニンゲンの街並みと海岸を本物そっくりに描き、その絵を張り巡らした円筒の中心にある見物席の周りには、本物の砂浜を造り出しており、絵と展望所直下から続く実物の砂浜との境目が溶け込むかのような巧妙な構造で、展望台から景色を眺めるような拵えになっています。

今でこそ夏に賑わうオランダ有数のビーチとして有名なスヘフェニンゲンですが、19世紀後半にはまだ小さな漁村があるだけの静かな場所だったようで、そののどかな雰囲気が、絵を通して伝わってきます。

室内には、潮の香り、かもめの鳴き声や波の打ち寄せる音もさりげなく流されており、本物の砂浜の上には小さな木の椅子、海からの漂流物などが自然に配置されていて、五感で海を感じられるような仕掛けが施されていました。

私たちが訪れた時は20人程度の観客でしたが、スタッフの好意で日本語の説明を我々2人だけのために特別に放送してくれました。日本人の団体もよく訪れているようです。

日本では似たような施設がないので、想像し難いかもしれませんが、19世紀末、日本も含め世界的に流行した見世物で、程なくすたれましたが、欧米ではいまだに人気があり、各地に同様な施設が点在しています。

このパノラマ画の作者ヘンドリック・ウィレム・メスダフは、1831年オランダ北部の都市フローニンゲンの生まれです。父親は銀行家でアマチュア画家。父親の勧めで美術を学び、兄のタコ・メスダフも風景画家として知られています。

父の銀行で働き始め、1856年に裕福な商人の娘で画家のシーナと結婚。1866年、父親の遺産を継承した後はシーナの強い勧めもあって、画家に専念します。

1869年、ハーグに移り海洋画や海岸の風景を描くようになります。1870年にはパリのサロンに出展し、金賞を受賞しています。

その後もロンドンやリヨン、フィラデルフィア、アムステルダム、ベルリン、フィレンツェなどの国際的展覧会で受賞を続け、ハーグ派の第一人者として、1889年には「プルクリ・スタジオ」の会長となって指導力を発揮しました。1915年永眠。

プルクリ・スタジオは1847年ハーグに設立された美術協会で、ハーグ派の画家達が当時のハーグにはなかった、絵画の教育・訓練の場として設立したものです。現在も美術展を開催するなどの活動を継続しています

パノラマ・メスダフは入館すると、パノラマに辿り着く前に3室の展示室があり、ヘンドリック・ウィレム・メスダフの絵画24点、妻のシーナ・メスダフ・ファン・ハウテンの作品4点が展示されていました。

ここにあるパノラマ画もメスダフだけの作ではなく、妻のシーナや、何度か紹介したヘオルヘ・ヘンドリック・ブレイトネルを含む、メスダフの弟子たちの手も入っています。

メスダフはハーグに移住後、連日スヘフェニンゲンの浜辺に通い、働く人々や移ろいゆく光、周囲の状況を観察、描写して過ごしました。

彼の初期の作品では海景はただの背景として存在し、画家の眼はは働く人々に向けられていますが、後には海景のみが主体となっていきます。