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美術館訪問記 - 684 プリンス・ウィレム5世ギャラリー、Den Haag

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:プリンス・ウィレム5世ギャラリー正面

添付2:プリンス・ウィレム5世ギャラリー内部

添付3:作品名と画家のリスト一例

添付4:ルーベンス作
「若い女性の肖像」

添付5:パウルス・ポッテル作
「水に映る牛」

添付6:ヤン・ステーン作
「歯抜き医者」

添付7:ヘラルト・デ・ライレッセ作
「リコメデスの娘たちの間で発見されたアキレウス」

添付8:レンブラント作
「ヘラルト・デ・ライレッセの肖像」
メトロポリタン美術館蔵

前回のマウリッツハイス美術館が背面するホフ池は、ほぼ長方形なのですが、そのホフ池のマウリッツハイス美術館の対角線的に反対側にあるのが「プリンス・ウィレム5世ギャラリー」。

1774年開館のオランダ最初の美術館で、マウリッツハイスのコレクションを作ったウィレム5世の所蔵品を展示しています。

街の家並みに溶け込むように隣家に挟まれた2階建ての小建築で、知らなければ、通り過ぎてしまうような侘しい佇まい。

中に入ると、受付を通って2階に上がるようになっており、2階ある展示室は、細長い大部屋と隣接する小部屋と合わせて二室のみ。

こちらはマウリッツハイス美術館とはうって変わって、観客は誰もいません。四方の壁に絵画が何の説明書きもなく並んでいます。

作品名と画家のリストは別に用意されており、位置と番号で照合しながら鑑賞する仕組みです。私立の個人美術館や邸宅美術館ではこの展示方法が間々あります。

リストなしでも一目でそれとわかる方も多いでしょう、ルーベンスの「若い女性の肖像」が目につきました。ただルーベンスにしては顔の表現がややぎごちなく、工房の手も入っていそうです。

今回はこの美術館に展示されている、オランダでよく見かける3人の画家について年代順に採り上げていきましょう。

1625年オランダ生まれのパウルス・ポッテルは、画家だった父に手ほどきを受け、牛や馬といった動物を多く描いたことで知られています。アムステルダムで名声を得て、活躍しましたが1654年、結核のため死去。

28歳で夭折した割には数百点もの作品が残されており、彼の家族はパウルスの死は過労死だったと言っています。

ここにある「水に映る牛」は、輝かしい夏の日の様子を描いており、人々は水中で楽しみ、牛たちは日陰や池で涼を求めて憩っています。ポッテルは水に映る牛たちの姿を描写する喜びを感じているかのようです。

ポッテルは動物を忠実かつ詳細に描写しましたが、その比率は正確性に欠けます。例えば、草を食べている羊は、水を飲む牛と比べると大きすぎます。これはおそらく、ポッテルが動物を個別にスケッチし、後で縮尺を完全に微調整せずに、すべてのスケッチをまとめたためです。

17世紀オランダ黄金期の著名風俗画家ヤン・ステーンは何度も名前を出しながら、まだ説明していませんでした。

彼は1626年ライデンの生まれで、ユトレヒトの画家の下で修業後、田舎の風景を描いたハールレムの画家アドリアーン・ファン・オスターデの影響を受けた後、風景画家ヤン・ファン・ホイエンの助手となり、1649年にはホイエンの娘と結婚し、その後8人の子供をもうけます。

1679年ライデンで死去。息子の二人は画家になり娘の一人は画家に嫁いでいます。

ヤン・ステーンは静物画、肖像画、歴史画、宗教画など様々なジャンルの作品を800点ほど制作しましたが、特に有名なのは農民を描いた風俗画です。

酔っ払った人々の乱痴気騒ぎ、結婚式、意地悪をされて泣く子供の姿などをユーモラスに描いています。また、教訓的な寓話やことわざを題材にした絵も多く、彼は兼業で居酒屋を経営しており、そこで人々を観察していたと思われます。

「歯抜き医者」は抜歯師の治療風景で、少年が拳を握りしめ、痛みに耐え、彼の靴下が足からずり落ちています。傍観者のほとんどは楽しそうに見守っていますが、左側の女性は同情している様子。彼女は男の子の母親でしょうか。

ユーモラスなディテールに満ちた日常のシーンで有名なヤン・ステーン。右側には、大きなシールが貼られた証明書があります。これは偽文書で、抜歯師はいかにも優れた有資格者らしく見せかけているのです。

ヘラルト・デ・ライレッセの「リコメデスの娘たちの間で発見されたアキレウス」が17 世紀末にオランダで流行した古典的なスタイルの典型例としてありました。明るい色、滑らかな筆遣い、そして晴れやかな光の扱いがこのスタイルの特徴です.

トロヤ戦争最大の英雄アキレウスは、戦争で死ぬと知った母の女神テティスはアキレウスを女装させ、スキロスの王リコメデスの館に隠します。

しかし、アキレウスなしにはトロヤ戦争に勝てないとの予言により英雄を捜し歩いていたオデュッセウスによって見出されてしまいます。

狡猾にも、オデュッセウスは女性たちの前に宝飾品、衣服などの装飾品だけでなく、剣と盾などの贈り物の山を預けました。アキレウスは本能的に武器を握りしめてしまい、正体がばれてしまったのでした。

ヘラルト・デ・ライレッセは、1641年ベルギーのリエージュの生まれですが、オランダで大変成功した画家、銅版画家、美術理論家でした。

画家として天賦の才に恵まれていたのですが、先天性梅毒に罹患しており、そのために1690年頃に失明してしまうのです。視力を失った後は、作品制作はできなくなり、代わって美術理論に専念するようになります。その美術理論は、18世紀のオランダ絵画に大きな影響を与えたといわれます。

レンブラントが1665年に描いた彼の肖像画がメトロポリタン美術館にありますが、梅毒の影響による鞍鼻(あんび:鼻すじが落ちこんで、低くなった状態)が明白です。