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美術館訪問記 - 683 マウリッツハイス美術館、Den Haag

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:マウリッツハイス美術館遠景

添付2:マウリッツハイス美術館正面

添付3:フェルメール作
「真珠の耳飾りの少女」

添付4:フェルメール作
「デルフトの眺望」

添付5:カレル・ファブリティウス作
「五色ひわ」

添付6:レンブラント作
「テュルプ博士の解剖学講義」

添付7:フランス・ハルス作
「笑う少年」

添付8:ルーベンス作
「ろうそくを持つ老女と少年」

添付9:クララ・ペーテルス作
「チーズ、アーモンド、プレッツェルのある静物画」

添付10:マウリッツハイス美術館内部

次の町はハーグ。デン・ハーグとも呼ばれアムステルダムとロッテルダムに次ぐオランダ第3の都市で人口55万人余り。オランダ議会や首相官邸、王室の宮殿、中央官庁、各国の大使館などが置かれており、ほぼすべての首都機能を担う事実上のオランダの首都です。

1830年アムステルダムが正式な首都になるまでは本当の首都でした。それだけに観るべき美術館も多く、6館を数えます。

それらの筆頭は「マウリッツハイス美術館」。美術館のホームページには「世界的に有名な小さな美術館」と謳ってありますが、実際錚々たる作品群で知られる割には規模は小さく、ゆっくり観ても2時間以内。

コレクションはオランダ総督ウィレム5世と、その子のオランダ初代国王ウィレム1世の収集が中核となっています。王立美術館として開館したのはウィレム1世の時代、1822年のことでした。

館名はここに住んだナッサウ=ジーゲン侯ヨハン・マウリッツ(1604-1679)にちなみます。ヨハン・マウリッツは、当時植民地であったオランダ領ブラジルの総督を務めた人物でした。1704年の火災で内装を焼失しましたが、外観はほぼ建設当時の面影を残しているといわれます。

首都機能を担う建物が周囲を取り巻くホフ池の片隅に面して建つ美術館はオランダで一番美しい建物と呼ばれ、建物それ自体美術品のようです。

ここは鉄柵と建物の間は一段低い広場になっていて入口は地下一階にあり、朝一番にそこを抜けて2階の15号室へ直行するのがお勧めです。その部屋に誰もが知るフェルメールの3作が展示されているからです。

普段は混み合うこの部屋を暫く占領してフェルメールを十分堪能した後、名画の余韻を楽しみつつ、ゆっくり他の部屋を巡ればよいのです。

ヨハネス・フェルメールは1632年生まれで、43年間の生涯のほとんどを生地オランダ、デルフトでつつましく暮らした画家ですが、死後急速に忘れられ、1886年にフランス人美術評論家トレ・ビュルガーによる「再発見」論文と、回顧展により、注目された後は、世界的にファンの多い画家です。

その筆の醸し出す独特の光の質感、計算し尽くされた画面構成、美しい静寂が支配する画家の世界は、今尚人々を魅了して止まないようです。

生前、同じオランダ生まれのレンブラントのように華々しく脚光を浴びなかったのは、オランダの地方都市から出なかったことや、よいスポンサーがついていて、工房も構えず、一人静かに丹念に描き、寡作だったことも起因しているでしょう。

この美術館の看板にもなっている「真珠の耳飾りの少女」は日本に来たこともありご存じの方も多いでしょうが、1881年にハーグでオークションにかかった時は僅か2ギルダー30セント(約1万円)で落札された記録が残っています。その落札者が1902年に他の11作品と共にマウリッツハイスに寄贈しています。

「デルフトの眺望」はフェルメールの残した風景画2点の内の1点で、画家が生まれ生涯を過ごしたデルフトの朝7時頃(作品内の時計塔の時刻)の街並みを描いています。街の前景に影を、後景に光を当てる光彩描写や、理想的な美しさを求め現実の街の姿を変革し描いた表現は、同時代に制作された風景画の中でも特筆に値する出来栄えと言えるでしょう。

20世紀フランス文学を代表する作家マルセル・プルーストは、「あの絵画を見て、私は世界で最も美しい絵画を見たのだと悟った」と語り、自身の傑作「失われた時を求めて」に重要なモチーフとして登場させています。

フェルメールがどういう画家修業をしたのかはいまだに不明なのですが、同じデルフトで活躍し、フェルメールの師だったのではないかとも言われるカレル・ファブリティウス(1622-1655)の「五色ひわ」があります。

ファブリティウスは1641年から1643年頃までアムステルダムでレンブラントに師事していますが、数多いレンブラントの弟子の中でも師の影響下から脱し独自の画風を確立し得た唯一人の画家と見做されています。

レンブラントの茶系統主体の重厚な画風に比し、軽やかな筆運び、変化に富んだ色使い、繊細な光線の処理がファブリティウスの画風の特徴で、それらはフェルメールの画風にも合致するのです。

ただファブリティウスの現存する作品は10点余りにすぎません。

というのも1654年10月12日、弾薬庫の40トン以上の火薬が爆発し、デルフト市街の4分の1が破壊され、数千人が負傷し死者100人以上が出る大惨事にファブリティウスの工房も巻き込まれ、ファブリティウスは若くして不慮の死を遂げ、作品の大半も失われてしまったからです。

レンブラントの作品も勿論あります。「テュルプ博士の解剖学講義」。

アムステルダムの外科医たちの肖像画という重要な制作依頼を受けた時、レンブラントはまだ25歳でした。彼は、モデルの外科医たちを動きのあるポーズで捉えました。明暗の強烈なコントラストが、この場面にさらなる躍動感を与えています。若きレンブラントは、すでにこの集団肖像画において、驚くべき絵画技術と、人物を活写する才能をあますところなく見せつけています。

レンブラントの一世代前のフランス・ハルスの「笑う少年」も、彼の驚嘆すべき技量を吐露した作品です。笑った顔を描くのは最も難しい課題の一つです。そのため、笑っている人物が描かれることはめったにありません。熟練したハルスは、驚くほど自由闊達な筆遣いで一気にこの少年を描き上げました。

ルーベンスの「ろうそくを持つ老女と少年」は、動きの多い劇的な構図、人物の激しい身振り、華麗な色彩、豊満な裸体表現でバロックの雄とされた彼にしては非常に珍しい作品で、生涯自分の手元から離しませんでした。おそらく、彼の工房の弟子たちの教材として使ったのでしょう。

17世紀のオランダ黄金時代には静物画が大きな位置を占めましたが、クララ・ペーテルスは、アントワープ生まれの女流画家で、最初の食品静物画の画家の一人であり、彼女の作品は、オランダ北部の画家たちに大きな影響を与えました.

陶器の水差しのピューター製の蓋には、白い帽子をかぶった女性の顔が映り込んでいます。これはクララの自画像です。