次の町はオランダ北部のアッセン。オランダ、ドレンテ州の州都でアムステルダムの北東130kmに位置する、人口6万人足らずの小都市です。
この街の中心近くにあるのが「ドレンツ博物館」。
堂々たるネオ・ルネサンス様式の建物で、博物館が町の真ん中にあるのは珍しいと思ったら、この建物は1885年から1973年まで議事堂として使われており、現在では地域の考古学資料や美術品等を展示する博物館に転用されているのです。
中に入ると議事堂時代を彷彿させる重厚な造り。
考古学資料は素通りして絵画部門の展示室へ向かうとゴッホが2点もありました。
「雑草を燃やす農夫」はドレンツ博物館とアムステルダムのゴッホ美術館が共同で2019年、ニューヨーク、サザビーズのオークションで2800万ユーロ(約40億円)出して競り落としたもので、両方の美術館で交代で展示されますが、保存や修復作業はゴッホ美術館が行う取り決めになっているそうです。
ゴッホについては第241回の「ゴッホ美術館」で詳述しましたが、1880年に画家になろうと決心したゴッホは1882年1月からハーグに住み、義理の従兄弟で画家のアントン・モーヴから絵の手ほどきを受け始めます。
ところが二人の子持ちの娼婦シーンと暮らし始めたことから、モーヴに愛想を尽かされ、シーンからも1883年9月別れ話を切り出され、同年9月11日傷心のゴッホはドレンテ地方へ旅立ったのでした。
ドレンテ州の泥炭地帯を旅しながら、ミレーのように農民の生活を描くべきだと決意したゴッホは、農民たちを描きながら3か月足らず過ごします。
この時代に描かれた作品はあまり現存しておらず、「雑草を燃やす農夫」は、数少ない作品の一つで、夕暮れの人けのない場所での孤独な姿を描いたものです。
「泥炭運びの船」も同時期の作品の一つ。
「一人の人間としての自画像」という奇異なタイトルの作品がありました。
作者のバレント・ブランケルトは1941年生まれのオランダ人画家で、アッセン近くのフローニンゲンで美術教授も担当しています。
彼は人間の孤独を表現するべく、自動シャッターで自分のポーズを撮り、それを基にこの絵を描いたのでしょうが、時が静止したような雰囲気を色彩と構図を巧みに設定することで、見事に表現しています。
ドレンツ博物館には小広場を挟んで別館も存在します。
別館には「ドレンテのマドンナ」と名付けられた、写実的な風景に囲まれてシンプルな服を着た農民の母子の絵がありました。
「私はこの絵で特別に美しく魅力的な何かを表現したかった」という作者、ヨゼフ・イスラエルス(1824-1911)の言葉が隣に添えられていました。
ヨゼフ・イスラエルスはこのところ3回続けて登場したイサーク・イスラエルスの父親で、フローニンゲン生まれで「ハーグ派」の代表的な画家。
1845年から2年間、パリで学び、。印象派の先駆となったヨハン・ヨンキントやバルビゾン派の画家たちとも知り合いになっています。オランダに戻った後、海岸の街で漁師などの庶民を描き名を挙げました。1871年にハーグに移り、メスダフの親しい友人となり、ハーグ派の重鎮となります。
1970年、南アフリカ生まれのデボラ・ペインタンの「中途半端な自分」も印象に残る作品でした。
(添付5:バレント・ブランケルト作「一人の人間としての自画像」および 添付8:デボラ・ペインタ作「中途半端な自分」は著作権上の理由により割愛しました。
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