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美術館訪問記 - 680 アムステルダム市立美術館

(* 長野一隆氏メールより。写真画像クリックで原寸表示されます。)

添付1:アムステルダム市立美術館入口

添付2:旧アムステルダム市立美術館正面

添付3:ゴッホ作
「ルーラン夫人」

添付6:ヘオルヘ・ヘンドリック・ブレイトネル作
「赤い着物」

添付8:イサーク・イスラエルス作
「スヘフェニンゲン」

添付9:アムステルダム市立美術館内部

次は「アムステルダム市立美術館」。第241回のゴッホ美術館の西側隣にあります。

開館は1895年と比較的古く、アムステルダム国立美術館に似たアドリアン・ヴィレム・ヴァイスマン設計のネオ・ルネサンス建築です。

私が最初にここを訪れた1985年は開館当時の建物でしたが、2005年に来た時は改築中で郵便局内の2階層に仮住まいしていました。本館大改修後、新しいウィングが付け加わって2012年再開館しています。

増築された部分はアムステルダム出身の建築家でスキポール空港などを設計したメルス・クローウェル作で、近代美術館らしい斬新なデザインです。その外観形状から通称「バスタブ」。

19世紀から現代までの絵画、彫刻、写真、映像に加え、1900年以降の家具、テキスタイル、ガラス、陶磁器、ジュエリー、ポスター、グラフィックを総合的に紹介するデザイン展を常設しています。

先ず目に付いたのはゴッホの「ルーラン夫人」。

既視感のある絵ですが、それも道理、ゴッホがアルルで暮らしていた当時、近所に住んでいたルーラン夫人を描いたもので、同名の作品が全部で5点あり、国内にあるクレラー=ミュラー美術館(第242回参照)にも同様の作品がありました。

シャガールの「緑色の服のベラ」は妻ベラをごく普通に写実的に描いています。生涯一途に愛し続けたベラに向かうと彼も普通にならざるを得なかったのでしょう。ただ顔料の経年変化なのでしょうか、服は青色に見えますが。

そのシャガールがロシアの片田舎から前衛芸術の中心地だった大都会パリに出て来て暫くして描いた「7本指の自画像」もあります。

当時パリで吹き荒れていたキュビスムに影響され、自分の身体や室内などは幾何学的に描かれていますが、キャンバスや頭上のイメージ図は具象的な故郷の風景で、窓から見えるエッフェル塔に象徴される近代都市パリと伝統的なユダヤ文化で育った故郷の間で揺れる彼の心境を表しているようです。

なお、シャガールの左手の指は7本ありますが、7は1887年7月7日に生まれたシャガールにとって大きな意味があったのでしょう。

19世紀半ばからヨーロッパで吹き荒れていたジャポニスムの影響を示す「赤い着物」という絵も目を惹きました。

作者のヘオルヘ・ヘンドリック・ブレイトネル(1857-1923)はアムステルダムで活躍した「アムステルダム印象派」の画家の一人で、修業時代いたデン・ハーグで同じく修業中のゴッホと一緒に写生しています。

彼は写真家でもあり、数十年間に渡り撮り続けた、ヨーロッパの都市の写真を残してもいます。

ブレイトネルの次世代で「アムステルダム印象派」の影響を強く受けたアムステルダム女性印象派グループの一人リッツィー・アンシン(1875-1959)の「投棄物」は、ジャポニスムの終焉を示すかのように他の人形類と一緒に打ち捨てられた雛人形を描いていました。

オランダの印象派を代表する画家、イサーク・イスラエルスの小粋にリゾート地の浜辺で憩う女性を描いた「スヘフェニンゲン」も印象的。

スヘフェニンゲンはデン・ハーグの西にある北海に面した砂浜が長く続く、オランダの人気ビーチ・リゾート地です。

イサーク・イスラエルスの作品はオランダの美術館で頻繁に見かけます。



(添付4:シャガール作「緑色の服のベラ」、添付5:シャガール作「7本指の自画像」および 添付7:リッツィー・アンシン作「投棄物」は著作権上の理由により割愛しました。
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