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美術館訪問記-68 アルベール・アンドレ美術館

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

添付1:アルベール・アンドレ美術館入口

添付2:ルノワール作
「アルベール・アンドレ夫人」

添付6:ボナール作「野草の花束」

添付7:バニョル・シュル・セーズのとある店先

前回名前の出た画家、 アルベール・アンドレをご存じの方は少ないでしょう。 私もルノワール美術館で初めて彼を認識しました。

アンドレはルノワールとは1894年にサロンで初めて会い、 ルノワールは彼の才能と気配り、謙譲の精神にいたく打たれ、 28歳という歳の差を越えて一番の親友関係になるのに それほど時間はかかりませんでした。

二人はお互いの家をまるで自分の家のように行き来する間柄となり、 カーニュ・シュル・メールのルノワールの家にはアンドレの自室があった事は 前回触れました。

アンドレは文筆の才にも恵まれ、ルノワールの伝記も書いています。 その中にルノワールが言ったというあの有名な一節、 「絵は美しい事が肝要だ。われわれの人生には醜いものは充分ある。 それにつけ加える必要はない。」があるのです。

そのアンドレの名を冠した「アルベール・アンドレ美術館」がフランス、 バニョル・シュル・セーズにあります。 アヴィニヨンの北30kmほどにある人口2万人足らずの小さな市です。

実はここは世界に数ある美術館の中でも、私の最も好きな美術館の一つなのです。

バニョル・シュル・セーズの市庁舎の2階にある 8部屋だけの小ぢんまりとした美術館ですが、 1917年にキュレーターに任命されたアンドレが、 1868年創設のこの美術館を一変させました。

というのも、1924年に市庁舎が火災に会い、 それまでの収蔵品は大半が焼けてしまったのです。

ここでアンドレの顔の広さが役立ちました。 彼の友人だったボナール、ドニ、マルケ、マティス、ピカソ、シニャック、 マイヨール、デュフィ、ドンゲン、ヴァロットン等が彼らの作品を寄贈し、 アンドレも自分の作品を30点ほど寄贈。

勿論ルノワールやルノワールの友人だったモネ、モリゾ、 ヴァラドン等の作品も加わり、その他無名の画家の作品も含め、 展示されている全作品がアンドレの好みで統一された 稀有な美術館になっているのです。

不協和音の全くない、上質の審美眼で選び抜かれた一貫した美の世界。 私の理想の美術館の一つです。

著名な映画監督になったルノワールの次男ジャンはこう書いています。 「アルベール・アンドレ。 彼がいると、いや彼の名前が出るだけで、我が家は明るくなった。 父ルノワールは再び絵筆を執り、若い頃覚えた歌を口ずさみさえするのだ。 父にとって、いやルノワール家全員にとって、 アルベール・アンドレと彼の絵はデリケートな生きる喜びだった。 今でもそうなのだ。今後もそうあり続けるだろう。」

実際私もルノワール美術館で初めて彼の絵を観て、一目で好きになりました。 しっとりと落ち着いて暖か味のあるいい絵です。 アルベール・アンドレ美術館でまとめて彼の作品に接し、 ますます好きになりました。

これまで何度か書きましたが、人間の認識とは不思議なもので、 一旦感知するとそれまで見過ごして来ていたものが見えて来るのです。

これ以降、それまで訪れていた美術館を再訪すると、 見逃していたアルベール・アンドレが高らかに自己主張するのです。 そして何故か旧友に出会ったようなほのぼのとした懐かしさを覚えるのです。 彼の絵はそういう感情を呼び覚ます絵です。

アルベール・アンドレは日本では全くと言ってよいほど知られていませんが、 欧米では結構見かけます。

バニョル・シュル・セーズも心に残る街で、 店々の戸や壁に描かれた絵も楽しく、愛すべき存在なのです。 もっと知られてよい町だと思います。

(*アルベール・アンドレ作「自画像」,「室内」, ドンゲン作「アデーレ・ベッソンの肖像」、は著作権上の理由により割愛しました。管理人)

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